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「ヴォストラ嬢。私が見逃しているうちに出て行け。2度目はない」
何て冷たい瞳。
いつからかしら。殿下が私をそんな風に見る様になったのは。
いつからかしら。あれほど平等で自信に満ちていた殿下がお変わりになったのは。
「殿下は変わられましたね。
大切にされていた、アベルト殿下も近頃はお見かけしませんし」
金魚の糞の様に、殿下にベッタリだった甘えん坊の第5王子。でも彼が優秀である事は確かだわ。
あんなに、アベルト殿下を可愛がっていらっしゃったのに…。
「ああ、あの子はマリアンに酷い言葉を浴びせたんだ」
「アベルト殿下が? 」
「ぅっ、アベルト様は、マリアンに不細工だって言ったんですっ」
「それだけ? 」
「それだけと言う事はないだろう。
マリアンは深く傷ついたんだぞ」
呆れた。アベルト殿下は国1番の美貌の持ち主と言っても過言ではない。
いくらマリアンが可愛くても、アベルト殿下とは比べ物にならないわ。
それを、不細工と言われたぐらいで。笑わせる。彼から言わせれば、マリアンも私も不細工よ。
「そうですか。殿下がお可哀想ですわ。
事実を述べただけで、怒られるだなんて。
しかも、下級貴族の令嬢に不細工と言っただけですわ」
「ハァ、いい加減にしろ。ヴォストラ嬢。
それにマリアンも許してやると言ってるんだ」
下級貴族の娘が王族を許す?
馬鹿馬鹿しいにも程があるわ。
「アベルト様も、きっと心は優しい方だと思うんです。
だから、仲直りの印に、手作りのブローチが欲しいなって」
「はい? 」
この子は今何と言った?
手作りのブローチが欲しいですって? その意味が分かって言ってるの?
アベルト殿下が趣味で作られる宝飾品や装飾品は他国でも高く評価され、ファンがたくさんいるのよ?
時には、その人気ぶりから政治的な場で交渉の材料に使われる事だってある。
毎年行われる王家主催のチャリティーオークションでは、最も高い値がつけられ、その価値は年々釣り上がっている。
昨年のチャリティーでは、王都の屋敷が買える値段だったのよ?
たかだか、不細工と言われただけで、要求して良い代物じゃない。
まさかそんな事で、自分の為に作れと言うの?
このままでは、ヴォストラ家だけでなく、王家までこの女のオモチャにされかねない。
早く、殿下から遠ざけなくてはっ!
**********
ヴォストラ家の食堂には、公爵、夫人、ハルソフ、レティアが静かに夕食をとっていた。
「そうだ、ハルソフ。
アカデミーの内容がつまらないと言っていただろう。
だから新たに先生を雇ったぞ」
「本当ですか! 」
普段、感情を表に出さないハルソフの明るい声色に、公爵は満足そうに頷いた。
「ああ。お前と年も近いんだ。
今年で18だったかな? 」
「そんなに若い先生で大丈夫なのでしょうか」
「もちろんだとも!
アカデミーの教授達よりも優秀な逸材かも知れない男だ。
名は、リュカ・マール。今月末には会えるだろう」
「教授よりも……すごい方なのですね。ありがとうございます、父上」
まだ見ぬ天才教師に想像を膨らます兄の隣で、妹のレティアは首を傾げている。
どうやら、名前に聞き覚えがあるのか、引っかかっている様だ。
「リュカ・マール……?
リュカ、リュカーーーあっ! 」
「どうした、レティア。
レティアも先生が欲しいのか」
「あっいえ、違いますわ。何でもありませんの、オホホ」
夕食後、沐浴を済ませたレティアは兄の部屋を訪ねた。
ーーコンコン
「お兄様、入りますわよ」
「どうした、レティーーーはぁ。まったく、そんな格好で歩き回るんじゃない」
「私の家なんだから良いではありませんか」
レティアが着ていたのは、フリルが可愛らしいネグリジェだった。
平民であれば家に居る間、寝巻で過ごそうと個人の自由であるが、貴族の間でそれは無作法とされている。
まして、公爵邸には夜間もたくさんの人間が働いており、彼女の姿は使用人をはじめ、警護にあたる騎士数名にも目撃されていた。
「何を言っているんだ。はしたない。
次からはきちんとするんだぞ」
「…分かりました(どうせすぐ寝るのに、何で寝巻がダメなのよ。お風呂も入ったし良いじゃん!) 」
少し前までは、我が儘ではあるが、マナーは完璧だった妹の変化に、ハルソフは戸惑っていた。
「 (気にし過ぎか? 父上も母上もいつも通りだが、何故かレティアだけは時々知らない人間と話している気分になる)
それで用件は何だ。長くなるなら茶を持って来させるか? 」
「いえ、それには及びません」
ハルソフを気遣ってか、はたまた単純にすぐ済む話なのか、彼女はキッパリ断った。
それを聞いて、やはり違和感を覚えずにはいられない様だ。
「…そうか。まあ座りなさい」
「はい、ありがとうございます(就寝前にお茶くれなんて、メイドが可哀想よ。なんなら自分で淹れるわ) 」
「何か頼み事があるんだろう」
「え、どうして分かるのですか」
「お前が俺に話しに来る時は、たいていそうじゃないか」
「(そうだった。レティア様だもんね、私)
あらそうでしたっけ?
その、お気を悪くされないで下さいね? 」
我が儘全開の妹が下手に出ている所を見ると、これは厄介そうだと瞬時に彼は悟った。
「聞くだけ聞こう」
「えっと、先程お父様がされた先生のお話なんですけど…」
「まさか譲れと言うつもりか? 」
「いいえっ!私は別に家庭教師は今のままで十分です!
ただ、お父様が仰られた先生はお止めになった方がよろしいかと」
「私には不相応と言いたいのか?
お前に心配される程、馬鹿ではないが」
レティアの意図が読めず、バカにされているのかと、ハルソフは苛立った。
「 (ひぃぃ、怒ってらっしゃるー!)
こっこれは! お兄様の為なのですっ! 」
「……は? 」
「じっ実は、リュカ・マールという名前の人物の噂を耳にした事がございます(ゲーム内には出てこない、公式ファンブック情報だけどねっ) 」
「それが私に不都合だと」
「はい、そうです!
そのっ彼はだっ、男色の噂がございます!
それも年齢問わず、私ぐらいの子供から彼より年上の男性まで。もう、選ばず」
「………?? 」
「 (固まってらっしゃる!! )
信じて下さい。もしもお兄様が毒牙に、いえ、変な噂を立てられでもしたらと思うと、私はっ」
レティアの切実な表情と訴えに、ハルソフの心は揺れていた。
別に自分が男色なわけではないから、要らぬ心配の様な気もするが、確かに下手な噂を流されると後継者として良くない。
だが、レティアが知っていて父は知らないのか。
何より、貴重な機会を不確定な妹の話を鵜呑みにして潰して良いものか。
ハルソフは、妹に部屋に戻る様言いつけ、リュカ・マールについて調べる算段を考えた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
あー、大丈夫かな。ハルソフ。
それにしても、良く思い出したわ、私!
もう自分を褒めちゃいたいっ。
リュカ・マール。
彼はゲーム内には一切登場しない人物だ。
でも、公式ファンブックのハルソフの過去に書いてあったのよねー。たしか。
ハルソフは婚約者が居るけど、実は同性しか愛せないって言う設定だった。
その秘密が、ファンブックには書かれていた。
もともと恋愛に無頓着で、別に男性が好きなわけじゃなかったハルソフを、リュカが目覚めさせちゃうわけ。
家庭教師先の教え子に悪戯するって、どんな悪いヤツなのっ!
そのせいで、ウチのお兄様は婚約破棄されて破滅していくんじゃー!! ボケェッ!!
別に良いのよ? 男の人が過ぎだって。
だってBLも全然ウェルカムだから、私。
ちょびっと腐ってたし、前世。
だけどダメなのっ。ハルソフには悪いけど、私の未来の為にフラグは全部折らなきゃイケナイのよ!
「むがーっ!
私を信じてくれーっ! 」
お兄様に追い返されて、不安MAXの私が枕に向かって叫んだのは仕方がない事だと思うの。
だからお願い、そんな目で見ないでエマ。
うるさくして悪かったって。だから止めてちょうだい。あの、その目を……ぐすん。
「 (男色か……遊びだけならまだしも、もし女性と関係が築けないのであれば、後継者として失格だ。
だがどうしてだろう。嫌悪すべきなのに、どういう感情なのか、気になってしまう。
っまさか、私にその気があったのか?
レティアはそれに気付いてーーいや、何を馬鹿な事を。どうかしている。とにかく、事実を確かめなくては) 」




