ハルソフとレティア
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{15歳のレティア}
「ねえ、お聞きになりまして?
ヴォストラ家のハルソフ様の話」
「ええ、何でも子爵令嬢を傷モノにしたとか」
「まあっ! 公子は侯爵家のご令嬢とのご結婚を控えてましたわよね」
「そうですのよっ。恐ろしいですわ。
あの方の妹と違って、立派な方だと思ってましたのに」
「やはり血は争えないんですのね、所詮兄妹だったという事でしょう」
「あら、クスクス。聞こえますわよ?」
「いやだわ、私とした事が。つい口を滑らせてしまいましたわ。正直者なもので」
「うふふ、ご令嬢ったら」
許さない、許さない、許さないっ!
あの女!!
ヴォストラ家に受けた恩を忘れて、お兄様を貶めるだなんて!
困っていると言うから、子爵家も支援して、メイドとして雇ってあげたのに!
普段お酒をあまり召し上がらないお兄様を酔わせて、破瓜を偽装するなんてっ。
だいたい、あの女はウチの馬丁とデキていたはずよ。処女なわけないじゃない。
それにどうしてお姉様は、お兄様を信じて下さらないの?!
愛情はなくても、確かな絆で結ばれていたはず! だからあの件も受け入れて、結婚も来月する予定だったのに。
「お姉様っ! どうかお兄様の無実を明らかにして下さいませ! 」
「私にその義理はないわ」
「どうしてですのっ!
お姉様ならご存知でしょう?
お兄様が女性と、しかもメイドとその様な事になるわけないと! 」
「誰でも酔っていたら分からないわ。
それにね、レティ。私はもう貴方の姉ではないの」
何を言ってますの?
だって来月にはお兄様とーー…
「破談になったのよ。
だから結婚はしない。貴方と姉妹にはならないわ」
「そんなっ! 何故です!
これは明らかな罠です! お兄様はあの女にハメられたのですよっ! 」
それを知っていて、何故破談になんて。
事実を公にして、裁けば何の不名誉にも値しない。お姉様にも、侯爵の名にも傷が付く事はないわ。
どうしてっ。
「少しでも、お兄様に情はないのですか?
幼少の時からずっと一緒だったのに! 」
「……あるわ」
「え? 」
「あり過ぎするから、捨てたの」
「どういう…」
「私ね、家の為とかそんなのどうでも良いの。ハルソフを愛してしまったのよ」
「…お姉、様」
「彼に同性しか愛せないと言われた時、ショックだったわ。
だけど彼は約束してくれた。
夫としての務めは必ず果たすと。そして生まれてくる子供を1番に大事にするって」
お兄様は絶対に約束を守る人よ。
必ず実行するわ。例え他に好きな人が出来ても。
恋慕とは違っても、お兄様もお姉様をちゃんと愛してる。家族として大切にしようとしている。
私には分かるもの!
「お兄様が約束を破ると? 」
「いいえ。ハルソフはどんなに自分が辛くなっても、私との約束を守るわ」
「だったら! 」
「今までは、耐えられると思ったの。
彼に他の好きな人が出来ても、世間的には私が唯一。そして子供も。
愛する人の1番として世間に認めてもらえる。それだけで良かった」
そこまで考えているのに、何がダメなの?
私達貴族は望まない結婚の方が多い。
恋愛結婚なんて、夢のまた夢じゃない!
「あと少しで結婚して、幸せになるはずだった。いつか彼が出会ってしまったとしても、今だけは私のもの。
だけど、私のものにならなくなってしまったわ。
下級貴族の、爵位も後ろ盾もないメイド如きに奪われてしまった」
「ですから、そんな事実はありません」
「いいえ? 事実など関係ないのよ。
私が小公爵夫人になっても、人々は使用人に夫を奪われた女として、笑い者にして、後ろ指を指すわ。
そして、彼はやがて愛する男を見つけ、私は独りになる。
愛されなかった女として、皆んな私を嘲笑うの」
「考え過ぎです」
「なるのよ!
私にはそんなの耐えられないっ。惨めだわ。彼がどんなに外で優しくしたとしても、私に気を遣っているか、罪滅ぼし程度にしか思われない!
嫌よ、絶対に嫌! 」
「冷静に考えましょう?
私も対策を考えますわ。
それに急に破談なんてーー」
「出来るのよ。
殿下が取り持って下さると、お父様に約束して下さったの。
だから、格下の我が家からでも、可能なの」
殿下が?
お兄様が支えて来た殿下が、臣下であるお兄様を裏切ったの?
どうして? そんなに私の事が嫌いなの?
その後、どうやって侯爵家を出たのかも覚えていない。
気がついたら、王宮を訪ねていた。
「レティア様、間もなく王太子殿下がいらっしゃいます」
ーーガチャ
「でんーーっ」
「あれぇ、お客様って、レティア様の事だったんですかあ? 」
「っ、どうして貴方が?! 」
「カルロ様がお茶に誘って下さったんですっ! 」
「そ、そう」
何故、子爵家如きのマリアンが我が物顔で王宮を歩いているのよっ!
「こら、マリアン。お前はサリエル達と一緒に居ろと言っただろう」
「えー、でもカルロ様がせっかく招待して下さったのに、置いてきぼりなんて、マリアン寂しいです」
「まったく、仕方ないヤツだな。
じっとしてるんだぞ」
「もうっ、私は犬じゃありませんっ! 」
なんて図々しい女なの。汚らわしい。
これではカルロ殿下の品位までもが損なわれてしまいますわ。
「お話を始めても宜しいでしょうか、殿下」
「ん、ああ。手短に頼むよ」
「…ええ」
「あっ! そういえば、今レティア様のお兄様って大変なんですよねっ? 」
「は? 」
「噂で持ちきりですよ?
でもきっと誤解ですよね。ハルソフ様が子爵令嬢を傷モノにしたなんて嘘で、きっとお二人は愛し合ってたんだわっ」
頭が沸いてるのかしら。
どうやったら、そんな結論になるのよ。
「違います」
「えー、じゃあ本当なんですか?
私はてっきり、愛のない結婚が嫌で行動を起こしたんだと思ったんですけどぉ」
「有り得ません。全て、その女の虚言です」
「えー? でもぉ、私その人の知り合いの方から聞きましたよ?
とてもショックを受けて、まともに会話も出来ないとか」
あのメイドの知り合いと何故、彼女に接点があるの?
まして、何の権力もない彼女なんかに話す必要があって?
「どこの誰です。それは」
「んー、それは秘密です。だってレティア様が人を傷つける所なんて見たくないですもん。
あっ、そうだ! ハルソフ様をカルロ様の側近としてしばらく一緒に過ごすのはどうですか? 」
「はあ? 」
「カルロ様の側に居れば、悪い噂もなくなるでしょう? 私も頑張ってサポートしますから! 」
私がその者の口を封じるとでも?
というか、お兄様まで、お前のハーレムに捧げろと言うの?
おぞましい。まるで悪魔の様な女だわ。
「それにっ、カルロ様にお願いして、侯爵様を説得してあげたんですよ? 」
「どういう事です? 」
「だからぁっ。愛のない結婚はハルソフ様が可哀想でしょう?
そんなのはあんまりだから、侯爵様に破談にして下さいってお願いたんです!
侯爵令嬢も理解して下さいましたわ」
「ーー?! あなたがっ、貴方が仕向けたのねっ! 」
頭空っぽの女だと思っていたら、こうも欲深い人間だったなんて!
こんな、ふざけた戯言にお姉様も侯爵も拐かされたと言うの?
「わわっ、レティア様どうされたんですかっ?
こわいっ」
「やめないか、ヴォストラ嬢。
マリアンは、そなた達を思ってやったんだぞ」
私達を思って?
どこがよ! お兄様もヴォストラ家も、侯爵家も被害に遭ってるのよ?
元凶のあのメイドだって、一生傷モノにされたと陰口を言われる。
解明されない限り、そんな事実がなくたってね!
誰が得したって言うの?
皆んな不幸じゃない。得したのはヴォストラ家の勢力を削ぎたい者達だけ。
…ああ。貴方は嬉しいかもね、マリアン。
殿下の婚約者である私の評判が落ちれば、貴方がもっと幅を利かせられるものね。
お兄様だって自分のものにしたいんでしょう? この間、無視されたのを気にしてるんだわ。だってお兄様は、貴方な大好きな美形の若い男性ですから。
「悪魔ですわ」
「ふぇ? 」
「ヴォストラ嬢? 」
「貴方は、悪魔の様な方ですわ。マリアン様」
「ヴォストラ嬢! 何て事をっ!
それでも公爵家の人間か! 」
「あぅっ、そんなっ、私、そんなつもりじゃなくてっ、ぐすっ。
酷いわっ! どうして私にそんなに冷たくされるんですっ、うゔっ。マリアンはっ、マリアンはっ。うぅ、カルロさまぁっ! 」
「ああ、可哀想に。
君に涙は似合わないよ。
彼女は君の素晴らしさに嫉妬しているだけだ。さっ、皆んなが待ってる。行こう」
「えぐっ、ぐすっ」
「殿下! まだお話は終わっていません」
始まってさえいないのに。
このままでは、お兄様がっ。
「ヴォストラ嬢。私が見逃しているうちに出て行け。2度目はない」