町役場では
少年たち(うち1人はロボット)は家路についた。
場面が変わって町役場では、インフルエンサに感染した加藤に対する対応が協議されていた。
3 町役場では
「このガキ」
真壁竜太は、プリンターから吐き出された、レポートを一読し吐き捨てた。
事務室に残っているのは真壁ひとり。真壁のデスクがある区画だけしか蛍光灯は点っていない。部下を呼びつけたい衝動に駆られるが、視線を上げたところで、周囲は暗がりが広がるばかりだ。
レポートが出てくるのをみんなで待っている必要もないと考え、部下を帰したのは総務課長の真壁だった。
いつもは部下を慮って、午後5時15分の庁内放送とともに退庁するようにしている。残業するのは久しぶりだった。
〝インフルエンサに罹った子供がいる〟
と、病院から総務課に報告が上がってきたのは、日付がきょうに変わった未明のことだった――。
総務課長席の卓上電話が鳴っている。
10秒ほど続いたあと、諦めたように静かになった。当然のことながら、庁内に、職員の姿はすでにない。
電話を受けた交換手は、真壁の携帯電話に自動転送した。
そのとき――これも当然――真壁は眠っていた。夜間に電話が掛かってくることなんて、これが初めてのことだった。
着信音に先に起きたのは妻の美雪だった。鳴動を続ける携帯電話を夫に押しつけた。
不明瞭な頭のまま、真壁は送話口に向けて
「え、なに、なに」
と訳もわからずに言った。
――っ。
「え、インフレ?」
真壁はガバッと体を起こした。
インフレ――実際にそう聞こえた。真壁は、どこの国でインフレが起きたのか、と頭を巡らせた。まさか、この国じゃないだろうな、とも。そうであれば、町として、いろいろ手を打たないといけなくなる。
――いや、インフルエンサだって。
「え、インフルエンサ……」
頭がすうっと醒めてくる。インフルエンサって感染症じゃ……。真壁は頭を空いた手で髪の毛を梳く。クセだ。縮れた毛が幾度か指に引っかかる。
「すみません、寝入っていたもので……総務課長の真壁です」
相手が誰かもわからなかったから、真壁は居住まいを正して頭をぺこぺこと下げる。傍らの妻が迷惑そうな顔をしながら掛け布団を引き上げた。
――知ってるって。当直医の井上だよ? しっかりしてよ。
「あ、ああ――井上先生」
肩の力が抜ける。病院―町に病院は一つしかない。町立の総合病院だ―に勤める女医の井上だった。
「ちょっと待って下さいね――」真壁は携帯電話を耳に当てたまま寝室を出て、
「どうしました?」
背中を丸めて訊いた。
――だから、インフルエンサに感染した男の子がいるんだって。
井上の声はうんざりしている。
「まさか……危ないんですか」
亡くなったりしたら、特異事案として発表しないといけない。いや、感染したというだけで発表事案か。どのみち、上に判断を仰がないといけない。
――なわけないでしょ。抗インフルエンサ薬を投与したら一発だよ。
「ああ――よかった」
――なにがよかったのよ。
「いや、治ってですよ」
――あなたね、わかってる? 治ってよかった、じゃないのよ。
「え?」
ハァ――
受話口の向こうで深い溜め息が聞こえた。これだから――と見下されている気がして、真壁は胸糞が悪くなった。でも、相手は医師だから何も言えない。
―感染経路が不明なのよ。
言われて気づく。それはマズイ。大問題だ。
「え? その男の子はなんて言ったんです?」
――どこで感染したのかわからない、って。中学生のことだから、それがウソかホントかはわからないけどね……まあ、ウソよ。普通に生活してたら罹るわけないんだから。感染源を特定するのはあなた達の仕事でしょ? あとは頼むよ。
真壁は、頭をガツン、と殴られたような気持ちになった。
――頼むよ。
井上は念押しするように言って、一方的に電話を切った。
真壁は右手に携帯電話を持ったまま立ち尽くす。
これは緊急事態か?
自問した。
これは―緊急事態だ。
だから、時間は関係ない。むしろ、ここで連絡しなければ、お前は何をしていたんだ、と叱責されかねない。それは即ち失点になる。
真壁は、唯一登録してある総務部長の短縮を押し、携帯電話を耳に押し当てた――。
――未明のことが、ずいぶん前のことのように感じる。
総務部長に報告したあと、オンラインで幹部会議が開かれ、直ちに手が打たれた。
真壁には一抹の不安――大丈夫か、という至極まっとうな――があったが、とにかく手は打ったのだから、初動という点で遅れはなかった。
町として、ひとまずこの事態については、隠すことも、自ら進んで公表することもせず、水面下で調査を進め、結論によっては公表するという方針になった。結論によっては、それこそ町の行方を左右する虞もある。真壁が今やるべきこと、今できること、それは、これからの動きについて頭を捻ることだ。
先手を打った方がいいんじゃないか、と思ったが、いや待て、と思いとどまる。
ガキどもの動きに応じて、こちらは動けばいい。その方が効率的かもしれない――。
やはりその方が効率的だ、と真壁は考えをまとめる。
その旨の上申を報告書に沿えて、総務部長にメールを送った。
明日は専門家も交えた緊急会議が開かれる。意見は一つでも多い方が助かるものだ。真壁の意見を総務部長が自分の意見として会議の場で述べ、それが実際の方策に生かされれば、真壁の株はきっとまた上がる。
真壁はデスクトップの電源が落ちたのを確かめ、ブリーフケースを手に持ち自席を離れた。
庁舎内に人気はない。どこもかしこもすでに消灯されている。遠くにあるのに避難誘導灯の緑の灯りに焦点が合う。真壁は警備員室の前を通り、庁舎の裏口から外に出た。
星の瞬く、澄んだ夜だった。月の明かりが町に降り注いでいる。
真壁は月に親しみを感じる。時刻は午後9時を回っている。月を見上げたまま、この夜空の下に私もいれば、私を悩ませているガキもいるんだな、と当たり前のことを思う。
「私は町民の公僕だが、君も私と同じようなものだな――」
誰も見ていないことをいいことに、ひとり〝総務課長・真壁竜太〟という役に浸る。
「お疲れ様」
月に向かって呟くと、コートの襟を立て家路を急いだ。夫の帰りを待っている妻のことを思いながら――。
動き始めた町役場。インフルエンサに感染した加藤は回復後、チャーらに打ち明け話をする。
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