ロボは飛ぶ
少子高齢化が進みきってしまった町の中学校に、ロボットの転校生がやってきた。クラスメイトのチャーと環は、そのロボットとともに、感染症に感染して学校を休んだクラスメイトのお見舞いに向かう。
2 ロボは飛ぶ
「どうしよ……」
エントランスをいったん出て、3人はマンションを見上げた。黄昏時。冷たく乾いた風が身体をなぶる。チャーと環が両腕を抱えてさする。ふたりとも制服の上から上着を着ていなかった。
「八田は寒くないの」チャーが訊いた。当然、八田も上着は着ていない。
「サムサモアツサモワカルケド、カンジハシナイネ」
「チャー、当たり前でしょ。ロボットなんだから」
「タマキ、マタ、ロボットッテイッタ」
「……」
携帯電話を確かめる。チャーと環が加藤にメールしたけれど、既読になっていなかった。加藤は布団の中でインフルエンサと闘っているのかもしれない。
エントランスでインターフォンを押せればよかったのだけれど、誰ひとり、加藤の部屋番号を知らなかった。集合ポストにも加藤の表札は出ていなかった。加藤が七階に住んでいるということは、チャーも環も把握していたけれど、7階には701から712まであり、701から順に確認するのはさすがに気が引けた。来るべきではなかったのだ、もう帰りなさい、と神様に言われているような気がする。
「せっかく差し入れ買ってきたのに……」
環がチャーの右手に提げられたビニール袋を見やる。
手ぶらではなんだと、近くのコンビニでポカリやプリンなどを買った。ついでにマスクも買い、コンビニを出て早々、3人はしっかりマスクを着用し、マンションを訪れた。道すがら、環が「ロボットのくせにマスク着けるの?」と言い、八田の反感をくらったのは言うまでもない。まだよくわからないけれど、ロボットというものは、人間と同じように振る舞いたいと考えるのかもしれない――そう、人間に近づくために。
「ナナカイカ?」
言って、八田がチャーと環を交互に見た。
え? チャーと環はそれぞれ頷く。
「リョウカイ、マカセロ」
「ちょっ!」
「えっ!」
八田は右腕をチャー、左腕を環の腰に回すと、膝を折って構えた。
戸惑うふたりをよそに、八田はバックパックの下部から火を噴かせる。
「おっ」マジか――チャーは心の中で唸る。
轟音が耳をつんざく。ちょ、ちょ、と環が身をよじる。ふっと身体が宙に浮いたと思ったら、ゴゴーッと7階ににじり寄る。浮いたあとは、旅客機が離陸するような安定感があった。
7階に到達した八田は、ヘリでいうところのホバリング態勢に入り、チャーと環を7階の共用廊下に降ろし、自身も7階に降り立った。
左へ走ったチャーがすぐさま言った。
「あった!」
「えっ」
環が駆け寄り、八田が後から歩み寄る。ガチ、ガチ、と。
エレベーターホール正面の部屋。701号室に「加藤」の表札が出ていた。
なんと、インターフォンを押していれば、一発目がアタリだったのか――。
「なんだ……」とチャーは肩を落とし、
「ケッカロンダ、チャー」と、八田が心を読んだように被せる。
チャーが振り返ると、環は手すりから顔を覗かせ地上を窺っていた。
「環?」
「おばちゃんがこっち見てる。見られたのかな……」
壁の陰からチャーも地上を窺う。
たしかに、おばちゃんがこちらを見上げている。
「すみませーん、だいじょうぶでーす」
環が大声を出し、手を大きく振った。
それで安心したのか、おばちゃんは小さく手を振り返し、身体を翻した。
ほっ、とチャーと環が胸を撫で下ろすと、
ピーン、ポーン
と鳴った。
「あっ―」
八田の左手の人差し指は701号室のインターフォンの上に置かれている。左利きなのか――どうでもいいことにチャーは気づく。いや、そもそもロボットに利き手も何もないだろう。
「はい」
インターフォンから女性の声がした。加藤のお母さんに違いない。
八田がインターフォンに顔を近づけ、
「チャーなんですが、テルいますか」
と、男の子の声で告げた。ロボット的な片言から打って変わり、滑らかな声だった。
「おいっ」
チャーがツッコむ。
「えっ、すごい」
環が声を上げ、
「えっ、なんでっ」
チャーが慌ただしく環に顔を向ける。
「えっ、だって、チャーの声まんまじゃん」
「えっ――」
チャーは言葉を失う。自分の声って、あんなに高かったっけ? そういえば、ここ最近、自分の声を耳にした記憶がない。
インターフォンと八田がにらみ合う間があり、
「あ、チャーくん、久しぶりね。ちょっと待ってね――」
加藤の母親が通話器から離れていく。チャーだと信じてくれたようだ。
どういう技術を使っているのかわからないけれど、インターフォンに映っている姿がチャーだったのだろう。じゃないと、そうはならない。チャーの目の前にいる八田は、相も変わらずロボットの八田だけれど。
てるまさー、チャーくんが来てくれたわよぉ――加藤の母親の声がインターフォンの奥の方で聞こえる。
チャーがぐいっと八田の前に歩み出る。
「どゆこと」
「VRミタイナモノダヨ、サイシンギジュツサ」
八田が両の掌をチャーに向ける。
「わかんないよ。てか、その声やめろって」
「ハハッ、リョウカイ」
「笑うな」
玄関のドアがわずかに開き、マスクをつけた加藤が顔を覗かせた。キョロキョロ、と細い目が外を窺う。チャーはマスクに手をあて、
「インフルエンサ、大丈夫?」
「ああ、大丈夫、大丈夫。ごめんな、出てったら感染しちゃうかもしんねえから」
「いい、いい、見舞いに来ただけだから」
「てか、何、それ」
加藤がチャーの後ろに立つ八田を凝視する。
「こいつは八田怜。転校生だよ」
「ハジメマシテ。キミガテルカ」
「おお……え、男?」
「テルモオナジカ。レイスイマサツデモシテイレバ、ケッカオーライダッタノニ」
「は?」
加藤が語尾を上げた。たしかに意味がわからない。
「性別は関係ないんだって」私もいるよ、というふうに環。うまい具合にフォローしてくれた。
「おお、環も……てか何で、八田だっけ、そんなの着てるんだよ」
「着てるんじゃなくてロボットなんだよ、本物の」
「そ、そうなんだ……てか、下、オートロックだっただろ?」
加藤は人差し指で下を指し、どうやって入ったんだよ、と暗に訊く。
ここでそんなこと?
突然のロボットの登場に頭が困惑して、そんなことぐらいしか訊くことが思い浮かばないのだろう。
「それは話すと長くなるからまた学校でね……ほらチャー、テルは病気なんだから」
環が後ろからせっつき、チャーは差し入れを差し出した。おお、サンキュ、と加藤は玄関ドアの隙間から伸ばした手でそれをつかみ取った。ビニール袋が音を立てて、玄関ドアの向こうに消える。
「元気そうでよかったよ」最初からそうだったけれど、加藤の声音は病人のそれではなかった。
「サンキュ。けっこう熱出たんだけど、病院で薬一発やったら平熱に下がってさ、いまは普通なんだわ。でも、熱が下がってから、4、5日は感染る可能性があるらしくってな」
「そっか。てか――インフルエンサなんて、どこでもらってきたんだよ」
「まあ、それは……どこだろな」
お互い様というように、つぎは加藤が言葉を濁した。
ま、早く治すな、ほんとサンキュ、2、3年にもよろしくな、ほんとサンキュ―、――言葉を萎ませながら加藤は後ずさりし、玄関ドアを閉めた。
「……」
「帰ろっか」
環の声を合図にチャーもその場を離れた。手すりの向こう側の虚空に向かい、膝を曲げて屈んだ八田は無視し、環とチャーはエレベーターが来るのを待った。
「たしかにさ、どこでインフルエンサもらってきたんだろね」
マンションを出るなり、環が口を開いた。
「だろ?」やはり気になる。引っかかる。
うん、と頷き、環は空を斜に見上げた。
ずっと鳴いていたのだろうけれど、カラスの鳴き声が聞こえる。ふたりの視線が落ちるところには山がある。それは当然。この町は山に囲まれているのだから。いったいどこで、加藤はインフルエンサをもらってきたのか――。
背後でエアコンが唸るのに似た重低音が響いた。足元に振動が伝わる。
マンションのエントランスを出たところに八田が構えている。両膝を曲げて、腰を気持ち落として。
飛び立つんだ――瞬時に理解した。
八田が右手を掲げた。じゃ、と言ったかもしれないけれど、聞こえなかった。轟音が耳をつんざく。ロケットが打ち上がるのと同じように、八田は飛び立った。両上肢を体側に真っすぐに沿わせ、天蓋に突き刺さるように――。
どれぐらい上へ昇っただろう。昇り切ったようなところで、八田は北へと向かった。
どこに帰るのか――。
その行方をチャーと環はじっと見つめていた。八田が空の向こうへと消えるまで。
自宅のある方角へと飛び立った八田。
~
次回は視点が変わります。
励みになりますので、どんな些細なことでも結構ですので、感想など頂けますと幸いです。よろしくお願い致します。




