ロボットとインフルエンサ
少子高齢化が進みきってしまった町――ある日、チャーが通う中学校に転校生が入ってきた。物語は、そこから始まる。
第1章 ロボットとインフルエンサ
揺れてる――。
地震だ。思わず身構える。心臓がトクトクいう。辛うじて体感できる揺れ。震度は1か、せいぜい、2だろう。つい5日前に震度5強を体感した。以来、余震が多い。その経験則から、それぐらいじゃないか、と推測できるようになった。
まだ心臓が緊張している。トクトクと警戒している。
「また――怖いわねえ」
母が不安げに言った。
チャーはソファに座って、じっとテレビの画面を見つめる。両手を組み、両肘は両膝に載せて。それは睨み付けている、といってもいい。頭の中には、呪文を唱えるように諳んじ続けてきた、言葉がリフレインしている。
〝この町は忘れ去られ、町のままでいる〟
朝ご飯は食べたし、歯も磨いたし、顔も洗ったし、制服にも着替え終わっている。チャーは欠伸をひとつ嚙み殺す。
午前7時半になったのでチャンネルを換える。
わずかな間が空き、
ザーッ
と、また、テレビが鳴りだす。
砂嵐――。
代わり映えのしない画面。その砂嵐は同じ方向に吹いているのだろうけれど、じっと見つめていると、右上から左下、左下から右上、カチッと切り替わって、右下から左上――と縦横無尽に吹き荒んでいるように見えてくる。それこそ本当の砂嵐のように。砂漠に吹き荒れる、本当の砂嵐は見たことがないけれど。
1チャンから4チャンへ、4チャンから8チャンへ―飛び石を渡るようにチャンネルを換える。
どのチャンネルも、砂嵐をただザーッと流しているだけだ。我が家のテレビは、今どき珍しいブラウン管だけれど、壊れているわけじゃない。父が小さかった頃からそうだったらしい。父はいつもチャーが寝ている間に出勤する。チャーがリビングに出てきた時にはテレビは点いているから、父もきっと、この砂嵐を見てから家を出て行っているのだろう。
「チャー、遅刻するわよー」
キッチンから母が言った。
んー、とチャーは応える。
チャーはリモコンを手に取りテレビを消すと、ソファに置いたリュックを背負い、スニーカーを引っかけながら家を出た。
クラスメイトのひとり、加藤輝正が休んだ。
担任によると、「インフルエンサ」という病気らしい。チャーは保健体育の教科書でしか、その感染症に触れたことがなかった。クラスメイトもそうだろう。
加藤は今日から一週間近く休む、と担任は言った。病み上がりすぐに出てこられては、クラスメイトに感染するおそれが高い、と学校側が判断したのだという。
健康そのものの加藤が罹ったのだ。今ごろ家でウンウン唸っていることだろう。
全校生徒15人の中学校――少子高齢化が進むところまで進んだ結果だ。校舎は3階建て。比較的新しいコンクリート打ちっ放しだが、1階の職員室と2階の1室以外は使われていない。かつての「2年B組」の教室で、1年生から3年生が勉強している。
インフルエンサが感染拡大すれば、学校そのものを閉鎖せざるを得なくなる。
「……ということだ」
担任がいったん話を区切ると、遥か向こうにある山がズズ――と鳴動した。
そう、山が担任なのだ。
といって、山から教室に担任の声が直接届くわけではない。
担任の声は黒板の上にあるスピーカーから流れる。教室の一角にはカメラ付き集音器があり、生徒の質問に担任はスピーカーから答える。山と学校は地中に埋設されたケーブルで繫がっているから、距離が離れていてもやり取りができる、ということらしかった。
山に担任がいるとも言えるかもしれない。
山に入れば、担任に会えるのだろうけれど、実際に会ったという生徒の話をチャーは聞いたことがない。チャーは入学して間もない4月に、自転車を漕いでひとり山に近づいた―担任の〝顔〟を無性に見たくなったのだ。単純な好奇心だ―のだけれど、山のざわめきと鳥のさえずりに気圧されて、こりゃ無理だ、と来た道をとって返した。怖れをなして逃げたのだ。それ以来、山には近づいていない。
「今日は新しい友達を紹介するぞ」
声を張って担任が告げた。
担任は転校生の学年と経歴を生徒に伝えた。学年はチャーと同じ1年。これまでは家庭で学習を続けてきたのだという。
そんなことが許されるのか? 小・中と義務教育なのに?
かといって、チャーは羨ましいとは思わない。父が「勉強しろ」とうるさいだろうから。それとも「聖典を読め」だろうか――。どちらもだろう。なんにせよ、ずっと家になんていられない。鬱陶しくて。
「入りなさい」
担任が言って少しの間が空き、ガラガラと教室の前の戸が引かれた。
え――
教室がざわつく。
ロボット? チャーは瞬時に思った。
誰もがそう思っているにちがいない。
まさか、と思い直して目を凝らす。一歩一歩踏みしめるように歩いて、ロボットのマネをするヤツはいる。だが、教卓へと歩むそれは人ではなく、どう見てもロボットだ。背丈は大人ぐらい。170センチ台半ばぐらいだろうか。
中に人が入っているわけではなさそうだ。四肢の動きに合わせて、モーターが回るような音と金属が軋むような音がするから――ロボットだ。
「あれ、ガンダムじゃね?」
チャーの左隣――チャーの左2列が2年生。その向こうの2列が3年生の座席になっている――に座るマクタスが前を指し、チャーに小声で言った。
「ガンダムすか……」
わかっているような、わかっていないような感じでチャーは応じた。マクタスの言うガンダムが、チャーの頭の中で像を結ばない。
「うん、父さんが部屋に飾ってるプラモといっしょだよ」
「プラモすか……」
チャーはプラモデルを知らない――買って組み立てたことがないという意味だ。興味・関心がレゴで止まり、それ以上先には伸びなかった。
「父さんは〝初代のガンダムだ〟って言ってたけど」
初代――頭に角が生え、胸が青く、剣でも背負っているのだろうか背中からは柄のようなものが二本見える――と言われても、初代とそれ以降とでどこが違うのだろうか。
「あんなデカいんすか」
「プラモはもっとちっせえよ。実際、5、6メートルはあるんじゃねえの。だって、中に人が乗ってるんだよ、たしか」
「じゃあ、あの中にも」マクタスの言う実際とはどういうことだろう、と思いつつ、チャーは視線を前に戻した。
「じゃねえの」
言って、マクタスも前を向く。
ロボットが教卓に着いた。
みな固唾を呑む。
――何を話す?
「ほら、自己紹介なさい」
担任が促した。
すると、ロボットの頭の辺りでピピッと電子音が鳴って、ヘッドライトのような鋭い両目に明かりが灯った。LEDのような白色ではなく、オレンジがかっている。
「オッス、ハッタ・レイ、ダ」
男とも女とも判断のつきかねる中性的な声で挨拶すると、ハッタ・レイなるロボットは右手を掲げた。宣誓でもするかのように。
「どういう字を書くのか、黒板に書きなさい」と担任。ここにいる誰もが、入学式を終えて教室に入って早々、そうやって自己紹介をさせられた。
ロボットはくるりと回れ右すると――機械音が鳴った、チョークを手に取って板書した。
八田怜――。
カタカナかと思いきや漢字表記だった。チョークであるにもかかわらず見事な達筆。その筆跡は、こいつはやはりロボットだ、と思わせるものだった。そうだとしたら、そういうソフトを導入されているのだろう。インプットされているのだろう。
「みんなわかっていると思うけど、八田はロボットだ。ロボットが学校に入るなんてことはこれまであり得ないことだったけれど、八田の親御さんが、我が子を人の間に入れて勉強させたい、と学校にお願いしたんだ。何の勉強をさせたいかと言うと、人の感情とかをだな……まあ、こういう時代だから、みんなも理解して八田と仲良くしてあげてな。八田、座っていいぞ」
やっぱりロボットだった。
「マジかよ……」
マクタスが呟く。
チャーの後ろに空いた机が置かれているから、八田はそこに座るのだろう。
八田がロボットなら、その両親もロボットなのだろうか、それってどういうことなのだろう――チャーの頭に疑問が湧いてくる。
八田が教卓から離れようとしたとき、
「はいっ」
チャーの前に座る環が手を挙げた。
いつもお下げの黒髪女子。1年生の紅一点――2、3年生にはそれぞれ4人もいるのに。しかもそれぞれ明らかなカワイイ子がいる――だが、異性として見る手前で、男子は一線を引いている。要するにカワいくない。眼鏡を外せばイメージが変わるかも、と思ったことはあるけれど。頭の良さはチャーと同じぐらい――ちなみに加藤は決まって三番手だ。
「はい、環」
担任は担任らしく環を当てる。
「あの……女子でいいんでしょうか」
「ん……?」
スピーカーの中で担任がすんと黙り込む。
「えっと……八田さんですか、それとも、八田くん?」
たしかに。「怜」という名前はどっちともとれる。チャーは外見だけで勝手に男子だと考えていた。訊くに際して、女子でいいのか、という環の切り込み方は、適切だったと思う。
「ああ――えっと……」担任の声に躊躇いがにじむ。
八田が動きを止め、顔を環に向けた。
「セイベツハカンケイナイ」
八田は刻むように言うと、背筋を伸ばした。
すると、
八田の両側頭部にある小さな穴から、何かが次から次へと飛び出した。瞬間、クラスメイトのみんなが身構える。
教室のあちらこちらでコツコツと音が鳴る。
チャーが床に落ちたそれを拾ってみると、それはビニールに包まれたキャンディーだった。ロボットというやつは、キャンディーをばらまけば、中学生は喜ぶとでも思っているのだろうか?
「八田、やめなさい」
「コレモアイサツネ」
キャンディーを出し終えた八田は教壇を降り、用意された自席に向かって歩く。環は、なにコイツ、という顔を右隣のクラスメイトに向ける。
「拾ったキャンディーは持ち帰って食べるように。まあ、八田が言ったとおり、性別は関係ない。男子も女子も八田と仲良くしてな」
と、八田の背後から担任がフォローする。
ギギ――と椅子が引かれ、ガチャ―と木製の椅子と金属が触れる音がした。背中でわかる。八田が着席した。
チャーの首筋を、後ろから監視されているような、刷毛で撫でるような感覚が下から上へと伝わった。
合同ホームルームが終わると、天井から二枚のパーティションが下り、教室を3分割する。そこからは学年に分かれて授業を受ける。
1年生はこの日、午前は数学、国語、社会、午後は体育、技術、そして宇宙の授業をこなした。
パーティションが上がる合間合間の休み時間――当然ながら、八田の机をみんなが囲んだ。2、3年生も珍しく1年生の列に来て。矯めつ眇めつ八田を見ては、背中や肩、腕をぺたぺたと触った。最初の頃こそ、「すっげえ」なんていう驚きの声も上がっていたけれど、それも放課後近くになると落ち着いた。
チャーは部活に入部していない。
中学校には男女混合のサッカー部があるだけだ。全校生徒が30人を割った頃に、生徒にアンケートをとって一つに絞ったのだという。当初は何とか紅白戦ができたらしいが、今ではイレブンにも満たない。部員構成は女子の方が多い――その一点をどう取るか、という余地はある。
だいいち揃ったところで、競い合う相手がいない。町の中学校はここにしかないからだ。そんな部活に入って何の意味があるのか。入部すれば、ゴールキーパー以外のポジションにはつけるだろうけれど、帰宅部員になることを選んだ。チャーのその選択が多少は影響したのかもしれない。チャー以外の1年生、つまり、加藤も環も部活には入部しなかった。
午後4時。終業を告げるチャイムが鳴り、パーティションが上がった。教室のあちこちで椅子が音を立てる。環が座ったままくるりと振り向いた。チャーは教材をリュックに入れていた手を止める。
「ん?」
「テルのお見舞い行かない?」
環が顔を寄せて言った。「テル」は加藤輝正のあだ名だ。
「でも先生が……」
チャーが周りを窺いながら言葉を濁す。合同ホームルームのときに担任は〝感染ってはいけないから、見舞いにはくれぐれも行かないように〟と釘を刺していた。……それもあるけれど、加藤の家に行ったら自分にも感染ってしまうかもしれない。地味に怖い。
「大丈夫、大丈夫。ロボットがいるから」
環がチャーの後ろに視線をやった。
八田は首をクッと機械的に傾け、ピーッ、と頭のどこかから音を鳴らした。八田を囲む生徒はいないが、2、3年生の視線が八田に刺さる。目立つことはするなって――チャーは心の中で舌打ちする。
「しゃべれるでしょ」
すかさず環がツッコむ。
「ナンデ、ワタシガイルト、ダイジョウブ?」
八田が首を傾けたまま訊いた。「ワタシ」と言うのだから、八田はやはり女子なのだろうか、とチャーは思う。
この1日だけで八田との距離はずいぶんと縮まった。それは当然のことで、1年生は休んだ加藤を除けば、チャー、環、八田の3人――厳密には2人と1体(1台?)だけれど、もうそうは数えられない。もう友達と言えなくもない存在だし、面倒くさくもあったから――しかいない。昼食も机を合わせてとった。チャーと環は弁当を食べ、八田は背中のバックパックの下からコードを伸ばして教室のコンセントに繫いでいた。八田にとってはそれが食事らしかった。二人が食事をしながらもチラチラと八田に目を寄越していると、八田は「ワタシニモ〝クチ〟ガアッタラ、タベタイ」と言った。冗談を言ったということなのだろうか、八田の頭は小刻みに揺れていた――。
「大丈夫でしょうよ、だって、アンタはロボットなんだから」
眼鏡の奥で環の目が細くなる。インフルエンサウイルスは、コンピューターウイルスではないから、大丈夫だろうということか。
「タマキ、ロボットロボットッテ、イウナ。キョウダケデナンカイイッタ」
「そんなの数えてるわけないでしょ」
「ナナカイ」
「……」その数字は正確なのだろう。ロボットが数えているのだから。
「じゃあ、なんて呼べばいいのよ」
「ハッチャン」言いながら、八田は首をクッと逆に傾けた。
「……わかったわよ。じゃあ、ハッチャン、テルのお見舞いにいっしょに行こ?」
「リョウカイ」
ひときわ大きな声で答え、八田が立ち上がった。勢いあまって、ガチャン、と椅子が後ろに倒れる。教室に残っている、帰宅部の2、3年生の視線がまた集まる。
「なーにがリョウカイだよー」
空気をうやむやにするように、チャーが頭上から突き抜けるような声で言って、八田が倒した椅子をさっさと起こす。
「たく、ロボットって空気が読めないわけ?」
「タマキ、マタロボットッテイッタ」
「はいはい―」
チャーと環が八田の両側に付き、八田を引っ張りながら教室の後ろに向かう。
八田はやはり人間ではない、とチャーは確信する。なんせ重い。鉄の塊が床に吸い付くようだ。環も「おもっ」と一言。
なんとか戸口に辿り着く。2、3年生がまだこちらを見ている。それに環も気づいて八田に言う。
「アンタね、こういうときにアメ出すんだよ」
「アンタッテ?」
「アンタもハッチャンもいっしょ。覚えて」
すると、八田の頭部がピピッと鳴り、その側頭部から八田は無数のキャンディーを教室に放出した。
2、3年生が床に散らばるキャンディーに群がったのは、言うまでもない。
チャー、環、八田は加藤のお見舞いに向かうことに。人間2人とロボット1体による、何とも珍妙なお見舞いである。