16.団体戦はサプライズで始まる
朝はいつでも神聖な気に満ちている。ましてや広大な白虹神社の境内に佇むとそう感じる。ナギサ酒場の一行が二日酔いを醒ますために散策すると、木々の間を掃き清めている氏子たちが気軽に声を掛けてくれる。
「おはようございます! 昨日の踊りは見事でした。あっしはアミさんがいちばんだと思ってたよ!」
「おはようございます。ありがとうございます。早くから精が出ますね」
「なんのなんの。白虹様はあっしらの村の護り手ですから。こういっちゃあなんですが、馬の背中を撫でつけたり、世話をするのと同じです」
馬も大切、田んぼも大切、その延長線上に神様を大切にする。その心映えは土に根差した生活を送ったことのないおかみさんにも、よくわかる。今日の団体戦だって勝ち負けじゃない。心を尽くして土地の神様に奉納し、嘉して頂こうという気持ちが大事なんだ。そう言おうと思って振り返ると、みなが口々に言う。
「おかみさん、神様にいい踊りをみてもらいましょう」
「この土の奥から馬の嘶きが聞こえてきます」
「キッコ先輩、それは言いすぎでしょ。ほら、あの雲が馬そっくりです」
「全く、あんたたちと来たら、じゃあ行くよ!」
踊り子たちは顔を見合わせて言った。
「朝ご飯食べてからにしません?」
昨日の夜、市長を始めとした審査員たちは、懇親会と称して個人戦審査の慰労と団体戦の情報交換を行っていた。
「市長、やっぱりヒュウガとアミの組が優勝候補の筆頭ですかね」
「うむ。大方はそう思ってるだろうから、その二組を最後の方に出演させるのが無難だろうな」
出演する順番は仕合の大切な演出である。最後の方に上手なのを出すのは当然だが、始めの方が拙いのばかりでもよくない。
「それがそのまま優勝しちゃあ、おもしろくないんじゃ?」
「誰かおもしろそうなのいるかな。パロは真ん中よりは前に出そうと思ってるが」
「パロの奴、市長のお説教が相当堪えたみたいですよ」
「そんなキツイことを言ったつもりはないんだが」
「それだけに身に沁みたんでしょう」
「ふむ……」
実際はパロは雇われてる酒場の主人に『殊勝なフリをしとけ。しおらしい面も見せとけば今後のためだ。乙女の踊りもできなくちゃあ駄目だぜ』とアドバイスされたのに従っているだけだった。
「気分転換してまた頑張れって言っておきますよ」
「そうしてくれるか」
酒場の主人は踊り子を手玉に取り、踊り子は主人を手玉に取る。雇い・雇われ、支配・被支配が剥き出しの関係ではうまくない。異性同士であればこそそんな駆け引きが楽しくもあるわけである。おかみさんが全面的に仕切っているナギサ酒場は異色なわけだ。
さて、話を戻して。団体戦は出場する組が九組と少ないので、予選はない。三人以上の踊り子を擁し、しかも店の評判を損なわない踊りを見せれる酒場となるとそれほど多くはないのだ。
最初の組はよく練習したのか、よく揃っているが、「凡庸な踊りを三倍しても凡庸なだけ」とアミねえさんは呟く。柔らかな物腰の中に錐が包まれているとよく言われるだけのことはある。
二番目の組は中心の踊り子に他の二人がついていけていない。ちらちら真ん中の子を見ているようでは話にもならないと、これはウタでも思う。
三組目は動きは少ないが、歌がうまい。しかもその響き合いが独特で、異国情緒さえ感じさせる。『こんなの聴いたことがない。音楽だけならあたしたちだって勝てないかも知れない』とキッコ先輩は音感がいいだけに率直に評価する。
「内海の向うから来たと聞いたよ。二柱の軍神の治める辺りじゃないか」
おかみさんが取材の成果を見せる。ほんの少しの間、市長の片腕の審査委員と雑談をしただけで気になる組の情報収集はできている。情報を取るのに本丸の市長ではいけない、優勝候補のことも訊かない。誰もが訊きそうにないところを攻める。
こなたの軍神は剣を大地に突き立て
玄き神獣を動かし
そなたの軍神は槍を天空に突き上げ
青き龍を呼び寄せる
似たような歌詞はあちこちにありそうだが、この世界に総神が降臨する前に先遣部隊として進駐し、今も前線防護の任に当たっているという二柱の軍神に捧げられた歌には皆々畏敬の念を抱かざるをえない。
四組目がパロの組だった。見た目の変化に観客は驚かされた。個人戦では目元、口元を赤く染めた濃い化粧、縮れた長いざんばら髪、真っ黒のずるずるした衣装だったのが、一変してほんのりと潤んだような目元、薄く開けられた口元、素肌に見えるような化粧、真っ直ぐな髪を斜め横に留めた髪に格式の高い神社の巫女衣装をかっちりと着て登場したのだった。
「馬子にも衣装とはこのこった」
「ホント、おもしろい子ですね」
おかみさんとアミねえさんが顔を見合わせて笑う。しかし、その笑いは踊りが始まると顔に貼り付いてしまった。
パロたちの踊りには歌がなかったのだ。いや、歌えなくなった少女を表わしたものだというのが正確だろう。無邪気で朗らかだった少女に突然訪れた春。それは激しい嵐を伴い、身も心も引き裂く。自分の内側からあふれ出るものに戸惑い、見悶える様がそのまま踊りになっていた。残りの二人は心配する友だちを、また狼狽し、叱りつける両親をよく演じ、暗い衝動を秘めたパロが演じる主人公を引き立てた。
観客たちにとっては昨日の、いや普段からのパロの悪ぶった風があるだけに衝撃は強かった。有り体に言ってよければ、男という生き物は少女の中に娼婦を見るのも、娼婦の中に少女を見るのも好きなのだ。
「こりゃわからなくなってきた」
口々にそういう声が聞こえてきた。
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