11.踊り子見習いは奉納の舞いを踊り、美少年と再会する
ムタカナ様のお社は海岸のすぐそばにある。粘っこい海の香り、潮を浴びて、古寂びている。沖合の小島が本社だという者もいるし、こちらが本社で神とその眷属の居城、小島は出城だと言う者もいる。いずれにしてもムタカナ様はこの世界すべての人たちの並々ならぬ尊崇を集めている神域である。
その社の前で踊りを奉納するのはこの上なく名誉なことである。たかが場末の酒場の踊り子風情が、お社を穢すものだと批判する者もあるが、おかみさんと懇意というか、飲み友達の禰宜は気にしない。
「なんの構うものか。酒を飲み、踊りに興じるのは神とその眷属も同じこと。ほれ、異形の者たちが雲の向うから、アミさんの太ももを狙っておるぞ!」とお酌を受けながら上機嫌である。
「ありがとう存じます。も一つどうぞ。――あのウタという小娘、まだ踊りを始めたばかりなのですが、あたしが見るところ何やら」
「ふむ。ああ、唯者じゃないな、あれは」
「そうですか。え?! 本当に?」
「うむ。そうじゃな。あれは鳳凰の雛じゃよ」
おかみさんに預けられていたツバサは『そこがわかるとは人間としてはなかなかだね。でも、そんな鳥以上の翼を畳んでるんだけどさ』と思っていた。
「本当ですか? あたしもちょっと他の子とは違う気がしてたんですが」
「とは言え、わしも鳳凰なんぞ見たことはないがな。あはは!」
「もう! 酔っ払うの早すぎますよ」
こうした会話に感応したのか、ウタが不思議な動きを始めた。粘っこい海が波立って、巨きな海棲哺乳類の粘液のような雫が滴り落ちる。どこからか聞こえる羯鼓が始まりを告げ、鳳笙の音が光のように揺らめく。足の爪先が細かい砂を巻き上げ、伸ばした腕を縮めるとくるりと空中で二回まわる。
「ほお」
いつの間にウタのやつ、あんなに踊れるようにとキッコ先輩は思う。しかし、ウタはあの小島の神様にインストールされた踊りを再生しているだけだ。松の木の陰に置いてあるキッコ先輩の琴が海からの風に吹かれて鳴り出す。横笛の龍笛がピイっと鳴ると天上高くから、龍がまるで犬が飼い主を見つけたようにウタに駆け寄り、じゃれつく。穏やかな波動が広がり、気持ちが温かくなる。
はっと目が覚める。今のは幻想、真昼の夢だろう? ムタカナ様も悪戯がお好きだ。みんなそう思っている。アミねえさんがパンパンっと拍手しながら、よく通る声で言う。
「よかったよ。今のを基にして自由曲にしたらどうかな? あたしたちに合ってる気がするんだ」
「いいね! ウタ、今のはなんて曲?」
「え、えーっと。ナギサ舞曲?」
「ますますいいね。あたしが伴奏の方をもうちょっと整理するよ」
キッコ先輩のパスをアミねえさんが受ける。
「あたしはフリをアレンジするから」
「やっぱりお社にお参りしてよかった」
一行は禰宜に深々と頭を下げて帰り支度をする。
それから数日経って、今日はいよいよ村祭りの日だ。
おかみさんが徹夜して縫ってくれた衣装に身を包み、多くの応援団を引き連れて、この辺りでいちばん大きな市が立つ街にやって来た。市場では布や香辛料、塩干物といった実用品、鸚鵡や兎といったペット、煙草、駄菓子、茶葉といった嗜好品、指輪、首飾り、腕輪といった装飾品、それらが賑やかな様々な掛け声で売られている。アミねえさんとキッコ先輩には給料が前渡しされていて、ウタにもお小遣い程度のおカネが渡されている。
「何買おうかなぁ。鼈甲飴もいいし、蛸焼きもいい匂いだよね。型抜きも捨て難いなぁ。キッコ先輩は何にするんですか?」
「鼈甲飴なら店で作ってやるよ。型抜きはやめときな。絶対泣きを見るから。……あたしは首輪かな。色気出るかなって」
「キッコちゃん、首輪は彼氏からもらったら? いるんでしょ?」
「いませんよ。そう言うアミねえさんはあたしらなんかと一緒でいいんですか?」
「あの人は今、長い旅に出てるもの……」
キッコとウタは顔を見合わせて口を噤む。アミねえさんへの同情の気持ちもあるが、いい女でないと言えない台詞来た~、来ましたね~といったところだった。
それで、「お祭りだと蛸ちっちゃくなるんだよね」、「仕方ないよ。一年の半分くらいをこの三日で売るらしいから」といった会話をしながら蛸焼きを食べてるところに美少年が来た。
「こんにちは、ウタちゃん」
「はあ、こんにちは。あなた誰ですか?」
見たところウタよりちょっと年上だろうか。透き通るような肌、栗色のさらさらの髪、夢見るような瑠璃色の瞳、何人もの女の子が遠巻きにしている。
「冷たいなぁ。ぼくのこと忘れちゃった? リンです」
「リン賢察官?! なっつー! 元気してましたぁ? どうしたんですかぁ?」
「ウタちゃんのことを追っかけて来たに決まってるじゃん」
「えー。いきなり愛の告白ですかぁ。困っちゃうなぁ。ちょっと考えさせて」
「違いますよ。賢察庁の仕事が退屈で、ウタちゃんといた時がなつかしくなって」
「おめえは賢察庁の次代を担うんじゃなかっただぎゃ?」
「ツバサさん、やっぱりいましたね。ずいぶんかわいくなっちゃって。これ中身なんですか?」
吊るし飾りのツバサのお腹を押す。
「こら! やめるだぎゃ。知らないぎゃ。下手に押して、おでが展開しても知らないだぎゃ」
「おっと、それはヤバそうですね」
「おめえもちっちゃくなったぎゃ」
「ぼくはちょっと違ってて、幼化です。かなり年取ってたのを十五歳まで若返らせたんです」
「リンさん、若く見えてたけど?」
「神とその眷属はある年齢で老けなくなりますからね。実は七百九十一歳でした」
「ふええ! ツバサも? いや、いいです。知らない方がいいことがこの世にはいっぱい」
キッコ先輩はリンに『今から年下好きになります! なりました!』と熱い視線を投げていたし、アミねえさんもも胸元をちょっと寛げて『ウタにはないものがここにあるわよ』と秋波を送っていた。
遠巻きにしている女子たちはリンと親しげに話しているウタに嫉妬の炎属性の魔法をぶつけようとしたのを、それに気づいたウタの氷属性魔法で氷柱にされてしまった。




