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6-6

 一時、気を失っていたらしい。気がつくと、巨大化した風牙に囲まれていた。

 すぐ横には赤丸がいて、じっとこっちを見ていた。透ける手は、美月の頭に乗せられている。


 青丸が視線を動かすと、赤丸は優しく微笑んだ。

 そして風牙に目を移し、頷いてから、美月の髪を撫でる。それで、叫び続けていた美月がおとなしくなり、崩れ落ちた。


「なにをしたんだ?」


 慌てて受け止め、聞く。

 赤丸は答えなかったが、代わりに美月から離れ、風牙に一礼した。

 青丸の正面に立つ。


『これで本当にお別れだ、青丸』


 青丸の目が大きくなった。


「俺を、置いていくのか? お前まで、行ってしまうのか?」


 赤丸はすまなそうな顔をして頷き、青丸の首と手に自分の手を重ねた。熱を感じた瞬間、血が止まり、傷が消え、失ったはずの血が戻るのを感じる。

 風牙が口笛のような音を立てると、赤丸はにっこりした。


『私の役目は終わった。これ以上お前に憑いている必要がないんだ』

「そんな……。俺は、俺はまだ話したいことがたくさんあるのに」

『すまん。しかしこれは決められたことなのだ。お前が気づいてくれたから、私に与えられた時間もわずかになった。魂の終焉の地に呼ばれているのだ。わかってくれ』


 青丸はうつむいた。下唇を噛んで、身を震わせ、目を閉じて、身を固くする。

 また風牙が息を鳴らした。

 風牙を見ようと顔を上げたとき、青い目に赤丸の辛そうな顔が映った。

 青丸は胸に矢が刺さったときの痛みを感じた。風牙が言葉にしなかったものが聞こえたように思えた。

 だから無理にでも微笑んで(実際には顔が歪んでしまっただけになって、効果はなかったが)、赤丸をじっと見つめる。


「今回はちゃんとお前の顔を見ながら別れが言える。それだけでもよしとしなきゃいけないんだろうな」


 言って、青丸は頭を下げた。

 だが言葉と反対に、気持ちは沈んでいく。

 腕の中の冷たい美月と、離れていってしまう赤丸を見ていると、体と心が同時に冷えていくのがわかる。胸から感じたことのない感情がせり上がってきて、どう対処してよいかわからなくする。脳が痺れて、頭の中が白く焼かれ、もう枯れたと思った涙が視界を奪う。どうしようもない喪失感で、体が空っぽになってしまった気がする。

 風牙が赤丸の体をよけて首を延ばし、青丸の頬を舐めた。


『案ずるな、これには我がついていてやる。安心して旅立つが良い』


 赤丸を見ずに言う。

 赤丸は風牙に向かって深く頭を下げた。そして青丸の肩に手を置いて優しく笑った。


『青丸、お前に会うことができて、私は本当に幸せだった。お前の青い魂の輝きに触れることができて、幸せだったよ。私の罪を、私の自己満足のために犯してしまった裏切りという罪を、許してくれてありがとう。これで安らかに旅立てる』


 赤丸の笑顔は空っぽの青丸を埋めた。

 

 青丸は笑った。涙を流して、それでも笑い続けた。

 自分が去ったことで永遠に赤丸を失って、泣き続けた遠い日を思い出す。

 だが、今はあのときとは違う。赤丸の顔を見て、別れを言える。贅沢なことのはずなのに、たまらなく切ないのは、失う哀しみを知ったから、美月に教えられた痛みを、理解できたからだ。


 美月を強く抱き、風牙に額を押しつけていると、なくなったものが戻ってくるような気がした。青丸は涙を拭いた。


『風牙、青丸を頼むよ。私には願うことしかできないが、お前は美月が言っていた通りの魔物だから』

 

 赤丸の姿がぼやけてくる。

 風牙が頷くと、赤丸の笑顔が深くなった。夜に溶けるように消えながら、赤丸は青丸の頬に指を当てた。指を抜けて落ちる涙を感じ、目を閉じる。最後に赤丸は美月の耳元で何か囁き、髪を撫でた。


『ありがとう。さよならだ、青丸、風牙』


 そうして、赤丸は微笑みながら消えた。


「良い旅を、赤丸。そのうち俺も行く。それまで一人でも泣かないで、我慢してろよ。ただでさえ泣き虫なんだからな」


 青丸はにやりと笑った。風牙にも見慣れた、いつもの笑みだった。


 そのとき突然、腕の中で美月が動いた。


 変化に気づいたのは風牙が先だった。青丸はただ驚いて、硬直していたからだ。

 青丸の腕の中で、美月の体がしなやかになり、温もりが戻ってくる。

 変化は劇的だった。

 いつのまにふさがったのか、胸の傷もきれいに消えていた。心臓と肺が機能を取り戻し、頬に赤みがさす。全身にかかっていた青丸の血が急に乾き、ぱりぱりと剥がれて、その下から滑らかな生まれたての肌が顔を出す。もつれて絡んでいた長い髪も、洗いたてのツヤを放って光る。


 瞼がピクンと動いた。


 風牙がシャッと息を吐く。


 それに応じたのか、ゆっくりと目が開いた。


 焦点の定まらぬ目が辺りを見回し、風牙の姿を見つける。ほっとしたような溜め息とともに目が細くなり、続いて青丸を探して視線をさ迷わせる。


 青丸が視界に入ると、美月は薄く微笑んだ。


 青丸はまだ固まっていた。震える手を美月に延ばす。

 美月はその手に手を重ね、頬に当てて愛しげに擦りつけた。涙が溢れて、手を濡らす。

 暖かな涙が青丸を戻した。


「本当に、美月か?」


 美月は何度も頷いた。涙が手を伝って落ちる。耐えられなくなって、美月は青丸の胸に顔を埋め、しゃくり上げた。

 風牙が体の大きさを変えて、心の底から嬉しそうに擦り寄る。美月は振り返って風牙にも抱きついた。


「赤丸様が、私を、戻してくれたんです。お二人が、命を削って、私を取り戻したいと願ってくれていること。私、帰りたかった。お二人のいる所に、戻りたかった。そう願ったら、赤丸様が、手を差し伸べてくれたんです」


 いきなり、青丸は美月を抱きしめた。強い力で潰れそうになったが、美月も青丸に抱きついた。青丸は暖かだった。暖かくて、心地好くて、美月の心を安堵させてくれた。美月は大きく溜め息をついた。


『では、赤丸の助けで、成功したのだな』


 笑みを含んだ風牙の声が響く。


『正直なところ、我は一度諦めたのだ。一度、美月が狂ったのを見たときにな。もうだめだと思った。もう永遠に会えぬと。我は、我はとても嬉しい。魔物らしくないと言われても怒らぬほど、嬉しいぞ』


 魔物の単語に青丸が反応した。

 身を竦め、美月を見る。


 美月の瞳には今までなかった青が混ざっている。青丸はそれが自分の色であると理解した。急に息苦しくなる。

 美月を魔物の眷属にしてしまった!

 美月は知っているのだろうか?

 魔物の眷属になるなど、美月はどう思っているのだろうか?

 不安が体を走り回る。


 青丸の反応から胸の内を読んだ美月は、青丸の顔を両手で挟んで自分に向けた。青い目に自分を映し、涙の残る目で微笑む。青丸が口を開きかけると、美月は人差し指で言葉を止めた。そっと首を振る。


「私をここにおいてください。お二人の間に、ずっといさせてください。それで私、幸せなんです」


 青丸は何も言わなかった。ただただ、馬鹿みたいだと思いながらもひたすら、頷いて、美月を抱きしめた。風牙も二人に巻きつき、喜びを表した。


 誰も何も言わなかった。

 言葉にしなくても気持ちをわかってくれる仲間ができて、とても幸せだったから。





 以来、三者は青氷山から姿を消した。









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