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6-4

『生き返らせる術、なくはないのだが……』


 突然の赤丸の言葉に、青丸は顔を上げた。

 つかみかかろうとするが、赤丸は実体のない影だったので、擦り抜けて転びかけ、風牙に捕まえられる。

 風牙の牙の間からもがき出ると、赤丸は美月の傍らに膝をついていた。美月の額に指を当て、反対の手を顎に掛け、目を伏せている。


『お主の言う術とは、やはりアレか?』


 赤丸の言う術を風牙も知っていたらしく、赤丸の隣に移動して言った。同じように舌で美月の額に触れ、首を斜めにする。


『ふむ。確かにこのくらいならまだ何とかなるやもしれんな。だが、美月が嫌がったら? また死の国に戻すのは難しいぞ』

『それはそうだが……』

『それに術が成功するとは限らぬ。まして中途半端に成功してしまったら、美月には死ぬよりも辛い運命を負わせることになるぞ。そこまで考えて、言うか?』

『……』

『我とて美月を生き返らせたい。美月の声を聞き、笛とともに生きたい。だが不可能だ。一度死んだ魂を蘇らせて、自然の掟に逆らって、美月が幸せか? 我にはわからぬ。わからぬ故、青丸に聞かせたくなかったのだ。わかってくれるな?』

『……、すまぬ』


 赤丸は目を閉じて風牙に頭を下げた。


 だが、青丸は二つの会話を半分しか聞いていなかった。


 美月を生き返らせる方法がある!


 頭の中でそこだけを何度も回す。脈が速くなり、体が熱くなるのを感じた。

 美月を取り戻したい、美月を抱きしめたい、ただそれだけが全身を駆け回っている。


「どうすれば、いいんだ?」


 呟くと、二つの目が青丸に向いた。互いに気まずい色を帯びている。

 睨むように見つめると、赤丸は顔を背け、風牙は聞こえないフリをした。青丸は悩まずに風牙に詰め寄り、首に腕を回した。怪力で絞められ、さすがの大蛇もたまらず息を吐く。


『こら!苦しい!放せ、バカモノ!』

「どうすればいいんだ?言わないとこのまま絞め殺す」

『愚かな。お主如きの力で我を絞め殺せるわけがなかろう?』

「試してみるか?」

『わかった。仕方ないな。お主と我の仲だ。我を放したら、話してやる』


 青丸は手を放し、肩で息をしながら風牙を見つめた。

 風牙は赤丸と目を合わせ、息を鳴らした後、しばらく考え込んだ。風牙とて赤丸の言った術を考えないことはなかったのだが、赤丸に話した理由と、手立てがあることを知った青丸の激しさを予想していたから、口に出さないようにしていたのだ。

 だがもう遅い。風牙は大きく溜め息を吐いた。


『簡単に言えば、我ら魔物の命を注ぎ込むのだ。一番早いのは、多量の血を美月の口に入れることだな。うまく魂が修復され、体に戻れば、美月は生き返る』


 青丸の目が輝いた。


「そ、それで、本当に生き返るんだな?」

『うまく行けばと言っておるだろう?魔物の気が多ければ多いほど、蘇る確率は高いが、どのみち人間として蘇ることはできん』

「……、どういうことだ?」

『考えてもみろ。魔物の気を注ぎ込むのだぞ。どうなるかわかるだろう?破れた白布をたっぷりと血を含んだ濡れ糸で繕うようなものだ』


 美月が魔物になる、青丸は心臓を鷲掴みにされた気持ちになった。

 化け物が悪いものだとわかっているのに、人間の美月を化け物に変えるなど、できない。

 それも美月の希望でなく、自分の勝手な想いでなど。


 生き返って自分が魔物だと知ったら、美月はどう思うだろう。

 人間の忌み嫌う魔物に自分がなってしまったと知ったら、狂ってしまうかもしれない。

 そうしたのが青丸だとわかったら、青丸は美月に恨まれるだろう。

 そんなのは耐えられない。

 美月に憎まれるなら、死んでしまったほうがマシだ。


 でもそれなら今と変わらないではないか?

 美月がいないこの世界で生きるなら、死んでしまったほうがいいと思う今の自分と変わらないではないか。


『それにこの術で生き返ったら、自分の意志では死ねなくなる。我々のように生まれついての魔物ならば、自分の意志での死も可能だが、魔物の力で蘇ったモノは、それの命が失せるまで離れることも許されずに、傍らで生き続けねばならない。自らの希望では死すら叶わぬ身となった上に自由がなくなったら、辛いのは美月だ。だから勧めぬのだ。わかってくれるか?』


 風牙の言葉にはまだ続きがあった。

 青丸は呼吸が止まるのを感じた。


 自らの意志では死ねない、それがどういう意味を持つか、わからないほど馬鹿ではない。魔物に生かされている存在になったら、美月はどう思うだろう? 


「だが、他に方法があるのか?」


 風牙は目を伏せ、首を振った。


『ないだろうな。美月の魂は、魂の終焉の地、大いなる空に溶けてしまったようだ。今ではこの術でも生き返るかどうか。確率は万に一つあればいいくらいだろう』

「そうか……」


 言ったきり、青丸は押し黙ってしまった。

 重い沈黙が辺りを包む。


 十六夜の月が、天頂に差し掛かった。


「恨まれてもいい。憎まれてもいい」


 青丸の呟きに、風牙が顔を上げた。赤い目で、青丸を見つめる。


「俺は、俺は美月を取り戻したい。美月をもう一度抱きしめたい」

『生き返った美月が魔物で生きるなど嫌だと言ったらどうする?』

「だから俺が術をかける。美月が嫌だと言い、死にたいと言うのなら、俺も命を絶つ」


 風牙は青丸から赤丸に視線を移した。

 赤丸はずっと青丸を見ていたが、視線に気づいて、顔を動かし、風牙と目を合わせた。紅の目が暗い色を湛えて瞬く。赤丸が頷くと、風牙の目がきらりと光った。


『そこまで覚悟があるのなら、よかろう。手を貸してやる』


 言って、青丸をくわえ、美月の頭の傍らに降ろす。風牙は美月の額に舌を当て、何か探って目を細くした。


『間に合わんかもしれんな』


 呟く。


『どうするのだ?やるなら急げ。我が呪を唱えて術を助けてやる』


 青丸はもうためらわなかった。

 風牙の上牙に手首を当て、思い切り腕を上げる。腕を下ろすと、半瞬遅れて血が噴き出た。

 美月の胸を染めていた色とは違う、昏い湖の青をした血が地に落ちる。

 青丸は美月の口の上に手をかざした。血は流れとなって美月の顔を汚し、首筋を伝って髪や着物を濡らして、地に吸われていく。


 同時に風牙が息を鳴らした。短く、長く、強く、弱く。抑揚をつけ、歌のようにも聞こえる呪は調べとなって空気を揺らしていく。


 美月の口がわずかに開いた。多量の血が口を伝い、喉を通って体に入る。


 その瞬間、美月が目を大きく開き、喉を押さえて絶叫した。


 風牙が身を美月に巻きつけ、押さえる。

 美月は暴れはしなかったが、激しく身を波打たせ、魔物の形相で叫び続けた。

 その間も、口には青丸の血が流れ込んでいる。


 断末魔の叫びに、青丸は身を強張らせた。


 美月の濁った灰色の目が十六夜の月と風牙、そして青丸を写している。


 青丸は急に恐怖に襲われた。

 大きく口を開け、悲鳴をあげながら、否応なしに注ぎ込まれる血を全身に取り込んでいる、喉をごぼごぼと鳴らして、魔物を受けている美月の姿を見ると、自分は美月を苦しみの淵へ引きずり上げているのではないか、死してなお苦痛を与えているのではないか、そんな疑念で心が一杯になる。


 美月の体が、風牙とともに大きく跳ねた。

 弾かれ、倒れる。

 青丸の側に赤丸が来て、手を伸ばした。実体でないのだからつかむことはできないが、青丸は手を借りて立った。

 風牙は少し大きくなり、美月を押さえ込んでいたが、青丸を見て、首を振った。


『だめだ、間に合わんかったようだ』


 息を鳴らしつつ言う。


『もう少し早ければわからんかったが、ここまで魂が崩れていては、もう美月は戻せない。諦めろ、青丸。お前の手で、コレを殺せ。今ならまだお主が死せずとも死ぬ』


 青丸は激しく首を振った。


『何をしておる!お主の、血の持ち主の手によってしか、この魔物は始末できぬ。このままでは美月は永遠に終焉の地にも戻れなくなるのだぞ!中途半端な魔物として生きさせたいのか!殺してやらなくてはかえって哀れなのだぞ!』

「俺は……、俺は………」

『青丸!』

「俺はもう一度この手で美月を殺すために、こんな真似をしたんじゃない!」


 青丸は手をきつく握りしめて咆えた。

 鼓動が激しくなって、頭がくらくらして、倒れてしまいたくなる。だが青丸は首を振り続け、風牙から美月を取った。


 美月は濁った目を剥き出し、口から青い血を吐きながらもまだ叫んでいる。


 全身が自分の血で染まった美月を、青丸は抱きしめた。

 美月は温かかった。先ほどの冷たさが思い出せないほど、熱かった。

 生きているときと同じだ。

 腕の中で泣いていた、あの美月と。


 耳元に響く美月の悲鳴は、鼓膜を破るくらい大きい魔物の叫びになっている。


 ふいに、美月は青丸の首を噛んだ。

 鬼の硬い皮膚を噛み切り、血が溢れる。

 その血を啜りつつ、まだ絶叫する美月に風牙が噛みつき、青丸から離そうとした。しかし、青丸は風牙を離した。黙って首を振る。


『馬鹿者!お主まで死んでしまうぞ!』

「俺が死ねば、この美月も死ぬ。俺はそれでいい。もう美月を手にかけるのは嫌だ。これが美月でないのはわかってる。でも、でも、嫌なんだ。またこの手で美月を失うのは嫌なんだ。すまん、風牙」

『な、何を馬鹿な!我は許さぬぞ!我の許しを得ずに勝手なことはさせんぞ!』


 青丸は薄く微笑んだ。風牙に頭を下げ、赤丸に笑いかけ、そして力の限り、美月を抱きしめた。


「美月、帰ってきてくれ。美月、俺をおいていかないでくれ。俺は、俺は……」


 気づかないうちに溢れた涙が美月の顔に落ち、頬を伝って口に入った。


「俺はお前を愛しているんだ、美月」







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