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6-2

『奴は、お主に気づいて欲しかったのだろうにな』


 ふいに風牙が言った。


『ずっと一緒にいたのに、お主はその存在に気づきもしなかった。気づく機会はあったのに、無意識に奴の声に耳を閉ざした。在りもしない罪を作り、背負ったと言って、耳をふさぎ、目を背けた』


 青丸はびくっと身を竦め、顔を上げて風牙を見た。


『だから、奴はこうするしかなかった。美月に助けを求めるしかなかった。生贄の娘、優しい娘、そして何より無垢で純粋な魂を持つ娘である美月に』


 風牙は大きく息を吐き、身を伸ばして美月を舐めた。冷たい身に擦り寄り、悲しげに目を伏せる。


『お主と出会ってしばらくして、奴の存在に気づいた。だが、奴は我には何も言わなかった。言えなかったのであろう、同じ化け物だからな。奴が美月に救いを求めたのを知ったのは少し後、冬眠から覚めた後だ。愚かにも我は気がつかなかった。それがどういう結果をもたらすのか、奴の言葉を守るために美月が何をするか、理解してやらなかった。そしてこうなってしまった……』


 息を吐くと、美月の顔にこびりついていた血がわずかに剥がれた。

 風牙は頭を上げて、悲しげに鳴いた。


 青丸と同じように、十六夜の月を見上げて。細い笛の音のような鳴き声は木や山に当たって不思議な響きを持つ和音になり、青丸を包んで、拡散した。


「美月は、俺が、この手で、殺したんだ」


 青丸は両手を見つめて呟いた。

 風牙は首を振った。青丸の隣に戻る。


『それは違う。仕方なかったことだ。お主のせいではない』


 慰めの言葉が、かえって青丸の胸にくすぶる炎を煽った。激昂し、吼える。


「俺のせいじゃないって? 馬鹿な!俺の手は美月の血の暖かさを憶えている。肉を貫く感触を、倒れた美月の重みを、この手はちゃんと憶えてる!それを俺のせいじゃないと言うのか?仕方なかったことだと!」

『なら他に、何と言って欲しいのだ?』


 風牙も激昂し、息を鳴らした。熱気が青丸の頬に掛かる。


『お主が美月を殺したのだと? 馬鹿を申すな!あれは我にも責任がある。村人にも、奴にも、美月にも、だ。それなのに、お主は我に美月を殺したのはお主だと責めて欲しがるか? 愚かなことを。我にはできぬ!』


 いつにない風牙の激しさに、青丸は驚き、顔を見てさらに驚いた。

 風牙は泣いていた。白い頬に血の色の涙を流して。青丸が赤丸のときに流したのと同じ涙を流し、身を震わせて号泣していた。


『我は、我は奴、赤丸を憎むぞ。村人を呪うぞ。美月を、美月を憎むぞ!我の前から、我に断りもせずに勝手に死んだ美月を、命ある限り憎む!憎んで、憎んで……』

「風牙……」

『我が魔物らしくないと思うなら笑うがいい。魔物らしくないなら、魔物である自分を捨てる。我は魔物を捨てても我には違いないのだからな!』


 風牙の叫びは青丸の胸に刺さった。

 風牙の痛みが理解できる。


 青丸は辛くなった。

 風牙のように泣きたいと思った。

 泣きたいと思ったことなど、初めてだった。


 魔物らしくなくていいと言った風牙の言葉が、頭の中で何度も木霊する。


 青丸もそう思った。

 魔物であるというのがこんなに辛いなら、魔物でなくなっても良いと思った。自然に存在する名もない命になっても良いと思った。


 そして痛烈に願った。


 美月が帰ってくるように。

 美月の命が、魂の炎が、再び体に戻って青丸を抱きしめてくれるように。


 そのとき、美月の体が揺らいだ。


 気づいたのは風牙だった。

 風牙につつかれて、青丸は美月に目を向け、身を竦めた。


 美月の魂が完全に抜けてしまう!


 だが、自然界に生きるモノに、それをつかむことはできない。できるのは神だけだ。


 だが、揺らぎは消えなかった。

 それは薄い影になり、ぼんやりと向こう側を透かすモノになる。

 美月の傍らに立ち、こちらを見るのは、青丸の記憶の中にだけある、胸が痛むほど懐かしい顔だった。


「赤丸……」


 青丸は目を見開いた。

 大きな紅の目は、悲しげに青丸を見つめている。

 赤丸は何も言わなかった。言わないから、辛かった。青丸は目を伏せた。


「そうか。お前はずっとそこにいたんだな。一緒にいてくれたんだな。でも、俺は気がつかなかった。親友ヅラして、一人で悲しいフリして、お前の本当の悲しみを理解してやらなかったんだ。すまん。許してくれ」


 呟く。

 赤丸は風牙に向かって頭を下げ、青丸の前に座った。青丸の頬に指を置き、首を振る。


『友よ、すまぬ』


 顔を上げると、赤丸が泣いていた。ぽろぽろと大粒の涙を流して、まっすぐに青丸を見つめている。


『私があの娘を殺したのも同じだ。すまぬ』


 青丸は首を振った。


「俺はお前を置き去りにした。俺はお前に裏切られたとばかり思っていた。そんな俺を、お前は許してくれるのか?まだ友と呼んでくれるのか?」

『当たり前だ。お前は私の唯一無二の友だ。私はお前がいなくなって、初めて、孤独を知った。一番私を知っていたお前を失って、お前を傷つけたと知って、辛かった。憎しみを憶えたお前を見るのが辛かった。お前をそうしてしまった自分を呪い、苦しかった。私を許してくれ、我が友、青丸』


 ふいに、青丸の視界から世界がぼやけた。

 世界が消えていくのではなく、目から溢れた涙が視界を奪っているのだと理解するまで、しばらく時間がかかった。

 涙など、赤丸の死を知ったとき以来、一度も流さなかったのに。

 胸の奥が痛かった。

 これが“切ない”という、昔、赤丸が言った感情だとわかるのに時間は要らなかった。


 美月を、愛する者を失った痛み。


「俺は、美月を、殺してしまったよ。赤丸、俺は、感情に、憎しみに任せて、美月を、美月をこの手で。俺は、なんてことを……」


 青丸は地面に両拳を立て、身を震わせながら泣いた。

 風牙も赤丸も何も言えず、ただただ青丸を見つめていた。







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