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美月を抱き、ふらふらと青氷山へ消える青丸を見送った風牙は、大きく息を吐いた後、うなだれる村人達を睨んだ。
『殺して、やりたいぞ』
呟く。声は村人の頭に直接響いた。
殺気と狂気を押し込めた声は、村人達にさらなる恐怖を与えた。人々は身を縮める余裕すらなく、ただへたり込んでいる。
『一人残らず、骨も残らぬほど焼き尽くしてやりたい。村を跡形もなく消し去ってやりたい』
美月の血と同じ色の瞳が、ぎらりと光る。
だがすぐに、怒りは消えた。
風牙は悲しげにうつむいた。息を鳴らし、空を仰いで吠える。
そして静かな目で村人達を見つめ、言った。
『だが、美月はそれでは喜ばぬ』
村人の目が風牙に集まった。風牙は目から赤い滴を流し、また吠えた。
『美月はお前達に苦しみを与えぬよう望んでいた。あの優しい娘は、自分を生贄に差し出し、しかも侮辱した愚劣なお前達を慕い、いつまでも幸せに生きて欲しいと願って、死んだ。愚かなことを。我はずっと、ずっとあの娘の笛と歌ともに生きたいと、ただそれだけを願っていたというのに……』
白い顔を流れる血の涙は、化け物のものとは思えず、むしろ神々しかった。
村人達は次々にひれ伏し、風牙を拝んだ。
だが、それは返って風牙の逆鱗に触れた。
『愚か者が!拝む相手を間違えておるぞ!』
人々を威嚇するように牙を剥いて、シャッと息を鳴らす。熱い息が村人の側に落ちているやぐらの残骸を燻らせた。
『美月が望むゆえ、今までのことはすべて忘れてやろう』
人々の間にほっとした空気が流れた。
自分達さえよければよいという浅ましい村人の心根は、さらに風牙を不快にした。きっとまた何かを犠牲にしてこの祭りを記憶の奥に封印し、何事もなかったかのように来年も祭りをするのだろう。
こんな奴らのせいで美月が死んだのかと思うと、暗い炎が宿る。
いつもならとっくに全員殺しているところだ。風牙はさらに息を鳴らした。
『我はここを去る。二度と青氷山には戻らぬ。喜ぶがいい。ただ……』
いったん切り、きびすを返す。
『次に来る山神はどうするかな。人間が好物の輩が多いゆえ、このような山の狭間の村など、時の記憶に残るかどうか。まあ、我には関係ないことだがな』
言い捨てると、風牙は芯から楽しげに笑った。牙を剥き出し、目を爛々と燃やして。
頭の中には肉を糧とする知り合いの顔が浮かんでいた。人間を食べたいが、人が多い所に住んでいるゆえに、願いが叶わぬと嘆いている輩だ。ここは山間で行き交う人も少なく、狩りをするにはもってこいだから、自分が手を引いたと知れば喜んでやってくるだろう。
村人の無事を願って死んだ美月が知ったら悲しむだろうが、風牙はやはり化け物だった。
「や、山神様、お許しを、お許しを……!」
人々の喉から出るくぐもった恐怖の悲鳴が、気を少し晴らした。
それっきり振り向かず、風牙は飛んで、空に消えた。




