5-4
美月を乗せた風牙が待ち合わせの場所に着いたとき、村からものすごい轟音と土煙、次いで炎と煙が上がるのが見えた。
『待ち切れなかったか』
風牙が呟く。
美月は全身の血がひくのを自覚した。
「お願いします。村へ、村へ連れていってください」
『今更走ったところで、間に合うかはわからんぞ』
「構いません。お願い、急いで!」
風牙は頷くと、疾風の速さで青丸が作った道を下った。
美月は泣きそうになるのを堪えた。
早く村に行かなければみんなが!
そう思うのに、自分の足では何もできない。
焦って、気持ちばかり先走る。
どうしよう、どうしたらいいんだろう、そう思うと呼吸が荒くなり、鼓動も速くなる。
「神様、お願い、助けて…」
呟きは風牙の耳に入った。
『神は助けてくれぬ。道は自分で作るものだ』
言いながら足を速めてくれる風牙がありがたかった。顔を上げると、美月が聞いているのがわかったのか、風牙は先を続けた。
『神は負けた理由を作ってくれるもの。それ以上のものではない』
「風牙様は神を信じるのですか?」
『馬鹿な。我は神など信じぬ。山神を名乗るくらいだしな』
確かに。
頷いて、美月は風牙にしがみついた。
風牙が風を味方に進んだおかげで、ほどなく村に着いた。
もどかしくなって、美月は背から飛び降り、まっすぐ広場に向かった。残骸や燃えカスを避け、時折つまずきながら、懸命に走る。
家が全部なくなったせいで、青丸の姿が見えた。
今まで美月が見たことがない、凶悪な鬼の青丸。
夕べの優しかった青丸じゃない。
優しく囁きながら大きな腕で包み込んでくれた、あの優しい鬼ではない。
青丸をあんな風にしてしまったのは自分だ、そう思うと悲しかった。
だが今は泣いていられない。
「許せだと?」
青丸の声が聞こえた。
美月はさらに走った。村人に死んで欲しくなかったし、それ以上に青丸に人殺しをさせたくなかったから。
鬼が人を殺めるのは人間が家畜を屠るのと同じ、と風牙は言ったが、美月は違うと思った。
家畜を屠るのは生きるためだが、今、青丸が人を殺すのは怒りのためだ。
怒りのために、感情のために殺すなんて絶対にいけない。そんなことをしたら、青丸が傷ついてしまう。
誰も傷つけないで。
美月は切に祈った。
あの鬼は優しい鬼だから、心にこれ以上の痛みを抱えて生きてくのなんて、辛すぎる。
転びながらも、ようやく広場に辿り着いた。
その目に、青丸が村長を殺そうとする瞬間が目に入った。
「覚悟しな。愚か者!」
村長の胸に拳を振り上げる青丸。
目前の死に為すすべもなく、ただ恐怖で目を見開いた村長。
声も出せず、縮こまっている杏寿、橙次、そして村人達。
美月の頭の中は真っ白になった。
「やめてえぇぇっ!」
叫びながら、美月は跳んだ。
その瞬間、時間は止まった。
青丸の拳に、肉を貫く感触が走った。
美月の胸に、炎の灼熱が抜けた。
村長の体に、深紅の飛沫がかかった。
何が、起こったんだ?
青丸は目の前のものが信じられなかった。
そこには美月がいた。
美月は青丸と村長の間に、両腕を広げて立っていた。
その胸を自分の腕が貫いている。
腕を伝って、暖かな深紅が流れてくる。
『青丸!美月!』
風牙が追いついて吠えた。
それで再び、時が流れ出した。
青丸は村長を吊っていた手を放した。
地面に落ち、失禁する村長の前で、美月はゆっくりと崩れた。
青丸の胸に倒れて、腕がさらに深く刺さる。
美月の血で濡れた腕を見、青丸は愕然とした。目を見開き、茫然として、立ち尽くす。
『馬鹿者!しっかりせんか!』
風牙の叱咤に、青丸は我に返った。
美月を離しつつ腕を抜く。抜くと血が噴き出て、顔にかかった。
青丸は服を脱いで美月の胸を強く押さえた。
肋骨が折れそうなくらい強く押しつけているのに、血は止まらない。後から後から湧き上がって、美月の命を削っていく。
「美月、美月……、美月!」
全身血まみれになりながら、青丸は懸命に叫んだ。ぐったりした美月を揺らす。
美月はゆっくり目を開いた。
村長と村人達の無事と、人間姿に戻りつつある青丸、無表情に覗き込む風牙を見て、弱々しく微笑む。
「よかった……」
聞こえないくらい小さな呟き。
「青丸様……」
美月は震える手を青丸に差し出し、頬に触れた。手の冷たさに愕然とする青丸に言う。
「お願い。みんなを、許してください。みんな、悪い人じゃない。私の、大切な、人。大好きな、いい人達なの。いい人だから、苦しかったの。だから、もう、いいの……」
「美月……」
「私の、最後の、お願いです……」
そして溜め息をつく。
「私は……、罪を犯しました」
「罪?」
「はい」
もう一度溜め息をついた後、美月はゆっくりまばたきをした。その目に涙が光っている。涙は頬を伝い、地に落ちて弾けた。
「私は、分を越えて、青丸様を愛して、しまいました。だから、私が死ぬのは、罰。神様からの、罰です。青丸様の、せいじゃ、ありません。許して、許してください……」
言葉は次第に消えた。美月は目を閉じた。
「青丸様……、風牙様、美月は、幸せ……。もっと、一緒に、いたかった………」
「美月?」
青丸は美月を揺すった。
頬に触れていた手がポトリと落ちた。
同時に、体からも力が抜ける。
そして急に、ぐにゃりと重くなった。
「美月、嘘だろ?美月?」
さらに激しく揺すっても、美月は目を開けなかった。
皆を愛し、誰も恨まず。
ただ自分だけを罰し、ひたすら青丸に許しを乞いながら、たった一人で旅立ってしまったのだ。
「うう……、うああああああああああ!」
青丸は美月を抱きしめ、天に吠えた。