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一部残酷な表現があります。苦手な方はご注意ください。
青丸は眼下に村を望む丘の上に立ち、木にもたれかかって村を見ている。
村は祭りでにぎわっていた。
笛の音、太鼓の音が山に当たって広がり、人々の喧噪が続く。
かなり距離があったが、鬼の目には人々の楽しそうな顔が見えた。
子供達が走り回る姿、女達が踊る姿、酒を飲んだ男達が身を震わせて笑う姿。
そのほとんどが美月の見た光景に登場した人々であり、彼らが楽しそうにすればするほど、青丸の神経を逆撫でした。怒りで指先から火花が散り、足下の草をくすぶらせる。
青丸は激怒していた。
村を、破壊しても足りないほど、だ。
自分を愚弄した、身の程を知らぬ愚かな人間どもを、欠片も残らぬほど滅ぼしてしまいたい衝動でいっぱいだった。
自分さえ良ければいい、自分の心さえ安らかなら、他を蔑む醜い心を持つことも厭わないと言う輩。
そんな奴らのために美月が泣くなんて、許せない。
「美月、すまんな」
これからすることを考え、結果として美月か泣くだろうと思うと、心が痛んだ。
あんな奴らでも、美月は愛しいと言う。
幸せに生きて欲しいから罰しないで欲しい、罰は自分が全部受ける、そう言って泣く。
だが、もうだめだ。
いくら美月の望みでもこれは譲れない。
美月の犠牲を不浄とし、山神である風牙を愚弄した、人間ども。
それだけで充分、死に値する。
『我らを愚弄せばどのようになるのか、その身に代えて知らせてやるか』
夕べ別れたとき、風牙が言った言葉を思い出した。
風牙は『我ら』と言った。『我』ではない。相手のことで怒りを感じたことなどなかった化け物が、だ。
青丸は牙を覗かせて笑った。
自分も同じだったから。
長く生きていたが、赤丸と別れてからは誰かとともにいたことなど一度もなかったし、他のモノが何をしようと、どうなろうと一向に気にならなかった。それがこの体たらくだ。笑う以外何ができよう?
それから、二人はどうしても美月が気になると言う風牙の提案で別れ、後で落ち合うことにした。
場所はここ、である。
「赤丸、俺は、同じことをしてるのかな」
村のにぎわいを眺めながら、青丸はぼんやり呟いた。
山に入った人間を殺したときのことが、脳裏に浮かんだ。
あのときは山の穢れに我慢ができずに殺した。
でも、本当にそうだったのだろうか?
泣き叫ぶ人間を引き裂き、血を啜った自分は、本当にただの鬼という存在だったのだろうか?
赤丸が人間を愛した。
親友の自分より、人間といることを望んだ。そのことを心のどこかで嫉妬して、それをぶつけただけなんじゃないだろうか?
だから、いたたまれなくなって、赤丸と離れないといけないと思ったのかもしれない。
今の自分が村の人間に対して思う怒りは、それとどう違うのだろう?
村人は山神・風牙の生贄を愚弄した。
山神の生贄、美月に向けられた浅ましい心を見た。
だが、それは直接、青丸に向けられたものではなく、何も害はなかった。だから自分がこの感情を持つのは筋が違うのかもしれない。
ならば、赤丸のときとどこが違うだろう?
「赤丸、お前は、幸せだったか?」
人間を愛し、信頼し、共に生きたいと思った赤丸。友になりたいと願った、赤鬼。
手を見つめると、美月の体の柔らかな感触が戻ってくるように思えた。美月の丸みを帯びた曲線と、暖かさ。気をつけてやらないと壊してしまいそうなもろさ。そして何物にも代え難い柔らかさ。
目を閉じると、美月の顔が思い出される。体だけでなく心も差し出してくれた、優しい娘。
この感情はなんだろう?
美月を抱いた後、初めて感じる痛みと、それより大きな安らぎがあった。それが全身を隅々まで満たして、温かな水にたゆたうような、何とも言えない気持ちで溢れそうだった。
赤丸も人間たちに囲まれていた時、そんな気持ちになったのだろうか?
「人間を愛し、愛されて、本当に幸せだったか? 鬼と、人間を喰らう化け物と、人間が本当に共存できると思ったのか?」
自分は同じになれない、青丸は頭を抱えた。
角に触れる。
鋭く伸びた、鬼の角。
青丸は首を振った。
「所詮、鬼は鬼だ。それ以上にもそれ以下にもなれん。この姿を見ろよ。人間が恐れ、忌む姿だ。鬼の脳味噌じゃ、どんなに理性で物を見ようとしても、無理なんだ。仕方ないさ」
祭りは次第に熱を帯びてきていた。
太鼓や笛が大きくなり、踊りの輪が増えている。男達もほとんどが踊っているようだ。
跳ね回る人々を眺めていると、笛の音に混じって歌が聞こえてきた。
祭りだ 祭りだ 秋祭り
今年の秋は 楽しいな
山神 今年はなぜ来ない
アレ喰って 死んだか ホーレホレ
祭りだ 祭りだ 秋祭り
今年の秋は 楽しいな
山神 あれからもう来ない
アレ喰って 死んだよ ホーレホレ
青丸の理性が、吹っ飛んだ。
「愚か者、が…!」
吠える。
怒号は山に当たり、村に届いた。
何事かと、踊りが止まる。
今や完全な鬼になった青丸は、怒り狂う荒ぶる化け物と化していた。村を破壊し、皆殺しにすることしか頭にない。
風牙と一緒に行くと言った約束も忘れ、風を分ける速さで山を駆け下りていく。木をなぎ倒し、岩を砕き、地面を揺らし、地形を変える勢いで走り抜ける。
「本気で俺を怒らせたな!」
地響きと土煙を供にして村に着くと、青丸は両手を振って風を作った。
突風が近くの家の屋根を吹き飛ばす。
指先からは炎が散り、手近の燃えるものすべてを焼き、燻らせた。
逆立った髪の先にも火花が踊っている。
騒がしく鳴いて逃げる家畜を捕まえた青丸は、前足と後足を引っつかんで生きたまま裂き、血肉を啜って笑った。
青い瞳の炎は怒りと狂気に揺れている。
感情に任せて、青丸は破壊を続けた。
渦を巻く風に乗って飛んできた板をぶち割り、家の壁を叩き壊す。
風と炎と怪力とで形あるものすべてを壊すと、たちまち村は焼け野原と化した。
それでも飽き足らず、食料や種をすべて焼き、田畑に呪いをかけ、家畜全部を捕まえて地面に叩きつけて殺す。
祭りの場に行くと、泣きわめいて逃げようとしていた村人達はぴたりと静かになった。
子供すら泣き声を立てない。
やぐらの下に集まって縮こまり、怯えている村人達の前に進んだ青丸は、手にしていた家畜の死骸を投げ捨てた。
返り血で全身が朱に染まっている恐ろしい青い鬼がゆっくりとこちらにやってくる。
まなじりを吊り上げ、牙を剥きだし、火の粉をまとった青い鬼の怒りを見て、恐怖に息を飲む音が聞こえる。
「分を知らぬ愚か者どもが。山神が干渉しないのをいいことに、好き勝手言ってくれやがるじゃねえか」
大きくゆっくり息を吐きつつ言い、睨つけると、背後で渦を巻いていた風がやぐらを押し潰した。
村人達は悲鳴もあげられず、風と瓦礫に打ちつけられる。
「特に、あの歌はなんだ!山神が贄を求めないのがそんなに不満か? なんなら今ここで、生贄を求めてやったっていいんだぜ。去年の娘、病気で痩せて生贄には向かぬということだったが、今年はどうなんだよ?」
誰かが喉の奥で悲鳴をあげた。
「お…、お許しください、山神様……」
と、男が前に出て平伏した。
青丸には見覚えのある顔だった。
美月を飼っていたと言った男。村長だ。
見渡すと、縮こまっている村人の中に一番殺してやりたい男の顔があった。
美月の心を一番傷つけた男、橙次。
その脇に、去年の生贄、美しい外見と中身が合わない女、杏寿がいる。美月よりも肉付きがよく、腹には子供がいるようだ。橙次の子だろう。
彼らの姿を見ると、怒りが増した。全身から火花が飛ぶ。
「許せだと?」
青丸は這いつくばる村長の首をつかんで吊り上げた。
「山神に捧げた生贄を愚弄し、蔑み、不浄として扱った。その上、人間のくせに山神を侮辱した。それを許せと言うのか?」
にやりと笑う。だが笑みはすぐに消え、青丸は村長を地に叩きつけた。
ぎゃっと叫んで転がる村長の髪をつかんで再度吊り上げる。
村長は恐怖で硬直していた。震えることもできず、ただただ青丸を見つめている。
「許せるものか」
鬼の目で睨むと、髪の先から火花が散った。怒りが脳髄を白く赤く焼いている。
「一年間、我慢してやった。生贄が入れ替わっていたことで激怒する風牙に美月が泣いて頼むから、お前らを苦しめないで欲しいとすがるから、俺も風牙ももう生贄を求めないと誓った。だが、俺はもう許さん。俺らを愚弄し、ふざけた歌など歌いやがって。こんな村滅びればいい。お前ら全員、ぶっ殺してやる」
村長は目を大きく開き、よだれを垂らした。
「ひっ!お、お許しを!」
「覚悟しな。愚か者!」
青丸は村長の胸に向かい、拳を突き出した。




