5-1
何もない空に寝転がって、ふわふわしながらまどろんでいる。
上も下も、右も左もなくて、自分がどこにいるのかすら気にならない。だけどとても気持ちよくて、永遠にそうしていたい。
このまま消えてしまえたら、どんなに気持ちがいいかしら…。
幸せな気分で、美月はこう思った。
何もかも忘れて、ここに存在したこともなくして、いなくなったら。どうせ悲しむ者はいないんだし、そう思うと、切ないような、ほっとするような気持ちになる。
『美月…』
誰かが遠くで呼んだ。
聞こえていたが、美月は反応しなかった。ぼんやりして、何も心に届かなかったのだ。
『美月』
今度は近くで聞こえた。
耳元で囁くくらいの距離で。
煩わしい、放っておいて欲しいのに、そう思って、さらに目を閉じる。
『戻っておいで。お前がいないと悲しい。さあ』
悲しい?私がいないと?
声の優しさが暖かに身を包み込む。
誰かしら?
美月はゆっくり目を開けた。
『よかった』
まず視界に入ったのは、柔らかな赤い光の玉だった。その声のままにふんわりと優しく、暖かく美月を包んでいる。
温もりに、美月は思わず微笑んだ。応ずるように、光が瞬く。
『消えてしまうかと思ったが、なんとか持ちこたえてくれたな』
「私が、消える?」
『ああ。身に起こった大事に精神がついていけなかったのだろうな。存在が希薄になり、消滅するところだった。肉体が無事でも、心が壊れてしまえば死んだも同じだ。安心したよ、優しい娘、お前が無事で』
“優しい娘”という響きに、覚えがあった。
この声、淋しさを含んだ静かな声。
どこで聞いたんだろう?
少し考えて、思い出した。
一年前、生贄に差し出された夜に見た夢の中で聞いた声だ。
なぜ、今まで忘れていたんだろう?
『私が忘れるようにしたからだよ、美月』
声が優しく答えた。美月はびっくりした。
声に出してもいないのに、どうして疑問がわかったのかしら?
『お前の声は内のものでも外のと同じように私にはよく聞こえる。気にせずともよい』
美月は困惑してしまった。ということは、美月が何を思っているか、声の主には筒抜けなのだろう。何を考え、何を感じ、何を思うのか。きっとさっきいろいろ思ったことも、聞かれていたに違いない。
急に恥ずかしくなってきて、困った。
『ああ、すまぬ。私が考えなしだったね』
声が苦笑してこう言うと、美月を取り巻いていた光が凝縮し、小さな球になって離れた。
そしてぼんやりと、人の形になる。
顔はわからないが、青丸と同じくらいの年格好の男のようだ。影は手を伸ばして美月を起こし、自分は隣に座った。
『これでもう内の声は聞こえない。安心したか?』
美月はどう答えていいか悩んだが、頷いて笑った。影も笑う。
『優しい娘、もう、自ら消えようと思うな。それは悲しすぎる』
美月の髪を、暖かな手が撫でた。ゆっくりゆっくり、優しさが染み込む速度で。
「でも私はもういらない人間です。いなくても何事もない。あんなに大事だと思っていた皆にも嫌われてしまいました。生贄としても価値がなくなってしまった。もう死んでしまっても……」
『馬鹿な。この世に要らぬ者などいない』
影は厳しく言い、美月の肩をつかんだ。強い力に美月が目をきつく閉じると、手を緩めて頭に置く。
『お前がいないと悲しむ者がいるのがまだわからぬかな?』
「悲しむ?」
『ああ。この私もそうだ。お前が消えては悲しいよ』
驚いて影を見上げると、影は暖かく微笑んでいた。
優しさが胸に染みて、美月は少し泣いた。
ほっとして、力が抜けて、それでようやく、自分が何かを負っていると思い込んでいたことがわかった。戸惑いと、恥ずかしさ、そして安堵が湧いてくる。
美月の気持ちが伝わったのか、影は優しく言った。
『憎しみは愚かなことだ。怒りに任せ、感情を先走りさせた行為ほど、後で悔やむものはない。わかるな?』
美月は頷いた。
『それを友に伝えて欲しい』
「友?前におっしゃいましたお方ですか?」
『そうだ』
「でも…、私…、そのお方を知りません」
美月の言葉に、影は少し笑い、美月の頬を拭いながら言った。
『お前のよく知っている者だ。それは……』




