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人が一人通るのがやっとの獣道を、男達が進んでいる。
まず先頭を榊を手にした老人。
その次に酒の桶を運ぶ男。
その後を長い櫃を担ぐ二人の男が進む。
櫃は大きな箱に担ぐための棒がついただけの簡単なものだった。だがそれゆえに中を垣間見る隙間もなく、櫃の中身が何であるかはわからない。
男達は黙々と歩を進めていた。
声を出すのも禁じられたように、息をするのすら憚るように、ただひたすら道を行く。表情は畏怖に凍りついて、面のようだ。
やがて道が途切れた。
足が止まる。
その先には樹があった。
周りの木々とは明らかに異なる、巨木。ここにいる男達すべてが手をつないでもぐるりと幹を回れないくらいの大樹が、山の霊気を具現させて彼らを威圧している。
大樹の横には奥の見えない洞窟があった。
洞窟の入口は、誰が施したものかしめ縄で封印されている。
櫃を運ぶ若い男の一人には、しめ縄が洞窟の暗闇を危ういところで押し留めているように見えた。恐怖が喉から出そうになり、思わずごくっと生唾を飲み込む。隣の年長者が気づき、短くたしなめた。
櫃が下ろされた。
先頭の老人以外はできうる限りの速さで櫃から離れ、ひれ伏す。冷たくぬかるんだ泥に額をこすりつけ、恐怖におののきながら、彼らは老人が口を開くのを待った。
老人は自分以外の者が伏したのを確認してから、取り残された酒を櫃の傍らに置き、手にした榊を樹に向けて振った。
一回、二回、三回。
同じように洞窟に向かっても振る。
それから老人は袂を探り、白い紙包みを取り出すと、中身でひれ伏す村人の周りに円を描いた。
それは白く四角い結晶の粉末、塩だ。
すべてが終わると、老人も描いた円の中に入り、同じようにひれ伏した。
「山神様、お約束の生娘を差し上げます」
そして震える声で言う。
洞窟の奥から、恐ろしい咆哮が轟いた。
額に当たる泥が波打ち、木々が悲鳴をあげてざわめく。洞窟にかかるしめ縄が千切れそうなほどばたばたと翻り、今にも奥から何かが姿を見せそうだ。
村人達は恐怖で声も出ず、喉をからからにし、身を竦めてただひれ伏していた。
冷たい汗が全身を濡らす。
何も考えられない。
誰もが初めて体験する恐怖は、人間して持つ物すべてを芯から焼き尽くしていた。息をするのも忘れそうな原始からの恐怖は暗闇の奥に潜むモノへの本能的な畏れだ。
唐突に、咆哮が止んだ。
沈黙が戻る。
それでも村人達は動けなかった。息を詰めて、できる限り身を縮めている。
「帰れ」
彼らに向けて、洞窟の奥から声が響いた。反論を許さない、断固とした口調だった。生臭い臭いが漂い始める。
村人達は恐怖に身を凍りつかせた。誰一人、動かない、動けない。
「帰れ」
もう一度、声が響く。
今度の声には苛ついた雰囲気があった。声だけでしめ縄が揺れ、大樹の葉が落ちる。
老人は慌てて立ち上がると、他の者を立たせ、指示をした。
男達はほっとした顔で頷いた。腰が抜けて立てなくなっている若者を担ぎ、逃げるように道を下る。
振り向きもせずに逃げ帰る男達と違い、老人は少しの間佇んでいた。痛ましげな目で櫃を見る。
「すまんのう。これも村の為じゃ」
呟く。
続けて大きく溜め息をついた後、老人も道を下っていった。