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3-3


「私、好きな人がいたんです」


 ぽつりと呟く。


「橙次さんといいます。三才年上で、私と同じように流行病で両親を亡くして、長老の家に預けられていました。優しくて、逞しくて、強い人で。小さいときから、ずっと憧れてたんです」

「ふうん」

「私にはとても仲の良い友達がいました。二才年下で杏寿という名の、とても綺麗な女の子です。私と違ってとても女の子らしくて、いつも杏の香油をつけ、紅を引いて。村のみんな、あの子を可愛く思ってました」

「あ、あの娘か?」


 と、青丸が口を挟んだ。美月は頷いた。


「そう。生贄に選ばれていた、あの子です。杏寿は私を預かってくれた村長の娘で、私の後をいつもついてきました。親友と言うより妹という感じだったかもしれません」


 そう、だからだったのかもしれない…、美月は口を閉じ、うつむいた。



***



 あれは私が十二のときの村祭りの夜でした。

 橙次さんは太鼓を叩いてて、とても素敵だった。

 私は笛を吹いていました。橙次さん、私の笛をすごく褒めてくれて……。

 いつの間にか、私、橙次さんを好きになっていました。


 でも、そのとき杏寿も、橙次さんを好きになったんです。

 相談されて、私は手伝ってあげるって、二人がうまくいくようにできるだけのことをしてあげるって、約束しました。

 そして、橙次さんに、杏寿のことを話しました。

 橙次さんも杏寿のことが前から好きだったって、とても喜んで、その日のうちに、二人は契りを交わしました。

 みんな悔しがったり喜んだり、おかしかった。でも…、私は、悲しかった。


 一度だけ、橙次さんと二人きりになったことがあります。


 杏寿の誕生日に二人で何かあげようって、山に探しに行ったんです。

 でもお昼過ぎから嵐が来てしまって、山から下りれなくなって、仕方なく炭焼き小屋で一晩明かしました。

 寒くて震えてたら、橙次さんが抱きしめてくれた。嬉しかった。そのまま死にたいと思ったけど、もちろん無理でした。

 次の日、山を下りて、杏寿に見つけた香木を渡しました。

 村は大騒ぎで、村長にひどく怒られたけど、私は幸せだった。夢を見れたんですもの。これ以上ないくらい、幸せな夢を。

 その日、杏寿の結婚の日が決まりました。もちろん祝福したけど、泣きました。夜、川原でこっそりと。


 半年前、杏寿が生贄に選ばれたとき、私、なんだかほっとしたんです。

 酷い女ですよね。友達が死ぬのを喜ぶだなんて。


 でも、私、ずっと杏寿が羨ましかった。誰からも愛され、私の欲しいものすべてを持っている杏寿が、たまらなく妬ましかった。

 だから心のどこかで、橙次さんがまた一人身になるって思ったら、嬉しかった。


 そしてそう思った自分が死ぬほど厭だった。死んでしまいたいって、思った。

 それで、身代わりになることを思いつきました。

 恐怖に狂って痩せていく杏寿と、うろたえている橙次さんを見ていられなくなって、親切にしてくれた村の人達が恐怖に心を凍らせていくのを見るのが辛くて、なんて言い訳です。


 私は自分の都合で生贄になりました。友達の代わりになるなんてすごいだろう、えらいだろう、そう全身で語るために代わりになったのです。



***



 話しているうちに、涙が溢れ、止まらなくなった。涙声で、ほとんど叫び声になって、それでも言葉は止まらなかった。


「だから、だからきっと、風牙様は私を食べてくれないんです。私の邪まな心を知っているから。私は無垢じゃない。生娘でも、生贄としての価値がないんです。私は、私はいつも、自分のことしか考えることのできない、歪んだ、厭らしい偽善者なんです」


 ずっと溜めていたことを吐き出してしまうと、美月は顔を覆って泣いた。


 青丸は何も言わなかった。ただ、空を眺めていた。沈黙がありがたいと美月は思った。そして、しばらく泣いた。何も言わず、ただ泣かせてくれる青丸がありがたかった。


 やがて涙も止まった。


 美月は全身を湯に沈め、顔を洗った。気まずくてちらりと青丸を見る。青丸は相変わらず空を見ていたが、ぼそっと呟いた。


「うなされて、知らぬ名を呼んだろう?」


 急に向けられた言葉に、美月は戸惑いつつも頷いた。


「はい。せきまる、と」

「そうか」

「すみません。聞くつもりはなかったんですが…」

「いや、気にするな。美月は悪くない」


 青丸はにっこりし、続いて笑顔に似合わない大きく深い溜め息を吐いた。


「悪いのは俺だ…。そう、全部」


 その笑顔を見て、美月は胸が苦しくなった。


 どうして、青丸は辛そうなときにも微笑むのだろう?

 半年前もそうだった。

 美月が青丸の鬼の部分を見て怯えたとき、怒りもせず、悲しそうにもせず、ただ苦く微笑んでいた。

 痛覚を刺激する、微笑み。

 微笑みがさらに苦しさを増す原因になることを、青丸はわかっていないのだろうか?


「青丸様は、悪くありません」


 自分でも不思議だったが、思わず美月は否定した。青丸の笑みが消える。


「お前に何が分かる?」


 低く、何かを押し殺すように呟く。殺気すら込められているような声に、美月の背に戦慄が走った。本能が恐怖を訴え始める。

 だが、美月はたじろがずに青丸を見つめた。瞳が青くなりかけている。鬼に戻りつつある証拠だ。


「青丸様が酷いことをするはずありません」


 恐怖で鳥肌が立ち、膝が震えるが、勇気を振り絞って堪え、青い目をしっかり見つめる。

 青丸は驚いた顔で美月を見、硬直したが、やがて力を抜いた。

 しばらくの沈黙。


「俺は、赤丸を殺したんだ」


 青丸は力なく呟いた。






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