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2-6

 私が山神様の客?


 美月は混乱していた。

 この人は、何を言っているのだろう?


 私は山神様の生贄。

 食べてもらうために、村を守ってもらうために、ここまで来たというのに。

 私は生贄になる価値もないのだろうか?


 困ったことになった、悩んでいると、大きな音がした。

 我に返る。


 そこで美月は恐ろしいものを見た。


 鬼だ。

 鬼が木を叩き割っている。


 美月は悲鳴を飲み込んだ。

 いつの間にあんな化け物が来たのだろう?

 近くにいたのすら気づかなかった。

 生贄になる前に鬼に殺されたらどうしよう、美月は思い、怯えた。充分に役割を果たせなかったら、村人になんて言って詫びたらいいか、それで頭がいっぱいになる。


 しかし鬼は襲っては来なかった。一心に木をこすっている。

 しばらくすると、鬼は何かを作っているのだとわかった。

 好奇心が湧く。鬼は桶を作っていた。大きいものと小さいもの。使いやすそうな大きさだ。なぜあんなものを作っているのだろう?

 見つめていると、答えがわかった。

 鬼が見る見る小さくなって、人間になる。


 青丸だ。


 美月は悲鳴をあげそうになった。突然の恐怖に膝ががくがくする。


「これを使いな」


 話しかけられたが、恐怖のあまり、思わず美月は後ろに下がった。言葉も出せず、ただ、青丸を見つめる。

 青丸は驚いたようだったが、すぐに力なく笑った。美月の背後で風牙が息を吐く。


「気にするな。じゃ、また」


 何か会話があったらしい。青丸はこちらを見て微笑んだ後、去っていった。

 なんて顔で微笑むのだろう。

 微笑みは美月にズキンと痛みを与えた。

 気持ちに痛覚を与えるほど、苦い笑み。

 それをさせたのが自分の行動だと気づき、激しく後悔した。その場にへたり込む。


「どうしよう……」


 呟くと涙が出てきた。


 あの人は、私に桶を作ってくれた。

 私を温めるため、温泉へ連れてきてくれた。

 優しい言葉をかけてくれた。


 それなのに、私は……。


「酷いことを、したわ」


 心の痛みは、知っていると思っていたのに。

 自分を送り出した村人達の顔を思い出し、美月は泣いた。


 こんな自分は嫌いだった。嫌いだったから、みんなを、あの人を助けてもらえるように、自分が自分を好きな状態で死んで行けるように、生贄に志願したというのに。

 こんな邪まな心を持っているから、山神様は私を食べてくれないんだ、そう思った。

 悲しくて、情けなくて、さらに涙が溢れた。


 気がつくと、風牙が美月の背に擦り寄っていた。深紅の瞳が、心なし困っているように見える。

 美月は風牙にしがみつき、泣きじゃくった。

 風牙は温かかった。温泉のせいだったが、美月にとってはそれだけではなかった。


「風牙様、どうして、私を食べてくれないんですか?」


 泣きながら、言った。恨み言のように。

 風牙は答えなかった。答えたとしても、人間の言葉は話せないから、わからないが。

 理不尽だとわかっていたが、美月は風牙を恨みそうだった。

 村人達の顔や青丸の顔がくるくる回る。


「おおい、風牙。ちょっといいか?」


 遠くから声が来た。


 青丸だ!

 はっとし、美月は身を竦めた。

 風牙はシュウと一吐きする。

 顔を上げると、真紅の瞳は優しく見下ろしていた。恥ずかしくなって、うつむく。


「んなこと言ったって。わかったよ、そっちへ行く」


 その間に会話が成り立っていたようだ。短い応対の後、闇の奥から青丸が現れた。

 何か大きな荷物を抱えている。暗くてよくわからないが、箱のようだ。


「すまんな。すぐ行くから」


 笑いながら近くに来て、箱を下ろす。


「着替えがないと不便だろう思ってたら、ちょうどよく着物が落ちててな。運がいいと持ってきた。それ、もう着られないだろう?捨てちまって好きなのを着ればいい」


 箱は桑折だった。着物を入れておく箱だ。

 美月には見覚えのあるものだった。我知らず目を伏せる。


「それ、私の桑折です」


 美月はうつむいたまま言った。


「そうなのか?」

「はい」


 青丸は驚いたらしい。目をぱちぱちさせて美月を見ている。


「私達の村では、流行病などの不浄の死を遂げた者の持ち物を処分する習わしがあります。家や道具は壊して焼き、衣は桑折に詰めて、村から離れた所に捨てるんです」


 聞くと、なぜか青丸は憤然とした。


「そんなのおかしいじゃないか。お前は不浄の死を遂げたわけではあるまい? 山神の生贄になったんだろ? 不浄どころか村の守り手としての名誉の死だと言ったっておかしくないじゃないか」

「そうでしょうか?」

「そうだ。誇りを持て」


 この件に関しては風牙も同意見のようだ。


「大体、山神の生贄を不浄の死者と同じ扱いにするなんて、許せん。罰を与えてやらんといかんな」


 同意するように風牙が唸る。

 美月は驚き、おののいた。ひれ伏して、額を地にこすりつける。


「お願いでございます。村人達を罰しないでください。お願いです、なにとぞ……」

「お前、まだそんなこと言ってるのか?お前を差し出した奴らだぞ。お前を殺したと言ってもいい。そんな奴らをなぜそこまで庇う?」


 青丸の呆れ声が聞こえる。美月はさらに額をこすりつけた。


「みんな、怖がっているだけです。どうしたらいいのかわからなくて、仕方なくしたんです。罪は全部私が受けます。お願いです、村を罰しないでくださいませ」


 村人達の優しい笑顔を思い出した。


 大事なもの。

 忘れたくない、無くしたくないもの。

 それを守るためなら、どうなっても構わない、そう思う。


「わかったよ」


 頭の上で溜め息がした。次いで、髪を撫でる手の感触。


「今回は貸しといてやろう。ただし次はない。それでいいな」

「……、青丸様……」

「青丸様、か。参ったな。わかったよ。貸しはナシだ。許してやる。それでいいか?」


 頷く代わりに、美月はさらに頭を低くした。だがすぐに肩に手がかかり、体が持ち上がる。驚いていると、風牙が体に巻きついてきた。美月を座らせる形にし、離れる。


「じゃあ、行くから。邪魔したな」


 シュウという音で我に返ると、青丸が立ち上がったところだった。美月を見てにやりとし、きびすを返す。

 反射的に、美月は青丸の服の裾をつかんだ。


「行かないで!」


 思わず叫ぶ。

 青丸は驚いて振り向いたが、美月も同じくらい驚いていた。なんてことをしでかしたんだろう、思って慌ててひれ伏する。


「す、すみません。私……」


 ひたすら頭を下げていると、再び青丸の手が肩にかかった。

 顔を上げると、青丸の戸惑った顔が視界に飛び込んだ。どんな表情をすればいいのか、悩んでいるように見える。


「俺にいて欲しいのか?」

「……、はい」

「俺は鬼だ。化け物だぞ。見ただろう?」

「はい」

「怖くないのか?」


 美月は下を向いた。少し間を開け、答える。


「怖くないと言ったら、嘘になります。でも、青丸様は私に優しくしてくれました。あの優しさが嘘じゃなかったって、私、わかります。青丸様は鬼。でも優しい方です。お嫌でなければ、もう少し、お話させてくださいませ」


 しばらく沈黙。青丸の顔が驚きから困惑に変わり、苦笑で止まった。楽しそうに言う。


「いいよ」


 美月はほっとして微笑んだ。


「ただ、お前、これから着物を脱ぐんだろ? 俺は大歓迎だが、それを見てて欲しいってのは、なかなか大胆な言葉だと思うぞ」


 笑いを凍らせ、言葉を失う美月を見、青丸は豪快に笑った。






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