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2-3

 はっきり言って青丸はくたくただった。

 両手で大きな熊を引きずっている。一頭では風牙の分にしかならないと踏んだからだが、狩りはなかなか大変だった。熊が二頭まとめていることなどほとんどない。おかげで先に獲った一頭を置きっぱなしにするわけにもいかず、文句を言いつつ持ち運ばなくてはならなかった。

 さらに悪いことに、二頭目は青氷山から遠く離れた山で獲ってしまったので、戻るのがまた一苦労だった。

 鬼の力といえども限界はある。

 二頭合わせて約百貫、青氷山までの道程は遠い。青丸でもきつかった。

 やっとこさ青氷山の麓まで辿り着き、大樹が見えるところまで登ったら、安堵からか力が抜けてしまった。

 それでもなんとか大樹の根本まで辿り着き、やっとの思いで風牙を呼んだのである。


「気配で俺が近づいてきたってわかっただろうに。なんで手伝いに来ないんだよ?」


 大樹の元に転がり、息を切らしている青丸を眺め、風牙は舌を出した。


『それくらいの働きはできると踏んだのだが、見込み違いだったか?』

「見込み違いで結構!」


 笑みを含んだ声が青丸の頭を通り過ぎる。

 丸々太った熊二頭とへたっている青丸を満足げに眺めた後、風牙は洞窟に目を向けた。

 洞窟の中には怯えている美月がいる。冷気と恐怖に震えながら、風牙を待っている。

 風牙は困ったように青丸を見た。


「なんだ?ヘンな顔して。どうかしたか?」


 もちろん、青丸は気づいた。顔を上げ、座り直して問う。


『困ったことになった』

「困ったこと?」

『そうだ。化け物らしくない、困ったことになった。どうすればいいか?』


 本当に困惑しているようだ。落ち着かない様子でちろちろと舌を出したり引っ込めたりし、太いしっぽで地面をはたいている。


「どうすればって、それじゃわからんぞ。わかるよう説明しろよ」


 疲れていたが、青丸は話を聞くことにした。長く風牙と付き合っているわけでないので、様子で察するなんて芸当はできないから、気持ちを聞いたほうがいいと思ったのだ。

 風牙も同じようで、大きく息をついた。


『あの娘に恩ができた』

「恩?」

『うむ。毒を半分ほど吸い出してもらった。おかげで気分が、全快ではないが、いい』

「なんだ」


 青丸はほっと一息ついた。


「いいんじゃないか?もともとその傷は人間のせいなんだろ?それくらい当然だ」

『いや、問題はそこじゃない。問題は……』


 言い難そうに、風牙は言葉を濁した。

 沈黙。

 青丸も黙っている。

 少しして、風牙は言葉を続けた。


『あの娘を、愛しいと思ったことだ』


 青丸は驚きのあまり声も出ず、口をあんぐりと開けた。


「な………」

『勘違いするな。惚れたのではないぞ。実はお主が出ていった後、あの娘を囲んで眠ってしまってな。お主との約束を守れなんだのだ。あの娘、我より先に目覚めた。逃げる機会はいくらでもあったのに、あの娘は逃げなんだった。我はあの娘の子守歌で目覚めたのだ。お主との約束があったでな、食わずに見張っていたら、あの娘、泣き始めてな。困っていたら泣きやんで、我の傷を見つけて毒を吸い出してくれた。自分を殺そうとするモノを、賢明に癒そうと努力する姿を見、胸に染みたのだ』

「それで、愛しくなったと」

『多分な。お主が戻ったとき、怯えて身を寄せる娘を我知らず庇ってしまったゆえ。あの娘が我を頼っていると感じ、何故か嬉しく思った。長く化け物をしてきて、人間に魅了されたなど、初めてのことだ』


 しみじみと、目線を上げて嬉しげに言う。

 だが直後、表情を曇らせた。


『しかしあの娘、我に喰われることを望んでおる……』

「なるほどね」


 青丸は頷いた。


「それで?どうしようと思うんだ?」


 風牙は深く息を吐いた。

 こりゃ本格的だと青丸は思ったが、口には出さず、風牙の次の句を待つ。


 風牙の気持ちもまんざらわからなくなかった。

 他者のために、なんの得にもならないと知っていながら、これだけ尽くすことができる者を見たのは青丸も初めてだ。

 彼らのような化け物の大半は、自分至上主義か、友だから大目に見る程度の心の広さしか持ち合わせていない。後者だって、自分が安全でゆとりのあるときしか、心の広さは現さない。要は周り全てが敵なのだ。

 当然、人間もそうだろうと思っていたが、ここで例外が現れた。

 だから戸惑いもするし、好奇心も疼く。好奇心を愛しさに置き換えたって別におかしくないとも思う。

 長々と考え、青丸はこう結論づけた。


 やがて風牙は口を開いた。


『お主に約束したこと、反故にしてもらえぬか?』

「約束?」

『ほれ、あの娘を譲るという……』

「あ、ああ。構わんが、どうして急に?」


 複雑な心境を顔に出しつつ、風牙は舌をちらちら見せた。


『我も、試してみたくなってな。人間というものを。人間の言う優しさとはどのようなものかを。それと、よく考えてみたい。あの娘を愛しいと思った、化け物にあるまじき我の心をな』

「なるほどね」


 青丸はからからと笑った。


「難しいな。化け物が人間の感情を快く思うのか、か。せいぜい試してみるこったね」

『かたじけない』


 青丸の笑いに合わせ、風牙も笑った。

 ひとしきり笑うと、青丸は熊の解体にかかった。皮を剥いただけの一頭を風牙に、もう一頭は自分用にする。大きな肉の塊を引き裂き、腹に納めると、ようやく人心地つき、機嫌がよくなった。申し訳程度に残った肉を、娘用にと皮に乗せる。

 風牙は熊を丸呑みし、満足気にゲップした。


『うまかった。だがまだ腹八分ほどだ。もう少し太っていてもよかったな』

「えーい、うるさい。贅沢な奴め」


 言いながら、青丸は生贄の入っていた櫃の周りを探った。

 辺り一面夜の闇だが、化け物には関係ない。

 ちりりとつま先を焼くものが地面に撒かれていて、青丸は足を止めた。

 塩だ。塩は化け物にとって至極迷惑な物質だった。

 側には榊の枝が落ちている。榊もあまり好ましい物ではない。

 山神を語るってのも面倒なものだと青丸は顔をしかめた。

 だが榊のすぐ横に酒の桶を発見し、思わず口元がほころぶ。酒は大好物だ。

 青丸は邪魔なものを避けてから酒の桶を取り、振った。


「ありゃ、少ししかないな。ま、いいか。風牙にやろう」


 桶を持ったとき、櫃が目についた。

 娘が出たときのままで、蓋が開いている。

 何となく、中を覗き込んだ。


「あれ?何だ、これ?」


 何か入っている。

 取り出してみると、笛だった。竹でできた横笛だ。使い込まれていて汚くなっているが、それだけに手に馴染む。だが青丸の手には小さすぎて、うまく扱えないように思えた。

 青丸は笛を腰紐に差し、酒を手にして風牙の元に戻った。

 口ではああ言いつつも、風牙はすっかりくつろいでいる。青丸は酒を差し出した。


「傷に効くかもしれんから、全部やる」


 風牙は喜々として受け取り、桶に首を突っ込んで飲み始めた。飲みっぷりの良さに、青丸は呆気にとられ、そして笑う。

 笛を置き、再び櫃の側に行くと、派手な音をさせて櫃を壊した。あっという間に、長い櫃が焚き火用の薪に変わる。

 青丸は両手いっぱいの薪を持ち、また風牙の側に戻った。


「お楽しみのところをすまんが、火をくれないか?」


 酒を楽しんでいる風牙は面倒臭いと言いたげに首を振る。青丸は肩を竦めた。


「別に嫌ならいいが。人間にはこの夜気はキツイと思うぞ」


 効果は絶大であった。

 風牙は桶から頭を出し、口から火を吹いて薪に移すと、ささっとものすごい速さで洞窟に戻っていった。


 その素早さに青丸は呆気にとられ、ぽかんと口を開けたが、すぐにけらけらと笑い出した。それから火のついた薪を他に移し、大きな焚き火にする。

 パチパチと音を立てる焚き火を眺めつつ、青丸は溜め息をついた。

 心がしきりに騒ぐのを自覚し、胸を押さえて呻く。手を置いた場所はちりちりと痛んだ。


「化け物が……、むやみに他を信用しちゃ、いけない」


 焚き火の灯りは表情を淋しく見せた。声にも苦みが混じる。


「俺は化け物。そして自由だ」


 爆ぜる火を見つめ、青丸は再び大きな溜め息を吐き出した。

 そして立ち上がり、闇の中に姿を消した。






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