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やたら小さな国に異世界召喚されました。

   第六章 真の敵ってこんなんかな


 いかに一触即発の状態にある両国の間にも、多少の物や人の行き来はある。

 国境には、そうした行き来のために線を挟むようにして二つの集落ができていた。

 地下道の出口の一つ、イルデファーンの側に出られる場所から出た一行は、目立たぬように集落に入りこんだ。

 「―なるほど、『言葉が少し違う』ね」

 ヒロ先輩がそっと囁いた。

 「うん…何て言うか、方言みたいに聞こえるなあ」

 桜起たち三人がこちらの言葉を理解できるのは、儀式にのっとった異世界召喚に付随する「効果」の一つだと聞いている。よって、召喚された場所…カイルアンの言葉を「標準」と受け取ってしまうらしかった。道行く人々の言葉が、少しどこかの方言みたいに「聞こえる」。

 ―しかし、イルデファーンの人々の「言うこと」を方言風に描写しても何なので、ここでは普通に喋っていることにして書いていくことにする。

 「皆の者!よく聞け!」

 小さな集落の、中心部の広場で…軍人らしい男性が壇上で声を張っていた。

 「今こそ!あの反乱軍どもを打ち倒し!不届き者を一掃するのだ!」

 「…反乱軍?」

 「イルデファーンでは、カイルアンの『独立』を、認めていない人も多いんです」

 ディアナが小さく答えた。

 「確かに、公には渋々ながら独立宣言を受け入れ、お互いに大使を置いて国交を樹立しているのですが、国民感情としては多くの人がカイルアン『地方』として、未だに国の一部と見なしていて…特に大貴族や、あと軍の一部ではかたくなに『国』と呼ぶのを認めない者が多いんです」

 リオネルは時折こっちに潜入もしているらしい。

 「そんなこと言ったって…来ればわかるじゃん、父上と母上ががっちり統治している『国』だってことは」

 「事実としてはそうなんですが…それを認めたがらない人もいる、ということですよ」

 演説しているのは、そうした勢力の宣伝マン(?)らしかった。

 しかし、人々は一応耳を傾けてはいるが、表情はいま一つで…心から賛同している訳ではなさそうだった。

 「ここの住民はカイルアンとの交易で生計を立てていますからね。むやみに争っていられると儲からないんです」

 利害によって左右されるのである。


 小路に入り、一軒の家のドアをノックした。

 細めに開かれた扉に、リオネルが合言葉を囁く。ぱっと扉が開き、一同を引っ張りこんだ。

 「―お待ちしておりました。通信魔法で、連絡は届いています」

 中にいた、これといった特徴がないのが特徴…と言うしかない男女が、ステラ姫に精一杯の礼を取る。

 「便利だな、魔法…さすがに戦国時代にはないなあ、これは」

 ヒロ先輩がどうでもいいことで感心した。

 「あいさつはいいから、本題に入ろう…警備が厳重な鉱山についてだけど」

 「調査はしておりますが」

 スパイたちはここで言葉を切って、しばらく考えをまとめてから続けた。

 「ただ、やはり潜入は未だにできず。しかも、どうにも…あの鉱山は、()()()()んです」

 「『おかしい』って…具体的に言ってよ」

 「採掘は、なされているんです。着実に、途切れずに、産物…ミスリルは運び出されているのは間違いありません。…それなのに、当然鉱山に供給されるべき物資…食糧とか、水などが一切鉱山に運び込まれている形跡が()()んですよ」

 「食糧を運び込むのにまぎれて潜入しようと調べたら…判明しまして」

 「じ…じゃあ、()()掘ってるの、ミスリルを!?」

 当然、人間が採掘していれば何か食べないとやっていけない訳で。

 「オートメーション!?ロボとかロボとかロボとか!」

 想像しただけでわくわくする桜起だった。

 「それでも、バッテリーとかは必要じゃないのか」

 いつもながら、ヒロ先輩の指摘は的確だった。

 「まあ、これだけ魔法が発達した世界なんだし、何とかなるかも」

 「…でも、そんなことができる魔法なんて…わたしは、知らないなあ」

 「うーん…ステラ姫が知らないんじゃ、『普通』の魔法じゃないのか」

 超レアな魔法なのかもしれないが。

 「これ以上は、潜入してみないと何もわからないね」

 覚悟を決める必要が、ありそうだった。一同の視線を受け、ステラ姫がうなずく。

 「わたしたちは、鉱山に潜入して…できれば破壊したい。お願い、協力して」

 「もちろんです。できる限りのお手伝いをさせてもらいます」

 スパイの二人は深々と頭を下げた。

 「―行こう、みんな」

 「大丈夫。俺たちなら、大抵のことには対応できるよ」


 夜中まで、狭い家の中で一同それぞれにできるだけ休息を取った。

 「もちろん見張りはいますが、それでも人目がない分気づかれにくいかと」

 スパイの二人は、六人をこっそりと鉱山の入り口…正確にはミスリルの搬出口に案内した。もちろんその間にも、かつて伝令が「蟻の這い出る隙間もない」と表現した警備がなされていたが、そこはここに配置された密偵、しかもこういう場合のために日々調査を続けてきた二人である。見事にかいくぐってみせた。

 「二人、歩哨が立っていますね」

 「任せて」

 ステラ姫が、背後の森の中を起点に炎魔法を発動させた。爆炎と爆発音が上がる。

 「何だ…!?」

 歩哨の注意が完全に森に向いたところで、リオネルのクロスボウが唸った。

 同時二射(ダブルショット)―クロスボウには普通不可能な射撃を、彼は大したことでもないようにやってのけた。二人が二人とも喉を射抜かれて、声も出せずに倒れた。―ディアナが駆け寄り、手早く矢を抜いて治癒の奇跡を願う。

 「偽善と言われれば、それまでですが」

 無事に傷は癒え、意識は当分戻らないのを確認して神官見習いは立ち上がった。

 「わたしたち、こっちから戦争を仕掛けたいんじゃないもん」

 誰何(すいか)の声がないのを確かめて、六人は鉱山に入りこんだ。

 スパイの二人が、倒れた歩哨を引き取った。

 「何とか、できる限り時間を稼いでおきます。しかし、できればお早く脱出を。ご無事を祈っております」

 「ありがとう!でも、危なくなったらさっさと逃げて!」

 その言葉を投げかけて、ステラ姫は先を急いだ。

 「こっちは心配ない!姫さまは守るから!」

 

 まあ、大抵の敵は、姫一人でも倒せそうな気はするが、一同は気をつけて坑道を進んだ。

 道はゆるやかな下りで、中央には二本の線路が引かれている。トロッコが行き来するためなのだろうが、今は動いていなかった。

 「これで、ミスリル鉱石を運び上げているのだろうけど」

 「ある程度の量を採掘してから、運んだ方が効率がいい場合もあるからなあ」

 「ああ、また地下迷宮(ダンジョン)…っ」

 陽奈美にしたら、地下迷宮に入りこむたんびに妙なことになっている気がするのだ。

 「にしても…何で、灯り一つ点いていないんだ、この坑道」

 ヒロ先輩が呟いた。…ちなみに、灯りがないのが判明した時点で、ステラ姫が全員に「暗視」の魔法をかけている。色彩は見えないが、問題なく動けた。

 「地下だから、夜昼関係なくフル活動してるんじゃないか、と思ってたのに」

 確かに、この坑道…照明施設は所々にあるようだったが、今現在は一つも点いていなかった。

 「夜はお休み…ってことなのかな」

 「僕たちの世界の鉱山なら、三交代で休みなし…があるのに呑気すぎないか。戦争の重要物資だろ」

 その通りであった。

 「そうですよね。警備も、なさすぎる…外の様子からして、別れ道ごとに歩哨が立っていてもおかしくないレベルなのに」

 リオネルも賛同した。坑道に入って以来、人っ子一人見かけていないのである。

 「まあ、見つかって大騒ぎになるよりいいけどさー」

 小声でそんなことを話しながら進み…ついに大きく開けた、どうやら採掘の現場らしい場所に着こうとした、その時。

 「…何、この匂い…!?」

 陽奈美が、続いてステラ姫たちも声を上げた。

 行く手から、かすかな…嗅いだ覚えのない不快な匂いが漂ってきたのだ。

 「見て、()()…!」

 「暗視」の力で、目の前で動いている…採掘に勤しんでいる者たちを、見た。

 「う、嘘…!?」

 ()()()は、「人間」とはとても言えなかった。かと言ってロボでもないし、動物でも…通常の意味での怪物でもない。

 骨のみの手につるはしを握る、骸骨(スケルトン)

 人間の筋力を越えた力で鉱石を運ぶ、腐った死体(リビングデッド)

 片隅の溶鉱炉を、どうやってか操作しているらしい…マントの下に、目のみを輝かせる幽霊(ゴースト)

 見渡す限り、生きている人間は、一人もいなかった。全てが、死せる者…いわゆる不死者(アンデッド)(たぐい)だった。

 「こ、これは…確かに、食糧の補給とか、要らないかもな」

 「「そういう問題とかぶっちぎってますヒロ先輩!」」

 つい大声を出してしまったが、こちらが喋っていても不死者たちは一切こちらに興味…と言うか、注意を払う様子はなかった。一切無視…おそらくだが、「生者が来たら攻撃せよ」などの命令を受けていないのだろう。

 「そ…んな…」

 ステラ姫の顔色はわからなかったが…真っ青になっていることは表情から見て取れた。

 「…かつて、死霊術(ネクロマンシー)って言う魔術形態があって…死者の霊を呼び出したり、死者を操ったりしていたって、魔術の歴史として教わったけど!…到底認める訳にはいかない邪悪な技だと言うことで、禁呪として呪文も何も全て記録から抹消されたって聞いてたのに!」

 「どういう形でかはわかりませんが、今この世に復活した…この魔法の使い手、死霊術師(ネクロマンサー)が確かにいる、ということでしょうか。…とても、許せるものではありませんが」

 神官であるディアナには、耐えがたい光景であるらしい。

 「…この事実を公表したら、イルデファーンの名誉が失墜する可能性がありますよ」

 ステラ姫が学術的、ディアナが宗教的な反応で…リオネルのそれは政治的であった。

 「何とか、記録できないかな、この状況」

 「カメラカメラ!スマホで…うっ、インスタにも上げられないしプリントアウトも無理か」

 「わたしの魔法で映像を記録…でも、現実のものだって証明はできないか」

 「国王陛下たちに説明するだけでも価値はあります」

 「わかった」

 ステラ姫が魔法で記録している間に、桜起も残り少ないスマホの充電を使って何枚か映像を収めた。

 「とにかく…ここは、このまま採掘を続けさせる訳にはいかない、よね」

 見ている間にも、ミスリルらしき鉱石は続々と掘り出されていた。これらが全て武器になるか、取り引きされてイルデファーンの国力になるかと思うと。

 「それに…こんな自然の生命の循環に背く行為を、放っておけません」

 ディアナがいい、辛そうに続けた。

 「…ですが、わたくしの力では…この人数の浄化は、叶いません」

 「魔法なら、この者たちを呼び出した術者を倒せれば解除できるはずだと」

 「駄目、リオネル。探知(サーチ)してみたけど、この鉱山にわたし以外の魔術師の反応はなし」

 ステラ姫が首を振った。

 「つまり、死霊を召喚して『ここで働け』と命じて…本人はその場から離れることができるんだね、その死霊術師は」

 相当な使い手と見るべきだろう。

 「そいつがここにいて、ぶっ倒せれば言うことないのになー」

 「だったら…やっぱり、炎ですね」

 「わかった。任せて…特大の炎を、ぶちかましてやるわ。こんなの、許せないもん」

 ステラ姫は勢いこんでうなずいた。


 他の五人を元の道に退避させて、ステラ姫は採掘現場の入り口ぎりぎりに立ち…巨大な、熱量を上げ過ぎてほとんどプラズマじゃないかってぐらいの火球を、いくつも放った。採掘の場が、炎に包まれる。

 「うっ…!」

 骸骨も、動く死体も…声もなく、ただ炎に呑まれていった。いくら、「彼ら」は本当の意味でもう「生きて」いないし、痛みも多分感じない…そう自分に言い聞かせても、一応人のかたちをした姿が焼かれているのは恐ろしい。陽奈美はとっくに桜起とヒロ先輩の後ろで目をつぶっていた(桜起は抱き寄せようとしたが、逃げられた)。

 あまりの熱量に、岩まで融け…この山そのものが不気味な振動をはじめた。

 「―このままでは崩れます!脱出!巻きこまれないように!」

 「「「わーっ!」」」

 リオネルの鋭い叫びに、一同ははじかれたように逃げ出した。坑道を死にもの狂いで駆け上がる。転びそうになった陽奈美も、手を引っ張られて必死に走った。

 転がるように、坑道の出口からみんな飛び出した。勢いのままに「誰か」を突き飛ばしてしまう。

 「え!?」

 どうやら、交代しに来た歩哨と、スパイたちの交戦の真っただ中に飛びこんでしまったらしい。突き飛ばされた歩哨も、戦っていた二人も呆然としていたが、一瞬早くリオネルのクロスボウに矢がつがえられた。

 歩哨たちが倒れた、後。

 「「ああ、ああ…っ!」」 

 背後で、凄まじい音がした。山脈の、連なりの一つ…峰が、丸ごと陥没する。

 「…やっちゃった。てへ♪」

 「いや、元々掘りに掘ってスカスカだった鉱山だからですよ、姫」

 リオネルのつっこみはあったが、ステラ姫の魔法がすごいのは確かだった。

 「…桜起くん。痛い」

 「え!?」

 力任せに陽奈美の手を握りしめていたことに気づき、桜起は大いに焦るが。

 「でも、助かった。ありがとう」

 少しそっぽを向いて、ぽそっと彼女は続けた。転びそうだったのを支えたのはわかってくれたらしい。…それは、嬉しかった。


 「これで、ミスリルの供給はこれ以上はない…ってことで」

 金属なので、高熱で消滅はしないだろうが、再び採掘できるようになるには時間がかかりそうだった。

 「少なくとも、まだまだ供給されるはずだという保証はなくなり、無理はできなくなるはず」

 リオネルは、政治家としての素質を見せはじめているようだった。

 「―つまり、これで戦争回避の目が出て来た、ということですね」

 「休息を取ったら、帰ろう!みんな」

 ステラ姫が声を張った。

 「母上に、交渉に入ってもらうんだ。何とかできるはず!」

 

 とは言え、夜中に行動した一同、特に魔法を連発した当のステラ姫にはしっかり休息を取ってもらう必要があり。

 次の日の夜半まで寝こけた一同を見守りながら、スパイ二人は情報を集めていた。

 「ひた隠しにしていますが、内実、ここらの政府組織は大混乱しています」

 起き出した面々に報告。

 「伝令も、通信魔法も飛びまくっています。…都では、連絡を受けて主戦派と穏健派が揉めているらしく」

 もっと情報を集めてまた報告すると言う。

 「お願いするね。大使館にも協力を惜しまないように言っておくから」

 他国に送られた大使がスパイの総元締め、というのは異世界でも同じであった。

 

   第七章 こんな理由で戦争かよ

 

 翌朝密かに地下道に戻り、できるだけ急いでカイルアンへ。

 幸い妨害もトラブルもなく、あの門もそのままで…一行は、二日後に戻ることができた。

 休息も身支度もそこそこに、両陛下の元へ参内する。

 「これは…!」

 報告を受け、ステラ姫の記録した映像を確認して二人の顔色が変わった。

 「これは、事実だとして公表できれば、とんでもないことになるぞ!」

 「もちろんイルデファーンとしては全力でもみ消しに動くでしょうが…うまく交渉できれば、戦争そのものを回避できるかもしれません」

 女王もうなずき、部下に矢継ぎ早に指示を出しはじめた。

 「ステラ…よくやってくれた。客人たちにも、心から礼を言わせてもらう」

 「父上!母上…!」

 ステラ姫はさすがに感激して涙ぐんでいた。

 「姫、わかってますよね。全てはこれからです」


 玉座の間から下がって、若者たちだけで「これから」の話をする。

 「これで、何事もなく終われば万々歳なんだけどなー」

 「なかなか、そうも行きません」

 リオネルは警戒を解いていなかった。

 「事は、こちらだけでなく…イルデファーン側の事情も絡んでくるんですよ。かの国の王宮内での、派閥争いが絡んでいて…一番大きい争いは、現国王と王弟との不仲ですね。二人は、それぞれの母親の身分が微妙で…王位継承の時にかなり揉めたらしいんです。…その因縁が、今もくすぶっていて」

 「あー…結構よくある話ですねえ」

 ヒロ先輩の「よく」は、戦国時代とかの話だろうが。

 「で、その王弟殿下の下に…こちらが得た情報によると、数ヶ月前から謎の人物が出入りしている、と」

 「謎の人物…?」

 「黒フードすっぽりとか?」

 「そこまで見かけがあからさまに怪しいんじゃないんですけど、どこの生まれか、とか探っても全くわからないそうで。王弟なんていう重要人物のまわりに、そんな身元不明な者が存在するのは明らかにおかしなことです」

 桜起たちには国のトップに位置する人物の身辺などわからないが、この世界の王族の常識からは外れているらしかった。

 「で、ここからが問題でして。その人物が出入りするようになってから、王弟殿下が急にものすごくカイルアンとの全面戦争を主張するようになったんですよ。と言っても、自分がそう主張していることはわからないように工作はしていますけどね。しかも、極秘にしていますが、どうやらミスリル鉱山の管理を王弟の手の者が一手に引き受けていると、大使館から報告が入っています」

 「もしかすると…」

 恐ろしい想像ではあったが。

 「その『謎の人物』が、その…死霊術?ってのを使う人で…王弟に近づいて、死霊を使ってミスリルを採掘させていたってこと!?」

 「確かに食糧も灯りもなしで採掘できるかもしれないけど、何でそんな怪しさ大爆発な奴に任せようって思ったんだ?」

 「…王弟殿下は、かつて王位継承権を持つ一人として、領地も部下もちゃんと与えられていたのですよ。しかし、現国王との継承争いに敗れた時に、その領地をほとんど奪われていて…身分()()はありますが、実権を持たされない立場に置かれていまして。領地が、そこからの収入がなければ手勢も去っていきますし、本当に敬意を払われるけどそれだけ、という状況だったと。…そこに、『元手無しで莫大な収入がある』という話が来たら、多少怪しくても…乗ってしまいますよね」

 「過去の栄光いま一度、って感じか」

 「で、元手要らずで莫大な利益を得て、さらにその王弟殿下はカイルアンとの戦争を主張しているの!?」

 「推測ですが、今…莫大な利益を得て国力が上がっている今、カイルアンに大勝利してその功績が王弟殿下のものになれば、うまく立ち回りさえすれば王位を自分のものにできる、と考えているのではないかと」

 「そんな!そっちの都合にうちの国を巻きこまないでよ!」

 ステラ姫の怒りももっともだが。

 「とは言え…実権を握るために、外部に敵を作ってそっちを叩きつぶすことで自分の力を誇示する、というのは本当に『よくあること』だからなあ」

 攻めこまれる側はたまったものではないが。

 「しかし、逆に言うとイルデファーンも一枚岩じゃない、と」

 「その辺を何とかできたらいいんだけどね」

 「そちら関係のことは、向こうに置いた大使館の面々ががんばってくれるといいんですが…何せイルデファーンには未だにこちらを一地方としか見ていない大臣なども多くて、いくら有能な大使でもまだまだ微妙な立ち位置なんですよね。まあ、僕の叔父だったりしますが」

 「は、はあ」

 やはりリオネル、この国でもかなりの名門の出らしい。

 「でもほんと、今の僕たちには…何も、できなくて」

 今、ここで…この一同にできることは、なさそうだった。


 時間は少しさかのぼるが、イルデファーンの首都アイル、その王宮の一室で。

 「…ミスリル鉱山が、壊滅しただと!?」

 やや太った男性が、玉座の間ほどではないが相当に豪華な部屋の中をうろうろと歩き回って唸っている。

 「確認されたその時まで、誰も気づかなかったと…何たる不手際!」

 おまけに、何者がどういう手段で壊滅させたのかもわかっていないとは…もちろんカイルアンが絡んでいるだろうが証明もできないとは、とぎりぎり歯噛みしていた。

 「―王弟殿下、落ちついてください」

 しわがれた声が発せられた。

 簡素なローブに身を包んだ長身痩躯の男性が、片隅に控えている。

 「しかし、やっと採掘が軌道に乗って…国王より私の方が有能だと、この国を任せられると…皆が認めつつあった矢先に!何故、こんなことに!…!」

 「殿下、お気を落とされることはございません」

 魔術師は、表情を一筋も動かさずに続けた。

 「ミスリルはまた掘ればいいだけのこと。死霊も、いくらでも呼び出せます」

 「―そう、であるな。すでに充分すぎるほど、ミスリルは採掘できておるしのう」

 「それで武器を揃え、必需品を買いこめば、誰も文句は言いますまい。もはや、カイルアンを叩きつぶすなど造作もなきこと。我が死霊軍団も、また呼び出します故」

 「おお、その通りじゃ。軍にも働きかけ、世論も味方につけようぞ」

 王弟は、気づいていない。

 何をしても―自分の実力では、ないことに。

 この魔術師が近づいてきたのは、王位継承争いに敗れ、「殿下」と呼ばれるだけの体よく権力から遠ざけられた位置に置かれて腐っていた時だった。

 ある日、自分の前にふらりと現れ(厳重なはずの警備を、死霊の力で蹴散らしたのだろうが、そういうことは王弟の考えには浮かばない)、助力を申し出たのだ。

 死霊術を使えば、こちらからは何も出資せずに「労働力」を提供できると。

 もちろん、禁呪とわかっている。迷いは、あった。

 しかし、継承争いに敗れ、「殿下」と呼ばれているが名ばかりで、実際には何もできていない今の状況を変えられる、と言われ。

 死霊術師の申し出に…つい、乗ってしまったのだった。

 勧められるまま、かつて王位を争った現国王に…ちょうどその頃国境近くで発見されたが、場所が微妙過ぎておいそれとは手を出しにくいミスリル鉱山の採掘を自分に任せてくれないか、と申し出た。そちらは何も出さなくていい、資金や労働力はこちらで調達すると…具体的な方法はうまくごまかして説明した。

 もちろん、宮廷内では反対意見が噴出したが。

 ―結局、「試しにやらせてみよう」という結論に達した。

 上手く行けば国力が(元手要らずで)上がり、駄目なら全て王弟の責任にすればよい、という計算がなされていたらしい。

 計画は実行され―今までは、全てが上手く行っていた。

 食糧を運びこむことも、鉱山の環境を整えることも全く必要なく、ただ精錬されたミスリルのみが続々と産出されていっただけ。

 当然、国内での王弟の評価はうなぎ登りだった。

 何かがおかしい、危険ではないか…そういう意見もあったが、積まれていく貴金属の前ではその声も小さい。

 このまま行けば、あるいは…などと、甘い考えに浸っていたのに。

 それが打ち砕かれ…王弟は、自らの評判を保ち、さらに上げるためにより過激な行動に出ようとしていた。

 「何とか、示威行動をしたいものだな」

 カイルアンに対してと言うより、イルデファーン国内に見せつけるため。

 「ここは一つ、軍の国境への展開を、進言してみるべきでは?」

 「しかし、まだ時期尚早なのでは…?」

 「もう、いいではありませんか。…いざとなったら、私が()()いたします故」

 「つまり…」

 死霊の軍勢を召喚し、戦争に使うと言う意味だと、王弟はその言葉を受け取った。

 死霊術師も、否定しない。

 「よし!宮廷で、進言しよう…これが上手く行けば、私の発言権も!」

 側近を呼び、あわただしく参内の準備をはじめる。それを、ひっそりと見やりながら…死霊術師の頬に、あるかなきかの笑みが浮かんでいた。


 結論から言うと、確かに何日か後、イルデファーンで極秘に御前会議が開かれた。

 その場で、カイルアンより密かに送られて来たあの「鉱山の映像」が上映され、大混乱に陥ったりしたが。

 ―が、さんざん論争し、紛糾を重ねた上での結論は…「カイルアン許すまじ」に、落ちついたのだった。

 数時間にわたる会議の中で、どこがどうしてそういう結論に達したかは伝わっていない(議事録は、後に何者かによって破棄されたと言う)。

 ―ただ言えるのは、大声で「あの反乱軍を叩きつぶせ」と主張する軍人たちに、論調が流されてしまったこと。

 かつ、王弟殿下が…最近とみに評価が上がり、国民の人気も高い王弟が、その意見に暗黙の支持、いや主導めいた見解を匂わせたことであった。

 意見はもちろん割れていたのだが、主戦論が勝ったのはそう言う訳だった。穏健派も負けじと論議を続けたが、保守的な有力貴族の中にはカイルアンを「国」としてどうしても認めたくない、と断じるものも多く。彼らの「一地方に戻すべき」とする意見に軍人が結びつき、過半数を占めた。―また、王弟が「援軍」を匂わす発言をして、それに拍車をかけたのだ。いや、その「援軍」が…ステラ姫が記録したあの映像を見ればどういう「もの」か見当がつきそうなものなのに、多数派はそれをあえて無視した。

 「何と言っても、殿下には鉱山の採掘を成功させた実績があられる」と言って。

 名ばかりの存在であったはずの王弟が、どこからともなく手勢をひねり出してミスリルを採掘したのだから、今回も「何とか」してくれるのではないか、そうした楽観論が多数を占めた(真実は握りつぶした)のが、実情だった。

 もちろん、最後まで抵抗する者もいたし、国王も難色を示したが。

 (…王弟殿下に功を奪われて、嫉妬なさっているのでは…?)

 などと噂され、強く出られなかったのだ。

 一番反対した財務大臣も、今までに採掘させたミスリルの金銭的価値を数字で示されると強いことも言えず、挙句に主戦論者の軍務大臣に武器をちらつかされると、黙りこむしかなかった。


 「―イルデファーンが軍勢を集結させていると!?」

 スパイ網から緊急連絡を受け、マーガレット女王が声を上げた。

 「馬鹿な…どう考えても、ここで選ぶべきは停戦でしょうに!?」

 その直後、大使館からも連絡が入り…女王は頭を抱えた。

 「こんな…こんな理由で、戦争にもつれ込むなんてことが…!」

 ごく内輪で意思決定をはかっているカイルアンでは、宮廷内の派閥争いが原因で他国と戦争、というのは考えられないが。

 「しかし…こうなっては、対応しない訳には行きません」

 女王の決断が下った。

 「国王陛下に連絡を。こちらも動かなくてはなりません!」


 イルデファーンの首都アイル、その中心をなす地域の広場などで。

 「反乱軍を討つべし!今なら勝てる!」

 そうアジっている者がいると思うと、その隣の広場では。

 「十年前の過ちを、繰り返してはいけない!」

 そう説いて和平交渉を求める人もいたりする。

 人々は演説に足を止めて聞き入ったり、野次ったりしていた。―その間をカイルアンが放ったスパイや、イルデファーン側の諜報員、果てはその他の国々から潜入したスパイなどが動き回り、大混乱中であった。


 イルデファーンの軍が集結し、カイルアンに侵攻すると言う決定がなされた―その報は速やかに(おそらく、イルデファーンの国民に伝わるより速く)カイルアン全土に伝えられ、日頃の訓練の賜物である、さらに速やかな軍の編成が行われた。

 「ただ…おかしいんです」

 流れるように進む準備の中、リオネルがステラ姫や桜起たちに説明した。

 「いかに、ミスリルで莫大な富を得て調子に乗っているからと言っても、いきなりこちらに侵攻、と言う結論に達するのは、段階を三つぐらいすっ飛ばしている…ようなものです」

 「…つまり?」

 哀れ、「主戦力の一人」としてカイルアン軍と共に出撃することを求められている桜起である。

 「また推論で申し訳ありませんが、イルデファーンは…今目に見える人間の軍隊の他に、『何か』を当てにしているのではないかと。だから、妙な自信と言うか、楽観しているのかもしれません」

 「…死霊術師の呼び出す不死者の軍勢、とかか」

 「恐らくは」

 「たとえは悪いが『神風』を期待するようなものかもな」

 ヒロ先輩の発言はえげつないが。

 「死霊術が禁呪とされたのは」

 ステラ姫が声を上げた。

 「一つには、こんな…軍隊、戦力ってものの考え方を、根底から突き崩しかねない技術だったからなんだ。普通、軍隊を編成して、戦争をするには…人を集めて、食べさせて、衣服も着させて寝る所も確保して…それなりの労力が必要よね。その国がちゃんと豊かになっているかが重要なはず」

 「―そうか。それが、もちろんレベルが高くなきゃ駄目にしても、たった一人の死霊術師が呪文を唱えて、死霊の軍勢を召喚できれば」

 「食糧も、何も要らないし」

 「それが普通になされたら…各国のパワーバランスは、崩壊するわ」

 元手も要らず、強力な死霊術師を雇えばそれだけで戦争に勝てる…各国が実力のある死霊術師を奪い合い、相争う世界。豊かな国であるか、人々が幸せに暮らせるかなどは関係なく、優れた術師を押さえられるかで全てが決まる…そんな、世界になるのかもしれなかった。

 「僕たちの世界における、核兵器や生物兵器みたいなものか」

 「危険過ぎて、禁じられたの」

 「もちろん正しい生死の流れに反する、とされたこともありますけどね」

 「とても、認める訳には…いかないよ。あいつらのやり方が正しい、有効だと他の国々にも考えて欲しくない、わたしは」

 「そうだよな。いろんな意味で、死霊術師ってのは…止めなきゃいけない。怖いけど、俺も…できることを、するよ」

 勝てる保証なんて、どこにもなかったけど。

 それでも…様々な理由で、このまま「負けを認める」訳には、いかないのが現実だった。

 「嫌だけど、怖いけど…一緒に行くよ、俺は」


 今、動員できる限りの人数(首都などを守る最低限の部隊は除く)を組織し終え、王宮にてささやかな結団式が執り行われたのは、そんな会話がなされた翌日だった。

 すでに、イルデファーンの軍勢は国境に近づきつつあり、明後日には越えてくるかもしれないと報告が入っている。―国境を越えたあたりにある平原で(奇しくも、十年前に独立成功を決定した大会戦が行われた戦場だと言う)、迎え撃つ算段になっていた。

 夕方、自室に引き上げた桜起たち三人は、離れがたくて一室に集まっていた。

 「何とか避けようとみんなでがんばってきたのに…結局、戦争なんだね」

 ベッドに腰かけて、陽奈美が小さく呟いた。

 「気持ちはわかるが…今ここで出撃する以外に、僕たちが生きのびる有効な手がないんだ。このまま向こうの侵攻を許していたら、最後には…あの、訓練を受けていた小さな子どもたちまでが本当に戦わないといけなくなるかもしれない」

 カイルアンが絶対「正しい」とは言えないし、このままこの国が生きのびて…他の国を侵略したりする可能性もあるのだが。

 「明治維新とかすごいとは思うけど、行きつく先が…結局悲惨極まりない戦争だったしなあ」

 どんなに理想に燃えてはじめたことでも、しだいに傍迷惑な道に進んでいくこともあるのだ…ヒロ先輩もそれはわかっているが。

 「それでも、今僕たちが生きのびるためには」

 「それは、わかってるけど…でも、本当にそれでいいのかな、って」

 「陽奈美ちゃん…」

 平和な社会で生きてきた者には、当然の反応ではあったが。

 「わかってる、けどね。ここは日本じゃないし、あたしたちの世界でもない…まだ、全てを話し合いで解決できる時代になっていないんだろう、ってことは」

 元の世界の「現代」も、さんざん戦ってきた果てにやっと話し合いで解決した方がいいんじゃないか、と全世界で言われるようになったのだから。…上手く行かない場合も多いが。

 「それでも桜起を戦わせたくない、か」

 「うん」

 はっきりとうなずく。

 「陽奈美ちゃんは…残っても、いいんだよ?」

 彼女が辛そうなのが、桜起には一番辛い。

 「ううん。一緒に行く…残ったからって何も変わらないし。どこにいたって辛いもん」

 首を振って、意志のこもった目で陽奈美は二人を見た。

 「わかった…でも、本陣にいてくれよ。ヒロ先輩も…俺が、守るから。二人とも」

 カイルアンという国を守る、と言う目的では戦える自信がなかったが…この二人を守るためなら、何とかできる気がした。

 「―オーキ、お前に戦ってくれと言うのは、さすがに心苦しいが」

 また何の前触れもなく、亡霊たちが現れた。

 「がんばってみる、よ」

 「人を殺せとは言わん。―だが、その新月刀の力は…確かに、向こうには脅威となりうるんだ」

 「う、うん。わかってるよ」

 「みなさんも、おそらく陰から王さまたちを援護するんでしょうね」

 「わかるか、ヒロ」

 「…大体は」

 「その通りだ。この命は、()()()に捧げたものだ。今さら惜しむものではない。全てを賭けて、守る」

 五人がうなずいた時。

 「ヒナミ、こっちの部屋に来てるの?」

 よりにもよって、ステラ姫がノックもなしに入ってきた。

 「「「わーっ!」」

 「あ、あなたたち…!?」

 ステラ姫の目がまん丸に見開かれた。

 まずいことに五人とも、あの黒ずくめはそのままで素顔をさらしている。つまり、「あの黒ずくめ=この五人」だということが丸わかり、ということだ。

 「コリン、おじさん!?それに、他の人たちも…!」

 間違いなくばっちり伝わっていた。

 もちろんステラ姫も、王宮の演習場で黒ずくめ黒覆面の五人が新兵の指導をしているのも、ドSが過ぎて恨まれまくっているのも知っている。しかし、その五人が…幼い頃に遊んでもらったりしていた両親の盟友たちであるとは思ってもみなかった。

 「おじさんたちが、あの…訓練の指導をしてたの…」

 「ステラ…姫。お前には、ばらすつもりはなかった」

 「生きてたの…って、父上は知ってるの!?母上は?」

 「…女王()、知っている」

 「―父上は、気づいてないんだ…ね」

 さすがに、一流の魔術師は頭が切れる。その一言で察していた。

 「頼む。このことは、あいつには言わないでくれ」

 「でも、父上は!」

 「…これは、あいつのためなんだ」

 「おじさん!?」

 「わかってくれ。女王も…マーガレットも納得している。夫であるあいつにすら告げずに己を律している。それも、この国のことを案じてのことなんだ。その思いを、無駄にしないでくれ」

 血を吐くような言葉だったが、ステラ姫も譲らない。

 「父上が、生き残ってしまったことを、どれだけ悔いているか。コリンおじさんたちがいないことを、どれほど悲しんでいるか。…どれほど、あなたたちに会いたがっているか…!」

 「わかっていて、言っているんだ」

 お互いに、心からの言葉をぶつけ合って。

 「…わかった。わたしからは、言わない」

 ついに王女は折れた。

 「助かる。―お前たちが憎くて、言っているんじゃないんだ」

 亡霊の笑み…透明な、笑顔だった。

 「ステラ…こうして言葉を交わすのは、十年ぶりだな。あの頃のお前は、本当に小さかった…大きくなったな、嬉しいよ」

 亡霊コリンの目が、優しくなった。おそらく、ずっと言いたかった言葉なのだろう。

 「…おじさん…!」

 ステラ姫の瞳に、涙が一杯溜まっていた。


 ものすごくいろいろなことがあった日な気もするが、明日のために少しでも休まないと…と、ステラ姫も亡霊たちも去り、桜起たちもそれぞれの部屋に戻った(と言っても男二人の部屋に集まっていたので、動いたのは陽奈美だけだが)。

 夜になっても。

 「もうすぐ…全てが、決まる」

 どうしても寝つかれなかった陽奈美は、自室のバルコニーで夜空を見上げていた。

 さすがに、これからのことを考えると落ちつかない…いくら自分は後ろから見ているしかできないにしても。…()も、関わるのだし。

 ”眠れぬか?嬢ちゃん”

 「…!」

 また…胸元の指輪、その宝石が…燃えるような輝きを放ちはじめた。

 「また!?」

 もちろん陽奈美だって、もうこの状態で指輪を見つめたら…どうなるかはわかっている。覗きこまないように…何とか放り出そうとした、けれど。

 「だ…駄目…っ」

 そこはやはり…腐ってもドラゴン、その魅了の力と言うべきか。…一度その輝きを見てしまってはどうにも抗えず、結局目は宝石に…その向こうの黄金の瞳に吸い寄せられ、完全に魅入られて見つめ続けることになってしまった。

 ”やれやれ。相変わらず素直になれんようじゃの”

 「はい…」

 この瞳の前では、一切のごまかしは効かなかった。逆らえない彼女は、素直に肯定するしかない。

 ”まあ、わからんでもない。あの赤毛の男は、どう見てもお主にべた惚れだからの。もてあそびたくなるのもわかるが…もうそろそろ、素直になってもいいのではないかの?心を澄まして、お主の本当の思いを、言うてみよ”

 「あ…」

 また、雑念も反発心も…蒸発するかのように、消えていく。心が澄み渡り…否応なしに「真実」と向き合わざるを得なくなった。

 ”さあ、ちゃんと口に出してみよ”

 「あ…たし…」

 いつもの…いつもの彼女なら、恥ずかしいし…言ってしまうと、立場が「上」でいられなくなるなどとつい考えてしまう、その「本当の思い」を。

 「…あたしは…桜起くんが、好き…」

 声が震え…涙が、こぼれた。

 「…たぶん、昔から…今も、ずっと好きなの」

 いつから気になって仕方なくなったのか思い出せないが、思い出せないほど昔から、ずっと心に思う、「一番大切な人」だった。

 ”それを、あやつの前でちゃんと、言えば良いのにな”

 「う…」

 彼を、前にすると…どうしても、その言葉が口に出せず。結局、向こうが必死でアプローチしているのに、からかって…逃げてしまうのだった。

 ”困った気性じゃのう…いっそ、手助けしてやろうか?今の、儂の言葉に決して逆らえないお主に、どうしてもあやつの部屋に忍んで行かずにはいられないように、命じてやるとか”

 「~っ!」

 反発する思いが、浮かばないはずなのに…陽奈美の頬に、かっと血が昇った。

 ”冗談じゃよ。いくら何でも『はじめて』がそれでは、お主が可哀想過ぎる。『はじめて』ぐらい、自分の意志で行動せんとな”

 「…」

 人を呪縛しておいて、言いたい放題のドラゴンである。

 ”まあ、素直になれ、としか言えんがの、儂は。にしても…そろそろ、言うてもいいのではないかの?”

 「…元の世界に、帰れたら…」

 その時に、言いたい…異世界に連れて来られて、冒険して…彼のがんばる姿も見てきた今は、そう思っている。

 ”そうか。そう決めているなら、今すぐにとは言わん。無事、帰れるといいな”

 「…はい」

 ”今は、眠れ。嬢ちゃん…これからに備えて、しっかり眠っておけ。夢も見ない深い眠りなら、贈ってやれる…眠りなさい、ヒナミ”

 「…はい…」

 うつろな瞳のまま、彼女は自室に戻り…ふらふらと着替えて、ベッドに倒れこんだ。


 次の日、出陣する一同は、玉座の間に集合していた。

 「陽奈美、よく眠れたかい?けっこう遅くまで、ドアが開く音とかがしてたけど」

 「うん、大丈夫だよヒロ先輩…しっかり眠れたから。今すごく、すっきりしてる」

 胸元を押さえ、彼女はにっこり笑った。

 「度胸あるなあ。俺、よく眠れなかった気がする」

 「ま、まあアイドルやってるしね。本番慣れ」

 桜起の方を見ると、彼女は何か思い出すことがあるらしく、少し動揺して目を逸らしてしまう。頬が、少し赤くなっていた。

 「出発だ。数日中に、全てが決まる…みんな、心しておけ。…生きのびるぞ、全員」

 国王が一同を見回し、声をかけた。

 「「「はい!」」」

 生きのびるために、桜起たちは故郷に帰るために…力を尽くさなければ、ならなかった。


   第八章 いいとこなしの大団円


 行軍がはじまった。

 「へ、陛下…すごいですね、その…大剣」

 「ああ。…使わぬだろうし、使わぬに越したことはないのだが…やはり戦場に赴くとなると、手元に置いておきたくてな」

 笑うウィルフレッド王の騎馬姿の脇には、あの大剣を運ぶためだけの馬がつき従っている。一応刀身は覆われているのだが、それも「鞘」と表現するより蝶番のついたカバーと言うべき代物だった。

 列をなす軍勢の中には、マーガレット女王の乗る馬車などの姿もある。ステラ姫たちもそれぞれに軍の中に配されていた。

 

 カイルアン軍に強みがあるとしたら、この大国にはない機動力にこそだろう。国が小さく、進まねばならない距離が圧倒的に少ないのもあるが…その日の夕方には、全軍が国境近くの平原を見渡せる場所まで進んでいた。

 「ここが、ゴルド平原…ですか」

 カイルアンが内陸国である関係上、ここも広いことは広いが山々に囲まれた盆地である。ほぼ中央を、カイルアンの首都から流れてきている川が流れていた。あそこでは普通の川だが、ここまで来ると支流を集めてかなり大きい。盆地の周囲には、その川に流れ込む川が刻んだ谷がいくつもあった。

 「十年前の大会戦では…あの谷の一つを独立軍の別働隊が密かに進み、イルデファーン軍の側面を衝いたのだ。そのおかげで彼らは総崩れになり、我々はかろうじて勝利した。…ただ、その別働隊は…全滅しているがな」

 ウィルフレッド王は、平原を見下ろして桜起たちに説明した。

 (その中に、あの…今、亡霊と名乗っている五人がいたんだ)

 王は、彼らが生きのびていることを知らない。その口調には限りない哀惜の色があった。

 「さあ、進まねば。夜が訪れる前に、軍を平原に配置しなければならん」

 「―見てください。イルデファーン軍も、到着したようです」

 リオネルが指差した。反対側の斜面を、黒雲のような人の塊が降っていくのが見える。

 「ねえねえ、ディアナ」

 ステラ姫とディアナも桜起たちと今は一緒だった。まだ余裕でお喋りしている。

 「こういう状況だから、イルデファーンの陣には王弟殿下もきっといるわね。…どうなの?現国王の弟だから『王弟殿下』って呼ばれてるけど、厳密に言えばあの方も『王子さま』よ、一応」

 ディアナの乙女チックな夢をからかっているらしい。ディアナがぷーっとふくれた。

 「よしてくださいよう。『素敵な王子さまと結ばれたい』とは確かに言いましたが、聞く所ではあの方はわたくしの倍以上の御年齢ですしっ。いくら何でも年上過ぎます…それに、わたくしといたしましては、『王子さま』は『王子さま』でも、できれば初婚の方と結ばれたいですわ」

 「え、その人って結婚歴ある(バツイチな)んだ」

 「ええ、何でも王位をもう得られないと判明したら、名門貴族であったお妃さまの親御さんがあっさり娘を連れ戻した、と」

 「シビアだなー、上流社会」

 まあ、この場でこんな会話ができるあたりかなり呑気だが。王が声を張った。

 「お互いに、日のあるうちに布陣し…明日の朝をもって、全面衝突になると見た。―もちろん夜襲には万全の構えを取るが、向こうもそれは同じだ。お互い暗闇での大軍勢の削り合いは危険が大きすぎるとわかっている…おそらくは、明日だ。そのつもりで布陣せよ」

 「「「はい!」」」


 日が没するまでに、双方の軍は布陣を完了した。カイルアン軍の本陣に設けられた天幕では、最後の軍議が開かれている。

 「こちらの方が絶対的に少数ですから…全軍を一気にぶつけ、イルデファーンの進軍を食い止めるにはこの平原で戦うしかありません」

 折り畳み式のテーブルに広げられた地図を見ながら、ここでは軍師役まで兼ねさせられているらしい(有能だと苦労が多いのである)リオネルが口火を切った。

 「戦場になりやすい場所、ってことか」

 ヒロ先輩の脳裏に浮かんでいるのが何かはさておくとして。

 「で、物見によると明らかにイルデファーン軍は数に劣る我々を包みこみ、すり潰すつもりで軍を敷いています。数を生かすにはその方が得策ですから。…それに対して我々は、一本の槍となって向こうの軍の中心を突き破る、この作戦しかないと僕は考えています。最大戦力でイルデファーン軍を二つに切り裂き、崩壊させる…勝てるとしたら、それしか」

 「鶴翼の陣に対して魚鱗の陣、といったところか。まあ『車懸かりの陣』はさすがに嘘だと言うからなあ」

 ヒロ先輩、それは確かに「嘘」だと筆者としても思うぞ。

 「いずれにしても、ここで食い止めねばならん。小さな国だ、ここで止められなければ一気に全土を蹂躙されてしまう」

 「でも、全面的な削り合いにはしたくないですし、向こうも望まないでしょう。双方の国力が大幅に削られれば、他の国がその隙をついて漁夫の利、がありますから」

 「よし。そのつもりで…」

 そう言いかけた時、ウィルフレッド王があらためて布陣図を覗きこんで首をひねった。

 「リオネル。…この、イルデファーン側の配置されている人数は、正確なものか?」

 「は、はい。…物見の報告にのっとった、最新版ですが」

 「そうか…」

 王はまだ考えているようだったが、いずれにしても確証はないらしい。首を振って軍議の終了を告げた。


 一方、イルデファーン軍でも、本陣には天幕が張られていた。しかし、カイルアンよりも大軍で命令系統も複雑なため、国王の天幕、直接指揮を執る将軍(軍務大臣も兼ねている)の天幕、王弟のそれ…と、なかなかに数が多かったりしていた。

 その一つ、将軍の天幕で。

 「…今度こそ、あの反乱軍どもに勝てますよね、将軍閣下?」

 将軍付きの従僕が(当然ながら、なかなかの名門貴族の出である)、目を輝かせて問いかけていた。

 「今度は大丈夫ですよね。…王弟殿下も、あの…よくわかりませんが、すごい力で加勢してくださると言っておられるそうですし!あいつらに、勝てますよね?」

 「王弟殿下…?」

 将軍の目がぎらりと光った。

 「!?」

 明らかな怒りを感じ取り…従僕の少年は、先日この役割が自分に回ってきた…先の従僕が更迭されたばかりであることを、思い出した。

 「し、失礼なことを申し上げました!」

 思わず這いつくばる少年に、将軍は声を浴びせる。

 「殿下には…この戦で、手柄を挙げさせる訳には、いかんのだ…!」

 「しょ、将軍閣下!?」

 「…殿下に一人勝ちなど、させるものか」

 凄絶な笑みを浮かべ、続ける。

 「最大の戦果は、そんな訳のわからぬ『加勢』ではなく、イルデファーン正規軍、我々のものでなくてはならんのだ」

 従僕の少年は、あの御前会議に出てはいないので王弟が出せる「加勢」がどんなものであるかを知らない。

 しかし、軍務大臣も兼ねている将軍は「あの」映像を見ていた。

 ―だが、彼はその事は―王弟どころかイルデファーンそのものの名誉をも失墜させかねない事柄は―握りつぶし、ただ不倶戴天の敵と見なしている王弟と、カイルアン(ただし、彼の見方ではあくまでも『反乱軍』)に対する憎しみのみで行動していた。

 「我が、正規軍の手柄にしなくてはならん!」

 「まさか!?」

 「そうだ」

 ぎらぎらと目を輝かせ、彼は従僕にも秘していた重要機密を口走る。

 「密かに、精鋭部隊が谷間の一つを進軍している。…十年前の屈辱を、倍にしてあの反乱軍に、『大剣の戦鬼』に返してやるのよ!」

 かつて剣を交えた、今はカイルアンの「王」になっている男に対して、更には国内での敵である王弟に対して…双方に、一気に完全なる勝利を収めると言う計画に、酔っていた。


 その間も、双方の軍勢の間の行き来が、なかった訳ではない。

 交渉が決裂し、戦争にまで至った間柄でも、最後まで何らかの情報交換はあるものだ。

 そんな中で。

 「駄目でした…女王陛下」

 夜半、イルデファーン軍の陣地から、カイルアンが派遣していた大使がほうほうの体で逃げ帰ってきた。今の今まで、停戦の道を探っていたのだ。

 「力及ばず、申し訳ありません」

 「わかりました。…尽力してくれたことは知っています。今は休んでいてください」

 女王は微笑んだ。

 「おそらく、すぐにあなた方の活躍する時が来ますよ」


 大使が去り、天幕に一人残った女王に。

 「―明日は任せてくれ」

 気配もなく、ただ声だけが届いた。

 「…頼みます」

 マーガレット女王の瞳が、揺れていた。…かつて共に語り合い、共に奔走し…おそらくはその他にもさまざまな「思い」があった、かつての友に対して。

 「わかっている」

 今は、ただ…「大人」の、律せられた感情の交流が、そこにはあった。

 「お願い、します」


 カイルアン軍は、夜が明けきらぬ前にさらに布陣を整えた。

 三角形を成す軍勢の中ほどに、本陣…ウィルフレッド王と近衛部隊が位置する。

 「十年前は、私が先頭に立って敵をなぎ払ったものだが」

 「状況が違います!陛下は、今は守られなければなりません!」

 その後ろには、一段高い輿に乗ったステラ姫がいる。

 「姫さまは最大火力ですからな。射線が通りませんと」

 「ここから炎魔法をどかどか撃てばいいのね?わかった」

 ほとんど移動砲台扱いである。そのまわりには、同じく魔法攻撃を得意とする面々が配置されていた。そこに、守られるように陽奈美とヒロ先輩もいる。

 で…三角形の頂点、先頭には。

 「わかってる!ここにいないといけないことは、わかってるけど…!」

 先頭も先頭、目の前に(距離はあるが)敵軍を見ながら立つ桜起は、正直逃げ出したかった。

 「仕方ありませんよ…ステラ姫と並ぶ最大戦力はオーキ、あなたです」

 愛用のクロスボウを手にしたリオネルが慰める。彼はもちろん神速の射手としてここにいる理由はあるが、主に桜起と一番親しく、嫌がる彼を説得できる人材としてここに配置されていた。

 『済まない、僕たちは後ろで…でも、本当に頼んだぞ、桜起』

 通信魔法のこもった腕輪を通じて、ヒロ先輩が声をかけた。

 『あたしたちのことは心配しないで、がんばって』

 ステラ姫の側近く、一番守りが堅い場所なら大丈夫だろう。

 「うん、ちゃんとがんばるから、俺」

 桜起はあの、呪いの新月刀に手をやり、向かい合う軍勢を見つめた。


 戦いの開始を告げる合図は、双方が吹き鳴らす喨々とした喇叭(ラッパ)の音だった。

 双方、進軍をはじめようとする…その、前に。

 「やるしか…ない、よな!」

 覚悟を決めた桜起は、刀を抜き放った。構え、力を込める。

 光の刀身が、伸びた。伸びて…イルデファーン軍の兵士、その鼻先ぎりぎりに達する。

 「「「うわあっ!」」」

 「…やはり、ぎりぎり届かせませんでしたか…わかってましたが」

 「ごめん。やっぱ、どうしてもそういう気になれんかった…」

 平和ボケと言われても、憎くもない人間を傷つけるのは、やはりためらいがある。

 「いいんです。効果は出ています」

 その通り、光の刀身を…大地までその下で裂けているのを目の当たりにした兵士たちは、思わず隊列を乱していた。上官の叱咤も聞かずに逃げ出そうとする者もいて、中心部に裂け目ができつつある。

 「今だ!あの裂け目に向けて突っこめ!」

 戦場にウィルフレッド王の下知が響き渡り、イルデファーン軍の中心を引き裂くべく、カイルアン軍の猛突進がはじまった。


 一点突破を狙い、カイルアン軍が一丸となって突き進む。

 「…かかった…!」

 イルデファーン軍の本陣で、報告を受けた将軍がにやりと笑った。

 魔法通信兵を呼んで命じる。

 「別働隊に知らせよ!今、カイルアン軍の横腹はがら空きぞ!」


 平原を囲む谷間の一つを、将軍が放った別働隊が移動していた。進軍の物音を魔法でできるだけ消し、気取られないように進む。

 目指すのは…カイルアン軍の側面、本陣のある場所。


 「いかん!」

 声を上げたのは。

 「このままでは…十年前にこちらが仕掛けたことを、イルデファーンにやり返されるぞ!」

 「陛下!?」

 他の誰も気づいていないのに…ウィルフレッド王の歴戦の勘が、危険を告げていた。

 「皆、聞け!かすかだが、側面から軍が移動する物音がするぞ。妙に配置された人数が少ないとは思ったが…やはり、伏兵がいる。私が防いでいる間に、進軍して先頭に追いつけ!」

 言いながら、大剣を持って来させてカバーを外す。切れ味は全く期待できないが、相手を粉砕する無骨な刃が現れた。

 「久しぶりだな…!」

 巨大な剣を自在に振り回し、凄絶に笑む。

 「いいな。分断させるな!」

 「…陛下!あなたを守らずして、我々は何を…!」

 「いや、私がここで食い止めた方が、全員が生きのびる目がある。―まだ、私がこの中で最強なのでな」

 「陛下!?」

 それ以上何も言わせず、国王は進み出て―まさに今、襲いかかってくる別働隊に相対した。


 とても人には扱えないような大剣を振りかざすウィルフレッド王に、さすがの精鋭部隊も怯んだ。

 「あれが、音に聞く…『大剣の戦鬼』…!」

 十年前、ただ一人で大軍をなぎ払った伝説は、いまだに鳴り響いていた。

 「ええい、怯むな!反乱軍の頭目だぞ!討てば恩賞は思いのままぞ!」

 指揮官が叫び、気を取り直した兵士たちが王を押し包もうとする。

 「できれば、もう…殺したくは、ないがな…!」

 大剣が振るわれる度に、兵士たちは後ずさりしたが…それでも必死に数で押してくる。いくら剣を振るっても…じりじりと追いつめられていった。

 「ここまでか…!」

 ついに、地面に膝をつかされた。


 「「ああ…」」

 亡霊たちは、少し離れた高台からそれを見ていた。

 軍を逃がすために、国王がイルデファーン軍の前に立ちふさがり、ついに膝をつくさまを。

 「あの別働隊に、気づけていれば!」

 「見ろ!」

 大剣が、手から落ちた。

 「「…ウィル!」」

 亡霊たちの喉から、呻きが洩れる。

 「―みんな」

 亡霊コリンが、ふっと笑った。

 「もう、いい…頃合い、かもな」

 「「「ああ」」」

 笑い合う。

 「行こう!」

 全員、うなずいて…飛び出した。王の―友の元へ。

 「「「ウィルーっ!」」」


 身体に、また新しい傷が刻まれ。

 ウィルフレッド王は、地面に倒れこんでいた。

 それを見たカイルアン軍は体勢を立て直し、戻ろうとしているが間に合いそうにない。

 さすがにこのままでは、押し包まれて斬り刻まれる…彼は、覚悟していた。

 そこに―

 黒ずくめの服装の男たちが駆け寄り、それぞれの武器を手にイルデファーン兵をなぎ倒す。

 「何だ、こいつら…!?」

 たった、五人…と、イルデファーンの兵士たちは思ったが。

 「つ、強い!?」

 五人が五人とも、一般兵では太刀打ちできない圧倒的な実力を持っていた。国王一人でも持て余していたのに…しだいに追い払われ、じりじりと退かされていく。

 「―陛下!」

 そこに、カイルアン軍が駆けつけてくる物音が響いてきた。


 「ウィル!」

 「う…」

 倒れた、ウィルフレッド王を。

 「大丈夫か!しっかりしろっ」

 腕が触れた。支えてくれた。 

 知っている、懐かしい腕が。

 「お前たち…!」

 「一人で立てるな?もう大丈夫だ、後は任せたぞ」

 笑みを残して…次々と、気配が去っていく。

 「みんな…っ」

 じわじわと。

 王の顔に…理解と歓喜の色が、にじみ出た。


 「陛下!陛下…!」

 やっとカイルアン軍が駆けつけて来て、王を囲んだ。

 「ご無事で…!」

 涙ぐむ人々に、新たな自信に充ち溢れた王の指示が飛んだ。

 「ああ、大丈夫だ。このまま進軍するぞ!何としても中央突破を成し遂げるのだ!」

 「「はっ!」」


 そんなことがあったとは、先鋒を成す桜起たちには伝わっていなかった。

 「な、何か…一度勢いがつくと止められないんだなあ」

 桜起は呆然と呟いていたりする。

 「これが、戦争の流れ…と言うものです」

 知らぬことではあったが、イルデファーン軍…特に将軍率いる正規軍としては、別働隊が側面を衝くことを想定して作戦を立てていたことは否めなかった。別働隊が、国王(+亡霊たち)に防がれてしまい、見込みが狂ったことでカイルアン軍の中央突破を止めきれなかったのだ。イルデファーン軍は、今や真っ二つに切り裂かれようとしていた。

 「それに…オーキ、あなたの力でもあるんですよ」

 最初に見せつけた、新月刀の力…実際には引き裂いたのは大地だけだったが、それを見た者たちは()()が何時また振るわれるか、と怖れ…桜起が近づくだけで、逃げ出しはしないにしても怯んで隊列を乱す一因にはなっていた。そこをカイルアン軍が一点集中して突破をかけているのである。

 「このまま、突破しきればそれでいいんです。かたちだけでも国境を越え、イルデファーン本国に攻めこむように見せつければ」

 「見せつける?」

 「いつでも奥深くに侵攻できる、と見せつけるんです。もちろん実際にそんなことをしたら、補給路が伸び切って叩きつぶされますが…かたちを見せるだけですから。―その上で、今度こそ停戦交渉に持ちこみます」

 リオネルは力強く言い、クロスボウを構えて叫んだ。

 「もう少しだ!一本の槍となれ!」


 「防がれたと!?」

 急報を受けたイルデファーン軍将軍が思わず声を上げた。

 「は、あの王…い、いえ、反乱軍頭目に気取られ、防がれてしまい…」

 「おのれ、おのれ…あの、戦鬼…!」

 かつて刃を交えた敵を罵る将軍だったが。そこに、さらに伝令が飛びこんできた。

 「我が軍の中心部が、崩壊しつつあります!このままではここ、本陣もいずれ…!」

 「おのれ…!」

 彼は頭をかきむしったが、正直別働隊に賭けていた…その作戦が崩れたのは、あまりに想定外だった。他に状況打開の手はないかと必死に頭を巡らせるが…今、自分に打てる手はなかった(憎んでいる二人に同時に勝てる、という思いに酔っていたのを今さらながら認めざるを得ない)。

 「く…こうなったら!王、王弟殿下に伝えよ!力を貸せと…せめて国王陛下だけでもお守りする力になってください、とな!」

 実に…実に悔しげに、伝令を走らせる。

 「将軍閣下…っ」

 従僕が声をかけると。

 「…これで、全責任を、殿下に押しつけるぞ…!」

 (くら)い炎を…この男は、双眸にたぎらせていた。


 「…将軍が…援軍を求めてきたと!?」

 伝令を迎えて、王弟の天幕でも声が上がっていた。

 「あの、男が…私に、頭を下げてきた…!」

 かつての王位争いで、現国王を担いでいたその張本人が…と、しばし勝利感に浸る。

 「…しかし、どうしたものかの、これは」

 喜びに浸り続けている訳にも行かず、我に返るが。

 「…援軍を出すか?それとも…」

 あるいは。

 (このまま、イルデファーン軍を、見捨てるか…?)

 口には出さず、考えた。

 そうすれば、軍はもはや使い物にならなくなるが…イルデファーン上層部は崩壊し、その()に。

 (私が…取って代わることが、できる…!)

 考え…王弟は、心を決めた。

 「―カロネウスよ」

 天幕の隅に、ひっそりと立つ男、死霊術師に呼びかける。

 「援軍は…出さぬぞ」

 「御意」

 男は、一片の表情の揺らぎも見せずに応える。王弟は伝令に向き直った。

 「将軍閣下に…国王陛下にも知らせよ。―各々で何とかなされよ、とな」

 「…殿下!」

 「行け」

 思わず身分差も忘れて声を上げる伝令を黙らせ、走らせた。


 「これで…良い、な」

 「―御意」

 伝令が去り、天幕には王弟と死霊術師が残された。

 「我が軍が、崩壊しても…」

 他の誰にも聞かれていない、と確信して、王弟はくつくつと笑い声を上げる。

 「いくらでも…軍勢は、呼び出せるのだからな!」

 「御意」

 「…カロネウス?」

 その時。

 死霊術師の頬に…王弟もはじめて見る、かすかな笑みが浮かんでいた。

 「我が死霊術によって、いくらでも死者の軍勢は召喚できます。この世がはじまってから、恨みを呑んで死んでいった者は数知れず…尽きることは、ないのですからな!」

 もはや、王弟のことなど…彼の目には入っていなかった。恍惚と語る。

 「無限の軍を率いて…この地に、覇を唱えるのです。カイルアン?そんなちっぽけなものに興味はない。イルデファーン?そのぐらいでは収まらない。軍を率い、全てを呑み尽くすのだ。…それでこそ、禁呪とされ、迫害され…滅ぶ寸前だった我が死霊術の力を、全ての人が思い知ると言うもの!」

 「ま、待て!私は…私はどうなる!」

 とうとうと語る死霊術師に、圧倒されていた王弟が叫んだ。

 「…ああ、王弟殿下…あなたは、ただ生きていてくれればそれで良いのですよ」

 やっとその存在を「思い出した」カロネウスは、王弟を一瞥した。

 「さすがに、担ぐ王がいないと、生きている国民を納得させることはできませんのでね。ただ生きて、王として君臨していただければ…他は、かまいません」

 路傍の石ころでも見るような目で、言い放った。

 「な…!」

 ここに及んで、ついに(遅すぎるが)王弟は自分に近づいてきたこの男の目的に気づいた。

 「王弟殿下」と呼ばれ、持ち上げられて、いい気になっていたのに。

 ただ利用されていただけと知って…彼は、真っ赤になった。

 「誰ぞある!この者を、即刻ひっ捕えて首をはねよ!」

 怒りのままに命じた。聞きつけた部下の兵士たちが駆けつけてくる。

 しかし。

 「…!」

 死霊術師のまわりに、ぶわっと半透明の死霊たちが現れ…兵士たちに襲いかかった。

 あっという間に生気を吸い尽くされ、兵士たちはばたばたと倒れていった。

 「殿下は、私の言うことを聞いていればいいのですよ。悪いようにはしない…少なくとも生きのびることはできます。上手く行けば、国王陛下ですしね」

 「わ…私を、何だと…思っている…!」

 死霊術師に、誤算があったとすれば―

 この男の、肥大化しきったプライドを、甘く見ていたことだろう。

 「おのれ…!」

 瞬時に燃え上がった憤怒のままに…王弟は、突進した。全く予想の外だったらしく反応できない死霊術師の脇腹に、抜き放った黄金造りの短剣が深々と突き立つ。―彼の顔に、はじめて激しい驚きの感情が浮かんだ。

 「き…貴様の、思い通りに、など…させるものか…!」

 「やって、くれましたな…そんな度胸などないと、思っておりましたが」

 術師の手が伸びた。―生気を吸い尽くされた王弟が、倒れる。

 しかし…死霊術師の腹部からは、大量の血があふれ出ていた。神官の癒しの奇跡でもなければ、助からない。

 もちろん、彼を癒す神官など、いるはずもなかった。

 「く…こんなことなら、自らも不死者と化す秘法を、使っておけば良かったか…っ」

 死者を召喚し、生者の生気は奪えても…生きている自らの傷を癒す術はない。血は流れ続け…男は、膝をついた。

 「おのれ…ただでは、死なぬ…!」

 もはや彼の中にあるのは―王弟や、イルデファーンやカイルアンなどに対してのものですらない―この世の、自らを認めない全ての生きとし生ける者への、怒りと憎しみだけだった。

 「全て…全て、滅びよ!」

 最後の力を、振り絞って…呼べる限りの死者の軍勢を、召喚する。

 命じたのは、目の前にいる全てを破壊し尽くし、呑み尽くすこと。

 自分の命が尽きても、動きを止めないように彼らを厳重に呪縛した。

 「…これで…世に、死霊術の力を、証明…!」

 凄絶な笑みを浮かべ、こと切れる。


 ―天幕をぶち破って…死者の大群が、あふれ出た。

 目的のない、大河のように…全てを呑みこみながら、ひたすら移動していく。


 「―見て!あれ、どうなってるの…?」

 一段高い輿の上で、ステラ姫が真っ先に異変に気づいた。声を上げて指差す。

 「…え?」

 敵軍の…イルデファーン軍の動きが、明らかにおかしかった。さっきまで、引き裂かれつつも一応は統制のとれた動きをしていたのに、その統制が乱れ…四分五裂した、ただ逃げまどう人の群れと化している。もはや、こちらの軍勢のことなど視界に入っていないようだった。

 「あ、あれは…!」

 ついに、カイルアンの者たちにも、()()が…イルデファーンの人々が逃げまどう原因が、見えてきた。まだ遠いが、さすがに全軍に緊張が走る。

 骨の手にぼろぼろの剣を構えた骸骨、腐りかけた身体を引きずる動く死体、マントの下に目だけを輝かせる幽霊…その者たちが、ゆっくりと平原を移動しているのだ。

 「あれが、死霊術師が召喚した軍勢…なのか」

 「でも、おかしいよ。イルデファーン軍まで逃げまどってる!」

 「何か…裏切りか何かが、あったのかもな」

 真相からそう遠くない推論だったが、そうであっても何も変わらない。

 しかも。

 「…いかん!」

 ウィルフレッド王が声を上げた。

 「あの、軍勢が…向かう、方向は!」

 「え!?」

 確かに。

 「このまま、まっすぐ進んだら…カイルアンの、首都が…!」

 死霊術師がそう命じた訳ではないだろうが、事実として死者の軍勢が、川のように移動していく方向は…カイルアンの、一番人口が集まっている地に向かっていた。

 「あのまま行かせる訳にはいかん!」

 「任せて!」

 ステラ姫が叫び、炎魔法を何発も放った。軍勢の中に叩きこみ、その度に物言わぬ死者たちが吹き飛ばされていく。まわりの魔術師たちも持てる限りの攻撃魔法を放った。

 だが…。

 大河のような軍勢は、減った様子もないのに。

 「だ、駄目…もう、パワー切れ…っ」

 ステラ姫がへたりこんだ。他の魔術師たちも似たような状況だ。

 …わかるはずもなかったが、超高レベルであったあの死霊術師が、その命と魔力を注ぎ尽くして解き放った死者の軍勢は、その規模が桁外れであったのだ。通常の攻撃では滅ぼしきれるものではない。

 「…大神官さま…!」

 「…私ごときの力では、浄化は…叶いませぬ」

 神に仕える者として、不本意ではあったろうが…ディアナと共に駆けつけてきた大神官は、静かに首を振った。力不足は、認めざるを得ない。

 「我が軍をぶつけても、削り切れるかどうか」

 国王は悩み、指示を出した。

 「何としてもここで食い止めよ!万が一のために、首都近辺には避難命令を出せ」

 「はっ!」

 全員、悲壮な決意を固めた、その時。

 陽奈美が持っていた通信用の腕輪が、輝いた。

 「…桜起くん?」

 『俺、何とか…して、みたい』

 軍勢の先頭に立つ彼にも、今の状況は伝わっていた。

 「何とか、って…?」

 『あの死者の軍勢を、何とか…』

 『よせ!』

 桜起の隣にいるリオネルの叫びが、割り込んだ。

 『わかっているだろう!あの人数を滅ぼしきろうとしたら…その新月刀の力を使おうとしたなら、オーキ、君は確実に…消失(ロスト)する』

 全生命を使い切って、存在が尽きると。

 『で、でもさ…俺は、結局何もできてないし。せめて、それぐらい…』

 『言っただろう!さっきのデモンストレーションで、充分だと!』

 二人、向こうで掴み合いの喧嘩をしているらしい。

 「い、嫌…」

 「…陽奈美…?」

 彼女の様子に、ヒロ先輩が思わず声をかけるが、耳に入っていない。

 「いやよ…っ」

 震え出して…少女は、喉も裂けよと叫ぶ。

 「絶対、嫌!桜起くん…そんなことしたら、許さない!許さないんだから!」

 『…ごめん』

 遠く聞こえてくる言葉に…彼女は少年の覚悟を感じ取って、さらに絶叫した。

 「一生、口きかないから!」

 そう言えば、自分がそう言いさえすれば、いつも…彼は、折れたのに。

 『ごめん、陽奈美ちゃん…でも、やるよ俺』

 彼は、きっぱりと自分の決意を…今度ばかりは何を言われても折れない思いを、告げた。

 「桜起くん!?」

 『…ごめん…ごふっ』

 リオネルにクロスボウでどつかれたんじゃないかって音が腕輪から響いたが、陽奈美は聞いていない。

 「いやよ…そんなの、嫌だよ…」

 側にいれば、殴り倒してでも止めるのに…今は、何もできない。

 (何も…!)

 「ヒナミ…」

 ステラ姫も、ディアナも…彼女の秘めた思いは、ちゃんと気づいているから。

 真っ青になって震える彼女に…安易な慰めの言葉は、かけられない。

 「いや…桜起くんが、いなくなるのは…絶対に、いや…!」

 いつも…本当の思いを、隠して。

 ただ、軽くからかっていただけの陽奈美が…はじめて、洩らした。

 「いやああああーっ!」

 真実の、叫びだった。

 ”お主の心…確かに、聞き届けたぞ”

 彼女の胸元で。

 指輪の宝石が、三度(みたび)…輝いた。

 ”済まぬな、嬢ちゃん…これで、仕舞いじゃ”

 いんいんと、声が響き渡る。

 「何でもいい!桜起くんを…桜起くんを、助けて!」

 叫ぶ陽奈美を…また、不可視の障壁が包みこんだ。


 「え…?」

 その、時―

 戦場に立つ全ての者たちが…言葉を失い、その光景を見つめた。

 黒髪の少女が、ゆっくりとしかし確実に歩を進める死者の軍勢の前に、静かに歩み出ていったのだ。その愛らしい顔には、何かを悟ったような、不思議な…輝きがあった。

 その足取りは、古代の預言者にも似て…崇高ですらあった。

 死者の前に…確実な、自らの「死」の前に、歩みを進める。

 「陽奈美ちゃん…!」

 桜起も、その姿を遠くに見て…必死に走り出した。

 「止めろ…戻ってこい!ひ、陽奈美…っ!」

 叫びながら、走る。しかし…距離がありすぎた。確実に間に合わない。届かない。

 ひどく穏やかなまなざしのまま…少女は、胸元で光り輝く指輪を手に取り、死者たちに突きつけた。その唇が、動く。

 「――」

 声ならぬ声、言葉ならぬ言葉が、紡ぎ出された。

 あの指輪が…宝石が、直視できないほどに輝いて。

 「…陽奈美…!」

 光の奔流が、そこから放たれた。

 荒れ狂う奔流が、死者たちを…丸ごと、呑み尽くしていく。


 光は、ゆっくりと消えていった。

 少女の前には、巨大な溝がうがたれ…他に、何もない。

 「あ…」

 「陽奈美ちゃん!」

 少女が、ふらりと倒れかけた。ぎりぎりで桜起が間に合い、地面に倒れこむ前に抱き止める。

 桜起の腕の中で、少女は暖かかった…ちゃんと、息をしていた。

 「ドラゴンが、言ったの…」

 まだぼうっとした口調で、彼女は語る。

 「力を貸すから…軍勢の前で、解き放て、って。そうできる覚悟があるなら助けてやる、と」

 「あの野郎…!」

 とは言え、彼女が生きている…それだけで彼には充分だった。

 「役に、立てたかな…あたし」

 「立てたなんてもんじゃないよ!俺なんかより、ずっと…!」

 「良かった…少し、疲れた。寝かせて…」

 桜起に身を委ねて、少女はくたりと力を抜き、目を閉じた。かすかに寝息が洩れる。

 「良かった…陽奈美ちゃん…本当に、良かったよおっ…」

 少年の目からぽたぽたと涙がこぼれ、眠る少女の頬に降りかかった。


 「イルデファーン軍は…もう、軍のかたちは成していないな」

 散り散りばらばらになって、ひたすら逃げまどっている。―まあ、軍のど真ん中…本陣の天幕から、死者の軍勢があふれ出し、無差別に襲いかかったのである。統制が崩れていなかったらその方がおかしい、と言う状況であろう。

 「国王や将軍が必死に立て直そうとはしていますが…どう見てもできていませんね。大部分がひたすらに戻ろうと…イルデファーン本国に逃げ帰ろうとしています」

 王の元に戻ったリオネルが戦況を見て取り、報告した。

 「国王陛下…一応進言しますが、今攻めこめば勝利しますよ?」

 「いや、止めておこう。―どう考えても、ここは彼らに『貸し』を作っておいた方が得策だ」

 ウィルフレッド王はにやりと笑ってみせた。

 「ですね。深追いして反撃されるのは面白くありませんし…ここは一つ、イルデファーンが禁呪の死霊術を使っていたこと、それをこちらの…まあ、客分と言うか異世界人のヒナミさんが滅ぼしたこと。…かつ、我々が敵軍を追わなかったこと…これらを他の国々に喧伝して、評判を上げ、この争いの落とし所を探った方が妙案です」

 リオネルも、進言が受け入れられるとは思っていなかった。

 「―軍を退くぞ!」

 ウィルフレッド王が、戦場で鍛え抜かれた大音声で命じた。

 「隊列を整えよ!カイルアンが―小国ではあっても、いかなる力にも屈せぬことを見せつけるのだ!」

 整然と軍を退くことで、この小さな、生まれたての国が…攻めることも攻められることも望まず、もし攻められたら全力で戦うことを、イルデファーンのみならず近隣の国々に誇示するのだ。


 行軍の中。

 マーガレット女王の馬車の横に、ウィルフレッド王の馬が近づいた。女王は窓をそっと開ける。

 「―メグ」

 「ええ、ウィル」

 若かった頃の呼び名で呼ぶ夫に、妻もかつての呼び名で返事をした。

 「私は…一人では、ないのだな」

 「ええ」

 女王は…ただ静かに、肯定した。


 その、軍勢の中で。

 「陽奈美ちゃん…」

 ステラ姫もディアナも、引き取ろうと申し出たが。

 桜起は全て断り、陽奈美を腕から離そうとしなかった。

 「俺は、何も…何もできなかったから。せめて、側についていてあげたい」

 「ついている」のと「離さない」のとは違うと思うのだが、とにかく行軍中もしっかり彼女を抱きしめている。まあ、意識がないのをいいことに…という見方もできるが、あまりに彼が必死なので誰もあえて引き離そうとしなかった。…みな、彼女の真意も察していたし。

 「う…」

 その中で、夜半過ぎ…やっと陽奈美は目を覚ました。

 「良かった…やっと気がついた!」

 感極まって、桜起は彼女をさらにきつく抱きしめてしまう。

 「…痛い」

 「あ、ごめん」

 やっと我に返って腕から離す。

 「でも、ほんと…俺は何もしてないのに、陽奈美ちゃんが」

 「ううん。あたしじゃなくてドラゴンだもの。力を使ってくれたのは…さんざん人をからかっておいて、最後の最後にものすごく助けてくれた、あいつ」

 にこっと笑ったが…すぐに彼女の顔が曇った。

 「でも、あの後…指輪から、一切力を感じなくなったの。どうしちゃったのかな」

 「戻ったら、あの洞窟に…行ってみよう、ヒロ先輩も一緒に」

 彼女がドラゴンを気にかけているのは桜起をちょっともやもやさせたが、しかし実際助けてくれたのだから仕方がないか。

 「一緒に、様子を見に行こうな」


 何はともあれ…ほとんどダメージを受けずに帰還したカイルアン軍は、首都で大歓呼の元に迎えられた。

 「勝ってもいないんだけどなー」

 「でも、外交的には大勝利だしな」

 ヒロ先輩の見方では成果が多いにある、ということか。

 「おい、桜起…お前に対して歓声が上がってるぞ。壇上であいさつしてくれってさ」

 「何もしてないのにー!」

 「あと、お前と一緒に先陣を務めた、リオネルに対しての声が多いな」

 「あー、なるほど…軍議でも活躍してたもんなあ」

 「…きっと、いい『お婿さん』になるわよ」

 陽奈美がくすっと笑った。

 「お、お婿…さん!?」

 「たぶん…ね」

 そこは、女性特有の感覚…と言うべきものだろうか、彼女にはわかるらしかった。


 勝利と言うより生還を祝った宴が、はじまった。

 「これで…ずっと先になるでしょうけど、ステラ姫さまが女王さまになられるんですよね?」

 宴の中で、ヒロ先輩が国王夫妻にそんな問いかけをしていた。

 「まあ、そうなると思うが」

 かなり不躾(ぶしつけ)な質問だが…先輩の持っているグラスを見て、どうやらうっかりアルコールを口にしてしまったのだろうと理解した二人は大目に見ていた。

 「しかし、元々国をまとめるためだけに王になっただけだからな。イルデファーンや他の国々との関係がもっと安定したら、他のやり方も考えないでもない」

 「…よその地方では王を戴かず、合議で政治を行う自治都市もあると聞きますしね」

 女王も考えてはいるようだ。

 「うちの娘は、政治にはいま一つ向いていませんし」

 それは確かに。

 「まあ、それは…今のところ、結婚してくださる『お相手』にフォローしていただけることを、望むのですが」

 目星は、ついているらしかった。

 

 宴が終わり、朝。

 「受け入れてくださるとは思いますが…一応、遠慮しましょう」

 ディアナの判断で、ステラ姫たちに見送られ、桜起たちは三人だけでまたドラゴンの洞窟へと足を踏み入れた。

 何の問題もなく、あの宮殿までたどり着く。

 「開いてる…?」

 あの巨大な扉が、開いていた。恐る恐る入っていくと。

 「…見て。これ…」

 ドラゴンがいた場所には、誰もいなかった。代わりに、あったのは。

 「…卵…?」

 一抱えもある、卵。それが…宮殿の中、ドラゴンがうずくまっていたその場所に鎮座していたのだ。

 かすかに、陽奈美の指輪が輝いた。

 「残留思念、って言うのかな。…こう言ってる」

 陽奈美が呟く。

 「力を使い果たして、彼は…ドラゴンは、この卵を残して消滅した、と。…あんな、人を食った喋り方、してたのに…あたしたちを、守ってくれた。…いずれこの卵は孵って、新たなドラゴンは生まれるけど…それは、彼じゃない。何かとちょっかいかけてきて、振り回されたけど…最後に、命を捨てて、助けてくれて…!」

 陽奈美は、桜起の胸にすがりついて泣きじゃくった。

 「俺も、あいつのこと、好きじゃなかったけど…さ」

 ぎこちなく、桜起は彼女の背中に腕を回した。

 「忘れないでいような、あいつのこと」

 それぐらいしか、できないけれど。

 「さて…できるかな」

 陽奈美を抱えたまま、桜起は腰の新月刀を手に取った。

 「もう、いいよな。お前、ここにじっとしてろよ」

 語りかけながら、剣帯を外して卵の脇に置く。

 「わかってるよな。元の世界に、持って行く訳にもいかないからな」

 刀相手に念を押すのも妙な話だが、とにかく腰に戻って来ないのでほっとした。

 「…帰るんだね、あたしたち…」

 「とりあえず、この…やたら小さな国は、しばらく大丈夫だと思うし」

 異世界召喚されてはみたけれど、そろそろ帰ってもいいかと思う。


 戻ってその事を告げると、みんなうなずいてくれた。

 「うん、淋しくなるけど、しょうがないよねー」

 ステラ姫が笑ってみせた。

 「大丈夫だよ、姫さま。…一番側にいて欲しい人は、いてくれるじゃない」

 陽奈美が意味ありげに笑う。

 「え!?そ、そんなことないよ!かえって迷惑だし…っ!」

 ステラ姫はなぜか赤くなって大騒ぎしていた。

 「本当に、何から何まで…勝手で申し訳ありません!」

 「いや、いいんだよディアナさま。俺たち、楽しかったんだし」

 三人とも生きのびたから言えることではあるが。

 「後は、任せてください」

 リオネルがうなずいた。

 「うん、頼むよ。がんばって」


 送別会も、けっこう盛大に開かれ…次の日。

 あの神殿で、国王夫妻や大神官、もちろんステラ姫たちも見守る中、三人の送還の儀式がはじまった。

 「―これを」

 ディアナが、三人一人ずつにペンダントを手渡した。

 「この世界との『つながり』を、保つために。もしまた召喚の儀式をしましたら、これを持っていると優先的に召喚できます。いつか、また来ていただければ」

 「そうだよな。一回きりじゃつまんないしー」

 「今度は、この国の案内もしたいし!他の国にだって行きたいよね!」

 ステラ姫が涙をぬぐった。

 「そうだよねー。見てる暇なかったもん。…今度は、姫さまの結婚式にでも呼んでよ」

 「それはヒナミの方が先だよ!」

 何やら女の子同士で揉めているが。

 「…では」

 きりがないので、ディアナに大神官も手を貸し、儀式がはじまった。三人のまわりに、見覚えのある文様―魔法陣が浮かび上がる。

 「絶対、また会えるよね!」

 「会えるよ!近いうちに…きっと」

 呼び合う声が…しだいに、遠くなっていった。


 気づくと…。

 「元の場所…だな、ここ」

 あの木立ちの中に、立っていた。

 「一ヶ月ぐらいは、向こうにいたと思うけど…」

 「…あ!」

 木立ちを抜け、日差しの中に出て…ヒロ先輩が声を上げた。

 「僕の腕時計、電波時計なんだが…すごい勢いで()()()()よ」

 腕時計の針がぐるぐる回っていた。やっと落ちついた結果を見て、ぽそりと呟く。

 「あの、日の…半日後だ、()

 「ややこしいけど、ほぼ…同じ時点に戻れたってことか」

 「信じられないけど…捜索願とかが出されるよりいいか。…仕事に穴開けたくないし」

 「まあ、オリエンテーリングは最下位決定だな」

 「「そんなのどうでもいいですヒロ先輩!」」


 まあ、髪の長さが明らかに違っているとか、そういう細かい問題はあったが。

 三人は、とりあえずこちらの世界の日常に、戻れた。家に帰ると、ごく普通に親に迎えられ(ただオリエンテーリングから帰ってきただけだと思っているのだから当然だが)、そのまま夕飯を食べてTVを見て、寝ていたりする。

 近しい人に心配をかけなくて良かったとは思うが、あまりに元のままで…異世界召喚が本当にあったか、少々不安になったりもするが。

 (でも…確かに、現実だったんだ)

 ペンダントを触りながら、桜起は思う。

 (陽奈美ちゃんとの距離も、すごーく近くなったしー)

 もちろんアイドル活動の合間に学校に来るだけだが…その時の彼女の笑顔が、より自分に「近く」なった気は、確かにするし。


 そんな中、放課後また桜起の部屋を訪れたヒロ先輩が苦笑した。

 「この部屋、このまんまか…何とかならんか」

 「何とかって…」

 相変わらず陽奈美グッズが所狭しと置かれ、壁を埋めていたが。

 「こんなグッズ、もう必要ないんじゃないのか?陽奈美とはいくらでも話せるだろ、今は」

 「そりゃそうなんですけどー」

 照れまくる。

 「グッズに頼らなくて、いいんじゃないのか?これじゃ、僕以外を入れられないぞ」

 「そ、そうかな」

 確かに、ヒロ先輩以外…他の友達すら立ち入り禁止にしているのは、まずいかなーと思わないでもないが。


 「うー…」

 悩みつつ、はがしてみるか…と、壁のポスターに手を伸ばすが。

 「桜起くんのお母さん、久しぶり!桜起くんいる?」

 「あ、ほんと久しぶりね。いるわよ、上に」

 そんな声が階下から聞こえ、ぱたぱたと足音がして。

 「桜起くん!」

 こともあろうに、陽奈美本人が部屋に飛びこんできた。

 「え…!?」

 壁に手を伸ばしたまま、固まっている桜起をじっと見て。

 「…ひどい…」

 彼女の目に…じわっと、涙が盛り上がってきた。

 「え!?えっ!?」

 訳のわからない彼に、陽奈美は一方的に怒りを叩きつける。

 「はがしちゃうの、それ!片づけちゃうの!?…桜起くんの、あたしへの気持ちは…()()()()()だったの!?」

 「…は!?」

 「…ひどいよ!」

 言うだけ言って、そのまま部屋を飛び出し、階段を駆け下りていってしまう。

 「ひ、陽奈美ちゃん!」

 大慌てで桜起はその後を追った。


 追いかけて…近くの公園でやっと彼女に追いつく。もう、夕陽が山の端に近づいていた。

 「ご、ごめん…謝るから」

 何でそんなに怒ってるのかよくわからなかったが、とりあえず謝ることにした。

 「…あたしがアイドルやってるの、嫌なの…?」

 夕陽のせいだけでなく少し赤くなって、彼女は上目遣いでそう聞いてきた。

 「え!?いや、そうじゃないけど…でも…」

 どう言えばいいのか…陽奈美が他の人から見ても可愛いと言うのは嬉しいし、でもこの地域だけとはいえ自分のライバルが結構いるのはもやもやするし、何よりなかなか会えないのはやっぱり淋しいし…うーん。

 「…あたし、桜起くんがグッズ集めてくれないと、嫌だもん」

 目を白黒させて悩む彼に、陽奈美はぽつんと言う。

 「そ、そうなのか…?」

 「だからぁ!あたしがアイドルやってるのって…()()()()だもん!」

 「!?」

 訳がわからない。

 「だって!あたしが歌えるのも、踊れるのも…笑えるのだって!全部、桜起くんが…いてくれるからだもん!」

 「へ!?」

 あまりに思いがげない言葉に、頭…真っ白。陽奈美の顔が、今度は怒りで赤くなった。

 「もう!どうしてわかってくれないの!あなたのことが…本気で、ほんとに、好きだって言ってるのに!何でよ!」

 睨まれて…桜起の頭にかっと血が昇った。

 「そりゃないよ!俺のフラグを、立てようとする前にバッキバキに折ってたの、陽奈美ちゃんじゃないか…!」

 そこまで口にして…二人とも、この言い争いがいかにしょうもないか気づいた。

 「ひ、陽奈美ちゃん…君、俺のこと…っ」

 「二度と言わせないで!は、恥ずかしいんだからぁ!」

 涙目になる少女を、彼はがばっと抱きしめた。

 「わかってると、思うけど…俺も、好きだから!大好きだから!」


 「…やっと、言ってくれた…」

 腕の中で、少女は呟く。

 「…ずっと言わせてくれなかったじゃないかー!」

 そう言いつつも、桜起はもう空でも飛べそうな気分だった。

 「あの召喚があって…ラッキーだったな、ほんとに」

 あんなことがなければ、ここまで二人が近づくことも、素直になることもまだまだ先だったろう。

 「また、行けるといいね…次はきっと、結婚式だよステラ姫の」

 「…誰と?」

 「わかってないなあ…男の子って、鈍いね」

 「な、何でもいいよ、もう」

 何言われてもいいや、と…夕陽の中で、桜起と陽奈美は見つめ合った。やっと…やっと、キスすることができた。


 次の日の、羽久美市の地方新聞の一面は。

 「ご当地アイドルのキスを激写!」という、スマホのピンボケ写真付きの記事に大きなバツ印が書きこまれ、その隣にもっと大きく「ご当地アイドル堂々の交際宣言!」の記事が掲載されていると言う、編集部の混乱ぶりがよくわかる代物となったのであった。


                                          END




どんなものでしょうか…他の人のものと違うことが、「面白い」かどうかは全く別ですが、書いてみたらこうなりました。正直ゲームとかほとんどやらない人間の書いた異世界召喚もの、楽しんでいただければ幸いです。

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