高校生のお気楽になりきれない異世界ライフ
「異世界召喚」を自分なりに考えてみたらこうなりました。どんなものか…楽しんで下されれば幸せです。
第一章 今時流行りの異世界召喚
羽久美市の公立校、羽久美東高…五月の、ごくありふれた登校光景が展開していた。
「おはようございまーす」
校門に立つ体育教師にあいさつして、通り過ぎる一人の一年生に、教師は眉をひそめて言った。
「松江…今時、強制もできないが。…その髪、染めた方がいいとは思わないのか?」
「えー」
「いや、いい」
昔なら強制できたのに…と言いたげな、ものすごく不満そうな彼に、松江と呼ばれた少年は一応頭をぺこんと下げて、さっさと校舎に向かった。
「めんどくせー」
松江桜起は、明るい茶色…「赤毛」と言っていい髪をかき回した。
「地毛なんだけどなー」
学校には証明書を出しているのだが、何かと目をつけられて文句を言われる。さっきの体育教師の金沢も、普通ならなかなかの身体能力を持つ桜起を気に入りそうなものだが、どうにもこの髪だけが癪に障るらしかった。
昔気質の教師たちが、この髪を嫌がっているのも困るが…それよりも、やたらに「不良」みなさんが絡んでくるのが面倒で。
…隔世遺伝で、母親の父がスコットランドの出で…なーんて言っても「不良」なみなさんには通じず、逆に切れられることも多い。…まあ降りかかる火の粉は払う主義ではあるが、不必要に揉めたくもなく、かといって染めるのも嫌で正直困っている。
「…よ、桜起。おはよう」
うーうー言っていると、ぽんと肩を叩かれた。
「あ、ヒロ先輩。おはようございまーす」
ヒロ先輩…鹿島寛忠。羽久美東高の二年生である。成績は中の上、そんなに目立つ学生ではないが、ただ歴史マニアとして有名で、特に戦国や幕末の実情にやたら詳しいタイプだった。桜起とは性格や傾向は全く違うが、近所に住んでいる関係で、昔から仲がいい。
「金沢の奴、お前を目の敵にしているからな」
門でのやりとりを見ていたらしい。
「昔のやり方で指導すると、パワハラだってつっこまれるから…ストレスたまってるんだよ。わかってやってくれ」
「わかってるけどさ~っ」
いらいらをぶつけられても困る。
「…おはよ、ヒロ先輩、桜起くん」
そこに、軽やかな声がかかった。
「あ、陽奈美ちゃん。今日は来てたんだ」
「うん」
黒髪を一部まとめ、リボンで結んだ少女がにこっと笑う。彼女も近所で育った、桜起とは幼なじみと言っていい存在だった。
―と。
彼女のスマホが小さく鳴った。
「あ、仕事だ。…こんな朝早くからか」
確認した陽奈美が申し訳なさそうに微笑んだ。
「ごめん、今日も授業は出られないって先生に言っといて、桜起くん」
「わかった。ノート取っとくから」
「お願いねー」
少女はそのまま去っていった。
彼女、逢坂陽奈美は中学の頃スカウトされ、現在羽久美市でご当地アイドルとして活動している。学校と芸能活動は何とか両立させているが、やっぱりなかなか大変なようだ。こうして学校を休むことも多かった(補習で何とか単位は取れているらしいが)。
「…同じクラスになれたと、思ったのに…」
結局…いわゆる「クラスメイト」のレベルでは、会えていない。
「人気者は大変だなあ。友達としても辛いな」
ヒロ先輩が慰めるが、桜起の心は晴れなかった。
(…結局、一日戻って来なかった…)
放課後、部活動(桜起は剣道部、ヒロ先輩は歴史同好会)を終えた二人は、帰り道で一緒になる。
「腹減った…帰ったらパンでも食おう。先輩も食べますかー?」
「僕は身体動かしてないからなあ…でも、つき合うよ」
文化部とは言え健康な高校生、いくら食っても足りないのが実情だが、ヒロ先輩は少々小太りの体型を気にしていた。
羽久美東高は(一応)買い食いは禁じているので(…なのに学生の芸能活動はなぜ認める…)食べるには帰宅するしかない。幸い、息子の大食いを知り尽くしている桜起母が、間食をがっつり用意して待っていた。
「そう言えば…お前の部屋、最近上がってないな僕。昔は散らかし放題だったな…今、どうなってんだ」
メロンパン二つ目に手を伸ばした(大丈夫、夕飯もおかわりする)桜起に先輩が何気なく声をかけた。…びくっとして彼は声を上げる。
「せ…先輩!俺の部屋、相変わらずすごく散らかってて…だからちょっと、入らないで欲しく…!」
「何言ってんだ桜起。女の子じゃあるまいし、恥ずかしがる奴があるか」
「あ!ちょっ…!」
止める間もあらばこそ、ヒロ先輩は階段を上がって部屋のドアを開けてしまう。
「わーっ!」
「何だこれ…羽久美っ子倶楽部のポスター?しかも陽奈美推しの…」
壁のポスター、並んだTシャツ…机のスノードームまで逢坂陽奈美。
「だから見ないでって言ったのに~っ」
「お前…」
ヒロ先輩は何とも言えない顔で、桜起の肩にぽんと手を置く。
「幼なじみの子に、告白もできず…彼女がアイドルやってるからってグッズ集めるのが関の山か。少々情けないな」
「…もう遠くなっちゃったし、仕方ないよ…グッズ買って、陰ながら応援できれば」
正直、もっと一緒にいたいとは思うが…生き生きと歌い踊る彼女を見ていると、応援したい気持ちにもなるし。すごく可愛いから、アイドルになれると言うのも少し嬉しい。
桜起は少ない小遣いをはたいて、こっそり陽奈美のグッズを買いそろえ…ささやかだが応援しているつもりになっていた。
「…そう考えているのか…意外にヘタレだなお前」
「やめてくださいよ!」
「まあ…いずれ、わかるさ」
再び、肩をぽん。
「?わかる…って、何を?」
「それも…わかる時がくれば、わかるよ」
訳のわからない少年に、ヒロ先輩はますます笑みを深めて、そのまま別れを告げた。
そんな日々が過ぎていき…誰もが、ずっとこういう日々が続くのだろうと、思っていた。
桜起はもやもやしつつ、ヒロ先輩は戦国・幕末について情報集めに余念がなく…陽奈美は、羽久美市のイベントなどで歌い踊っていた。
一年生も高校生活にすっかりなじみ、三年生は受験にそろそろ集中しなければならないと学校側から勧められる(もちろん、自主的にはじめている者もいるが)六月。
「やった~、今日は学校行事に参加できる!」
「良かった…ね、陽奈美ちゃん」
三学年が揃って楽しめる、ラストと言っていい行事が催された。
羽久美東高の初夏のイベント…全学年合同オリエンテーリングである。
ランダムにグループを組み、羽久美市郊外の山々をオリエンテーリングで回ってチェックポイントを巡り、順位を競う。…と言ってもトップ争いなど名目で、一日授業を離れて羽を伸ばせるのをみんな楽しみにしていた。…そしてここにも、密かにわくわくしている者が一人。
(…やった!陽奈美ちゃんと同じグループ!)
抽選でたまたま同じ班に入り、桜起は内心歓声を上げていた。しかし、彼女にそれを大っぴらにするのは恥ずかしい。
「が、がんばろうね、陽奈美ちゃん」
口に出すとこんな言葉になってしまう。
「うん、がんばろうね」
かなりの愛想笑いで返され、少々へこんだ。
「おう、桜起。同じグループか…いざとなったら背負ってくれよ」
こっちの体力ばかりを当てにしているヒロ先輩も同じグループで、あとはそんなに親しくない別クラスの男女が何人か。
(まあ、二人きりになれる訳ないしなー)
なっても何もできないし、一緒に一日過ごせるだけでもラッキー、と思うことにした。
チェックポイントの場所入りの地図を手に、十分ほど間を置いてグループごとに出発する。
「何か、今年実行委員会が凝り過ぎだよ…クイズとか出されてもー」
文句を言いつつ山中をうろうろする…うちに。
「…桜起くん?ここ、どこよ」
陽奈美の声が思いっきりとんがった。俺のせいにされても…と思いつつ文句も言えない桜起のもとに、ヒロ先輩が追いついてくる。
「他の人たちと…はぐれちゃったみたいだな」
「参ったな…俺のスマホ、GPSついてないしー」
ついていたら、このオリエンテーリングに持ってこれない。
「とりあえず、他の人たちに連絡取ろうよ」
陽奈美が言い出し、まずは深い森を抜けてスマホが使える所まで動こうとした。男二人もついて行き、木立ちの中の空き地に入りこむ…と。
「わあっ!?」
突然―三人を囲むように、光の線でかたちづくられた文様が浮かび上がった。
「「でー!」」
三人が思わず身を寄せ合ううちに、光の線がさらに輝きを増し…視界が白く塗りつぶされた。
身体がふわっと浮く感覚がある。一瞬後か、それとも少し時間が経ったのかはよくわからなかったが、焦る暇もなく足は固いものについた。
―しかし。
視界を覆っていた光が薄れると…さっきまでの木立ちの中では、なかった。石造りの…TVとかで見る西洋の聖堂とかを思わせる、広い空間の中だった。
さっきの、苔が生えた地面ではなく…石の床から、光の文様がゆっくりと消えていく。
「ここは…?」
文様が消えた先には、何人か人がいてこっちを見つめていた。
「な、何か人が来たよ!?」
輝く金髪に、サファイア色の双眸の少女が、こちらを覗きこんでいた。
「召喚、成功しましたか…?」
その背後でそう声を発したのは、月光を思わせる銀髪に碧眼の少女。
「成功…みたい。服装とか、見たことないもん」
こちらをまじまじと見て、金髪の少女は答えた。
「良うございました…」
「ど、どういうこと…?」
訳がわからず桜起は声を上げる。
とりあえず、見たことがない場所に自分たち三人で来ていて、見たことない…民族的にも違っていそうな人々がいて、何故か言っていることも理解できる…ことはわかったが、他はさっぱりであった。
「えーとね」
少女たちも、どう説明したらいいかわかってないらしかったが。
「わ、わたしたち…この国を助けるために、異世界から勇者を召喚してみようって話をしてて…儀式をしたら、あなた方が現れた…って、ことです」
金髪の少女が、ものすごくざっくりした説明をしてくれた。
「すげえ!?これが、今流行りの異世界召喚ってやつ!?」
「たしかに、今そういう話って多いけどー」
「おい、二人ともノリが軽いなあ」
桜起も陽奈美も、困惑より先に喜んでしまっている。
「だって、焦ってもしょうがないよ。それより、せっかく召喚されたんなら楽しみたいよな。こっちには学校も宿題もなさそうだしー」
「それが本音か…まあ、わからんでもないけどなあ」
ヒロ先輩、苦笑する。
「そうよねー。あたしも授業とアイドル業の両立、しんどかったし」
結局…三人が三人とも、「少しならここにいてもいいかな」と思っているということだ。
「では、わたくしたちに…力を貸して、いただけますね?」
「でも…俺たち、別に『勇者』でも何でもないから、期待されても困るんだけどな」
正直全く何もできない気がする。
「いえ!伝承によると、異世界から来られた方は…必ず『何とか』してくださるはずなんです。だから大丈夫ですよ、きっと」
この銀髪の少女の方も、おっとりしているように見えてけっこういい加減なことを口走っていた。
「そ、そう…ですか。まあ、行く所もないし、お世話になります…はは」
桜起としては、二人の美少女に目をきらきらさせて見つめられ、頼みごとをされるというのは悪い気がしない。陽奈美の視線は気になるが、今は話に乗っておこうと考えた。
「まあ、まずは自己紹介からですね。わたしはこの国…カイルアンの第一王女、ステラ・カイルアンと言います」
金髪の少女がそう言い、さらに続けた。
「…って、別にかしこまった言葉使いでなくてもいいか。ねえディアナ」
「駄目です!」
銀髪の少女はきっぱりと答えた。
「いいじゃんこの人たちなら。よその国から大使とかが来たら、ちゃんとかしこまった言葉使いするからさー」
「異世界からのお客さまなのですから、異国の方と同じです!ちゃんとなさってください姫さまっ!」
つっこみ担当らしい。
「えー、そんなに持たないよ、丁寧言葉モード」
「い、いいからさ…喧嘩しないでくれよ」
仲のよさそうな二人が、こちらへの対応で口喧嘩しているというのは心苦しい。
「まあ、しょうがないですね姫さまは…わたくしは礼儀を守りますよ。わたくしは、この国の大神官の娘で、神官見習いのディアナ・ルヴァーニと申します」
「あなたたちの召喚を成功させた巫女でもあるんだよー」
「ひ、姫に巫女さん…うわーうわー」
「ほんとに異世界って感じだねっ」
驚くポイントに微妙に個人差があった。
「このお二人には一応身分と言うものがありますので、お三方の直接の世話は僕が担当します。リオネル・フィラグンドと申します、お見知りおきを。もちろん、女性の方には専属のメイドをつけますので」
それまで後ろで控えていた、くすんだ金髪の少年が名乗った。あまりに童顔なのでわかりにくいが、十代後半…桜起たち三人と歳はそう違わなさそうだ。ちなみに、ステラ姫とディアナもほぼ同年代。
「は、はあ…よろしくお願いします」
「お願いね、リオネル。大事なお客さまなんだから」
「わかってますよ、姫。…あなたよりは気を回せますので」
「何よそれー」
からかうようなリオネルの言葉に、ステラ姫はあっさりと挑発されて眉を逆立てている。王女と臣下の会話とは思えない、ざっくばらんなやりとりだった。
「それより、ここがどんな所で、どんな風に僕たちに『助けて』欲しいのか、とかを説明してもらえるかな」
ヒロ先輩、さすがにこのままでは何もわからないままだと判断したらしかった。
「そりゃ、そうですよね」
正直、こっちも「異世界召喚」という事柄に全く慣れていないが、向こうも慣れてはいないので…情報交換がいま一つできていなかった。
「まず、ここはカイルアンと名乗っている国です。…と言っても、十年前に独立したばかりの、領土もものすごく小さな国ですけどね。それまではイルデファーンという大国の一地方だったのですが、首都とかとは離れた辺境の地で…言葉も文化もかなり違っていまして。同じ国だって言う意識は正直薄かったんです。なのに、イルデファーンはいろいろと無理難題を押しつけて来ますし、税もきつくて」
「な…何か、世界史の中にそんな話があったな」
ヒロ先輩は、日本の戦国・幕末史以外はそんなに詳しくない。
「で…次第に、このままでは生活できない、独立しようって動きが出て来まして」
「その独立運動のリーダーが、わたしの両親なんだ。十年前に独立を勝ち取って、今は両親が国王と女王を務めてる」
リオネルの解説に、ステラ姫が口をはさんだ。
「す、すごい。歴史だ…」
「でも…そのために、ここカイルアンとイルデファーンはひどく仲が悪いんです。向こうは隙あらば再征服して一地方に戻そうとして…正直、いつもこの国は臨戦態勢なんですよ」
「特に最近、その動きが激しくなってきていまして…わたくしたちで相談をして、この状況を『何とか』できるのではないかと…神殿に伝わっていた『異世界召喚』の儀式を試してみたんです。…まさか成功するとは」
儀式を執り行ったディアナ自身、全く信じていなかったらしい。
「で、でも、成功してすごく嬉しいし、期待してるんだよ?」
「フォローありがとう、ステラ…姫さま」
正直けっこう軽いノリで召喚されたが…こっちもあんまり文句を言う気はないし。
「この国」についての情報は得られたが、他にも聞きたいことは山ほどあった。
「どれから聞けばいいのか…わかんないよなー」
全部知りたい、とも言えないし。
「と、とりあえず…俺たちの元の世界と、どう変わってるか知りたいなあ」
「『変わっていること』と言われましても」
向こうも桜起たちの世界について知らないので、どこが違うのかなんてわかりようがない。
「うーん…たとえば、『魔法』とか使えたりするのかなー、なんて」
陽奈美がゲームとかやりつけているっぽい質問をした。
「ああ、使えるよー」
ステラ姫があっさり答える。
「使えるんだ!?」
「うわー、マジ異世界って感じー」
「言ってみるもんね」
「ど、どんな魔法が…あるんですか?」
「うん、見て見てー」
ステラ姫が目をきらきらさせて言う。…その時、ディアナとリオネルの表情が微妙に揺れていたりした。
それに気づかなかった三人は、ステラ姫に連れられてそれまでいた(召喚されてから、出ていなかった)広間を出て、階段を上って空中に突き出たバルコニーに出た。
「うわー…見晴らしいいなあ」
そこは、山の中腹で…一段下がこの施設の入り口になっているらしく、人々が行き来していた。どうやら、山の中に埋めこまれた…神殿とからしい。とすると、ここは下の広場に集まった人々に説教とかをする場所か。広場の向こうには坂道が続き、眼下に広がる…と言ってもそんなに大きくない(桜起たちの目には、田舎の役場がある辺ぐらいに見える)街につながっていた。
「あの、眼下に見える街がカイルアンの首都、アルデマールです」
「見ててね」
ステラ姫がもっと目を輝かせて進み出、左手をかざして一言呟く。―と、その手の上に。
「「「うわあっ!」」」
湧き上がるように、炎が出現した。炎の球体になり…もっと上に昇って、ものすごく大きくなった。…三メートルぐらい?
「せーのっ!」
気の抜けるかけ声を発して姫が手を振ると、火球は矢のように飛んで行き…谷の向こうの山脈、そこに突き出していた大岩に着弾した。爆発が起こる…が、あまりの高熱に全て蒸発したのか転げ落ちる石もなく、ただ煮えたぎった岩肌が残るのみ。
「ひえー…」
「こ、これが『魔法』…!」
「こんなのみんなが使える訳?」
「…いえ、姫さまはこの国でも随一と言われる炎魔術の使い手であられます」
ディアナの言葉がフォローなのかよくわからない。
「達人級と、姫のお師匠さまから認定を受けておられます」
リオネルの言葉も…いま一つフォローになっていなかった。
「あ!また、姫さまだ…これ」
神殿に出入りしている人々が、この様子に気づいて騒ぎ出した。
「あそこにおられるぞ!姫さま、やめてくださいよ…命がいくつあっても足りやしないー」
「そうですよ!いい加減、おしとやかにしててくださいな!」
「えへへー、みんなごめんねー」
バルコニーを見上げてわいわいと文句を言う人々に、ステラ姫は舌を出して笑いながら応えている。
「うん、いろいろわかった。姫さまがすごい魔法の使い手なのも…あと、何かみんなからすっごく愛されてるのも何となくわかったよ」
「ま、まあ…そうなんですよねー」
ディアナは苦笑している。
「わたくしは、見習いですが神官の資格を持っていますので、癒しの奇跡などを喚ぶことができます」
「僕は魔法の才能はないのですが…クロスボウの方を少々」
「はー…」
「この国は、常に侵略の危機にさらされているので、国民のほぼ全てが何らかの戦いに役立つ術を身につけているのです」
…本当に、シャレにならないほどの尚武の国であるらしかった。
「神殿にいてもしょうがないし、王宮に行こうよ。両親にも紹介したいしー」
大きな魔法をぶっぱなしてすっきりしたらしく(?)ステラ姫がにこにこしてそう勧めてくる。
「姫さま、何度も言いますがその言葉使いは」
「いいじゃんディアナ。わたし、生まれた時には姫でも何でもなくってさー。いきなり『今日から姫』ってなってもなかなか慣れなくって」
「そ、そうか。この国の『独立』が十年前で」
「わたしは十五歳だもん。五歳までは姫でも何でもなくてー」
「十年もしたらいい加減慣れてください!」
「だって肩こってしょうがないもーん」
「あー、気にしないでください…いつもなんで」
二人の口喧嘩を見やって、リオネルが苦笑いした。
「うん、わかるよ…二人がすごく仲いいのは」
それは伝わってくる。
そこへ現れたのは、ちょっと太めのおじさん。服装はそれなりだが。
「いや、驚いたなディアナ…本当に異世界召喚を成功させたのか」
「お父さま!?」
「異世界よりのお客さま方…全くのこちらの都合で、何の関係もないあなた方を呼びこんでしまい、申し訳ありません」
全くその通りだが、つい喜んでしまっているこちらとしてはそう言われてもどう答えていいか。
「だ、大丈夫です…気にしないでください」
としか言いようがなかった。
「わたくしの父で、この神殿の大神官なんです」
「カイルアンの神官のトップでもあるんだよー」
「アナキム・ルヴァーニです。娘たちがご迷惑をかけていますが…しばらくは滞在なさってください」
そう言って大神官は離れていった。
「ステラ姫さまの親が国のトップで、ディアナさまの親がそこの宗教上のトップな訳だね…で、二人が親友同士と」
二人の友情に打算はないのだろうが、この国の安定の一助にはなっていそうだった。
神殿を出て、大通り…なのだろう、広めの道を馬車で通り抜けていく。…ここはまあ、この国の首都のメインストリートに当たるのかもしれないが、三人の目には正直田舎の町の通りぐらいにしか見えなかった。馬車がせいぜいの世界の道と、自動車などがびゅんびゅん走る道を比べてもしょうがないのも事実だが。
「馬車を使わなくてもいいぐらいすぐ近くなんだけど、一応使えってディアナがうるさくってさ」
そう言うステラ姫を馬車の窓から見かけると、道行く人々は笑ってちょっと頭を下げた。姫もにこにこして手を振っている。
「ここが、王宮…ですか」
「ほんとに近くだねー」
近いし…王「宮」と言うより、砦、であった。超質実剛健と言えば聞こえはいいが、装飾要素はゼロだったりする。
「…今、改装する予算が出せませんので…」
こちらの表情に出たらしく、ディアナがフォローの台詞を入れてくれた。
「もし攻めこまれたら、全国民がこの谷に立てこもって戦い、本当に追い詰められたらこの王宮にさらに立てこもって戦い抜く準備はあるのですよ」
リオネルが誇らしげに言う。本当に常在戦場の国らしかった。
「父上と母上、いるかなあ」
三人を迎え入れたステラ姫がそんなノリで守衛に聞くと、「お二人とも政務中です」とのこと。
「でも父上はじきに用事が済むって」
だからすぐに会えるはず、とまずは玉座の間へ。…おそらく、元々は兵士などが集合するただの大広間だったのだろう、やはりかなり質素な造りの広間だった。
一段高い壇上には、まだ新しい玉座が二つ並んでいた。
「カイルアンでは、国王と女王は同格とされているので大きさなどは同じに造ってあります」
二つの玉座はその通り、造りは全く同じだが、一つ違いがあった。
左の玉座の背もたれに、何か巨大なものがくくりつけてある。
「あれは…でっかい剣?」
突き刺さるように据えつけられた、大剣だった。
こんなの人間が使えるのかよ、と思ってしまうほど巨大だったが。
「でも…使われてたよな、明らかに」
その刀身にも、柄にも…相当使いこまれたことを示す、無数の傷があった。
「これは、この国第一の宝です」
「ただのでっかい剣だけど…」
何の装飾もない、実用一点張りの剣に見えるが。
「この剣を振るって、現国王陛下は独立の戦いを勝ち抜かれたのです。よって、このカイルアンの象徴とされているのですよ」
リオネルの口調には限りない尊敬の色があった。
「僕はもちろん直接は知りませんが、父はこの大剣で陛下が敵をなぎ倒すのを見た、と」
「す、すごい」
独立の英雄が王に…とは聞いたが、いわゆる「王さま」のイメージとは違うようだ。
そこに。
「国王陛下のお成り!」
声がかかり―数人の男女が、広間に入ってきた。
「あの人が…国王、陛下」
三人にも、何となく誰がその人かわかった。
一際背が高く、やたらがっしりした―いかにも歴戦の武人と言った感じの壮年の男性が人々の中心に立っていた。正直「国王」と言われるより「将軍」と言う方がしっくりくるが、今までの話を聞けば納得できる。
「この方が、建国王ウィルフレッド一世陛下にあらせられます!」
「ステラよ…勇者の召喚、成功したのか」
彼は戦場で号令していたことを思わせる、やや割れた声音で問いかけた。
「はい、父上」
「このお三方か。誠に勝手な話で、申し訳ない。責任持って、君たちを無事帰せるよう、尽力することを約束する」
「あ、ありがとう…ございます」
ここまで誠実な態度を示されると、これしか言いようがない。
「まあ、せっかく来られたのだ。楽しんでいってくれ」
相好を崩すと、とたんに親しみやすい雰囲気になった。…やはりステラ姫の父か。
「は、はあ」
三人とも、まだ学生の身ゆえあまり「偉い人」の前でどう受け答えしていいかよくわかっていない。せいぜい校長あたりか(アイドルやってる陽奈美はともかく)。なので、いつまでもかしこまっていられなかった。少し肩の力が抜けて、桜起は広間を見回し…玉座の正面、向こう側の壁に目を止めた。
「うわ、でっかい絵だなー」
壁一面に、リアルなタッチで戦争の状況を描いた絵画がかかっていた。
「この人が…国王陛下、だな」
本当にリアルなので、今よりかなり若い顔だが同一人物だとはっきりわかった。
「他の人たちもリアルだなあ」
さすがに一般の兵士などは背景のように描かれているが、その中で現国王のまわりに立ち、一緒に敵と戦っている七、八人の男たちはかなり細かく描かれ、とても生き生きとしていた。
「ああ、彼らは…」
ウィルフレッド王の声音に、悲しみの色が混ざった。
「皆、独立の気概に燃え、共に語り合い…独立を勝ち取るための戦いで共に戦った、友だ。…だが、戦いの中で一人倒れ、二人倒れ…最後の大会戦で、ついに私一人が生きのびることになってしまった。…彼らが一人でも生きのびていたら、誰が王になったかわからん」
彼の目に浮かぶのは、限りない懐かしさ。
「別に王になぞ、なりたくもなかったのだがな。だが、国をまとめるには王と呼ばれる存在が必要だと説得され、こうなっている」
「…生きのびた者の、責任なのですよ」
澄んだ声がかけられた。
「女王陛下のお成り!」
少し遅れて声がかかった。美しく年齢を重ねた女性が、広間の入り口に姿を現したのだ。
「マーガレット・L・カイルアンと言います」
なるほど、ステラ姫によく似ている。
「あの方は、かつては乳呑み児を抱えて独立運動のまとめ役を務められ、今は政治と外交に力を振るっておられます」
こちらも、リオネルの敬愛の対象であるらしかった。
「すごい方なんだ…」
「『乳呑み児』って…もしかして」
「はい、ステラ姫のことですよ」
「国王は最強の武人で、女王さまは政治に強くて」
「姫さまは卓越した魔術師…」
すごい一家である。
「まあ、休んでくれ、お三方も。晩にはささやかだが歓迎の宴を開こう」
王が言い、会見はそこまでとなった。
第二章 姫と言えばお忍びですよね
歓迎の宴が催されたが、招いたのも招かれたのも未成年(ここでも、十七歳ぐらいで成人らしい)ということで、早々にお開きになった、次の日。
「えへへ、三人とも…一度、街の様子とか見たいよね」
こう言い出して、ステラ姫はこっそり桜起たちをアルデマールの街に連れ出した。
「そんなこと言って…姫が久しぶりにお忍びで出かけたいだけでしょうに」
「うるさい、リオネル。それにその呼び方はなし」
桜起たちは一応この国の一般人っぽい服に着替え、ステラ姫とディアナは一番の特徴である髪を結い上げて帽子に突っこんで隠している。
「どう?けっこう賑わってるでしょ、わたしたちの街」
「うん…みんな、楽しそうにしてるなーと」
ゲームとかで街に入ってイベント、とかは桜起にも「経験」があるが…リアルで中世ヨーロッパ風の街に入って人混みの中、と言うのはもちろんはじめてだ。
「すごく…いい所だね、ここ」
陽奈美が呟いた。
「うん。ここだと俺の髪、目立たんで楽かなー」
桜起としては、彼なりに自分の赤毛は気になっているのだ。
「そうだね、あたしやヒロ先輩の方が目立つ感じかな」
黒髪をふわりと広げて振り向く少女に、桜起は不覚にも見とれてしまった。
「見て見て、面白そうなお店がいっぱいあるよ」
宿屋にレストラン(飯屋、と言うべきか)、八百屋、雑貨屋…様々な物を売る店が並び、呼びこみの声が響き…現実に、生きている人間がそれぞれに生活していますよ、という熱気が押し寄せてくる。それを味わっているだけで充分楽しい、が。
「ただ…看板とか品物とかにいろいろ説明があるのに、何書いてあるかさっぱりで」
「看板の絵を見れば大体何を売ってるかはわかるけどー」
「あー、なるほど。あの看板は、文字を学ぶ機会がなかったり、遠くの国から来た人のために絵でわかるようになってるんだよ」
「うん、僕たちの世界の中世ヨーロッパでも、そうなっていたはずだよ」
ヒロ先輩の豆知識である。
「でも、読めたらもっと面白いのになあ」
そうは思うが。
「まあ、英語でもちゃんと読めるかと言われると…はははー」
高校生としては少々情けないが、そんなものだろう。
「…あの、これを」
ディアナが出してきたのは、古びた…けっこう分厚い本だった。
「これは?」
「かつて、この地に召喚されたお方が、残された本です。何でも、故郷の言葉とこの地の言葉を対応させた辞書…に、なるそうです」
「本当ですか!?」
「どれどれ…あ、日本語だー。…『旧かなづかい』みたいだけど」
どうやら、前に召喚されたのも日本人だったらしい。
「ただ、戦前…すっごく昔の人だな、こりゃ。何とか意味はわかるが」
古い本のはずである。
「で、その人は…帰れたんですかね」
すごく気になることではあった。
「召喚され、使命を果たしていただいてから…当時の神官が責任持って元の世界に帰した、と聞いておりますが」
「そ…そうなんですか。ほっとした…帰るあてはあるんだ、俺たち」
ここもすごく楽しいけれど。やはり、帰れるなら…帰りたい。
「そりゃ、そうですよね」
「大丈夫、帰れますよ」
ディアナとリオネルが口々に言う。
「ね!あそこでお昼食べようよ!」
その雰囲気に気づいているのかいないのか、ステラ姫が一軒の飯屋を指差した。
「おいしいって評判の店なんだよ!一度入ってみたくってさ」
「ひ…お嬢さま、毒見なしの食べ物は控えた方が」
「たまには冷めてない鍋ものとか食べたいんだもん」
上流階級に共通の悩みらしかった。
「おいしかったー」
ステラ姫は上機嫌だ。
「く、黒豆のホルモン煮込み…仮にも一国の王女の好んで食べる物とは…」
リオネルは文句たらたらだが。
「その呼び方はなし、リオネル。それに、ほんとおいしかったんだもーん♪」
「うん、すげー美味かった…食べたことない味だったなあ」
「そりゃそうだろう。まあ、僕も和食オンリーって訳でもないしね。気に入ったよ」
「あたしも!」
日本食万々歳になるのは、もっと年齢がいってからであろう。
「わ、こっちでしか見なさそうな店見つけちゃったー」
陽奈美が声を上げた。
「何?…わ、武器屋!すげー」
「日本じゃ絶対銃刀法に引っかかるよね」
「刀剣専門店ぐらいならあるが…ラインナップが明らかに違うなあ」
大きな剣(国王のものほどではないが)に弓矢、楯や鎧まで並んでいる。
「こういうの、ゲームじゃ購入して装備するよね…うう、ゲーマー魂がうずくなあ」
陽奈美はアイドル活動の空き時間をスマホゲームにつぎ込んでいるらしい。
「この、仰々しくケースに入ってる短剣…え、これミスリル銀製!?」
「うお、ファンタジーな感じだ!」
「すごい、他のと値段が全然違う!超絶高いー」
辞書首っ引きでわいわい騒ぐ。
「このミスリル銀は、遥か遠くの国でしか採掘できない希少な金属でして」
リオネルが解説してくれた。
「武器にすると軽いし硬いし、すごく優れた素材なんですが…当然、ものすごく高価なんですよね」
「正直、こんな短剣でも…わたしのお小遣いでも買えなくって」
小さいとは言っても一国の姫さまのお小遣いで無理、とは驚きだが…確かに、辞書で見るこの地の文字での「ゼロ」がどっさり値段にはついていた。
「まあ、わたしは別に要らないけどね。それより魔術書が欲しいかな」
そう言ってステラ姫が頭をかく…と、帽子がぽろっと落ちてしまった。輝く金髪が露になる。
「…あ!姫さまだー!」
それを見た一人の少女が声を上げた。
「本当だ!ステラ姫さまだ!握手お願いします!サイン!サイン!」
王女と言うよりアイドルを見かけたファンの反応にしか思えないが、とにかく人々が歓声を上げて襲いかかって…もとい、押し寄せてくる。日頃馬車で通りかかる時には押さえているが、そうでない時は違うらしかった。
「わーっ!」
ファンが怖い、は異世界でも同じであった。もみくちゃの挙句圧死しそうで六人はほうほうの体で逃げ出す。
「はー、はー…参った」
「ここは…演習場、ってやつか」
広い空間を占める四角いエリア…地面は均され、大勢の人が踏み固めているようだ。
「王宮にももちろんありますが、この国ではあちこちにこういう演習場が設けられていて、一般の人も訓練をしているんですよ」
「あの子たちみたいに…?」
そう、今この演習場にいるのは、十歳ぐらいの子どもたちばかりだった。
「ほら、あと十回!」
「はい!はああっ!」
まだ小さな子どもが、木の剣を手に必死で的に向かって打ちこんでいる。
「いざとなったら、自分の身ぐらいは守れるように、基本を教えています」
「あんな、小さな子も…」
「もちろん、最後の最後のために、ですけどね」
「念のためだよ。本当に、いざという時のため」
ステラ姫たちはそう言うが。
「俺も祖父ちゃんに鍛えられたし…日本でもあのぐらいの子が剣道とかやってるけどさー」
でも、この国の場合は…違う。
「これも、実戦の訓練…」
単なる武道の修練ではないのだ。
「やっぱり、ただ楽しい異世界生活してる訳にはいかないんだよな、俺たち」
物見遊山のためだけに召喚された訳ではないのだ。
「ま、まあ…そろそろ帰ろっか。母上も、さすがに夕飯をパスしたら怒りそうだし」
ステラ姫がちょっと暗くなった一同を元気づけるように声を張った。
次の日…王宮に与えられた部屋で(ちなみに桜起とヒロ先輩が一部屋、陽奈美はその隣で一室)起き出した三人は、王宮の中があわただしい雰囲気なのに否応なく気づかされた。
「また、国境付近で揉めごとが起こった模様です!」
伝令が駆けつけ、女王が政務を執る部屋で報告している。
「本当ですか!?」
女王のそんな声が廊下にも聞こえていた。
「こちらに攻めこむ動きなどはありましたか?」
「いえ、そのような動きは見受けられませんでした。…ただ、妙な動きが」
伝令は壁にかかった地図を示して説明しているらしい。
「この…国境線が引かれている山脈の中の一つの山のみに、異様に兵が集結して警備をしているのです。遠くから見たところ、どうやら鉱物の採掘をしているらしく…それ以上のことは、文字通り蟻の這い出る隙間もないほどの厳重な警備で、こちらのスパイも入りこめずご報告できませんでした」
「わかりました。貴重な情報を、よく届けてくれましたね…しばらくは休みなさい」
「は。休養を取りましたら、ただちに国境に戻ります!」
「…やっぱりこの国、臨戦態勢なんだね…」
そんなやりとりを耳に入れつつ、三人は…今のところ何もできていない。
「でも、どうしろと…一般人の俺たちに」
呟いた桜起は、王宮の中庭…やはり演習場になっている広場を、見下ろした。
「あれは…?」
「新兵の訓練ですよ」
三人に付き添っているリオネルが説明した。
「こういう状況ですので、新しく軍に配備されると、基礎から叩きこまれます」
「にしても、ものすごく大変そうだなー」
若者が数十人の集団に分けられて、黒ずくめの男たちの指示で走ったり、剣技の訓練を受けたりしていた。
「特に、あの黒服の人たち…すごいな」
五人の男たちは、黒ずくめの服装…の上、頭は頭巾と言うか、ほとんど黒覆面ですっぽりと覆っていた。手には刃を落とした細剣や槍、両手それぞれの短剣などを持っている。
新兵たちが、模擬刀で斬りかかるのを。
「強い…!」
五人は、次々と…圧倒的な実力で叩き伏せていた。
一応、祖父に古武術の手ほどきを受けたことがある桜起には、五人の動きが鍛え抜かれたもの…それも単なる訓練による身ごなしではなく、恐らくは実戦で身につけたものだとわかった。
もう、新兵たちの中で、立っていられる者はほとんどいなかった。
大多数が地面に寝っ転がり、激しく息をついているのみ。
「ひどいと思われるかもしれませんが…あのぐらいしないと、実戦では使いものにならなくて」
リオネルがにこっと笑った。
「もしかして、リオネルさんも前に…?」
「ええ、そうですよヒナミさん。…何度も死ぬかと思いました」
「はー…」
さんざんにいたぶられ、へたりこむ新兵たちに、黒覆面たちが冷たく言い放つ。
「恨むなら、力及ばぬ自分たちを恨め」
「「「…」」」
尻餅をついて、目だけで黒覆面の五人を見上げる新兵たちのまなざしには…ものすごい恨みが、こもっていた。
「それだけ睨めるなら、心配ないな」
しかし、五人はそんなこと蚊に刺されたほどにも感じていないらしい。
「宿舎に戻って、食って寝ろ。明日も早いぞ」
言い捨てて、黒ずくめたちは去っていく。
「…みな、ご苦労さまでした」
そこに暖かい声がかかった。
「…じょ、女王…陛下」
マーガレット女王が、お付きの女官数人を伴って廊下…バルコニーに現れ、下の演習場の新兵たちに声をかけた。へたりこみながら、何とか礼を取ろうともがく若者たちに優しく言葉をかける。
「今は、辛いでしょうが…これも、生きのびるためです。この国のために戦ってくださいとしか言えないわたくしたちですが…人々を守るためには、あなた方にがんばってもらうしかないのです」
「も、もったいない…!」
新兵たちは声を上げ…中には涙ぐむ者もいた。
―と。
「…?」
演習場から出ていく黒覆面の五人が…ふっと足を止めて、バルコニーの女王を見上げた。
―女王は、新兵たちに注いでいた視線を、一瞬逸らし…五人に向ける。
その見交わすまなざしに…「何か」奇妙なものを感じ、桜起は首をひねった。
(何だ…あの『何か』)
十六歳の少年には…まだわからなかったが。
何と言うか…「友情」とか「共感」とか、「理解」の色が、あった気がしたのだ。
女王も去り、下の新兵たちもやっとのことで立ち上がり、宿舎らしい建物に戻っていった。
「あの人たちも、戦いに…出るんだね」
陽奈美が呟く。
「そんなこと、できればさせたくないよな…たとえ、勝てたとしても」
「『多少の犠牲は、出る』…それが、戦争だからね」
ヒロ先輩、戦国時代は好きだが…後の時代から見る人間模様や計略の妙が面白いのであって、「その時代」の人々が殺し合うのを良しとしている訳ではない。
「何とか、したいよな」
「…そう思って、くださいますか」
ステラ姫とディアナが、近づいて来ていた。
「うん…何ができるか、わからないけどさ」
「あの…一つ、異世界の方にしか頼めないことが、ありまして」
ディアナもかなり言いにくそうだったが、決意して続けた。
「あなた方を召喚した、神殿…あそこの地下は、迷宮になっていまして。ずっと下って行きますと…そこに、『異世界から来た者しか立ち入れない宮殿』が、あるそうなんです」
「言い伝えではね」
ステラ姫が口をはさんだ。
「そこに入れば、大いなる力が手に入るって言うんだー」
「さらに別の言い伝えもありましてね」
これはリオネル。
「それによると、その宮殿には一頭のドラゴンが住んでいるのだと言うんです。そのドラゴンは、異世界から来た者だけを迎え、試練を与えてそれを乗り越えた者に力を貸し与えてくれるのだと」
「ド、ドラゴン!?」
「うわー、マジ異世界って感じだ…」
「『感じ』じゃないわよ!マジで死ねるって!」
ゲームとかで…およそ「ドラゴン」と名のつくものと戦った経験(?)を思い出すと、それが「現実」となった時の恐怖は想像を絶した。
「ふ、『復活』とかは…やっぱり、そうそうできないよな」
やはりゲームだからの話だろう。
「…そもそも、あたしたち三人しか『入れない』んじゃ」
「そうか、神官…ディアナさまとかが入れないんじゃ…」
ここの世界の神官に「復活」の能力があっても、その場にいないのでは意味がなかった。
「生きて帰れるのかな、あたしたち」
「ひ、陽奈美ちゃんは…お、俺が守るから…ま、守るから~っ」
桜起一世一代の告白…のつもりだったが。
「正直全然安心できないのよねえ」
「…僕のことも少しは守るって言って欲しいんだけどね」
陽奈美は眉をひそめ、ヒロ先輩は苦笑し…要するに、全く信用されていない。
まあ、仕方ない…桜起は今のところ、異世界召喚された「だけ」で、特に最強にも何にもなれていないのだから。
「でも、やっぱり…そこに行くしかないのかな」
「そうだな。このままだと、一生この国の居候だぞ」
「一生帰れないのも嫌だしね」
結局、今の状況を動かすためには…自分たちでアクションを起こすしか、ないのだ。
「この国、いろいろピンチらしいしね」
「うん。姫さまたちの力に、なれるんならなりたいよ…本当に」
「そうよね、桜起くん。姫さまもディアナさまも、桜起くんに興味しんしんだし」
「ひ、陽奈美ちゃん!?」
彼女の口調に「何か」を感じ、少年はうろたえた。
(ひ…陽奈美ちゃんは、俺にどうしてほしいんだろうか…?)
彼女の「真意」がどうにもつかめず、ひたすら困惑するしかない。
「僕はまあ、お二人には興味持たれてないからなあ」
ヒロ先輩、報われなさ過ぎである。
「話を戻そう。三人で、ドラゴンに会いに行く…で、いいのかな」
「うん、いいよあたし。このまま何もしないでいたくない」
「…ドラゴンに消し炭にされるのも嫌だが…このままこうしていても、この国が戦争するのに巻きこまれてやっぱりバッドエンド、かな」
ヒロ先輩も彼なりに覚悟を決めたらしかった。
「じゃあ…姫さま、俺たち明日にでもその宮殿に行ってみます」
「あ、そうなんだ!行く気になってくれたんだね、三人とも」
桜起が振り向いてそう言うと、ステラ姫はすごく喜んでくれた。
「…本当に、何から何まで頼んでしまって、済みません…勝手に召喚までしているのに」
ディアナの言うことは百パーセント真実だが。
「あ!いいんですよ、そのことは気にしないで…あははー」
ついそう言ってしまう自分が情けないというか何と言うか。
「うう、今日の夕飯は美味しいといいなあ」
ヒロ先輩はもう「最後の晩餐」を頂くつもりらしかった。…明日の晩を迎えられるのかわからないのだから仕方ない。
「滋養のつくものいっぱい食べてねっ」
ステラ姫も後押ししている気がするが。
「で、しっかり寝て元気出して」
「寝られるかな、俺たち…」
常在戦場のこの国の人なら必須のスキルかもしれないが。
「陽奈美ちゃん…俺、君に言いたいことが、ずっとあって…その」
この際だ、と桜起は思い切って彼女を呼び止めた。
「…無事に戻れたら、言ってくれるの?」
天使のように無邪気な顔で返される。なまじ可愛いから始末に悪かった。
「それ、俺の死亡フラグ…」
「冗談よ。何、言いたいことって」
にっこり笑った彼女にそう言われ…かえって、桜起の「言いたい」言葉は喉につっかえてしまった。
「あうあう…だから、その、俺は、君のことが…」
「…やめよう、桜起くん」
陽奈美の笑みが深くなった。
「これ以上続けると、ほんとにフラグが立ちそうだもん」
そう言って身をひるがえし、ヒロ先輩の方に駆けていく。
「いっつもだ…いっつも陽奈美ちゃんには、はぐらかされる…っ」
告白しようと、一世一代の決意をする度に…何だかんだと理由をつけて、逃げるのだ。
「…俺の気持ち、『わかって』るんだよ…たぶん、絶対」
それなのに、「告白」は、させてくれない。
何を考えているのか…(少なくとも桜起には)わからなかった。
第三章 やっぱり迷宮にはドラゴンですよね
次の日の朝。王宮からまた道を上って、桜起とステラ姫たちはあの、三人が召喚された神殿に向かっていた。
「この神殿、山にめりこんだみたいに造られてるよね」
馬車の窓から行き先を見て陽奈美が呟く。
「もともと、『聖域』と言われていたのが山の中の洞窟でして…そこを包むように彫り刻んで、入口を神殿らしく整えた、と言う感じでして」
「俺たちが召喚された場所とか、かな」
「はい。この国で、最も聖なる力が集まる場所とされています。だから儀式も成功したのではないかと」
「そっかー。坂はけっこうきついし、不便な所にあるなーと正直思ったけど…人間の都合で神殿の場所が決まった訳じゃないんだね」
「先に聖地があって、そこに神殿が造られた…と見てください」
「僕たちの世界でも、お寺とか教会とかは…この場所にあると都合がいいなって所に建てられたのも多いけど、もともと聖なる地って場所に建てられたものも多いんだ」
ヒロ先輩の豆知識である。
一同は神殿に入り、最奥部…三人が召喚された広間を抜けて、さらに奥に足を踏み入れた。
「―ここです」
ご神体(?)の脇、石造りの壁を示したディアナが言う。
そこには、小さな扉が造りつけられていた。
「この扉の向こうに、地下道が…山の遥か下の、ドラゴンの宮殿に続く道があると伝えられているんです。…ただし、そこに行っても宮殿の扉を開いてドラゴンに会えるのは、異世界から来た者だけだとも伝えられているので、敢えて入った者はいないんですが」
「本当にドラゴンがいるのかは、わからない…と」
「はい」
ヒロ先輩の質問に、ディアナは固い表情で答えた。
「でも、今さら入らないって言い出しても、しょうがないよね」
陽奈美の言う通りだった。引き返す道はない…進むしかない。行ってみて、空振りだったらその時はその時だ。確かめてみるしかない。
「行こう、陽奈美ちゃん、ヒロ先輩…何が起こるか、確かめてやろうじゃないか」
「行こう。あたしは大丈夫」
「『虎穴に入らずんば虎児を得ず』ってとこだな…『虎』じゃないけど」
それぞれの表現で決意を示した。
「じゃ、行くぞ…姫さま、ディアナさま、行って来るよ…ちゃんと帰ってくるからさ」
「うん、待ってる…帰ってきたらまたお祝いしようね」
「ご無事で…ここで祈っておりますから、わたくし」
期待のまなざしに見送られて。
「―行こう」
三人は、扉を潜った。
「これが地下迷宮ってやつなんだなあ」
渡されたカンテラで照らす先には、洞窟が枝分かれしながらずっと続いていた。
「それってモンスターがいるの前提じゃないの!?」
陽奈美、だからゲームのやり過ぎだって君は。
「途中までは大丈夫のはずだけど…一番奥にはボスキャラがいるの確実だもんなあ」
話す言葉も反響して奇妙に聞こえた。
「ト、トラップとかはないはず…って姫さまは言ってたけど」
「言ってた『だけ』だもんねえ」
そんな話をしながら、地図で示された道筋を慎重にたどっていく。ざっと二時間ぐらいは下っただろうか。
「この山の中って、蜂の巣みたいに洞窟が入り組んでるのな」
「確か、外国のどっかに…こんな感じの遺跡ってあったよね。…わっ、灯りが」
下り道の先から、ほのかな光が射してきて…そちらに向かって行くと、不意に先が開け…三人は、巨大な空間の入り口に立っていることに気づいた。
「うわ、広…」
「山の中にこんな空間があるなんて」
驚きつつ見回す…その、先には。
「この光は、あそこから…なのか」
淡い光を放つ、石造りの巨大な宮殿…それが、広がりの中にどん!とそびえ立っているのだ。
「ど、どう考えても、あれだよな…俺たちの、目的地は」
声が震えているのが自分でもわかり…情けないことこの上ないが。
「そ、そう…だよね。あそこに、行って…入れば、いいんだよね」
陽奈美も、ヒロ先輩も…カンテラと石の放つ光でもわかるほど、青ざめていた。
「目的地=ドラゴンの宮殿」がなかったら、それはそれで困るのだが。
しかし、いざ目的地が目の前となると…とてつもなく、怖い。
三人はしばらく、何もできずに立ちつくしていた。
でも、いつまでもこうしてはいられない。
「陽奈美ちゃん、先輩…あそこ、行ってみよう」
ここは自分が覚悟を決めないと、と桜起は声をかけた。二人は無言でうなずく。
三人は進み出、巨大な…明らかに人間サイズではない扉の前に立ち、見上げた。
「こ、これ…どうやったら、開くのかな…うわっ」
人の背丈に合わせたらしいノブ(?)を見つけ、触れると…動かしてもいないのに、意外にも勝手に扉が動き出した。
「わ、わ、わ…わあーっ!」
両開きの扉が、外側に開き。思わず飛び退いた三人が見たのは。
「「「わあっ!」」」
宮殿の中の、外よりやや強い光の中に、一際輝く、双つの…裂けた瞳孔を持つ、黄金の瞳があった。じろり、と一同を見やり…思わずみんな一歩後ずさる。
「おお、来客か…この扉を開けられたということは、異世界の者じゃな」
深い響きの声音の割には、かなり軽い…いたずらっぽい響きの喋り方だった。
「は、はい。その通りです…」
「久しいのう。前回人が来たのは、ざっと百年ぐらい前じゃったわい」
「ひゃ、百年…ですか」
「そうじゃよ」
平然と言う、その相手こそは。
「ドラゴンだ…確かに、間違いなく、テンプレにドラゴンだ」
宮殿のホールらしき広間を埋め尽くしてうずくまる、巨大な…三十メートルぐらいの体長がありそうな、四本足の巨体。身体は深い青の鱗に覆われ、長い首の上の頭には、先程目を奪われた黄金の双眸が面白そうにきらめいていた。
「いや、本当に久しぶりに人と会うのう。若い頃は儂も、異世界人に限定せずに勇者とか名乗る者の挑戦を受けまくってぶいぶい言わせておったもんじゃが」
「は…はあ。それが、どうして『異世界人限定』になったんですか」
「正直、飽きてなあ。ドラゴンと聞くだけで、『我こそは!』と挑戦してくる者が後を絶たなかったのよ。はじめは面白がって返り討ちにしていたが、そのうちにそれも面倒になって。しまいには、説得して帰ってもらうのも面倒になった」
「それで、『異世界人限定』に…?」
「滅多に来んから、忙しくはないじゃろ」
「そんな理由…だったんだ」
「まあ、さすがに百年も間が開くと…退屈して来たんでな。お前たちに会えて、話ができて正直嬉しいぞ。何か、力を求めてここに来たのかの?儂を楽しませてくれたら、世界最強にしてやるのも吝かではないぞ」
「吝か」の意味は、後でヒロ先輩に聞くとして。
それより…気になるフレーズが。
「『楽しませる』…?」
「そうじゃ。新しい刺激が欲しくてのう。向こう百年、思い出して楽しめるようなことをしてくれたら、儂の力を少し貸すぐらいは認めてやろう。大抵の人間よりは強くなれる筈だがなあ」
実に楽しげに言うが。
「そ、そんなこと言ったって…」
いきなり言われても、どうすりゃいいのか。
「…あ、あたし!」
陽奈美が手を挙げた。進み出て、ドラゴンに相対する。
「…これでも、ご当地アイドルの端くれだもん。歌とダンスで楽しませられなくてどうするの。…聞いてください、お願いします」
「陽奈美ちゃん!?」
「…大丈夫…アカペラなのが、残念だけどね」
エアマイクを握り(?)歌い出した。足が震えていたが、歌い出すとそれも止まる。
澄んだ歌声が流れた。
「陽奈美ちゃん…!」
驚くべき度胸だ…ローカルとは言え、アイドルとして人前に立って来ただけのことはある。
それから一時間…逢坂陽奈美「決死の」ワンマンショーは、続いた。
持ち歌を全部歌い踊り、全国的アイドルの歌までついでに披露する。
「…うむ、見事だ。何より、儂の前でそれだけ歌い踊れる意志の強さが素晴らしい」
楽しげな口調でドラゴンが賞賛した。前脚が許せば拍手でもしそうな勢いだ。
「た、楽しんで…いただけ、ましたか」
「うむ、なかなかにな。…じゃが、まだ向こう百年を楽しむには足りんのう」
「まだ…まだ、ですか」
「もう少し楽しませて欲しいのう」
「じゃあ二番手、僕行きます!」
ヒロ先輩が、震えながら立ち上がった。
「と言っても…僕にできるのは、戦国・幕末トークぐらいで」
「異世界の歴史かの。面白ければ何でもいいぞ、儂は」
言ってみれば外国の…それも日本と何の関係もない国の歴史を学ぶようなものか。
「…大丈夫ですか、ヒロ先輩」
「異世界人が…ド、ドラゴンだけど…聞いても、面白いよ戦国・幕末の話は」
自分のトーク力ではなく、戦国・幕末の「面白さ」に絶対の自信を持つ姿。
(…本当に、歴史が好きなんだな…ある意味すごいよ)
マニア道を貫く者のもつ異様な自信、というやつなのか。
それから、延々数時間。
ヒロ先輩による歴史トークは続いた。
信長だ、竜馬だ…と史実やこぼれ話をひたすら語る。
「…うむ、聞き入らせてもらったぞ。全く知らぬ地の英雄叙事詩、楽しんだ。この地の吟遊詩人でも、ここまで情熱と幅広い知識を持って物語れる者はそうはおるまい。…ま、旋律に載せて歌うことはそちらが上だがな」
「そ…それは、良かったです…ぜえ」
もはや声がガラガラのヒロ先輩。
「こ…こんなに、熱く語れたのは生まれてはじめてでした…げほっ」
全てやり切った者のみの持つ、一種の輝きを放っていた。
「すごい…すごいです、先輩…俺、尊敬します、ほんとに」
容姿は冴えない先輩だけれど…かっこいいと、桜起はつくづく思った。
「ま、満足していただけました、か」
かすれ声で先輩が問う。
「うむ、楽しんだが…もう一人おるのう」
ドラゴンの黄金の瞳が、じろりと残りの一人―つまり、桜起を見やった。
「前の二人は存分に楽しませてくれた。最後の一人がどのぐらい儂を楽しませてくれるか、楽しみだのう」
「う…!」
「さて、どうする?」
割れた瞳が面白そうにきらめいた。
「う、う、うーん…俺にできることって…そうだ、小さい頃に祖父ちゃんに教わった古武術の型でも、披露してみようかなあ…はは」
正直、桜起にはそのぐらいしか「人と変わった経歴」がない。
「あ、そう言えばお祖父さんに何か鍛えてもらってたよね、桜起くん」
「ああ、何か厳しく仕込まれたって言ってたな、お前」
幼なじみの二人は覚えていてくれた。
「一番得意なのは剣の型だけど…うう、木刀なんてここにないよな」
当然、祖父に鍛えられていた時は木刀を手にしていたのである。
「剣かの?見せてくれると言うなら、儂の持ち物を貸してやってもよいぞ」
そう言ってドラゴンは巨体を少し脇に寄せた。―すると、背後の宝物…金銀財宝らしき輝きが、ちらりと見えたりする。
「うわ、すごっ」
「こらこら、呉れてやるとは言うておらん。貸すだけだと言うておろうが…そこに武具もあるだろう。どれか一振りを使って良いぞ」
「そりゃ、どうも…ありがとうございます」
ドラゴンのすぐ近くを通り抜けるのはどきどきものだったが、桜起は我慢して宝物の山に近づいた。
「ちょっと反ってる方が慣れてるから…これ、かな」
木刀がある訳もないので、桜起はちょっと悩んで…一振りの刀を手に取った。反りのある細めで、片刃の…よくは知らないが、いわゆる新月刀と言われる部類の刀らしい。国王や演習場の人々が使っている剣とは、明らかに様式が違っていた。
「あ、意外と軽いや…すごいな、鉄製なのに」
意外なほど手に馴染んだ。柄も握りやすく造られており、かなり使いこまれた印象を受ける。
「じゃ、みんな…ちょっとスペース欲しいんだ、下がってくれ」
ホールの真ん中に立ち、桜起は新月刀を抜き放った。まわりの空気が一変する。
「―行くぞ」
いろいろあって波立っていた心が、構えを取ると嘘のように静まった。桜起は幼いころに叩きこまれた古武術の型を、一つ、また一つと空間に刻みこんでいく。
「―演武、終了…結構、汗かいたな」
型を一通り披露し、大きく息をついた彼はゆっくりと新月刀を鞘に収めた。
「すごい、桜起くん!きれいだったよ、すっごく」
陽奈美が手を叩いて歓声を上げた…が、その声を遥かに圧して、ドラゴンの大笑いが宮殿いっぱいに響き渡った。
「はっ、はっ、はっは…いや大したものだ、感服したぞ異世界の者よ!」
「え、え…そこまで喜んでもらえるとは」
陽奈美の歌やヒロ先輩の歴史トークの方がずっと面白いと思ったのだが。
「いや、その刀の技はなかなかのものであったが…しかしな、儂が感服したのは他のこともあってな。―何と言っても、お主がその刀を抜き放って、呑まれなかったことにこそ驚いたのよ!」
「え…?」
ようやく「言われたこと」が脳に沁み渡り、桜起は真っ青になって手にした新月刀、鉄製のはずなのに異様に軽くて使い勝手がいい刀を見つめた。
「見当ついたかの?…その通りじゃ、そこにある武具はどれも呪われておってのう…中でもその新月刀は極めつきの妖刀での、一度抜き放ったらその者は妖気に呑まれ、目の前にいる者を斬らずにはいられなくなるという…抜き放って、血を見ずに鞘に戻ったのは、儂の知る限り今がはじめて、と言ういわくつきの代物なのよ。いやあ参った、本当に驚いたぞ…あいつも何も考えずに召喚相手を選んでいる訳ではないのな」
「げげーっ!マジ!?『呪われた』ってことかよ!どひー!」
桜起は…当然ながら、刀を放り出そうとした。元の場所に戻そうと、ドラゴンのすぐ近くだろうが持って行って放り投げる。
しかし。
「…うそっ!?」
陽奈美が声を上げたのも無理はなかった。
「マジかよ!?」
…特に、(妙に軽い以外には)それまで違和感とかはなかったのに…ここに来て、桜起はこの刀が普通でないことを思い知らされた。
何となれば、いくら放り出そうと遠くへ投げつけようと。
「す、すごいな…これが『呪いのアイテム』ってやつか」
新月刀は、戻ってきた。何度投げつけても桜起の手の中にひょいと戻り、しまいには剣帯まで飛んで来て、勝手に腰に巻きつき、得意げに(?)刀がそこにぶら下がった。
「こりゃ、気に入られたのう…そいつはお主を新たな主と認めたと言うことじゃ。大切にしてやるといいぞ」
「簡単に言ってくれるけどさっ!どーすんだよ、これ!」
桜起の悲鳴がホールに響いた。
…十分後。
「だ…駄目だ。こいつ、離れてくれない…」
あきらめきれずに刀と格闘していた桜起が、ついに力尽きてへたりこんだ。
「ま、あきらめるこったな。そいつの呪いはすこぶるつきじゃよ…反動で与える力もすこぶるつきじゃから、活用するがよい。イルデファーンの奴らにひと泡吹かせてやるが良かろう」
「…あれ?ここの今の状況とかって…ご存じなんですか?」
「一通りのことはな。ここを離れずとも、この世界のことを知る術は儂にはあるのよ…あとな、上の神殿とは常時水鏡を通して話すことができてな。代々の大神官とは懇意にさせてもらっておる。…お主らが来ることも、一応話は通っていたのじゃよ」
割ととんでもないことを語るドラゴンだった。
「え…じゃ、あの大神官さまは…?」
ドラゴンの存在に確信ありまくりだったと言うことだ。
「あの、狸親父…!」
ディアナの父である大神官を、思わず口汚くののしってしまう桜起であった。
「一言言ってくれれば、俺たちこんなにどきどきしないで済んだのに!」
「まあ、そう言うな。代々大神官のみにしか伝わらぬ、秘中の秘のはずじゃよ」
「は、はあ…」
「この世界ではどうだか知らないけど、宗教によってはドラゴンは神の敵だったりするから仲いいのもまずいかもね」
ヒロ先輩のいまいちフォローになっていない豆知識だった。
「―しかし」
不意に、ドラゴンの口調が変わった。頭を心持ちもたげ、何かを探っているようだ。
「どうやら、この山の迷宮の中に侵入した者がおるようじゃの」
「俺たちの他に、ですか?」
「うむ。この地に生まれた者は、山とそこに住まう儂を畏れているため、敢えて立ち入る者はおらぬ。おるとしたら異国の者じゃの。大方お主らの様子を探りに潜入したのであろうが…この山の中で、儂の目から逃れられる者はおらぬ。―どれ、奴らの道をここに繋げてみようかの」
牙だらけの口が、笑んだ。―と、ホールの脇に並んでいた扉の一つが不意に開いた。そこから、転がり出てきたのは。
「何だ、こいつら?」
見たところごく普通の、この国の服装を身につけた男女三人だった。
しかし、その表情は…「普通の街の人」と表現するには鋭すぎる。
「そうか、イルデファーンの手の者…スパイってことか」
「僕たちがここに行くことは、少なくとも王宮にいる人なら知ってるはずだしね。情報が洩れているとしたら、イルデファーン側としては止めるか、様子を探りたくもなるか。…ちなみに、いつ戦争になるかもわからないって状況なら、どんなに警備を厳重にしたからってスパイが全くいない、と言うのはほぼ不可能なはずだよ」
「解説ありがと、先輩…一応確認しとくけど、そうなのか?お前ら」
「…」
三人は答えないが…その態度が、口に出すよりも雄弁に彼らの正体を物語っていた。
「どうしよう、この人たち」
「…戦国時代とかの常識じゃ、『生かして帰せない』ってやつだよね」
「「…う!」」
ヒロ先輩の言うことは、もっともだ…それはわかるし、イルデファーンと一触即発の今の状況なら、この国でもそれが当り前なのだろう、とも思うが。
「でも…!」
ここより遥かに平和な異世界から来た身としては、受け入れがたいのも事実だった。
「「「うーん…」」」
見るからに強情そうな男女を見やって困惑していると。
「…どれ、手助けしてやろうか」
言葉と共に、桜起たちからは背後にいるドラゴンの放つ威圧感が、とんでもなく跳ね上がった。
「「「…!」」」
三人の、顔つきが変わった。蛇に睨まれた蛙と言うか…恐怖と魅惑を同時に感じているような、魅入られた目で上を―おそらくはドラゴンの黄金の瞳を、見つめている。
そんな、魂を抜かれたような男女に、ドラゴンの声がいんいんと浴びせられた。
「お主らは、この山の中で見たものを、全て忘れる」
「「「はい…」」」
ゆらゆらと身体を揺らしながら、三人は異口同音に答えた。
「もはや国境を越えることも、イルデファーンの手の者に会うことも許さぬ。全てを忘れ、この国の者として、全てをこの国に捧げよ」
「「「はい…仰せのままに」」」
「よし。行け」
威厳に満ちた声音にはじかれるように、男女はふらふらと歩き出し…ホールを出ていった。
「もう、こちらを向いて良いぞ」
「は、はい」
びくびくしながら桜起たちが振り向くと、そこにはいたずらっぽくきらめく割れた瞳があるだけだった。
「そうか…ドラゴンの視線には、魅了や威圧の効果があるって」
「吸血鬼どもの魅了に比べたら、大したことはないがの。それでもこのぐらいはできる」
「くう…ドラゴン、マジすげー」
「あの人たち、どうなるんだろうね」
「全てを忘れよ」と言われていたが、本当にそうなったら今までの記憶にかなりの穴が生じるだろうし、相当生活しづらいだろうとは思うが。
しかしまあ、ここで死んでしまうよりはましだろう…まだしも心は痛まずに済むか、と考えることにした。
「―さてまあ、お主らがここに来た目的じゃが」
ドラゴンの言葉に、はっと桜起は我に返る。
「イルデファーンとの戦いにおいて、役に立つ『力』が欲しいと言うのなら…もう、解決したぞ。そこの、赤毛のお主が主となったその新月刀以上の『力』は、儂が出ていく以外には与えられんからの」
「そう…なんですか?でも、呪いの武器なんじゃ」
「だからこその『力』よ。引き出せるかはお主の努力にかかっておるが、十全に引き出せれば万軍を相手にしても退けは取らぬぞ、その新月刀の主は」
「う、うう…持って行くしかないのか」
「まあ、『呪われてる』って言っても、持ってる限りHPが自動的に減り続けるとか、そう言う効果はないみたいだし、大丈夫だよ。持って行こうよ桜起くん」
陽奈美よ、君はゲーマーの視線でものごとを見過ぎである。
「そういう訳じゃ」
「そうですか…」
もう、何も言うことはないと言いたげなドラゴンを前にして。これ以上話しても他には何も出て来そうにない…そう三人は判断した。
「じゃあ…僕たちは、帰ります」
「おお、そうか。達者での」
ドラゴンは上機嫌で答えた。どうやら、向こう百年は楽しめるだけの情報を入手し、三人の望みも叶えた(つもり)なので非常にご機嫌がいいらしい。思いっきり用は足りただろう的なオーラを出していた。
それじゃあ、と桜起たちは宮殿を出ていこうとする。
「それでは。ドラゴンさん、あの…話を聞いてくれてありがとうございます」
歴史トークを存分にできたことが、ヒロ先輩はよほど嬉しかったらしい。
「あ、嬢ちゃん。―これを、持って行け」
ドラゴンが陽奈美を呼び止め、ぽんと何かを放ってよこした。
「歌の礼じゃよ。取っておいてくれ」
「は、はい」
彼女が慌てて受け止めたのは。
「何だ、それ?」
「指輪…かな。でも、あたしにはサイズが大きすぎて」
どの指でも合うサイズではない、と言っている。
「持ってるには、紐につけて首から下げるしかないかな」
「そ…そうなんだ。ま、わざわざくれたんだし、首から下げるんなら持ってていいと思うよ…はは」
いつかは「ちゃんと指にはめられる指輪」を贈りたい桜起であった。
「でも、結構立派な造りで…この宝石、何だろ」
「何か、奥に文字みたいなものが彫ってあるような」
指輪にはめ込まれた宝石は澄んだ黄金色で、桜起はふっと何かを連想したが…他の二人の会話で連想は続かなかった。
「トパーズかなあ。でも、異世界だから違うのかも」
「マジックアイテムかもしれないよね!呪いは、桜起くんので充分だけど」
「やめてくれよー」
何はともあれ、三人は宮殿を出て…背後で、巨大な扉が音を立てて閉まった。
第四章 ミスリルなんて怖くない
「ういー…」
何はともあれ、戻って。
洞窟の出入口、神殿に続く小さな扉を桜起が開けて、三人が光の下に足を踏み出すと。
「…みんなあっ!良かった、無事だったね!」
ステラ姫が笑顔いっぱいで飛びついてきた。
「ご無事で何よりでした…」
ディアナが後ろで涙ぐみ。
「その、刀…それが『力』なのですか」
リオネルが目敏く新月刀に目を止めた。
「う、うん。ドラゴンが…まあ、『貸してくれた』ってことなのかな」
桜起が腰に下げた…と言うか勝手に下がっている刀を示して苦笑する。
「じゃあ、やっぱりドラゴンはちゃんといて…ねえ、どんなドラゴンだった?」
ステラ姫は好奇心で目がきらきらしていた。
「ああ、まあ…その」
内輪だし、ぶっちゃけてもいいかな…と言う感じで、三人こもごもに洞窟の中でのことを説明した。
「はー…呪いの新月刀、なのね」
「…呪いうんぬんの事は、国民には伏せておいた方がいいでしょう、姫」
リオネルの判断はいつもながら的確だった。
「では、これから両陛下に報告いたしまして、明日にでも国民への披露を手配いたします」
「披露…公開しちゃうんだ」
「このような『力』がカイルアンにあるということを示して、示威行動とするのです」
「デモンストレーションって訳か…なるほどね」
ヒロ先輩がうなずいている。
「…そもそも、どんな『力』なのか俺、わかってないんだけどなあ」
しかし、こっそり試すのも怖いし。
次の日、午前中から。
首都の外れにある一番大きな演習場に、人々が詰めかけていた。
「昨日の今日で、人って集まるもんなんだなあ」
「小さい国ですからね…それに、みんなあなた方に期待しているんですよ」
北側にしつらえられた、国のトップの座席…王と女王、大神官らの中にステラ姫の姿もある。
他の三方向には住民たちがぎっしりと集って、興味しんしんで見守っていた。
「この中には、イルデファーンや他の国々のスパイもいるでしょうが…承知の上です。見せつけてやりましょう」
三人(と言うか桜起)の世話をしているリオネルが笑った。
「だから、わかってないのにーっ」
文句は言ってみるものの、これだけの人に期待されているというのは、元々かなりの目立ちたがりの桜起としては悪い気はしない。
「がんばってね、桜起くん」
特に―一番見て欲しい相手が、そう言ってくれるとなれば。
「ひ、陽奈美ちゃん…どうすりゃいいのかわかんないけど、俺がんばるから」
勢いに任せて抱きしめられないかなー、などと考えてしまうが、そうすると彼女の胸元で揺れている物が気になったりして。
(あの、指輪…)
紐に通して首に下げている「あの」指輪。
抱きついたら挟まって痛いだろうな、と思ってやめておいた。
「では、はじめ!」
ウィルフレッド王の、戦場で鍛えた大音声が演習場に響く。
「―よし」
とりあえず、進み出て…桜起は新月刀を抜き放った。
「「「おお…っ」」」
ざわめきが場を満たす。
「でも…この的、でかすぎないか…?」
リオネルの発注、明らかに間違ってるだろ、と思いつつ…演習場の真ん中にそびえ立つ、木製の柱(?)を見上げて。
「こ、こんな…感じ、かな」
祖父に叩きこまれた動きで、刀を構えてみた。
―と。
「へ!?」
刀身から…光でかたちづくられた「刃」が、伸びた。
斬!
光の「刃」が、柱を両断し―それどころではなく伸びて、危うく反対側の観客に届きそうになっていた。
「げげーっ!」
しかし、「刃」を目の前にした人々はさすがに一歩後ずさっているものの、他の人々は大騒ぎして…明らかに、歓声を上げている。
「すげえ…さすが、尚武の国だなあ」
うっかり怪我でもさせてないか、と焦ったのに…みんな肝が太いなあ、とほっとした途端、桜起の身体からがくっと力が抜けた。
「え…?」
何か…尋常でない疲れが全身を浸している。
「桜起くん!?」
「桜起!」
「オーキさん!」
慌てて駆け寄ってくる人々の気配を感じつつ、へたりこんだ。
「どうやら…あの『光の刃』を顕現させると、この少年の体力もひどく消耗してしまうようですな」
診察した大神官(ディアナに身体をいじくらせる訳にもいかないので)が、一同に説明した。
「うん…何て言うか、この新月刀に備わった『力』だけでなく、オーキ自身の体力も増幅してあの『刃』をつくっているような、そんな『力』の流れを感じたよ」
ステラ姫は魔力と言うか、動いている「力」の流れを見て取ったらしい。
「つまり…あんまりこの効果を使うと、下手をすると桜起が死んでしまうかもしれないってことか。…僕としては、一応先輩として『あんまり使うな』と言うしかないな」
「ヒロ先輩…っ」
「先輩として、後輩たちを無事に連れて帰る責任がある訳だからね」
「あたしも同感」
「うん、先輩たちの言いたいことはわかるけど…俺は、大丈夫だから」
桜起はやっとの思いで起き上って、答えた。
「そうだな…カイルアンの長としては、『力を貸してほしい』としか、言えぬ」
ウィルフレッド王も、辛いのだ。
「みんなの言うことはわかるから…俺は、もう少しがんばるよ。―死なない程度に」
自分が、決断するしかない…そう理解した桜起は、きっぱりとみんなに言った。
とは言え。
「マジへろへろー」
食うだけ食って、ヒロ先輩と一緒の部屋で…桜起は、ベッドに倒れこんだ。
「まあ、食って寝て…それで回復するなら、いいさ」
苦笑する先輩の声も遠く…そのまま眠りこんでしまった。
夢も見ない深い眠り…なのに。
かた、かたかたかた。
「…むぬ…死ぬ、マジ死ぬから…」
寝かしておいてくれ…そう叫んで、また泥のように眠りたいのに。
容赦なく、かたかた耳障りな音が眠りを浸食してくる。
「…殺す気かよ…っ」
文句をもごもご言いつつ、やっとの思いで起き上ると。
「…何だ?桜起、何やってる…?」
隣のベッドで、目をこすりつつヒロ先輩が身体を起こした所だった。
「う…って、え!?」
どうしても外れず、仕方なく腰につけたまま寝ていたあの新月刀が…毛布の下でかたかたと鍔を鳴らしていたのだった。
「これ…!」
「きゃあああっ!」
新月刀を覗きこんで困惑する二人に、隣の部屋からの悲鳴が飛びこんできた。
「―陽奈美ちゃん!」
その時の桜起の判断は、傍迷惑ながら見事だった―と、ヒロ先輩は後に語った。
抜いた、と言うより勝手に手の中に飛びこんできた刀を一閃させて、彼は隣室とこの部屋を隔てている壁をぶった斬ったのだ。
壁はぱっくりと口を開け。
その向こうには、黒装束の男女に追いつめられている陽奈美がすくみ上がっていた。
「こんの野郎…!」
当然ながら突如壁が割れて呆然としている四人を、桜起の新月刀は瞬く間に圧倒した。―振るう直前に刃を返して峰打ちで済ませたのは、彼の僅かに残った理性によるものだ。
ばたばたと倒れた黒装束の手から、剣がからんと落ちた。
「桜起くん…!怖かったよおっ」
「無事で良かった、本当に…刀が鳴った時には腹立ったけどー」
あのまま死んだように寝ていたら、間に合わなかったかもしれない。
「先に陽奈美の部屋に入りこんだのが、不幸だったか」
苦笑して壁の大穴を潜り、倒れた四人を覗きこんだヒロ先輩が、声を上げた。
「―二人とも!この武器、おかしくないか?」
「「へ!?」」
潜入用だろう、いわゆる短剣の類が三本、床に転がっている。一人はリーダーだったのか、丸腰だった。
刀身は澄んだ銀色の輝きを、月の光を受けて放っているが。
「そう言えば…鉄とも、何か違うような」
夜用の灯り(一応魔法の品らしい)を近づけてもよくわからない。
「これ…三本とも、あのお忍びの時見たミスリルじゃないのか?」
「え!?」
確かに…あの、武器屋で大事そうに飾られていた剣の輝きに似ているような気もする。
「まさか、いきなり暗殺者を送りこんでくるとは…しかも、この微妙な時期に。あいつら相当焦ってますね」
騒ぎに気づいたステラ姫やリオネルたちが駆けつけ、黒装束たちを連行し…ヒロ先輩の見立て通り、短剣が三本ともミスリル製であることが鑑定された。
「これ…どういう、ことでしょう…?」
「このミスリル製の剣を、どう判断すべきなのか」
リオネルのみならず、呼ばれて来た財務大臣(小さい国なので、財務官僚のトップが便宜的に名乗っているのだが)も頭を抱えている。
「三本が三本ともミスリルの武器だと!?イルデファーン、何を考えている!…これだけで軽く一個師団は編成できる値段だぞこれ!?」
「そんなに、高額なんですかこれ!?」
確かに、武器屋で見た短剣にも。
「正直、書き間違いかと思ってた…」
こっちの文字で、くらくらするほど「ゼロ」がついてたけど。
「確かに、軽くて強度も高く…武器としてこれ以上の素材はないとは言われていますが、いくら何でも貴重で稀少すぎる…!」
「いくら確実を期すからって、三本も使うか!?」
「これって…俺たちが超大物って思われてるってことか?一個師団…ってよくわかんないけど、そのぐらいの金を投入して痛くないぐらい、買いかぶられてるってこと?」
「いや、桜起。こうは考えられないか」
「ヒロ先輩!?」
「いくら僕たちを確実に殺したいとしても…絶対必要でもないのにそんな高額な武器を持たせるのは、変だ。…推測だが、聞いてくれ。もしかして、イルデファーンでは今、ミスリルが大量に出回っているんじゃないのか?」
「はあ!?」
「大量に出回って…つまり価値が暴落して、一般の兵士でも持てるようになっているのかも」
呆然とする一同を前に、ヒロ先輩は自分の見解を述べる。
「この前、女王さまに報告されていたことと考え合わせてみたんだ。国境近くの一つの山を、イルデファーンの軍隊が蟻の這い出る隙間もないほど警備しているって…もしかしたら、その山がミスリルを産出しているんじゃないのかな」
「そうか…つじつまが、合いますね」
リオネルもうなずいた。
「それで、イルデファーン国内で大量にミスリルが産出できるから、採算を度外視してミスリル製の武具をを大量配備できる、と」
「…それだけじゃない。おそらくイルデファーンは、国境のこちら側から」
ヒロ先輩は一度言葉を切り、唇を湿して続けた。
「鉱山の採掘権を、主張されたくないんだ…と思う」
「!国境の山ってことは、鉱脈がカイルアン側にも続いているかもしれないのか!」
リオネルがいつもの丁寧口調をすっ飛ばして叫ぶ。
「だとすると…そもそも、イルデファーンが今の今、戦いにつながる動きをしているのも、ミスリル鉱山の権利を総取りするためなのか!?」
財務大臣も興奮していた。
「あわよくば、国境線をずらして鉱山を完全に支配下に置きたい、とか」
「鉱山の…特に貴金属、稀少金属の採掘権と言うものは、国力に直結するから争いの種になりがちなんだよ」
ヒロ先輩、「世界遺産」がどうとか言っている。
「と、言うことは…」
「カイルアンが憎くて、叩き潰したいとかじゃなくて、目的は利権なんだ!?」
「落とし所はある…たとえば」
「その鉱山を何とか…たとえば採掘を止めたりできれば、戦争を回避できるかもしれない!」
「極秘に潜入して、爆破でもできれば…供給が途絶えて、向こうの計画が崩れるかも」
もちろん、一時しのぎにしかならないが。
「それからのことは、外交で…女王さまたちが、行うことです」
リオネルが声を上げた。
「女王さまに奏上してください。戦争回避の目は、あると」
さすがに桜起が限界だったので、その晩はそのまま(部屋は替えたが)寝直して。
「―問題は、ミスリルが…武器の素材として優秀であるのと同時に、金銭的な価値も非常に高い、と言うことです」
次の日、やっと起き出した三人を前に、リオネルが沈痛な面持ちで語り出した。
「このままイルデファーンの支配下で、ミスリルの採掘が続けば…莫大な収入をかの国が得る、と言うことです」
「さらに、武器も超高性能、と言うことだね」
「…何とか、採掘を…止めたいのですが」
彼が言いたいことは…正直、こちらにも伝わってきた。
「…俺たちが…正確には俺が、極秘に潜入してミスリル鉱山を破壊する…のが、一番なんだよな」
「…強制はできませんが」
少年は唇を噛んだ。
「わかるよ…大軍勢で攻める訳にはいかない」
ヒロ先輩は感情を押さえ、大局的に状況を見ていた。
「今ここで、カイルアンがミスリル鉱山に大攻勢をかけるのは愚策だ。それこそイルデファーンと全面戦争になりかねない…下手を打てば、ミスリルで得た莫大な富で強化されたイルデファーン軍に叩きつぶされて、再征服されかねないんだ。…少数精鋭で、潜入して…破壊した方が上策だ。で、それが可能な『少数』は、この国ではステラ姫か、桜起なんだ…今は」
「で、でも!」
「陽奈美ちゃん…俺は、行ってもいいと思ってる」
「桜起くん…っ」
「まあ、これも向こうから見ればテロ行為だけどね。でも、全面衝突よりはいいかな…って、相当この国に毒されてるな、僕も」
頭をかきつつ先輩は笑う。
「もちろん、僕…リオネル・フィラグンドは同行します。オーキだけを危険にさらす訳にはいきませんので」
「…あたしもついて行くからね」
「僕もだよ」
「陽奈美ちゃん!?先輩!」
当然、二人は置いて行くつもりだった。
「置いて行かれるなんて嫌よ。どうしてもって言うなら、大声でばらしまくるから」
「同じ意見だね。愚策なのはわかっているが」
二人してじーっと見つめてくる。…ここまで固い意志を示されたら、どうしようもなかった。
「…わかった。二人とも」
渋々、うなずく。
「…話は聞いたよ!」
そこに、ステラ姫とディアナが飛びこんできた。
「それなら、わたしも一緒に行くよ!」
「…姫さま!?」
リオネルが明らかに動揺した。
「それは無理です!」
「絶対、わたしの魔法が役に立つもの!大技だけでなくて、他にも使い勝手のいい呪文はちゃんと習得してるし。わたしが一緒の方が絶対有利だって」
「仕方ありませんね…わたくしも、お供いたします」
「ディアナさままで!?」
「わたくしも神官です。お役に立ちますよ」
「そういう問題ではありません!二人とも、立場がわかってない!」
リオネル、敬語が段々ぞんざいになってくる。
「あなた方を守るために、我々は苦労しているんですよ!」
「でも、王族が一番前線に立つのがカイルアンの国是だもん」
「う!」
国王が建国の英雄という国ならではの国是であった。意表を突かれて少年は黙りこむ。
「…全く、姫とはとても言えませんな、その言動…」
脂汗をかいて、リオネルはその台詞を絞り出した。
「言うに事欠いて何よそれ。いいもん、生まれつきの姫じゃないしー」
ぶんむくれるステラ姫だったが…これは、主張が通ったということであった。
「姫さま、いっつもリオネルと口喧嘩してて…あんなに喧嘩するなら離れてりゃいいのになあ」
桜起が何気なく呟くと、陽奈美がくすっと笑った。
「桜起くんにはそう見えるんだ…まだまだ女心がわかってないね」
「え、え!?それって…」
(当の)彼女にそんなことを言われると、桜起としては思いっきりどぎまぎしてしまうが。
「姫さまはね、たぶん自分でも気づいてないけど、リオネルくんのことがすごく気になってるのよ。気になってしょうがないから、一言一言が気に障って…彼もいちいち返すから、つい喧嘩になっちゃうんだ」
「そ…そう、なんだ」
何となく、ステラ姫は自分に興味がある気になっていたが。
「桜起くんのことは、単なる好奇心だと思うわ」
「そうなんだ。はは…は」
何かへこむと言うか。
「そんなこと話してる場合じゃないぞ。どうするんだ、明日から」
ヒロ先輩の言葉に二人ははっと我に返る。
「そうだよな…どうしよう、ほんとに」
「姫さまに押し切られちゃったけどさ」
新しく用意された続き部屋の片方に三人で集まり、相談していた所だったのである。
「姫さまとディアナさままで、一緒に行くことになっちゃって」
「リオネルくんはともかく、あの二人に何かあったら…あたしたち、王さまたちに何て言って謝ればいいのか、わかんないよ」
「磔獄門…はまあ、ともかくとして」
「いや、先輩…そういうことじゃなく、何かあったら俺、自分で自分が絶対許せない」
とは言え…この三人のうちで曲がりなりにも戦える(らしい)のが桜起だけという状況では、卓越した魔術師のステラ姫や癒し手だと言うディアナが来てくれるのは本当にありがたい。…断りたくないのも事実だった。
「うう…」
来て欲しいし、断れないけど…困る、と言う状況で。
「―やはり姫たちを連れて行くのか」
「どわっ!」
不意に―音もなく、複数の影が室内に現れて三人を問いただした。
「え、え…!?」
昨日の暗殺者たちを思い出して焦るが。
「あ、あんたたちは…王宮の演習場で、みんなをしごいてた」
「そうだ」
黒ずくめの服装に、厳重な覆面…怪しさ大爆発だが、確かにあの時見た五人と同じ気配だった。武器は手にしていないが、かなり剣呑な雰囲気で三人を囲んでいる。
「もう一度聞く。ステラ姫と一緒に行くつもりか」
「で、できれば…俺たちは、そうしたい」
「…あの子を、守り切れるか」
(『あの子』…?)
少し引っかかったが。
「い、命に代えても。俺より先に女の子を死なせるのは、趣味じゃないし」
男たちの真剣な様子に、訳はわからなくても誠実に答えるべきだと感じ、桜起は正直な思いを口にした。
「―そうか。その覚悟があるなら…我々も、正体を隠しての応対は不誠実だな」
彼らはうなずき合い―皆一斉に覆面を取って素顔をさらした。
その―五人の、顔は。
「あーっ!あ、あんたたち…見たことあるよ!玉座の間にかかってた絵で…王さまのまわりで戦ってた、あの人たち!あの人たちの中に、いたよね!」
もちろん、十年ほどの歳月は顔に刻まれていたが…間違いなかった。画家は、見事に彼らの特徴を捕えて描き出していたのだ。七、八人だったと記憶しているが…その中の、五人だった。
「俺たちは亡霊だ」
五人のうちで今までにも一人だけ喋っていた、優男…と表現してもいい男性がぶっきらぼうに言う。
「亡霊…?」
「死んだはずの者たちだ。…かつて、独立の戦いの中で…最後の決戦において、イルデファーンの大軍勢の側面をつく別働隊だった俺たちは、成功はしたがほぼ全滅した。この五人だけが何とか生きのびたがな。カイルアンは勝利し、独立を宣言したが…俺たちは相談の上、全員死んだことにした。今は新兵の指導や、『裏』の仕事をこなしている」
「もしかして…女王さまは、知っている…?」
あの時、一瞬…この五人と、女王が交わした視線は。
「気づいていたか。意外に鋭いな」
そういうこと、だったのだ。
「あの、新兵の訓練…厳しすぎません?みんな、あなたたちのことすごい目で見てましたけどー」
「それでいい。俺たちがああしてしごいて、恨みがこっちに来ていれば…国のトップには不満が集まらないからな」
ヒロ先輩がおずおずと尋ねるが、亡霊たちは一蹴する。
「はー…考えあってのことなんだ」
正直ただのドSにしか見えていなかった。
「亡霊には亡霊の役割があるということだ」
「でも…女王さまはあなたたちのこと知ってても、王さまは知らない…よね」
陽奈美が、国王の表情を思い出して呟いた。
「『かつての友』を思い出している時…すごく淋しそうだったもの」
「ああ。あいつは、知らない」
「どうして?生きてるって知ったら、すっごく喜ぶと思うのに」
「会わない方がいいんだ」
「でも!」
「俺たちが『生きている』と、揉めごとが起こるからな」
「…わかる気がするよ」
「「ヒロ先輩!」」
「『王さま』って言っても、特別な血筋とかでなったんじゃない…独立の英雄の中で、一人だけ生きのびたから国王になっているってことは…英雄が他にも生きのびていたら、『同格』の人がいることになっちゃうだろ。そうすると、そっちの人を担いで権力を得ようとする人たちが出かねないんだ」
「で、でも…そんな気、ないならいいじゃん」
「そうも言っていられないのが『政治』ってものなんだ。…実際、明治維新とかでもそうだけど、革命とかを起こして成功すると、それまであんなに仲が良かった仲間たちの間でも、権力争いが起こって泥沼化…挙句に殺し合い、なんてこともあるんだ」
「う…」
「この人たちも、女王さまも…さんざん悩んで、打ち明けないことを決めたんだと思うよ。その決断を、無駄にできない」
「ヒロ、とか言ったな。その若さで、そこまで理解するか」
「うー…でも、やっぱり納得できないよ、俺」
「忘れるな。ここは『日本』じゃないんだ。平和でも何でもない」
「う…ん。他の人には、言わないよ」
不承不承桜起はうなずいた。
「これで、隠し事はなしだ。あらためて頼む…ステラ姫を、あいつの娘を、守ってくれ。この都にいれば、俺たちが陰から守れるが」
極秘の正体をさらして、信頼を示し…その上で、頼んでいるのだ。
「わかってる。あんたたちにも大事だろうけど、俺たちにとっても姫さまは大事な人だよ」
「あたしも、大切な友達になったもん」
「僕も、できる限りは」
それぞれにうなずく。
「頼む。では、あらためて…どうやって国境までたどり着くかを検討しよう」
五人は地図を広げた。…ちなみに、リーダー格の優男がコリン、細身の男がグラーシュ、大男がディネル、小柄な二人は双子でリムヌとカーズ、と名乗った。
「小さな国と言っても、問題の国境までは馬車なら一日だ。が…『潜入』には不向きだ。歩きなら二日だな」
「おまけに、スパイはうようよいる、と見ていい」
「お前ら三人も目立つし、ましてステラ姫は誰でも知っている顔だ。ばれずに動くのは難しいぞ」
亡霊たちは、的確に問題点を指摘する。
「でも!」
他の人に行かせる訳にもいかないし。
「…一つ、手がなくはない。…賭けだが」
亡霊グラーシュが声を上げた。地図に手を置き、国境の山脈までのルートをたどる。
「かつて、小人族が掘った、と言われているが…山脈の地下へ続き、さらにその下を通ってイルデファーンまで続いていると言う地下道があるんだ。…それをたどれば、誰にも気取られずに国境まで行けるはずだ」
「…!だが、その道は八十年前に閉ざされているぞ!」
「だから、賭けだと言っているんだ私は」
亡霊同士で言い争いがはじまってしまった。
「あの、話が全く見えないんですけど…っ」
「ああ、悪い。その地下道が使われていないのには、理由があってな。かつては、安全な抜け道として細々とだが使われていたのだが…八十年ほど前に」
亡霊たちも直接は知らない過去の話らしい。
「もちろん、その時点ではここもイルデファーンの一部だったのだが、向こうの首都で悲恋騒動があってな。貴族の姫と若い騎士が…と聞くが、もちろん成就せず、男の方が追われてな。必死で逃げ、その際地下道を通り…その途中に設けられていた関所で、力尽きた。その時に、その関所の門に呪いをかけた、と言うんだ」
「の、呪い…ですか」
思わず新月刀に目をやってしまったりして。
「それから八十年、その門を抜けられた者は誰もいない」
「じゃあ、駄目なんじゃ」
「ただ、その門には一つの『問いかけ』が刻まれていた、と行った者は伝えている。その問いかけに答えることができたら、呪いは解け…再び行き来が可能になると」
「つまり、行って…その呪いが解けたら、国境まで誰にも気づかれずにたどり着けると」
正直、ものすごく…分が悪い賭けだった。
賭けに勝てば、全てがいい方向に転がるが、負ければ全てが水泡に帰す。
「確かに大ばくちだが…頼めるか。オーキ、ヒロ、ヒナミ」
五人が、こちらをじっと見つめている。
「で、でも…俺たちに任せていいのか」
「我々の実力より、この場合はその刀と姫の魔法の方が有効だ。…それに、もしその門を通れなくても、死ぬことはない」
「…万が一、その間にこっちで戦争になっても、お前たちと姫だけは生きのびるだろう」
「!」
「生きのびてもらわねば、いかんのだ」
異世界の客人と、ステラ姫…かつての友の娘だけは生きのびて欲しいと。
「…わかった」
これほどの思いを、無駄にできなかった。
「引き受けるよ…いいよな、ヒロ先輩、陽奈美ちゃん」
二人は強い意志をこめてうなずいてくれた。
かくして、桜起たち三人と、ステラ姫たちは…翌日、密かに旅立つことになった。
亡霊たちからの情報であることは伏せて、地下道を通ると姫たちには説明している。
男性陣は旅の備品を手分けして背負っているが、ヒロ先輩はすでにひーこら言っていた。
「無事に戻れよ」
王宮からも地下道に入れたので、そこで国王夫妻にこっそり別れを告げた。国王が声をかける。
「はい。必ず戻ります、父上、母上」
ステラ姫は声を張った。
「あなた方客人に、娘の身を守って欲しいとお願いするのは誠に申し訳ないのですが…お願いいたします」
願いを口にする女王の背後に、亡霊たちの気配を感じながら、三人は深々と頭を下げた。
「絶対、守ってみせます」
第五章 門に謎はつきもので
王宮の地下室に、地下道に入る隠し扉があった。…どうやら、元はイルデファーンの一地方だったここを統治するための出先機関、その秘密の脱出ルートだったらしい。
天然の岩を掘り抜いた洞窟の中は、もちろん真っ暗だったが。
「あ、大丈夫。任せて」
ステラ姫が呪文を唱え、光球を一行の頭上に浮かべた。
「便利だな、魔法」
「明らかに敵がいるって状況では、使えませんけどね」
「うるさいリオネル。その時には『暗視』の呪文もちゃんと学んでるもん」
口をとんがらせて噛みつくステラ姫だったが…彼が結果的に自分を持ち上げたことには気づいていないようだ。
「全くの天然の洞窟…じゃ、ないんだよな」
長い年月の間に風化していたが、鑿の跡らしい形が壁面に刻まれている。
「昔…小人族と呼ばれる種族が、この大陸中を掘りまくった、という伝承があります。とにかく穴を掘って、鉱石を採掘したり、果ては住むのも移動するのも全てにおいて地中でするのを好んだ…と、伝えられているんです。『日光に当たると石になったんじゃないか』とか、『広い場所に出ると目を回したんじゃないか』とか、いろいろ言われているんですけどね。詳しいことはわかっていませんが、この大陸中の地下に道が張り巡らされているのは事実です」
「で、その小人さんたちは今、どこに?」
「かつては人間より多かったと言われていますが、遥か昔にどこか…地下のもっと深くにでも移って行ったのではないかと伝えられています」
「…案外、『小人族』って言う人間ではない種族がいたんではなくて」
ヒロ先輩が桜起にこそっと囁いた。
「昔このあたりで栄えていた文明が、やたらと穴を掘ってその中で何でもするのが『好き』だったのかもしれないな…僕たちの世界でも、『巨人が造りました』『小人が造りました』って伝承が残っているけど、よく調べてみると今住んでいる人たちの直接の先祖が造っていて、ただそれが伝わっていないだけ、ってことがよくあるしね」
「はー…」
先輩の、テストの成績には反映されない豆知識である。
そんな話をしている間も、一行は歩いて行き…今のところ上りでも下りでもないのは、正直有難かった。外が見えないので時間の経過もよくわからなかったが、溜まっていく疲れとヒロ先輩の腕時計(スマホで時間はわかるのだが、こういうのを持つのを好むタイプである)によって、お昼ごろに簡単な食事を摂った。
「つまんないなー。オーキやヒナミにも、この国のきれいな所をいっぱい見て欲しいのに」
ステラ姫は不満そうだ。
「仕方ありませんよ、姫。遊びに来てもらった訳ではないのですから」
「そうだけどさー」
「お、俺たち別に文句ないから」
「また、こんな切迫していない時に…ゆっくり遊びに行きましょう」
「そうだね。今は駄目だけど、また」
食事の後もひたすら歩いた。しだいに道が、ゆるやかな上り坂になっていく。
「山地が、近づいていますね。おそらく、もうすぐ問題の『門』…かつての関所に着いて、そこで国境までの道の半ばのはずです」
例の、呪われて今は閉ざされているはずの「門」だ。
「本当に、通れるのかな」
ステラ姫たち三人には、亡霊からの情報であることは言っていないが、呪いについては説明していた。
「通れなかったらマヌケだよねー」
…亡霊たちの、「ステラ姫だけは生きのびさせたい」という切なる願いについてはさすがに言えなかったが。
「ふう…ふうっ」
上り坂を大荷物を担いで歩いて行くのは、ヒロ先輩には辛そうだったが、何とか遅れずに歩いていた。
そんな中。
「…あれ、かな。『門』って」
ついに…地下道の先が、何かでふさがれているのが見えてきた。
洞窟にぴったりはめ込まれた…石造りの門、だった。
重そうな、やはり石造りの扉はぴったりと閉じられていた。ノブも何もないが、扉の中心、つなぎ目をまたぐように古風な紋章が刻まれている。
「こりゃ…ちょっとやそっとじゃ、通れそうにないな」
「単なる頑丈な門、ってだけじゃありません…『呪い』は、本当のようです」
ディアナには感じ取れるらしい。
「強い、強すぎる思い…果たされなかった思いが、しっかりとこの門に残っています。その思いが、扉を閉ざして行き来を阻んでいるのです…物理的な力での破壊は、難しいでしょうね」
「うー…この新月刀だって、『呪い』かかってんだが…ちょっと試しに」
「あ!ちょっ…!」
止める間もあらばこそ、刀を抜き放った桜起は門に突進…しかし。
「わあっ!?」
ばじっ、と赤い火花が飛び…気がついた時には、桜起は吹っ飛ばされて石の床にお尻を叩きつけられていた。
「痛ってえ…っ」
手はじーんと痺れているし、尾てい骨はえらいことになっていた。
「少なくとも、この場所でだけは、この門にかかった呪いの方が、その新月刀の呪いよりも強力なんですよ」
止めようとしたのに…と言いたげなディアナであった。
「力ずくじゃ無理ってことか」
「やっぱりその『問いかけ』を解けってか?なぞなぞ系、俺すげー苦手」
しかし、他に手がなければ仕方がない。
「どこかに…その『問いかけ』が、書いてあるのかなあ」
「…そこ!」
ステラ姫が指差す。門の上部…楣石と言うのだろうか、扉の上に渡された石に、ここの文字らしきものが彫りつけてあった。
「何か、すごく…下手って言うか、慌てて彫った感じだけど」
「まあ…その伝説では、悲恋で…成就しなかった人が、瀕死でここにたどり着いて呪いを彫りつけたって言うんだからなあ」
死ぬ間際に最後の力で彫りこんだとしたら、多少の乱れは容認すべきだろう。
「読みますね。…『女性の求める、究極の願いを告げよ』だそうです」
古風な文字を、リオネルが読み上げた。
「なぞなぞ…じゃ、ないのか」
「問いは問いですけど…知識とか、とんち系の問題じゃないですね」
しかし、その悲恋の騎士、どういう恋愛をして…死の間際にそんな問いかけを彫りこむ気になったのだろうか。
「まあ…うん。俺たちの半分は女の子で良かったな、これだと。男ばっかでなくって正解だったかも」
当然、女の子なら…すぐ正解が出るだろうと思っている桜起である。
しかし。
「女性の求める、究極の願い…うう」
気がつくと、女性陣三人が三人とも、何とも微妙な表情で固まっている。
「『究極』って言っても…ねえ、何だと思う?」
「とりあえず、思いつくものみんなで言ってこうよ」
額を突き合わせてそんな話をしていた。
「え、すぐ思いつくんじゃないんだ」
「だって…普通、みんな願うものってそれぞれだもん」
「そうですよー」
「お金…とか、かな。あと、可愛い服とか欲しいかも」
「宝石とかもいいよね」
「お菓子とか…」
すでにばらばらである。
「思いつくもの言ってみたけど…明らかに、物欲系よね。もっとこう…内面的なものは」
ステラ姫の言葉に、さらに三人は考えこんで。
「あたし…元の世界に戻ってからになるけど、アイドルとしてもっと人気が出たらいいなあ、と」
「もっと…魔術師として、腕が上がるといいなあ」
おい、そこの達人級。…女性究極の願いでは明らかにないぞ、それは。
「…素敵な王子さまと出会って、結ばれたい…」
ディアナは意外にも乙女チックな夢を持っているらしい。
「あ、ディアナもしかして…わたしが王子さまだったらもっと嬉しいな、とか思ってる?」
「そ、そんなことはっ」
思っているらしかった。
「やっぱりばらばら…とりあえず、全部門に向かって言ってみようよ」
実行したが…まあ、当然ながら。
「全滅だあ」
扉はぴくりとも動かない。
「もう、『人それぞれです』って言っていいんじゃない?」
それも、無反応だった。
「うう…女の子なら、すぐわかって楽勝、とか思ったけど違うのか」
「そうだなあ。何せ呪いがかかってから八十年、誰も通れなかったって言うんだから、そんな女性ならすぐに思いつくってことじゃなさそうだ。女性の旅人が全然いなかった訳じゃないだろうし」
ヒロ先輩は冷静だった。
「でも本当に、これじゃ通れない…駄目元だとは思ってたけどさ」
「これじゃ、ミスリル鉱山の破壊、できないよ…引き返したらものすごく時間がかかるし」
「賭けに、負けたか」
「作戦が成功したら、父上と母上の役に立てる、と思ったのに」
ステラ姫が一声呻いた。
「どうすればいいのか…引き返すとしたら、早く決断した方がいいですけど」
一同頭を抱えた、その…時だった。
何かが、きらりと…光った。
「…陽奈美ちゃん!それ…!」
輝いていたのは…燃えるような黄金色の輝きを放っているのは、陽奈美の胸元の…首から下がった、あの指輪だった。
「え…!?」
思わず手ですくい上げ、見つめる彼女のまなざしが…変わった。
(!あの、宝石の色…見たことあると、思ったんだよな…!)
あの…この指輪を彼女に与えたドラゴンの瞳と、同じ、色。
指輪を…きらめく、黄金色の宝石を見つめる陽奈美の瞳から…驚きや、戸惑いの表情が抜け落ち、どこかうつろな、熱っぽい…「魅入られた」輝きが宿る。
ドラゴンに、会った時…侵入してきた三人が、ドラゴンの目を見上げて命令を聞いていた…あの時の、目つきと同じだった。
「ドラゴンの視線の、魅了…陽奈美ちゃん!?」
指輪を奪い取らなきゃ!…と桜起が伸ばした手は、不可視の障壁に阻まれた。
桜起の声も、手が阻まれたのも…陽奈美には、届いていなかった。
ただ、輝く宝石、その黄金の…あの、ドラゴンの瞳が視界を覆い尽くし、頭の中に食い入ってくる…そのことで、いっぱいいっぱいだった。
”儂の声が、聞こえておるか?”
頭の中に、あの声…威厳に満ちた声が、響く。
「…はい」
(逆らえない…)
そう、わかってしまった。―それほどに、どうしようもないまでに、その声は…こもる意志は圧倒的で、同時に…抗いがたく、惹きつけられた。
”あらためて問う。お主の…女性の願う、究極の願いとは、何だ?”
「あたしの…願い…」
彼女の心を…先程も出て来た、お金、宝石、可愛い服にアイドルとしての賞賛…そんなものが、切れ切れによぎった。
”そのような虚飾を、捨てよ”
抗いがたい、声が響く。
”素直になれ。素直な、澄んだ心で…お主の中の、真の願いを見い出せ”
「はい…」
一種の催眠状態におちいっているのだろう。その言葉に応じて、波立っていた心が嘘のように静まっていき…全ての雑念が雲散霧消した。頭の中がクリアに、澄み渡っていく。無念無想…澄み切った、何の雑念も浮かばない精神状態に入っていった。
”今なら、できるはずだ…お主の中に眠る、真の願いを見い出せ。心の奥底を、探ってみよ”
「…はい。わかりました…」
言われるままに、陽奈美の意識の目が…心の奥底を覗きこみ、奥へ…奥へと潜っていく。
心の、奥底で。自らの根幹で。
「あ…」
小さく、声が洩れた。
「これ…が、あたしの…たった一つ求める、本当の願い」
ついに、奥底に眠らせ、押さえつけてきた…その「願い」に、触れた…思い当たった。
「これが…本当の、あたしの思い…」
今なら、わかる。―この願いこそが、自分…の、かつ、女性全てが心の中に隠し持つ、真の…究極の、願いだと。
あらゆる雑念や、虚飾が消え、心の澄み切った今なら。
誰にも嘘がつけず、ごまかすこともできない、この時なら。
素直に…今の今まで押し隠し、見ないようにしていたその願いに、向き合える。
”見い出したな”
「…はい」
”さあ、その願いを、口にせよ。声に出し、言葉にしてあの門に告げよ”
「…それは…」
この声に、完全に…魅了され、屈服していたはずだった。
”お主は、言わねばならぬ”
「…い、嫌…」
しかし…ドラゴンのその言葉に、彼女は必死に抵抗する。
言いたくない。
言いたくないのだ。―ここでは、絶対に。
(ここ…では…)
彼が…桜起がいるから。
”お主は言う。言わねばならぬ”
「う…く…」
抗いきれない、言葉と…言いたくない思いがせめぎ合い、陽奈美は苦痛に呻く。
その願いは、あまりに…あまりに自分の本質に近くて、あまりに自分の根幹から出てきたもので…他の人に(特に…彼に)さらしたりしたら、恥ずかしくて自分は死んでしまう…それほどに、辛いのに。
”言わねばならぬのだ”
声は、執拗に…強いてきた。
”言わねば、門は開けず…この国は守れない。故郷にも帰れなくなるぞ。それだけではない…わかっておるだろう、お主も…このまま自分の思いを言わずにいても、どうにもならぬぞ”
「…!」
”もっと、素直になれ。前に進むためにな”
その言葉は…圧倒的な意志と、魅惑がこもり…かつ、どうしようもなく、彼女の心の核心を、ついていた。
”言ってくれるな?お主だけが、できるのだ”
「…はい」
最後の抵抗も、打ち砕かれ…少女は、かすかにうなずいた。
「陽奈美ちゃん!?」
彼女がふらふらと歩き出したのに気づき、桜起は声を上げた。
「待っ…!」
止めようと、手を伸ばす…が、やはり彼女は不可視の障壁に包まれ、触れることもできなかった。
「この新月刀で!で、でもっ」
まかり間違えば彼女まで斬ってしまう…それが怖くて、手が出せない。
そんな風に悩んでいる間に、陽奈美はあの門にたどり着いていた。うつろな瞳のまま、右手を上げ…扉の紋章に、当てる。
「あたしの…女性の求める、本当の…願いは」
言葉が、そこで途切れた。
「…たった一つの、願いは」
言いたくない…言うことに抵抗があるのに、それ以上の強制を受けていて言わざるを得ない…そんな様子で言いよどんでいたが、ついに…苦しげに、吐き出すように、言葉を続けた。
「…それは、たった一人の…一番大切な人の、心…それだけ…」
ただ一人の人の、心…それを得たい、と。
何よりも…その人の心が、自分に向けられることが、本当の願いだと。
うつろな目で、見える横顔もこわばっているのに…頬だけが、真っ赤に染まっていた。
彼女の、手の下で…紋章が、赤く輝いた。
その光が、扉に…門全体に広がる。
「「ああ…っ!」」
扉が…今まで何をしても開かなかった扉が、軋みを上げて…ゆっくりと、向こう側に開いていく。
”よくぞ言った”
”それこそが、究極の望み…”
どこからともなく、声が響き…扉が開き切るのと同時に、門がかっと輝く。それっきり光は失せ、同時に…全員がうっすら感じていた、門からの圧力がふっと消えた。
「―呪いが、解けました」
ディアナが、小さく呟く。
「果たされなかった思いが…浄化されて、昇っていきます」
「あ…」
陽奈美の身体が、ぐらりと揺れた。慌てて桜起が飛びついたが…もう障壁は消えていて、彼は無事に細い体を支えられた。
陽奈美の胸元で…激しく輝いていた指輪が、しだいに光を薄れさせ…ゆっくりと、ただ光を反射させるだけの指輪に戻りつつあった。
”ヒナミとやら。もう、目を覚ましてよいぞ”
声が、頭の中で、しだいに小さく…遠ざかっていく。
”よく口に出してくれた。礼を言う…有難う。済まなかったな。最後に…これは命令ではなく、忠告じゃよ。もっと、素直になれ”
最後に届いた声は、先程の威厳に満ちた声音ではなく…どこかお茶目な、響きだった。
陽奈美は、意識は途切れていなかったが…かなり消耗していた。
「―問題はありませんよ」
診察したディアナが、心配でいてもたってもいられない桜起に告げる。
「ドラゴンの意志が注がれれば、彼にそのつもりがなくても、注がれた人間はどうしたって消耗します。でも、大したことはありません…一晩眠れば、元通りです」
「良かった…ほんとに」
本当に心配した。陽奈美が指輪に…ドラゴンに魅了されていた時には、このまま…魅了されたまま、彼女が連れ去られてしまうのではないか…そんなことまで考えていたのである。
「あたしは、大丈夫。おかげで門も開いたし、あれで良かったんだよ」
陽奈美はにこっと笑ってみせた。
「テント張るから、中で横になった方が」
「まだ大丈夫。おなかすいたし…夕飯食べてから、眠りたい」
幸い、門の向こう側は少し地下道が広くなっていて、キャンプできそうだった。二張りのテントを広げ、リオネルが夕飯の支度をする。
「あの時は…ね」
食後の香草茶を飲みながら、陽奈美は先程のことをざっと説明した(恥ずかしいことは省いた)。
「ドラゴンが介入してくれて、良かったんだと思う。あの、究極の願い…正直、普通の状態だったら、とても…とても口に出せなかったし。…女の子なら、わかってくれると思うけど」
「う、うん、わかるよ…それ」
「…わ、わたくしも」
思い出して…陽奈美ももちろんだが、ステラ姫とディアナまでトマトのような顔になっていた。
「そんなに、言いづらいんだ…あのこと」
歌の文句とかで聞いたような気もするのだが。
「そりゃ、心をこめてなければね。でも、まともな女の子で…あんなことをほいほい口に出せる子は、そういないよ」
だから、服とか宝石とかそういうもので、自分も他人もごまかしているのだ。
「ああ、思い出すとまた恥ずかしいなあ」
「ま、まあ今夜は休まないと。ヒナミ、一緒に寝ようね」
ステラ姫が取り繕うように声を上げ、ディアナと二人で陽奈美を連れていった。
「うん…寝よ寝よ、今は。せっかく道が開けたんだし、明日も急がないとな、桜起」
「悔しいけど…あいつに助けられたんだな、俺たち」
言いたいことは多々あれど…何はともあれ、開けた道をたどらねば。
次の日…一行は、朝早く(時計で判断するしかないが)出発した。
「陽奈美ちゃん…その指輪、捨てた方がいいんじゃ」
陽奈美は、相変わらず首からあの指輪を下げていた。
「大丈夫よ、きっと」
「大丈夫…って、大丈夫じゃないと思うんだけどなー」
桜起としては、正直…こんな指輪、ただ捨てるだけでは飽き足らず、地底深くのマグマにでも叩きこみたい(何に影響受けてるんだ、お前)ところなのである。
「大丈夫だって。昨日のことも、彼としては善意だったろうし、ああしてくれなかったら引き返すことになってたんだし…まあ、あたしはちょっと辛かったけど。でも、正直…持っていれば、また手助けしてくれるんじゃないかな、って思ってさ」
そう言って彼女はにこっと笑う。
(魅了されてた時に『持っているように』って命じられたんじゃ)
そんなことを勘ぐっていたが、強く言うのもためらわれた。うーっと桜起が悩んでいるうちに彼女はステラ姫たちの方に行ってしまう。
「ち、畜生…あんなもの、陽奈美ちゃんに絶対持っててほしくないのに…っ」
「桜起、お前ドラゴン相手にやきもち焼いても、しょうがないぞ」
ぎりぎりと歯噛みする彼に、呆れた様子のヒロ先輩が声をかけた。
「え!?いや先輩、俺そんなつもりじゃ全然なくてですねっ!?」
「まあ、目の前であんな目を陽奈美にされたら…わかるけど、な」
ヒロ先輩、桜起の言い訳を完全スルー。肩をぽん、と叩いた。
「でもな、心配ないぞ。ドラゴンも、そんなつもりで魅了したんじゃないさ」
「で、でも…あんなことができるなら、ちょちょいのちょいと」
陽奈美が、指輪の宝石に…ドラゴンの瞳に魅入られていた時、不可視の障壁に包まれ、触れることすらできなかったあの時には、本当にマジで、おのれドラゴンぶっ殺す…と思った松江桜起十六歳である。
「…わかってないな、お前」
「え、何…が、俺わかってないんですか!?」
本気で聞き返す桜起に、先輩は苦笑した。
「僕の口からは言えないな。いずれわかるよ」
「うー…わかりました」
教えてもらえそうにないとわかって、桜起は引き下がった。ヒロ先輩はその背中に呟く。
「気づいてないのは、本人だけか…あの子の視線がいつも、どこを向いているか…誰のことだけを追っているか、まわりには丸わかりだって言うのに」
そう、こちらの世界に来てからの仲間たちすら、気づいているのに。
ついに、道が…目の前で、途切れていた。
大量の土砂が崩れ落ち、地下道を完全に埋めていたのだ。
「ここを通れれば、ミスリル鉱山に直接入れたかもしれないのに」
「地震でもあったのかなあ」
「違う。…爆破系の魔法で、崩した跡があるよ」
ステラ姫が痕跡を調べ、きっぱりと言った。
「そのぐらい、入って欲しくない…ってこと、でしょうね」
あの地下道を通って来ることは予想していなかっただろうが、とにかくミスリル鉱山に続くルートはことごとく断っておきたかったのだろう。
「ここからは入れないけど」
「少し戻って、地上に一度上がりましょう。このあたりにも、カイルアンの手の者はいるはずです」
「何とか、鉱山潜入の手段を見つけよう、みんな」
ステラ姫が声を張った。