偽りの幸せ
高校生活。
漫画やアニメで華々しく描かれるそれは、知らない者たちにとっては何と素晴らしい世界かと思うだろう。
だが現実は創作とは違う。
目立つ者と目立たない者。
皆を引っ張る者と後ろからついていくことしかできない者。
友に恵まれる者と恵まれない者。
勝者と敗者。
小学校、中学校で同じだったことがたった一年上がった程度で変わるだろうか。
実際に変わる者もいるが、それは少数派になるだろう。
元から強者だった者は強者で、弱者だった者は弱者であることに変わりはない。
地味な者が途端に派手になれるかと言ったらそうではないだろう。
それを努力不足と言うのは容易い。
容易い故に困難である。
そして高校生ともなれば興味のあることに手を出しやすくもなる年頃でもある。
そんな中、地味でいてもいなくても高校に何の影響もないであろう僕が漫画やアニメで出て来る催眠術といった事に興味を持ったとしても何もおかしくはないだろう。
いや、興味があっても催眠術という怪しげなものに手を出すかと言ったら、ほとんどの者が出さないだろう。
しかし僕はその少数派だったのだろう。
最初はただの興味本位であった。
地味な僕を馬鹿にしていた妹についカっとなって試してしまった。
普通なら何を馬鹿な事をしてしまったんだと後悔したが、その催眠術が妹に効いてしまったようで、やかましかった妹が途端にぼーっとしたのだ。
とはいえ、ネットで見たような変な事など臆病な僕はできるはずもなく、無難に『きつく当たるのをやめて』と催眠を掛けるぐらいが関の山だった。
しかし、妹が催眠に掛かりやすいのかはまた別問題として、実際にできてしまったその事が問題であった。
だが妹相手に成功したかと言って、他の人にも成功するかと言ったらそれはわからない。
それでもし失敗でもしたらもう笑い者では済まされないだろう。
しかし、その恐怖感が逆に僕の催眠術が本物かどうかを試したいという思いが強くなっていった。
だからこそ慎重に相手を選んでもう一度催眠術を掛ける事にした。
その相手は僕のクラスメイトであり、常に一人で行動している一条さんに決めた。
ただ一条さんは一人で行動してはいるが、僕と違って地味だからということではない。
むしろ容姿端麗、頭脳明晰で人当たりも良く完璧と言ってもいい人だと僕は思っている。
彼女が一人なのはただ単にミステリアスな雰囲気を醸し出しているだけであって、尋ねられたりされてもきちんと丁寧に答えているため、人嫌いという事ではないだろう。
だからこそもし失敗しても彼女だけの笑い種になると考えてターゲットを彼女にした。
そして運の良い事に、僕と彼女は委員会が図書委員という事で一緒になることがある程度ある。
図書室の受付はローテーションだったり、色々な事情で変わったりなどもあるが、それでも学年やクラスが近い者同士がペアになったりすることが多い。
だが彼女に催眠術を試すにしても、図書室に誰もいない状況でなければならない。
もし誰かに見られたら弁解など僕にはできないだろう。
特に図書室は勉強に来る生徒も多少はいるため、誰もいないなんて事は稀である。
しかし、そんな図書室も試験終了後は人もあまり来なくなる傾向にある。
そしてチャンスは遂にやってきた。
試験終了後に僕と一条さんが受付を担当している時、図書室には誰もおらず、管理している先生も用事で先に帰り、学校に残っている生徒もほぼほぼ帰った理想的な状況が訪れた。
先生からも時間になったら戸締りをして帰っていいと言われているため、僕たちは大人しく受付に座ってその時間まで待機するだけだ。
このチャンスを逃せば次のチャンスはいつ来るかわからない。
僕は意を決して一条さんに声を掛ける。
「いっ一条さん、ちょっといいかな?」
「どうかしましたか?」
僕に呼ばれた一条さんは読んでいた本に栞を挟み、本を閉じてこちらを向く。
「ちょっとこの前テレビでやってた事って本当なのかなって試してみたいんだけど……いいかな?」
「別に構いませんよ。それで何を試したいんですか?」
「うっうん、えっと催眠術についてやってたんだけど、あれってホントにあるのかなって……あはは……」
「……確かにテレビで催眠術を掛けて何かをやらせるといった事がありますが、あれはヤラせがほとんどと聞いた事があります。もしかして本当かどうかを試してみたいという事ですか?」
「う、うん。変な事言ってごめん……」
「いえ。まぁ試すだけならすぐ終わるでしょうし、私で良ければしてみてください。それで冴木君の気が済むのでしたら」
「じゃっじゃあ……やるね」
流石に緊張しすぎて言ってることが変になったりしたけど、一条さんが優しくて助かった……。
これが他の女子だったら気持ち悪いの一言でばっさりだっただろう。
僕は五円玉を糸で吊るして一条さんの目線に合わせる。
「じゃ、じゃあいくよ」
「はい、どうぞ」
僕はゆっくりと五円玉を左右に揺らし始める。
「この五円玉をじっと見つめていてください。じっと……じっと……見つめていてください」
「……はい……」
一条さんは左右に揺れる五円玉をじっと見つめ、次第にぼーっとしていった。
「そ、そのままゆっくりと目を瞑ってください。目を瞑ったら深呼吸を繰り返してください」
一条さんは僕の指示に従い、ゆっくりと目を瞑って深呼吸を繰り返す。
「ではこれからいくつか質問しますので答えてください」
「はい……」
「あなたのお名前は?」
「一条……芽衣……」
「歳はいくつですか?」
「十七歳です……」
「どんな本を読むのが好きですか?」
「最近は……恋愛物が好きです……」
えっと……これは掛かってるって事でいいんだよね?
流石に掛かってなかったら何か問い掛けてくるだろうし……。
とはいえ一条さんに何か命令することまでは考えてなかったし……。
それにしても恋愛物が好きなのかぁ……。
「一条さんの彼氏になれたらどれだけ幸せなんだろうなぁー。僕も彼女とか作ってみたいなぁ……」
「……はい……私は冴木君の彼女です……」
「えっ!? いや違う違う! 今のは無し!」
「……」
ダメだ……反応がない……。
もしかして僕の催眠術って最初の命令もしくは願望だけにしか反応しないとか……?
とはいえ解き方までは勉強してなかったからなぁ……。
勉強して何かの拍子でもし妹に掛けた催眠が解けたら罵倒されるだろうし……。
しかし……これは解かないわけにはいかないしなぁ……。
でも今から解き方を勉強したとしても時間が掛かりすぎてしまうし……。
……仕方ない、ここは条件付けで掛けた催眠を緩和する方向で行こう。
「い、一条さん」
「はい……」
「一条さんが僕の彼女なのは学校や委員会が休みの日だけなんだ。それ以外は僕はただのクラスメイトであって、彼氏彼女の関係ではないんだ」
「はい……彼女なのは学校が休みの日だけ……」
ふぅ……これで学校生活は大丈夫そうだ……。
問題は休みの日はどうなるかだ……。
幸いもうすぐ夏休みだからある程度まとまった時間はできるし、その間に解き方を勉強する事は出来る。
だけど学校が休みの間は一条さんは僕の彼女という認識になってしまっている。
まぁ付き合っててもそんな頻繁に会うわけないだろうしたぶん大丈夫だろう。
って、そろそろ時間的にまずいから一条さんを起こさないと!
っとその前に……。
「それと僕が一条さんに催眠術の話をしたことは忘れること、いいですか?」
「はい……」
よし、なら後は起こすだけだ。
僕はパンっと手を叩いて催眠状態の一条さんを起こす動作をする。
その音で一条さんは一瞬ビクンと反応し、目を覚ます。
「んっ……」
「あ、一条さん」
「あら、もしかして寝ちゃってたかしら? ごめんなさい」
「誰も来なかったから大丈夫ですよ。それよりもう時間だし、後片づけしようか」
「そうですね。それと私は寝ちゃってたようだから冴木君は先に帰っててもいいですよ」
「流石に女の子一人にするわけには……」
「冴木君って優しいんですね」
「そうでもないよ……」
ダメだ……罪悪感が凄い……。
何で僕はこんなにも優しい一条さんに催眠術を試そうとしてしまったんだー!
後悔ばかりが残り、僕は家に帰ってから必死に催眠術を解く勉強を始めた。
◇
えっと……僕は何を見ているのだろうか……。
「冴木くーん!」
普段のクールっぷりはどこへ行ったのだとついツッコミたくなるような笑顔を振りまきつつ、こちらへ向かってくる一条さんを唖然として見つめる僕。
僕が掛けてしまった催眠術により、休日の間僕の彼女となった一条さん。
そんな彼女から夏休みに入ってからすぐにデートのお誘いが届いた。
委員会の関係から一条さんと連絡先を交換していたが、まさか委員会の連絡以外にこんなことに使うとは思ってもいなかった。
とはいえ、僕はデートどころか女子と一緒に出掛けたことなんてない。
つまりデートって言っても何をすればいいのかまったくわからないのだ。
「待った?」
「いっ今来たところです……」
「どうしたの? そんなに緊張して?」
「あはははは……」
ダメだ……変な笑いしか出てこない……。
「変な冴木君。それで、どこいこっか?」
「えーっと……」
こういう場合定番なのは映画館とかカラオケなんだっけ……?
あっ!
そういえば今話題になってる恋愛系の映画があったはず!
「えっ映画を見に行きませんか? 確か一条さんって恋愛系が好きでしたよね?」
「うん、じゃあ行きましょ。早くしないと席埋まっちゃうよ!」
そう言って僕の腕を掴んで駆け出す一条さん。
僕は引っ張られるまま一条さんと映画館へ向かって駆け出す。
普段の一条さんとは違いすぎて、もし学校の生徒に見つかっても別人としか思わないよなぁ……これ……。
「やっぱり話題なだけあって混んでるなぁ……」
「一本ずらした方が良い場所取れそうかなー?」
「そうだね。でもその間どうしよう……」
起死回生の一発として映画館を選んだつもりなのだが、まさかここで時間待ちを考える事になるとは……。
一応一本後の席は取ったけどどうすれば……。
「なら一度行ってみたかった場所があるからそこに行かない?」
「え、あ、うん、いいよ」
一条さんが行ってみたかったところってどこだろ?
「こ……ここは……」
一条さんに連れられてやってきた場所はケーキ屋だった。
「ここ一度は行ってみたかったのよねー。冴木君いいかな?」
「うっうん、甘いのは苦手じゃないから平気だよ」
「良かったー。じゃあ入りましょうか」
っと、一条さんがドアに手を掛ける前に僕がドアを引いてあげなきゃ。
そんな僕の動作を一条さんは少し驚いたように見つめる。
「ありがと」
そう言って笑顔で返してくれた一条さんに一瞬見とれるが、置いてかれるわけにもいかないため、急いで中に入る。
「ここって美味しい上に値段も控えめだから学生にも人気なんだって」
「へぇーそうなんだ」
の割には学生があんまり見えないような……。
って、よく考えたら今は夏休みだから学校帰りとかじゃないと寄らないのか。
今回は映画を待つ時間があるため持ち帰りではなく、店内で食べることになった。
「冴木君はどれにする?」
「んー……」
学生に人気というだけあってどれも美味しそうだ。
それに値段も割と安めだ。
僕は悩んだ末、無難なショートケーキにした。
流石に初めての店で知らない物をチャレンジするほど僕は度胸はないんだ。
「じゃあ私はこのカスタードエクレアにしようかしら」
どうやら一条さんはカスタードの入ったエクレアにするようだ。
会計時に店内で食べることを言うと、店員が席へ案内してくれた。
なるほど、直接見て選びたいっていう人もいるからこういう風に買った後に席へ案内するようにしているのか。
その際一条さんは何故か取り皿を二個頼んだが……いや、まさかね。
しばらくすると注文したショートケーキとカスタードエクレアが運ばれ、テーブルに並ぶ。
「ふふっ、美味しそうね」
「そうだね。じゃあ、いただきます」
「いただきます」
そう言って一口サイズにフォークで切ったショートケーキを口へと運ぶ。
うん、美味しい。
素人意見だが、クリームも甘ったるすぎずちょうどいいぐらいだと思う。
一条さんもカスタードエクレアを口にして幸せそうだ。
「冴木君、このカスタードエクレア美味しいわよ。食べる?」
「いいの?」
「うん、その代わりにそっちのショートケーキもちょうだいね」
「うん、いいよ」
「じゃあ……あーん」
「えっ!?」
そう言って一条さんは一口サイズに切ったカスタードエクレアをフォークの上に乗せてこちらへと手を伸ばしてくる。
もしやこれは恋人同士がやる伝説の『あーん』なのでは……。
だがいくら恋人同士と言ってもこれは偽りの恋人である。
そんな僕がそれをしていいのだろうか……。
僕が迷っていると、一条さんはクスっと笑みを浮かべて置いてあった取り皿にカスタードエクレアを置く。
「ふふっ」
「あ……あはははは……なんだ冗談かぁ……」
いくら催眠が掛かったとしても一条さんがそこまでの事やるわけないよね……。
ケーキ屋で雑談をしながら食べていると、いつの間にか映画の時間が近くなっていたため、映画館へと向かう事にした。
その際一条さんから手を繋ぐことを要求され、恥ずかしながらもそれに従う事となった。
正直言って嬉しい。
僕のような地味な男とは無縁な一条さんと手を繋げたんだ。
催眠という罪悪感はあるが、それ以上に嬉しいのだ。
でも、こんな幸せもいつか終わらせないといけないのだ。
それから、何度も一条さんとデートをした。
しかしデートと言っても普通のカップルがするようなデートではなく、本屋を回ったり、何故か両親や妹が不在の時に僕の家で話をしたりなどといった事をしていた。
一条さんは僕の読んでる本や、趣味などをよく聞いてきた。
案外一条さんって相手の事を知りたいとかそういう一面があったのだろうか。
その割には学校では一人でいることが多いのは意外だと言えば意外だった。
しかし、そんな偽りの幸せも終わりを告げた。
夏休みも終盤となり、一条さんとのデートも慣れてきたと感じてきた頃だった。
今日も一条さんとデートの予定で、両親も妹も合宿や仕事で家に帰ってこない日だった。
となれば今日は家でデートということになるのだろうか。
ならもう少し部屋の掃除をしておこうかな。
そう思ってベッドから立ち上がった瞬間、突然胸が痛くなり、そのまま床に倒れこんでしまった。
激しい痛みの中、誰かを呼ぼうと思ったが今日に限って誰も家にいない。
そしてふとこれは天罰なのだろうかと思い、僕の意識は闇へと沈んでいった。
◇
「ん……」
ここは……。
ゆっくりと目を開けると、見知らぬ白い天井が見えてきて、僕の左手には点滴を流すための注射が刺されていた。
「気が付きましたか?」
声がした方を向くと、白衣を着たおじさんがベッドの横に立っていた。
「ここは……?」
「病院ですよ。何か覚えている事はありますか?」
「覚えている事……」
確か……一条さんとデートの日で……部屋を掃除しようと思った時に……。
ふと外を見ると、もう日が暮れて真っ暗となっていた。
「もうすぐご家族が来られるはずです。では私はこれで」
「はい……ありがとうございます……」
医師のおじさんは部屋から出て行き、再び僕は一人となった。
「病院って事は誰かが救急車を呼んでくれたって事なんだよね……。ってことは一条さんが……?」
姿が見えないって事は今日のところは帰ったのだろう。
まぁ後催眠で不自然がないように僕と付き合うということにしてるから、あまり遅くは外を出歩かないようにしてるため仕方ないだろう。
翌日、両親と合宿から急遽帰ってきた妹から大変心配されたが、何とか病院に運ばれた経由は誤魔化すことに成功した。
そして検査結果がそろそろ出るらしく、それについては両親が聞くことになっている。
一条さんには今日は面会できないという事で会わないように連絡した。
流石に両親たちがいる時に一条さんと会わせるわけにはいかないからなぁ……。
病室でぼーっとしていると、目が覚めた時にいた医師のおじさんが部屋へと入ってきた。
「冴木さん、どうも」
「あ、こんにちは」
「……冴木さん」
「はい?」
「――――――」
「……え……?」
◇
両親たちが帰った翌日、一条さんがお見舞いに来た。
「冴木君、具合はどう?」
「……うん、心配してくれてありがとう」
一条さんは椅子に座って僕の様子を伺う。
流石に心配させてしまったようだ。
「僕を病院へ運ぶ手伝いをしてくれたのって一条さんだよね?」
「うん、いつになっても連絡がなかったから心配になって家に行ってみたの。それで電話掛けても音はするのにいつになっても反応ないから不審に思って……」
そのおかげで僕は無事病院へと運ばれたという事か。
……いや、無事とは言えないか。
「でも元気そうでよかったわ。あっリンゴ食べる? 今剥いてあげるね。何個ぐらい食べ「一条さん」」
僕は一条さんの言葉を遮って声を出す。
それを聞いて一条さんは手に持っていたリンゴをテーブルに置いてこちらを見る。
「僕……死ぬみたいなんだ……」
「えっ……?」
「いや、正確には手術しないとなんだけど……」
「し……死ぬって……そんなに……?」
珍しく一条さんが動揺している。
まぁ無理もないだろう。
「手術もアメリカの方でしないといけないし、それと同時にドナーも見つからないといけないんだ。でもドナーと言ってもそう簡単には見つからないだろうからね……」
「そ……そんな……。どうにかできないの!?」
一条さんが必死の形相で僕に問い詰める。
「無理だよ。アメリカで手術するにもお金もたくさん掛かるし、ドナーもたぶん見つからない。これは天罰なんだよ……」
「天罰……?」
「僕が一条さんに催眠を掛けて彼女にした、その罰が下っただけなんだよ……」
「さ……催眠って……そんなのあるわけ……」
「でも……もういいんだ……。この偽りの幸せも終わる時が来ただけなんだ……。だから……一条さん……」
僕は右手を一条さんの方へゆっくりと向ける。
「僕が指を鳴らしたら……一条さんは僕と付き合ってきた時の記憶は無くなり、代わりにいつも通りの日常が代わりの記憶となる。そして今日そのまま家へと帰るんだ……」
「いやっ! やめて! お願い!」
彼女は止めるように言うが、僕にも譲れないことがある。
「一条さんとデートをしている時、僕は君のお願いをずっと聞いてきた」
手を繋ぐことを、家へ来ることを、君の行きたいところへ行くことを、君のしたいことを、君が望むことを全て。
「だけどそのお願いだけは聞けないんだ。ごめんね……」
「冴木く」
僕は最後に笑みを浮かべパチンと指を鳴らす。
その瞬間、彼女は無表情となり病室を出て行った。
……これで……これでよかったんだ……。
そうだ……妹の催眠も解いてあげないとなぁ……。
きっとぼろくそに言われるんだろうなぁ……。
でもそれが不相応な催眠術という力を使った僕の末路なんだろう。
「……あぁ……死にたくないなぁ……」
全てが終わって今頃涙が出てきたが、僕には泣く権利なんてないだろう。
それだけの事をしたんだ。
やっぱり人間不相応な事はするもんじゃないね……。
後悔先に立たずとはよく言ったもんだ……。
「……うっ……うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
死にたくない死にたくない死にたくない!
いくら綺麗事を言ったとしても死にたくなんてないんだ!
でも彼女の前でみっともない真似なんて見せたくなかったんだ!
地味な僕の精一杯な見栄なんだ!
「ぁぁぁぁ……」
布団に顔を埋めた僕の嗚咽は小さく病室に響いた。
◇
私はつまらない人間だ。
厳格な父の言う通りに教育され続け、真面目に勉学と運動に励んでいた結果、母から『何を考えているかわからない』と父と話していたのを聞いてしまった。
それを聞いた父が『もう少し自由にさせるべきだったか』と言っていたが、今更それを言われて私はどうすればいいのだろうか。
自由にしろと言われても、実際に自由にしたら二人はどう思うだろうか。
下手をすれば病気になったのではないかと思うかもしれない。
学校でも真面目な私は皆から理想な生徒と見られていた。
そんな私が突然理想な生徒から外れたどう思うだろうか。
なら私はどうなるべきか。
答えは一つしかない。
家では父の教育した完璧な私。
学校では皆が理想とする真面目な生徒。
じゃあ……本当の私はどれなの?
小学校、中学校と理想となる生徒を演じ続け、高校でも同じように理想となる生徒を演じると思っていた。
そんな中、たまたま一緒の図書委員になったクラスメイトが声を掛けてきた。
「うっうん、えっと催眠術についてやってたんだけど、あれってホントにあるのかなって……あはは……」
催眠術?
あのインチキとしか思えないようなのを試したいと?
もしかしたらエッチな本のような事をしてみたいということなのだろうか。
まぁもしそういう魂胆なのであれば即教師たちに告げ口すればいいだろう。
幸い私は理想な生徒として教師たちからも見られている。
そんな私が訴えれば教師たちも無視できないだろう。
「……確かにテレビで催眠術を掛けて何かをやらせるといった事がありますが、あれはヤラせがほとんどと聞いた事があります。もしかして本当かどうかを試してみたいという事ですか?」
「う、うん。変な事言ってごめん……」
「いえ。まぁ試すだけならすぐ終わるでしょうし、私で良ければしてみてください。それで冴木君の気が済むのでしたら」
「じゃっじゃあ……やるね」
しかし他の生徒から理想と見られている私に催眠術を試すというのは面白いですね。
良いでしょう、変な事をしない限りその遊びに付き合ってあげます。
私もいい加減この生活にもうんざりしていましたからね。
こうして、私は催眠術に掛かったフリをして彼――冴木君の偽りの彼女となりました。
それからの日は自分で言うのもおかしいが楽しかった。
演じる必要がなかったため、ついはしゃいでしまったが冴木君は引いていなかっただろうか。
それにクラスメイトの女子たちが良く話していたケーキ屋にも行ってみた。
噂は噂通り……いや噂以上で、購入したカスタードエクレアは美味しかった。
つい冴木君にあーんとカスタードエクレアを差し出して見たが、恥ずかしがったのか中々食べてくれなかったので念のために用意しておいた取り皿に仕方なく置いた。
別に偽りとはいえ恋人なんだから食べてもよかったのに。
それにしても……恋人ができるってこういう事なのかな。
でもクラスメイトの話を又聞きした感じだともっとイチャイチャしているということらしいが、私としてはこれぐらいの距離感が良いと思っている。
それに逆にぐいぐい来られすぎても冴木君も調子が狂ってしまうだろう。
しかし……彼氏の家に行くのは実は結構進んでいるものなのかと後々知ったが、途端に行くのを止めるのも冴木君がショックを受けるだろうし、今まで通りでいいだろう。
だけどこの偽りの関係を案外私は気に入っていたらしい。
冷静に考えればそうだろう。
普段のように演じる必要がない分好きにできたし、言い方が悪くなるが冴木君は地味な分インドア方面に詳しいためそっち方面の知識を得ることができた。
まさか男子の冴木君が少女漫画を持っているとは思わなかったけど……。
いや、面白い面白くないかで言ったら面白かった。
ただ少々過激な部分があったのは否めないけど……。
でも……こんな関係もいつかは終わりが来てしまうんだろう。
彼自身も間違えて掛けてしまったと最初に言っていたため、恐らく解き方をこっそり勉強しているだろう。
まぁ夏休みが終わるぐらいに解いてもらえれば無難な形で終わるだろう。
そしたら私は皆が理想とする一条 芽衣になるだけなのだから……。
しかし、そんな終わりも突然訪れた。
デートの予定の日にいつまで経っても冴木君からの返信が来ない。
普段ならどんなに遅れても十分以内には送ってくるぐらいの几帳面な彼から一時間以上も返信が来ない。
もしかして慣れてきたため寝坊してしまったのだろうか?
一応今日は家デートの予定だったので、両親はいないはずなので堂々と冴木君の家へと向かう。
家の前に着いて電話を掛けてみると、彼の部屋らしき部屋から着信音が聞こえてきた。
なんだやっぱり寝坊か、と思って何度も掛けても何の反応もない。
流石にこれはおかしいと思って私は警察に連絡をして家を調べてもらう事にした。
警察の人にお願いして彼の部屋を窓から見てもらうと、警察の人が慌てて救急車を呼ぶように指示してきたので私は指示通りに119番に連絡をした。
それからは忙しく正直覚えていない。
ただ冴木君の容体はとりあえず大丈夫で両親も後で来るという事なので、催眠の時間の関係上家へ帰ることにした。
そして二日後、ようやく冴木君の会う事ができた。
「冴木君、具合はどう?」
「……うん、心配してくれてありがとう」
よかった、どうやら大丈夫なようね。
「僕を病院へ運ぶ手伝いをしてくれたのって一条さんだよね?」
「うん、いつになっても連絡がなかったから心配になって家に行ってみたの。それで電話掛けても音はするのにいつになっても反応ないから不審に思って……」
あの時は本当に焦った。
「でも元気そうでよかったわ。あっリンゴ食べる? 今剥いてあげるね。何個ぐらい食べ「一条さん」」
彼は私の言葉を遮って声を出す。
私はその言葉を聞いて手に持っていたリンゴをテーブルに置いて彼の方を見る。
「僕……死ぬみたいなんだ……」
「えっ……?」
「いや、正確には手術しないとなんだけど……」
「し……死ぬって……そんなに……?」
何で……?
今までそんな素振り見せなかったよね……?
「手術もアメリカの方でしないといけないし、それと同時にドナーも見つからないといけないんだ。でもドナーと言ってもそう簡単には見つからないだろうからね……」
「そ……そんな……。どうにかできないの!?」
私は必死の形相で彼に問い詰める。
何で彼が死ぬことになるのよ!
「無理だよ。アメリカで手術するにもお金もたくさん掛かるし、ドナーもたぶん見つからない。これは天罰なんだよ……」
「天罰……?」
「僕が一条さんに催眠を掛けて彼女にした、その罰が下っただけなんだよ……」
「さ……催眠って……そんなのあるわけ……」
「でも……もういいんだ……。この偽りの幸せも終わる時が来ただけなんだ……。だから……一条さん……」
彼は右手を私の方へゆっくりと向ける。
「僕が指を鳴らしたら……一条さんは僕と付き合ってきた時の記憶は無くなり、代わりにいつも通りの日常が代わりの記憶となる。そして今日そのまま家へと帰るんだ……」
「いやっ! やめて! お願い!」
私は彼に止めるように言う。
自分でもこんな声出すとは思ってもいなかった。
「一条さんとデートをしている時、僕は君のお願いをずっと聞いてきた」
やめて、それ以上続けないで!
こんな形で終わらせたくないの!
冴木君が指を鳴らしたら何も知らない私に戻らないといけなくなっちゃう!
もうお見舞いにだって来れなくなっちゃう!
「だけどそのお願いだけは聞けないんだ。ごめんね……」
「冴木く」
彼が指を鳴らしてしまった。
もう私は君の彼女ではなくなってしまった。
私はすっと立ち上がり、病室を出て行った。
ダメ……泣いちゃダメ……。
ここで泣いたら……彼にバレてしまう……。
本当は催眠に掛かってないって事が……。
だから泣いちゃダメ……。
そう思っていたのに……。
「お兄の彼女さん……ですよね?」
エレベーターを前に見知らぬ女の子に突然声を掛けられてしまった。
「初めまして。私、お兄の……冴木 弘の妹の舞っていいます」
「えっと……私は……」
「あぁ大丈夫です。あのお兄にこんな美人な彼女ができるわけないですし、恐らく催眠術で彼女にさせられたんですよね?」
「なっ!?」
なんでこの子は催眠術の事を!?
「えっと……実は私がお兄の催眠術にノったのが原因だと思うので……」
……もしかして冴木君、妹に催眠術を試してそれが成功したから私に掛けたってこと……?
確かに冷静に考えればあの冴木君が一発目で私に試すわけないか……。
「それで私に何か?」
「はい。……どうかお兄を恨まないでください……」
彼女は私に対して頭を下げる。
「催眠術のせいで貴女に迷惑を掛けたというのはわかっています……。でも元はと言えば私がノってしまったせいです……。だから……」
「そんな泣きそうな顔しないで。正直言えば私も冴木君の催眠術にノっていたのだから……」
「そうなんですか……?」
「えぇ……」
それから落ち着いた場所へ移動して舞ちゃんと話した。
実は舞ちゃんは冴木君の事が好きで、悪態をついていたのは少しでも自信をつけてほしかったからという。
まぁ私からしたらそれは逆効果かなとは思ったのだけどね。
そして……舞ちゃんは冴木君の状態の事をちゃんと知っていた。
だから二人で抱き合って泣いた。
声を押し殺して泣いた。
この後舞ちゃんが冴木君の病室へ行ったらきっと催眠術を解いてしまうだろう。
そしたらきっと舞ちゃんも冴木君を傷付けないために催眠前のように悪態をつくしかなくなってしまうだろう。
舞ちゃんは何度も『どうしよう』と泣きながら尋ねてきたが、私はどうしても耐えられなくなったら私のところに来なさいと言ってあげた。
強がってみたものの、正直舞ちゃんと会えてよかった。
私一人だったらきっと限界だっただろう。
どこかでボロが出てしまっただろう。
でも同じ境遇の舞ちゃんがいる。
だから私は耐えられる。
だからこそ今まで通り完璧な『私』を演じてみせる。
全ては彼が望んだ通りに。
そして夏休みが終わり、冴木君がいない日常が始まった。
数日経つとさすがに冴木君が何日もいない事に疑問を持ったクラスメイトが担任に尋ね、入院している事を伝えた。
それを聞いたクラスメイトの女子が私に声を掛けてくる。
「一条さん、冴木も一応クラスメイトだしクラス全員行く流れになってるから一緒にお見舞い行かない?」
「流石に一回も顔出さないのはまずいもんね……」
「ああいうやつって結構ネチっこいからね……」
彼女たちの言葉に内心ムッと思うが、そんな事は微塵も表に出さずに返答する。
「冴木君もクラスメイトがお見舞いにきてくれたら嬉しいでしょうし、そんな事を言っては可哀想ですよ」
「ご……ごめんなさい……」
「そういえば変な事聞くんだけど、夏休みの間に冴木と一条さんが一緒にいたっていう話聞いたんだけどホント?」
一瞬驚くが、それを表に出してはいけない。
冷静に返さないと。
「冴木君と? いえ……特にそんな事はないですが……」
「あれぇ? 見間違いだったのかなぁ?」
「まぁ冴木って地味だし似たようなカップルを見間違えたんじゃないの?」
「んーそうだよねー一条さんが冴木みたいな地味な男子と付き合うわけないもんねー」
彼女たちは冴木君の何を知っているというのだろうか。
彼の趣味は? 好きな物は? 好みは?
彼女たちはその内の一つでも知ってるのだろうか。
私はこれ以上彼を貶している言葉を聞いているとボロが出てしまいそうなので早々に話を切り上げる。
「それよりもいつ行くのか決めませんか? 皆さんも予定がありますよね? 私は図書委員だけなので最悪変わってもらえますので皆さんに合わせますよ」
「あーそうだねちょっと確認しとくよー」
「あたしも確認しとくー」
ふぅ、何とか怒りは抑えられそうです。
……冴木君……。
結局彼へのお見舞いは二日後となり、私が代表として花を渡すこととなった。
二週間ぶりの彼の病室。
緊張するが、ここで下手に緊張しては不振に思われてしまう。
私は自然体を装い病室の中へと入る。
「こんにちは。体調はどうですか?」
「一条さん……?」
「はい、一条ですが……どうかしましたか?」
「あっいえ、なんでもないです……」
彼は内心驚いているだろう。
今すぐ彼を抱きしめたい、元気づけたい。
でも今の私にはそれをやる資格がない。
「お花……持ってきたのですが机に置いて大丈夫ですか?」
「えっと……少し持ってたいから貰ってもいいですか?」
「はい、いいですよ」
私は手渡しで彼にお見舞いの花束を渡す。
彼はそれを大事そうに受け取る。
「お花……お好きなんですか?」
「見てると落ち着くので好きです」
嘘。
それは私が持ってきた花束だから好きなだけ。
彼は花は嫌いではないけどあまり好きではない。
「そうなんですか。私もお花好きなんです」
「へぇ、そうなんですか。知らなかったです」
嘘。
私が花を見てると落ち着くから好きっていうのを知っている。
彼の家でお互いに好きな物を話し合ったから。
「ではあまり長居するとお身体に障ると思いますし、私たちはこれぐらいで失礼します」
「はい、お見舞い有り難うございます」
「いえ、お大事に」
そう言って私は静かに戸を閉める。
病院を出た瞬間、私と一緒に来た女子たちは思い思いの言葉を口に出す。
「なんかあいつ案外元気そうじゃんね」
「しかも一条さんから花束受け取った時にやけてたしー」
「うわ、きっもー」
「一条さんごめんねー、冴木なんかに花束直接渡すなんて嫌だったでしょー?」
「いえ、そんなことないですよ」
彼が元気そう?
最後に会った時より少し痩せこけてたのに?
ダメだ、彼女たちと話し続けていると本音が出そうになってしまう。
「では私はこの後寄るところがありますのでお先に失礼します」
「あーうん、一条さん待たねー」
「また学校でねー」
「ばいばーい」
「はい、また学校で」
私は彼女たちと別れた後、舞ちゃんへとメッセージを送る。
「はぁ……はぁ……芽衣さん!」
「舞ちゃん、走ってきたの?」
「はっはい!」
「とりあえず座って」
「はい……」
ファミレスで舞ちゃんと待ち合わせをした私はお互いの近況を報告し合った。
「そうですか……とうとう周知となりましたか……」
「うん……私もさっき行ってきたばかりで……」
「お兄……芽衣さんと会ってどうでした……?」
「……ちょっと驚いてたかな……。あと私が渡した花束を嬉しそうに受け取ってたよ」
「お兄のバカ……まだ未練たらたらじゃんか……」
「舞ちゃん、私の隣においで」
「はい……」
悲しそうな舞ちゃんを見るのが辛くて隣に来るように声を掛ける。
隣に来た舞ちゃんは私にしがみついて声を押し殺して涙を流す。
「ごめんなさい、舞ちゃんにばっかり負担を掛けさせて……」
「いいんです……。芽衣さんはお兄にそうそう会えないのはわかってますから……」
「舞ちゃん……ありがとう……」
それから学校はいつの間にか冴木君がいないのが当然のように日々は過ぎて行った。
そして冴木君は療養という形で転校していった。
本当の事はこの学校では私しか知らない。
舞ちゃんとは連絡は続けているが、もしもの時はすぐに連絡するようには言ってある。
だが次第に舞ちゃんからの連絡が減ってきている。
恐らく舞ちゃんが意図的に減らしているのだろう。
きっと私のためを思って……。
私の偽りの幸せを忘れさせるために……。
ありがとう舞ちゃん……でも私は彼の事を……。
そういえば彼が好きだった物の中で遠くの相手と遊べる物があったわね。
確か……ネットゲームだったかしら……?
それをしていればいつか彼とも……。
◇
「――ル。――レール!」
「っ!?」
「おいエクレール、寝てたのか?」
「エクレールさん大丈夫~?」
「えぇ、大丈夫よ」
「エクレールさんが事務中に寝るなんて珍しいですね」
「ふふっ、ちょっと嬉しい事があったから夜更かししちゃってね」
「嬉しい事ですか~?」
「んー……何かブランド品が手に入ったとかか?」
「大したことじゃないわ。久々に知人から連絡があってね。ずっと離れてたのだけどね……」
「ふむ。まぁよくわからないがお前がそこまで嬉しそうな顔をするなど滅多にないからなよっぽどな知人なのだろう」
「えぇ……私の人生を変えてくれた大事な知人よ……」
エクレールこと一条 芽衣の元に届いたメッセージにはこう書かれていた。
『お兄の手術が無事成功して療養の結果、無事元気になりました! 今まで連絡しなくてすいませんでした!
芽衣さんはもうお兄の事を何とも思ってないと思いますが、お兄は未練たらたらなので芽衣さんがよろしければ会えませんか? 勿論私も一緒です! 私だって一杯話したい事あるんですからお兄だけで会わせたりなんかしません!』
年越しスペシャル作者血迷いシリーズ(恋愛)第二弾です。
まさかのキャラの話です。