表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

エッセイ

〆にはパフェを

作者: 仲山凜太郎

 私は時々、無性にパフェが食べたくなる。


 私は酒が飲めない。

 以前は乾杯のビールぐらいは飲めたのだが、今はそれすら駄目である。私の作品の主人公たちがあまり酒に強くないのはそのせいでもある。

 最初の酒は、多くの人がそうだと思うが大学時代の飲み会である。正確には高校時代、梅酒のサイダー割りを飲んだことはあるがあえてカウントしない。……親を犯罪者には出来ない。

 初めての飲み会で最初に口にしたのがビール。好きな人には申し訳ないが、私はどうしてもあれがうまいとは思えない。それでもその時は「酒が飲める」というだけでなんだか嬉しくなった。大人の階段を上る気分だ。  

 だが、私は初めての飲み会ということもあって、自分がどれぐらい酒が飲めるかがわからなかった。それがいけなかったのだろう。私は調子に乗ってコップを傾け、何杯飲んだか記憶がハッキリしない。たいして飲んでいなかったかも知れないし、調子に乗ってがぶがぶ飲み続けたのかも知れない。

 私は店を出たあたりからなんだか頭がふらふらして……気がついたら駅のホームのベンチで横になり、駅員から「大丈夫ですか?」と声をかけられていた。終電までに、電車の揺れに耐えられる程度には回復したのが幸いだった。

 これが私の飲酒初体験である。大人の階段を上るどころか、足を踏み外して転げ落ちてしまった。

 しかし私はこの時点ではまだ自分が酒が駄目ということに気がつかなかった。単に飲み慣れていなかっただけと思い込んでいた。

「どうも自分は酒に弱いらしい」

 と思い始めたのは、その後、何回か飲み会に参加しては酔い潰れては嘔吐しを繰り返すようになってからである。それでも慣れれば大丈夫と思い、酔い潰れるのも何のそのと飲み続けた。そしてトイレで吐くを続けきた。

 しかも次第に潰れるのが早くなってきた。慣れるどころではない。さすがにここに至って自分は酒が駄目なのだと結論づけた。何しろ私の家は自他共に認める下戸一家である。お正月にお屠蘇も出ない。うちにある酒は神棚の御神酒用を除けば、何年も前にバスツアーでもらった試飲用のミニワインが冷蔵庫に眠っているだけなのだ。


 そして就職。ここで私は考えた。会社ならばどうしても飲み会に参加しなければならない。歓迎会とか打上とか言っても、実質飲み会である。しかし酒は飲めない。乾杯ぐらいで終われば良いが、どんどんコップにつがれた場合どうしよう。断り方によっては却って溝が出来る。下戸ですというのは簡単だが、以前の自分で思っていたように

「それは飲み慣れていないからだ。呑め呑め」

 と言われたら断るのも一苦労だ。そもそも飲み会とは酒を飲む集まりである。でなければ飲み会などと言わず「食事会」とか「飯会」とか言うはずだ。参加者が酒を飲むのを前提とした集まりなのだ。だからこそ、下戸である私は飲み会に参加することに後ろめたさを感じてしまう。

 そこで私は考えた。出来るだけ早く、一回で私は酒が駄目だと相手に印象づける方法はないか。それもできるだけ角が立たないような…………。

 幸いにも私は食べる方は平気だし、甘いものは好きだ。しかし、ただ甘党だと宣言しても簡単には浸透しないだろう。インパクトのある宣言の仕方でないと。

 そこで私は最初の飲み会で、

「最後だ。何か頼むモンないか」

 メニューを手に赤い顔で聞いてくる上司に対し

「それじゃ、デザートにチョコレートパフェ」

 と宣言した。一瞬の後に皆が爆笑した。

「好きなんですよ。お願いします」

 と、酔った男たちの目の前で、私は一人チョコパフェを幸せそうに食べて見せた。

 飲み会の〆にパフェ(でかいサイズ)を食う奴。

 効果は抜群だった。私に酒を勧める者はいなくなり、最後には「お前、パフェあるぞ」とメニューを開いてみせてくるほどだった。

 こうして私は、社内での甘党男の地位を確立した。


 もっとも、甘党は甘党で苦労がある。親の話によると、昭和の時代は

「酒の飲めない男は半人前」「酒が飲めないふぬけ男とは仕事をしたくない」「酒の席でこそ、本音で語り合え、お互いの関係が深まる。それをしないなんて」

 などという男がいて、周囲もそれを当たり前の考えとする空気があったらしい。

 下戸=仕事の出来ない半人前、お子ちゃま。である。

 さすがに私の頃はそこまでひどくなく、下戸もかなり世間に認められてきた。しかし、酒飲みよりも格下に見られるのはしょっちゅうだった。

 それでも、酒に苦しむよりかはマシだ。それに、一度甘党の地位を得ると周囲もそれに合わせてくれるので気が楽だ。酒の席でも飲めない私に周囲がフォローを入れてくれる。ありがたいことだ。

 しかしこの方法、問題が一つあった。私はパフェも好きだが普通に酒のつまみになるようなおかずも好きだ。食べて食べて食べて最後にパフェ。

 飲み会でなくても私には甘いものが回ってくるようになった。会社へのお歳暮でクッキーなどが来ると、迷わず私に「これ、お前がもらっていって良いよ」と箱ごと渡される。それが一つや二つではないのだ。

 その結果、私は数年後に医者から「痩せなさい」と言われる体型になった。縦の成長期は過ぎたが、横の成長期は続いていたのだ。

 今、勤めている会社は小規模で飲み会などはない。お歳暮のお菓子も「子供達が好きだから」と子持ちの人がもらっていく。ダイエットの成果もあり、体重も標準となった。精神的にかなり楽になった。

 その代わり冷え性に苦しむことになったのは「ああっ、手が凍る」の一編で書いたとおりである。


 そんなわけで、私は無理してパフェを食べる機会は無くなった。が、今でも私は無性にパフェなどが食べたくなる。特にスーパー銭湯などに行って、火照った体によく冷えたパフェのアイスとクリームをスプーンですくい、口に入れた時の至福感は最高である。

 ただし、冷え性に並ぶダイエット後遺症「カロリー気になる性」のせいで、どうしても以前ほど手を伸ばすことが出来ない。食べるには決意と計画が必要だ。この日はパフェを食べるぞと決めたら、それに合わせて3日ほど前から飢えない程度にカロリーなどの調整を行う。甘い物に飢えた状態で食べると却って体に悪い。食べた後は体重と体脂肪率の増加に備えて心を落ち着かせる。

 大げさに思われるかも知れないが、それだけのことをしてでも食べたいと思える魅力がパフェにはある。


 私は密かにある計画をもっている。

 目当ては札幌にある雪印パーラーのドリームジャンボパフェ。1万円を超える値段、要予約のあのパフェを一人で食べてみたいと思っている。

 だが、あれは事前の準備でどうにかなるものではない。若者達がみんなでわいわい楽しみながら食べ合うのを前提としたものだからだ。

 実際、あれは修学旅行の女学生達がお小遣いを出し合ってきゃっきゃっ騒ぎながらみんなでつつくのが一番絵になる。いい歳したおっさんが一人で食べるものではない。正直、自分でも少し小さいI am a NO.1にしといた方がいいかなと思う時がある。

 だからこそ、私は決めている。将来、医者から癌などで「余命●年ですね」の宣告を受けた時に食べようと。そうならなかったら、100才の誕生日にI am a NO.1を食べようと。

 人生最後の食事は何を食べるかという質問がある。私はためらわず「雪印パーラーのドリームジャンボパフェ」と答えよう。

 酒の席、〆にはパフェを。

 人生の〆にはパフェを。


 ……自分で自分の人生を〆てどうする……

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 酒飲みの国である高知県では酒が飲める人にはとことん酒を勧めて酔いつぶすらしいですが、酒を勧めた相手が飲めないとわかったときには 「酒の味がわからん奴に飲ますのはもったいないから俺が飲む」 と…
[良い点] 最後の晩餐が決まっているのは羨ましい。 私は最近「楽しい」と思える事や「あれ食べたい!」という衝動に駆られる事が減ってきていて、「割と本気で精神的に参っているんじゃないか自分……?」と考え…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ