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短編集  作者: 黒澤 由亜
13/16

veritas



私が人生で初めて塗ったマニキュアは、透明の中にラメが光るいたってシンプルなものだった。





その時、私は小学三年生だったと思う。丁度暑くなりかけの、春と夏の間の期間だった。

学校が終わり通学路を逆走してもうすぐで家に着くというところで、私はそれを目にした。

それは家でよく見た、つけもしないのに種類だけ揃えてあるマニキュアだった。

石の塀の上にポツンと置かれた液体が半分ほどしか入っていない使いかけの瓶。

中身は透明。しかし白昼の日差しでキラキラと光ったそれは、お洒落など皆無だった当時の私にとって珍しいものの中に属していた。

瓶を手に取り先のつまみを捻ると、粘液を纏ったブラシが姿を現した。

私は帰路の途中だということをすっかり忘れ、その場に座り込み夢中になってマニキュアを自信の人差し指の爪に塗ってみた。

興味津々で触ってみると、粘液が指についてしまった。形が崩れたそれに、私は慌てて塗り直した。

人差し指の爪が乾かぬうちに中指、薬指、小指、親指、片手の爪を塗る。

両手の爪が塗り終わった頃には、最初に塗った爪はすっかり乾いていた。

そうしてやっと帰路の途中なのだと思い出した私は、早くこれを母に見せようと急いで家に走った。

マニキュアは、こんなところに放置されているのだから誰かが捨てたのだろうと思い、ちゃっかりランドセルの中にしのばせていた。


私は玄関で出迎えてくれた母に勢いよく両手を見せつけた。

手を動かすと共に照明で煌めく爪に、母は「あんた、どうしたのその爪!」と驚いた様子で私の手を掴み取る。

私は何故か自信満々で「そこでみつけた!」と叫ぶと、ランドセルの中のマニキュアの瓶を取り出した。

母はそれを見て呆れていたが、特に何を言うこともなく夕食の準備をするためにキッチンに消えていった。

私は自分の部屋にランドセルを投げ置き、机の上に瓶を置いた。

お洒落というお洒落は初めてだった。私はこの年でしてはいけないことをしてしまったのかも、と思い込み、ワクワクしていたのだ。

厚く塗ってしまったせいで三分の一に減ってしまった液体を眺めながら、幼い私は学校で出された宿題をランドセルから取り出した。





二度目にマニキュアを塗ったのは、高校生になったときだった。

きちんと制服を着ていればほぼ自由のような校則。茶髪にしたり耳に穴を開け始めた友達に憧れ、自分で言うのもなんだが比較的真面目だった自分は学校帰りのショッピングモールの化粧品売り場で黒のマニキュアを買った。

何故黒なのかと問われれば、それは私が好きな色だから、としか答えようがなかった。


家に帰って早速包装を破り瓶を開ければ、昔はただ『臭い』としか感じなかったシンナーの臭いが刺すように鼻を突き抜けた。

真っ黒な粘液を幼い頃に塗ったときみたいに塗るが、うまく塗れず苦戦する。

なんとか塗り終わったと自分が満足した頃には、既に十五分は優に超えていた。

しかしその時点で塗り終わったのは片手だけ。集中力を片手だけで使い果たしてしまった私は真っ黒で少しも肉の色が見えない自分の爪を見て、


「……はあ」


がっかりしてしまったのだ。





やっぱり自分はお洒落はするだけ無駄なのだということを身をもって知った瞬間だった。

どれだけ爪を飾っても、小さな手が大きく見えるわけでも、太く短い指が細く長い指に見えるわけでもない。

そのことをこの年でやっと知った私は、一気に急降下した気分のまま黒い瓶を机の引き出しの中にしまった。



それっきり私は、マニキュアを一度も塗っていない。



veritas=真実

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