休日2
祐司は中学で、念願の野球部に入部した。
部活は小学校のクラブ活動とは比べ物にならないほど厳しく、特に小学校の時には無かった上下関係には神経を擦り減らした。
けれども、大好きな野球に本格的に打ち込め、毎日が充実していて、何がなんでも練習について行こう、という意気込みがあった。
この日も、一年生の仕事である後片付けを済ませ、誰も居ないグラウンドに向かって数人で「ありがとうございました」と頭を下げる。
学校のない土曜日だが、当然ながら野球部は朝から練習があり、祐司たちが帰る頃にはすっかり日が暮れていた。わずかに夕焼けの名残りか、空が紫掛かっている。
「じゃーな、祐司!」
「また明日ー!」
「バイバーイ!」
「おう!おつかれー」
校門から出てしばらくした所にある二手に別れた道で、一緒に帰っていた他の三人に手を振り、そこからは一人で歩く。
祐司の家は高台に近い所にあり、そのため上り坂を延々と歩かなくてはならない。
所謂、高級住宅街になっている高台エリアと普通の民家の丁度境目が祐司の家だった。
そのような所に家があるとはいえ、家計が他人の家より豊かという訳でもなく、むしろ火の車だ。隣家の物置きがあった土地を安く売っていてそれがこの辺りでは良心的な価格だったから購入したに過ぎないのだ。
この周辺の街は昔から大変洒落ているため、若かった両親の憧れだったらしい。
朝からの練習でくたくたになった祐司は、ふと、穏やかな暖かい光が一際漏れている家を見上げる。
その家の灯りはどこか周りの家と違っている様にさえ見えた。
それはこの地域で最も高い位置にある邸宅で、もうすぐ着く祐司の家からも遥かに遠い所にあった。
その高い位置に相応しく、屋敷に住んでいるのは七原朝日という著名な画家とその息子だという。さらには、通いの女中も数人いるらしく、高級住宅街の中でも一番の金持ちに違いない、と彼らが引っ越して来た数年前から噂されている。
そんな屋敷から漏れる光を見て、祐司はもう何度となく8才の時の記憶を思い出す。
薄れた記憶を夢中で回想し、無意識に足を進めた。
気が付けば家に着いていた。
夕飯の味付けであろう醤油のような匂いが、祐司のいる門の辺りまで広がっている。
玄関に荷物を放り込み、祐司の足は再び道路へと向かっていた。
特にこれといった理由があるわけではないが、奇妙な懐かしさに駆られ、高台の一番上にある屋敷を目指した。
コンクリートの舗装路は滑らかに曲線を描き上に続いているが、その道は見かけ以上に急斜面で厳しい。特に、小学校から上がって数ヶ月しか経っていない部活終わりの中学一年生には、体力が絞り取られるような辛さだ。
それでも何とか登りきると、見えてきたのはあの豪邸だ。
あからさまな装飾が無いので、品のいい歴史ある屋敷とでも言った方がしっくりくる気がした。
屋敷の周りは数年前と変わらず壁と森に囲まれている。
あの時はまだ8才だった。その幼さで、見つかったとしても「ここは遊び場ではない」と注意を受けるくらいで終わっただろう。
しかし、庭に突如現れた泥だらけのユニフォームの中学生にそんな生易しい態度を取る馬鹿は居ない。
見つかれば大騒ぎに大目玉だ。
けれども、どうしてももう一度あの屋敷とあの少年が見てみたかった。
夢だったのか、と思うほど薄くなった記憶にも残っている、あの少年。
初めて会った次の日、友達を連れて行って会わせようとしたが少年はついに出て来なかった。
あの時は今と同じくらい暗くなるまで一人で待っていたな、と苦笑した。
今思えば、女中に呼ばれてさっさと屋内に戻った少年は冷たかったのかもしれないが、その頃の祐司にとってはどうでもいいことだったのだ。
ただただ、少年の美しさに感嘆し、つれない態度に羨望を抱いた。
迷わずに森の茂りへと足を進めた。
足から腕までも覆う野球部のユニフォームが幸いし、草や木を避けながらも案外スイスイと進めた。
一番の難所は薔薇の木の垣根だろう。
森の中に突如現れるそれは、おそらく侵入者を阻むための物だ。微かな抵抗には違いないが。
数年前よりかなり成長していて、通り抜けるのに苦労した。
そっと森の木の陰から、花に囲まれた芝生の庭と屋敷を覗く。
主の趣味か、画家だからか、白い石膏像が庭のあちこちに佇んでいた。
目を凝らして室内の光と屋根から吊るされたランプの光が漏れるテラスを見ると、人影があった。二人いるようだ。
祐司は息を呑んだ。
慌てて、ついこの前買ってもらった眼鏡を装着し、もう一度見る。
噂の有名な画家だろうか、キャンバスを前にして鉛筆を持ち、何か描き込んでいる。
彼の視線の先には、微動だにしない細身の少年の姿があった。
柔らかい光に照らされた、祐司と同じくらいか、それより大人びたようにも見える年齢の少年はモデルになっているようだ。
よく見ると、少年は長い足を組みつつも頭を椅子の背に預け、眠っているようだった。それがモデルとしてのポーズなのか、それとも自然に眠ってしまったのかは定かではないが、とにかく祐司は食い入るように見続けた。
離れた祐司からでも、少年の美しい横顔はハッキリとわかった。
数年前のあの少年に違いない。
人の敷地内だが、彼の父親らしき画家の姿が無ければ、彼に話しかけていただろう。
しばらくして、テラスには女中らしき人が出て来て声をかけた。
「....旦那さま、夕食の用意が出来ました。今日はそのくらいにしてはいかがでしょう...」
「ああ、そうだな。......おい、明日香。起きろ、夕飯だぞ」
あの少年はアスカというのか。
初めて知るその名前を忘れないよう、心の中で口ずさんでいると、その間に少年の姿は無くなっていた。
辺りは暗く、腕時計の指す時間はわからないが、野球部の練習が終わってから、確実に数時間は経っているのだろう。
夕食を作って待っている母親への言い訳を考えつつ、フラフラとその場を立ち去った。
変態かストーカーのようになりましたが、ただの純粋な中学生です
懐かしんでいるだけです
祐司の正体がわからない方は「お友達はいらない」の話をご覧ください




