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明日は桃香の風が吹く  作者: うきわ
日常編
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日常の始まり

初投稿なので暇つぶし程度にもなるか分かりませんがだるく読む方用で....ゆるーく書きます。


短いです。

僕は、いたって普通の家に生まれた。父は会社員で、母はパートをする専業主婦だった。


母は美人だった。

それはもう、写真からでも分かるほどに溢れ出る瑞々しい空気とそれに釣り合う端麗な顔かたち。東欧の小さな国の貴族とフランス貴族の血を引く父(祖父)と日本人の母(祖母)のハーフで、日本語も話せず、国籍も日本ではなかったが。


そしてその顔立ちと空気は僕にも影響したらしい。

母を知る人物に会うたび「お母さんそっくりになって!」と可愛がられるのは恒例のことだ。道行けば大袈裟に振り向く人は流石に居なくとも、目で追われ、視線を感じる程度には目立つ。

視線を寄越す大人を見て、不思議がった天然を演じてみせた僕に、父はニヤニヤして「お前は人間社会のサバイバルを生き抜けるだろうなあ」と僕の頭を撫でた。




父は、そんな美人で優しい気立ての母のことをとても大切にしていて(僕といつもいる父親像では考えられないけれど)、近所でも有名なおしどり夫婦だったそうだ。


けれど、僕が1歳と半年の時、母は突然病気を発症してしまい、その数ヶ月後に病院で亡くなったらしい(その時僕はまだ1歳で、母の事なんかほとんど覚えていないから、成長しても母親がいないという悲しみにひたる、なんてドラマチックなことはなかった)。


父は母が居なくなってからというもの、以前にも増して僕を構いたがった。ただ、甘やかすということではなかったけど、なんだかんだと口を突っ込みたがり、僕としては正直うるさくて迷惑だった。


父は僕に母親がいないということを小さい時からオープンに語って来たので、僕も自然と冷静にその事実を受け止め、幼稚園で他人の家族を見ても何とも思わなかった。

幼稚園では「可哀想ねえ」と言われることに飽き飽きして、他人と壁を作っていたら、今度は「冷たい子ねえ」と言われ始めたので、父に珍しく我儘を言って、幼稚園をやめた。

当時僕は5歳だったけど、賢明な判断だったはず。

周りから浮きまくり、というわけじゃなかったみたいだけど、誰とも喧嘩をせず、泣かず、面倒事を自然回避していた幼稚園児は超マイペースで異色だったらしいから。結局僕は集団生活が苦手なんだ(父曰く)。



父は僕が幼稚園をやめてから、僕に色々な経験をさせたいとかで、自由のきかないサラリーマンから画家になってしまった。父こそマイペースな人間だと思うんだ、僕。

僕としては生活が安定しているサラリーマンの方がありがたかったんだけど。

だけど、父は持ち前の絵の才能(美術部で、賞を取ったことだってあると自慢していた)と立ち回りでなんとか海外に買い手がつくような画家らしい画家になった(ここら辺で僕の性格は父譲りだとはっきり自覚したわけ)。

最初は正直、前の生活の方が良かったけど、そのうちに国内でも有名になっていくと、僕は何も言わず見ていることにした。現金なヤツめ、と父に言われた。

父は僕が言っても聞かないのだからそうしたのに。


なにより父は僕にいろんな経験をさせたいとか言ってた割に、大好きな絵をやれて毎日嬉々として仕事をしていたから。

確かに前よりも色んな所に行くようになれた。

父と僕とで出かけることも多くなったし、父がサラリーマンの時より僕も楽しかった。


父が有名になって行くに連れ、僕らの家も都内のアパートから、マンション、そして東京郊外の一軒家になった。

だけどその一軒家がありきたりでつまらない、という父に従って僕らはまた引っ越した。面倒くさい父なのだ。


引っ越した先は、海が近い、大きな別荘を改装した家。もちろん東京でなんかこんな大きな家は買えないから、東京からは出たけれど都心までそんなにかからない距離だ。とはいえ、元は父の家が管理していた物らしいけれど。

隣に父のアトリエとなる小屋も作って、2人ともこの家には満足だった。


洋風建築でありながら、どこか日本を取り入れたような雰囲気は、父が作らせたそうだ。父が持つ写真集の中にあった大正時代の家みたいで、僕はとても気に入った。父に言わせれば、僕はこだわりがあるらしいから、ここまで気に入るのは珍しいことだ。


ただ、あまりにも家が大きいし、父が絵を描くときは何日も出てこないので、とうとう僕らの世話をする人を父方の祖父母が雇った。僕はまだ8歳なので父とのこの生活は見ていられないらしい。これ以降、僕と父の生活に祖父母が絡むことが多くなったように感じる。


父のアトリエで世話をする美津子さんという女中と、母屋で仕事をする秋子さんと冬子さんの3人。

美津子さんは1番年上で、料理が上手い55歳の優しい人だ。この人はいつも父のアトリエに居るので僕と会うことはあまりないけど。

秋子さんと冬子さんは姉妹じゃないのに血縁を感じる名前、そんな理由で同じ母屋で働く事になった人達だ。

秋子さんは30歳前後らしく詳しい年齢を聞くとオヤツがふかし芋になるけど、それ以外は僕に甘々な黒髪の長い美人。

冬子さんは25歳で顔立ちは普通のようで案外キレイな地味目の人。僕の世話を焼くのは主にこの人で、テキパキしていてショートカットの人だ。



僕は、初めは気に入った自分の家のデザインはともかく、女中やそこで繰り広げられる生活よりも家の目の前に遠く広がる海と、高台の僕らの家を下るとある、迷路のような海沿いの住宅に興味津々だった。

もちろん、一人で家から出ることは禁止されていたから、高台から住宅街の迷路まで下って行くには女中の冬子さんが一緒でないと行けなかったけれど。こうして冬子さんとは秋子さんより少し早く話すようになった。


また、海を見ることは都会っ子でもともと家から滅多に出ない僕にとって夢中になれることの一つだった。

数ヶ月経って家に慣れても、ふとした時には窓の外の海を眺めていることが多い。



そうして、この新しい家での日々は過ぎて行く。


相変わらず学校へは行かず、家庭教師を呼んでいるけど、もうそこには誰も突っ込む人がいないのはありがたい。

前の家と違って今の家は昔の別荘を改装した相当歴史ありそうな豪邸だから、ご近所も近寄り難いし、何より小高い丘の上にあるため、ある意味隔離されている。



そこには僕が望んだ通りの環境があった。











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