01
歌が聞こえた。天使のような歌声が。
大きな窓をするりとすり抜け、とある病院の個室に侵入すれば、その部屋の主はぴくりと反応し、その歌声が止まった。そこで、わたしは確信する。この人間には、死神であるわたしが視えているのだ、と。それはつまり、この人間の死期が近いということを意味している。
わたしはカオをこわばらせてこちらを見ている人間――まだ十歳くらいの少女に向かってにこ、と微笑んだ。
「こんばんは。あなたのお迎えにきたわ」
「お迎え? わたし、どこに行くの? もしかしてお友達のところ?」
嬉しそうに言って、ぱあっと明るい笑みを咲かせる少女。どうしてそのように言葉を取り違えてしまったのだろうか。もしかしたら、まだ幼いということを理由に、自分がもうすぐ死ぬということを教えられていないのかもしれない。
けれど、そもそも窓をすり抜けて侵入してきた人物をおかしいと思わないのだろうか?
「……お友達は、すき?」
「ええ、とってもすきよ」
「そう。ごめんなさい、わたし、ウソをついたわ。お友達のところには連れていけないの」
「そうなの?」
「本当はね、あなたとお友達になりにきたのよ」
「え?」
うつむいていた彼女は驚いたようにぱっと顔を上げたが、一番驚いていたのは、わたし自身だった。どうしてそんなことを言ってしまったのか――きっと、最近迎えにいった誰かさんの影響で、「友達」という言葉に敏感になっていたのかもしれない。
少し自虐的な気持ちになっていると、少女がふわり、とやわらかな笑みを浮かべた。年齢も相まって、まさに天使のようなかわいらしい笑顔だ。
「本当? 嬉しいわ。わたしもあなたとお友達になりたいな。でも、ごめんなさい。わたし、目が見えないの」
「え?」
「だから、わたしはあなたが見えないのだけれど、それでもお友達になってくれる?」
ああ、そういうことか。これでさっきの疑問が解消された。彼女は、窓をすり抜けてきた人物を何とも思わないようなこわいもの知らずな性格なのではなく、窓からの進入それ自体が見えない視覚障害者だったのだ。
だけど、彼女はわたしがこの部屋に入ってきたとき、確かに反応した。人間ではないわたしを気配だけで感じるなんて――今までこんな事態に遭遇したことがなかったので、少なからず驚いていると、わたしが黙っていたせいか、彼女はしゅん、と頭を下げた。
「……やっぱり、ダメかしら」
「どうして? そんなことないわ。目が見えなくたって、こうやって話ができるなら十分じゃない」
「本当? じゃあ、お友達になったしるしに、握手してくれる?」
弾むような声で言って、すっと差し出された小さな手。わたしはそれをすぐには握らずに、一瞥してから口を開いた。
「いいわよ。でも、その前に約束してほしいことがあるの」
「約束?」
「そう。もしそれを破ってしまったら、残念だけど、わたしはあなたとお別れしなくちゃいけなくなるの」
その冷たい宣言に、彼女は焦ったように身を乗り出してくる。
「せっかく新しいお友達ができたのに、お別れするなんて嫌よ。わたしはどんな約束をすればいいの?」
「ありがとう。わたしね、ちょっと事情があって、いつもこのくらいの時間にしかここに来られないのだけれど、それでもいいかしら?」
「ええ、それは構わないけど……」
「それから、わたしのことは絶対誰にも言わないでほしいの」
「どうして?」
「だって、面会時間も消灯時間も過ぎているのに来ているってバレたら、怒られちゃうもの」
きょとんとした表情で首を傾げていた彼女は、それを聞いて、ふふっとかわいらしく笑みをこぼした。
「そうね、わたしも看護師さんに怒られるの、嫌だわ」
「でしょう? だから、約束してくれる?」
「ええ、絶対守るわ。それじゃあ、もう一回」
先ほどと同じようにすっと差し出された小さな手を、わたしは実体化してしっかりと握り返す。すると、
「あなたの手、冷たいのね」
いくら実体化してモノに触れられるようになったとはいえ、死神に体温などないのだから、彼女の言ったことは当然のことだ。
「ごめんなさい。わたし、ちょっと冷え性なの」
「そうなの? じゃあわたし、今度手袋編んであげるね」
「あら、楽しみにしてるわ」
そう返すと、彼女はとても嬉しそうに破顔した。バカね、手袋なんてしてもわたしの手はあたたまらないし、そもそも、わたしはあなたの命を奪いにきた死神だっていうのに。
「じゃあ、今日はこれでおいとまするわ」
「うん。またいつでも来てね」
「ええ、またね」
そうしてわたしが去ったあとの病室からは、また歌声が聞こえていた。
さあ、かわいい小さなお嬢さん。新しい「お友達ごっこ」の始まりよ。




