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死神の執行猶予  作者: 久遠夏目
第一章 死神と残念な目玉焼き
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間奏Ⅰ

 今日も『彼』は泣いていた。大切な人を失ったという事実を受け入れられず、涙を流すことのできない誰かの代わりに。


「――泣き屋」

「ああ、君か。久しぶりだね」

「ええ、お久しぶり」


 ふわり、公園のベンチに一人で座っていた泣き屋のトナリに腰を下ろす。しかし、人間にわたしの姿は視えていない。だってわたしは、


「今日も泣いていたのね」

「もしかして、見られていたのかな」

「まだ少し目が腫れているわよ」

「ああ、そういうことか。君は目ざといね」


 見たままを指摘してやると、泣き屋は苦笑した。

 ――ウソ、本当はずっと見ていた。泣けない誰かの代わりに涙を流し、心から哀しみ、死者を悼む彼を。

 だけど、わたしには理解できない。だって、わたしは死神なのだから。死神に、心なんて必要ない。


「わたしは、今日も一人殺したわ」

「『殺す』なんて言い方はよくないよ。迎えにいったんだろう?」

「命を奪うのだから、どちらでも同じよ」


 わたしたち死神には、二つのタイプが存在する。一つは完全に「死んだ」人間を迎えにいく死神。そして、もう一つはこれから「死ぬ」人間を迎えにいく死神だ。後者は人間の生と死の間、つまり最後の一瞬を奪う死神のこと。わたしは基本的に前者だけれど、今回は後者だった。予定より一日も早く、とある少女を死なせたのだから。

 だけど、実を言うと、それが彼女の本当の死期だったのだ。わたしが彼女の前に初めて現れた日に、執行猶予を言い渡し、死ぬと指定した明日は、ただのフェイクに過ぎない。そうすれば、いきなり死んだときの彼女の絶望したカオを見られるはずだった。

 それなのに、


「今回は、どんな人だったんだい?」

「え?」


 ぱっと泣き屋を振り向けば、彼はにこ、と笑った。その穏やかな微笑みは、何故かわたしの胸の奥に突っかかる。罪悪感とでも言えばいいのだろうか。わたしには感情なんてないはずなのに、可笑しな話だ。

 わたしはふっと自嘲の笑みを浮かべながら、口を開いた。


「可笑しな女ノコよ。生きる意味なんてないから早く死にたい、って言うの」

「うん」

「だからわたし、逆に執行猶予を与えて寿命を延ばすフリをして、お友達になりましょうって言ったの。そうやって仲良くなって、生きたいと思ったときに死なせるほうが面白いでしょう? ああ、でも、寿命を延ばすなんてもちろんウソよ。死期は最初から決まっていて、決して変えることなんてできないのだから」

「……うん」


 いくらわたしが『創まりの死神』であるといえど、運命は変えられない。生と死を自由に操ることができるとしたら、それはきっと、もっと大きな存在なのだ。

 だからといって、わたしのやることが変わるわけではないので、わたしはそれをただひたすら遂行するだけなのだけれど。


「でも、彼女は全然心を開いてくれなかった。ああ言えばこう言うし、目玉焼きを上手く作れないわたしをバカにするし。まったく、手のかかるコだったわ」

「うん」

「だけど今日問い詰めたら、やっぱり本当は生きていたかったって告白したわ。しかも、わたしと過ごした時間は楽しかった、なんて言うの。だから、一日早いけど殺したわ。なのにあのコ、最後になんて言ったと思う?」


(あり、がと……)


 そう、彼女はその心臓が止まる直前に、ほとんど息と言っていいような消え入る声で、そうささやいたのだ。――本当に、バカな女ね。


「――っく」

「え?」


 見れば、泣き屋はその目から大粒の涙を流していた。まるで、生きていたいと告白したときの、彼女のように。


「ほんの少しだったけれど、わたしに、生きる喜びを与えてくれて、ありがとう……あなたは最悪な死神さんだったけど、最高の友達、だったわ」


 こちらを向いてにこ、とはにかんだ泣き屋のほおを涙が流れ落ちる。彼の中には、確かに彼女が見えた。彼は今、彼女そのものなのだ。わたしには感情なんてないはずなのに、彼女と過ごしたあの短い日々を思い出して、胸に熱いものがこみ上げてくる。

 わたしがここに来た理由、それはきっと彼女の「声」が聞きたかったからだ。泣き屋に彼女の霊が乗り移っているわけではないので、彼の言ったことが真実だとは限らない。それでも、わたしはそう思いたかったのだ。彼女は、満足して死んでいったのだ、と。自分から執行猶予を与えたくせに、どうしてわたしのほうがしがみついているのだろうか。

 ぐちゃぐちゃになった気持ちを紛らわすために、もうもとに戻って涙を拭っていた泣き屋に話しかける。


「まったく、どうして無関係なあなたが泣くのよ」

「だって、ぼくは泣き屋だから。泣けない、いや、泣いてはいけない君の代わりに、ぼくは泣くんだ」


 穏やかに告げて微笑む彼のカオは、どこまでもやさしくて。だからこそ、泣き屋などという仕事をやっていられるのだろう、と改めて実感した。そして、心のないわたしとはまったくの正反対だとも痛感させられる。

 だけど、それでいい。わたしと彼は、闇と光。まったく違う世界の存在なのだから。でも、


「じゃあ、わたしはこのへんでおいとまするわ」

「ああ、泣きたくなったらいつでもどうぞ」

「なるべくお世話にならないようにしたいものね。じゃあ、……またね」

「うん、またね」


 そうして、わたしはベンチに座ったままひらひらと手を振る泣き屋を残し、その場をあとにしたのだった。

 わたしに感情なんてない。あってはいけない。けれどわたしは今、清々しい気持ちでいっぱいだった。




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