04
それから数日、わたしは毎日彼女の家に足を運んだ。彼女は相変わらず悪態をついてばかりだったけれど、口を閉じているというのが性に合わないのか、いつも何かしらしゃべっていた。
それはたとえば、今までの数少ない楽しい想い出や、たった数回だけ参加した学校の行事。しかし、それらを話しては、最後に少し哀しそうな笑みを浮かべるのだった。
「そういえばあなた、恋をしたこともないんですっけ」
わたしはただ単純に自分の中に浮かんだ疑問を口にしただけだったのだが、彼女は瞠目したかと思うと、しゅんとしてひざを抱えこんでしまった。しかも、いつもよりも落ちこんでいるように見える。その様子から、図らずも地雷を踏んでしまったらしいということを察知した。
「……あなた、どうしてそんな嫌味なこと言うのよ。今までわたしの話を聞いてきたでしょう?」
「ええ、もちろんよ」
「だったら、わかるでしょ。数えるくらいしか学校に行ったことがないわたしに、そんな経験なんてないわ」
「人生の大半を過ごした病院でも?」
「あいにくわたしはずっと個室だったの。そのドアを家族や病院関係者以外の人が開けることはなかったわ」
静かにそう告げてひざに顔を埋めた彼女の声は、わずかに震えていた。
彼女が常に抱えていたのは、孤独。絶望は死に至る病だと誰かが言っていたけれど、孤独もそれに匹敵するのではないだろうか。人は独りでは生きていけない。それなのに、彼女は独りだった。だから、彼女は早く死にたいのだ。
「野暮なことを聞いてごめんなさいね」
「へえ、あなたが謝るなんて、明日は雪かもね」
「失礼ね」
「でも」
わずかに頭を傾けてこちらを一瞥した彼女は再びひざに顔を埋め、先を続けた。
「一人だけ、ちょっといいなって思った人がいたわ」
「あらあら、それは誰?」
「小学校六年生のときのクラスメイト。そのころは結構調子がよくて、ある程度長く学校に行っていたんだけど、わたしは体育ができなかったから、木陰で見学していたの。そしたら、その彼が来てね」
(お前、いつも体育見学してるの、病気だからなんだってな)
(え……う、うん……)
(じゃあ、運動会も出られないのか?)
(……うん。見学はすると思うけど)
(もったいねぇなあ。あ、じゃあさ、オレがお前の分まで走ってやるよ。ぜってー一等賞とってやるから、お前は応援係な。ちゃんと見てろよ!)
(……うん!)
「すごく、嬉しかった。それから体育の時間は、彼のことをずっと見てたわ」
「あら、かわいいじゃない」
頭を上げた彼女は遠い日の思い出を懐かしむように、やさしい笑みを浮かべていた。しかし、その幸せに影が落ちる。
「でも、わたしは運動会の前日に具合が悪くなって、また入院。退院できないまま小学校は終わってしまったわ。その後、彼には一度も会ってないの」
悔しそうにつぶやいて、彼女はひざを抱えていた腕の力を強くした。すると、
「そういうあなたはどうなの?」
「え?」
「あなた以外の死神を見たことがないからわからないけれど、元人間なら、それと同じような容姿性格をしているんでしょう? だったら、死神同士で恋とかもありえるんじゃないの?」
尋問するようにずいっと顔を近づけられてふと頭をよぎったのは、『彼』のやさしい笑顔。だけど、それはわたしが一番よく接する異性だからだ。ただ、それだけ。
しかし、彼女はそれに目ざとく気付いたのか、にやり、と不敵に笑った。
「へえ、あるんだ。あなたにもかわいいところがあったのね」
「バカね、あるわけないでしょう」
「ホントにぃ?」
「ええ。あなたの予想通り、死神の容姿や性格は生前のものと同じよ。それに、感情もあるから、人間とはほとんど変わらないわ。だから、死神の中には恋人同士の者や片想いをしている者もいるけれど、仕事が忙しいし、死神が恋をしたところで何も生まれない。そんなことにうつつを抜かしているヒマがあったら、一つでも多くの仕事をしてほしいものだわ。わたしには、理解できない」
「ふーん……」
彼女はまだ納得がいかないというようなカオをしていたが、すぐにふいっと目をそらし、また顔を埋めた。わたしは腰を下ろしていた窓辺から、ふわりと彼女のトナリに移動し、その耳元でささやく。
「それに、恋人っていうのはいつか別れてしまうかもしれないでしょう? でも、友達は違う。絶交でもしない限り、一生続くわ」
彼女は今までずっと独りだった。だから、
「わたしは一生あなたのそばにいるわよ」
ぴくり、わずかに反応した彼女がゆっくりとこちらを向き、またいつもみたいに軽蔑するような、しかしどこか哀しそうな笑みをよこした。
「ウソつき。何が一生よ」
「どうして?」
「だって、もうすぐ執行猶予は終わるのよ。人間はみんな『死』という『別れ』からは逃れられないのに、一生そばにいるなんてムリに決まってるわ」
「そうね。でも『一生』って、生きているうちのことだもの。わたしは、あなたを連れていく最後の瞬間までそばにいる。そういうことじゃなくて?」
「ヘリクツ」
「正論よ」
彼女はそう吐き捨てて、いつまでもわたしをにらんでいた。けれど、わたしは本当のことを言っただけ。
あと少し、もう少し。執行猶予が終わるそのときまで、わたしはあなたのそばにいてあげるわ。




