失われた記憶の欠片
死神と泣き屋が人間だったころの話。
「――あ」
「やあ」
放課後、帰るために校門までいくと、そこには見慣れた人物が立っていた。その人物はわたしに気付くと身体ごとこちらに向けて、穏やかな笑みを浮かべる。
「うわお、またお迎えですか? うらやましい限りです」
立ち止まったわたしの横からひょこっと現れて、茶化すようにそんなことを言ったのは、わたしの友人だ。彼女はニヤニヤしながら、わたしと彼を交互に見ている。そのカオ、ムカつくわね。
「うらやましいと思うのなら、あなたも早く恋人を作ったらいいんじゃないかしら」
「あ、恋人っていうのは認めてるんですね。まったく、素直じゃないんですから」
「へえ、嬉しいな」
「……わたしは当然のことを述べたまでで」
「ではでは、あとは二人でごゆっくり。お邪魔虫は退散しまーす!」
「あ、ちょっ……」
彼が会話に入ってきたことに動揺してしまい、上手く反論できないうちに彼女は去っていってしまった。まあ、彼女とは家が反対方向なので、もとからここで別れる予定だったからいいのだけれど。
「まったく……」
「相変わらず面白い友達だね」
「元気だけが取り柄なのよ」
「元気なのはいいことだよ。さて、ぼくたちも帰ろうか」
「ええ」
そうして、わたしたちは並んで歩き出した。さりげなく車道側に回った彼を見て、ずっとそうしてくれていたことに気付いたのは、ほんの一週間ほど前。ちょうどわたしと彼が付き合い始めたころだ。
具体的に何のことかは言わずに「ありがとう」と口にすれば、彼はすべてお見通しだとでも言うように「どういたしまして」と微笑んだ。相変わらずそつがないというか、何というか。
そんなことを考えていると、彼がこんな話題を振ってきた。
「今日、また告白されたんだって?」
「え? 何で知って……」
「あのコからメールが来たんだよ」
「余計なことを……」
あのニヤついた笑みを思い出しながら、そうつぶやく。わたしが知らないうちにそんなことをしていたなんて、明日お説教決定だわ。
「確かにそうだけど、もちろん断ったわよ」
「君もモテるね。ぼくはそんな彼女を持てて、鼻が高いよ」
「ちょっと鼻につく言い方のように聞こえるのは、気のせいかしら」
「おや、そんなつもりはなかったんだけど」
しらじらしい言い方をして、肩をすくめる彼。基本的にやさしいくせに、ごくたまに意地の悪いところが垣間見えることある。しかも、それを意図的に言っているのか、本心から言っているのかわからないから少し困る。
ならば、わたしも反撃に打って出るとしましょう。
「別に、煩わしいだけよ。わたしには、あなたがいるもの」
「嬉しいことを言ってくれるね」
「事実を述べたまでよ。あなたこそ、たくさん告白されているんじゃなくて?」
「そんなことないよ」
「別に隠さなくてもいいのよ。怒らないから」
そう、彼はそんな性格だからこそ、昔からモテるのを知っていた。ただ、わたしと彼は三つ年が違うから、進級するとちょうど入れ違いになってしまい、学校生活の様子までは知らないので、告白うんぬんは推測でしかない。
バレンタインデーのチョコレートはすべて断った、と今まで聞かされていたけれど、やさしい彼のことだ。わたしを傷つけないようにウソをついているだけかもしれないし、何も告白をされるのがバレンタインデーだけとは限らない。
「それはそれで残念だなあ」
「え?」
だんだん思いつめて、暗い気持ちになりかけていたときにかけられた意外な言葉。ぱっと顔を上げれば、彼が眉を下げて困ったように笑っていた。
「嫉妬、してくれないの?」
「……あなたは、しているの?」
「もちろん。君の友達から話を聞くたびにしているよ」
さらり、何の躊躇いもなく彼は言う。羞恥心というものが彼にはないのだろうか。
「まったく、聞いているこっちが恥ずかしくなるわ」
「君は?」
「え?」
「君も、嫉妬してくれているの?」
穏やかな、しかし真っ直ぐな瞳にとらえられ、思わずごくりとつばを飲みこむ。
嫉妬? わたしが? ――そんなの、
「……当たり前でしょ」
つぶやくように小さな声で本音を言えば、彼はとても嬉しそうに笑った。ああ、本当にわたしのほうが恥ずかしいわ。
「かわいいね、君は」
「あなた、相変わらず物好きよね」
「そうかな」
「ええ、間違いなくそうよ」
「あのさ、手をつないでも、いいかな」
「……勝手にすればいいわ」
口ではそう言いながらも、すっと手を差し出せば、彼はそれを見て一瞬瞠目したものの、すぐにまた嬉しそうに微笑んだ。そして、彼のあたたかい手が、わたしの手をやさしく包みこむ。
このときのわたしは、この幸せな世界がずっと続くのだと、何の疑いもなく信じていた。のちに、あんな悲劇が起こるとも知らずに。




