エピローグ
「こんばんは」
「ああ、君か。こんばんは」
ふわり、とある公園のベンチに腰かけていた泣き屋に声をかけ、そのそばに降り立つ。そして、いつものように穏やかな笑みをこちらに向けて、あいさつを返してきた彼のトナリに腰を下ろした。
生前のわたしの友人だったという彼女と接してから気付いたのは、泣き屋のトナリがいつも空いているということ。もちろん、泣けない誰かがそこにいることのほうが圧倒的に多いのだが、たまに見かけるそうでないときにも、トナリに誰かが座れるように一人分のスペースが空いていた。それは彼の持ち前のやさしさからなのか、あるいは。
まあ、今日はそんなことを考えるためにわざわざ話しかけたわけではなかった。
「わたし、死神になってから、ということに一応しておくけれど、その、それから初めてあなたに逢ったとき、思ったことがあるの」
「何だい?」
「わたしとあなたは、まるで闇と光のように正反対だって」
前にも一度、泣き屋と初めて逢ったときの話をしたことがある。そのときの経験から、今回は先に「もとは人間だった」という可能性を提示してから話し始めたのだが、本題を告げると、彼は珍しく顔をしかめた。しかし、口元は笑っていたので、困っているような、哀しんでいるような、何とも言えない表情に見える。
「もちろん性格もあるけれど、やっぱり一番の違いは仕事ね。死にゆく者を相手にするわたしと、残された者を相手にするあなた。哀しみや悼みの感情がないわたしと、それがあって涙を流すことができるあなた。死にゆく者を絶望させるわたしと、未練を残された者を癒すあなた。ね、まるっきり正反対でしょう?」
そう言って笑ってみせると、泣き屋は今度こそ本当に哀しそうなカオをして、じっとこちらを見つめていた。しかし、その先の言葉を待っているのか、口は堅く閉ざされたままだ。わたしはその期待に応えるべく、先を続けた。
「それに、あの日も言ったけれど、わたしはあなたを理解できないもの。『暗闇は光を理解しなかった』と偉大な書物にもあるわ」
「でも、『光が暗闇を理解しなかった』とは書いていない」
ようやく口を開いた泣き屋をぱっと見れば、彼はいつものようににこ、と穏やかな笑みを咲かせた。生前の記憶なんてないはずなのに、この笑顔を見ると安心して、どこか懐かしいとさえ思ってしまうのは、何故なのだろうか。
「だから、ぼくは君を理解したい。一方的だろうが何だろうが構わない。君がぼくを理解しなくても、ぼくが勝手に君を理解するよ」
くだらない、と一蹴しようとすると、それにね、と彼のほうが早く言葉を紡いだ。
「正反対でもいいじゃないか。最初にそう言われたときは、君が自分のことを卑下しているんじゃないかって思ったけれど、今はそれでよかったと思えるよ」
「何故?」
「君は『創まりの死神』だ。だから、哀しいという感情がないし、死を悼む、あるいは人の痛みを理解するということができなくて、涙が出ないようになっているんだと思う。君がどういう感情であれ、真面目に仕事をこなしているのはすごいと思うよ」
何を今さら当たり前のことを、と思ったけれど、頑なだった彼がようやくそれを理解してくれたのか、とも思った。
だけど、それと同時に、少しだけ胸が痛んだような気がした。もうわたしは完全に「死神」として見られているようで。わたしはそれを望んでいたはずなのに、どうして。
ぎゅ、とひざの上で拳を握っていると、でも、という泣き屋の声が聞こえた。自然と垂れ下がっていた頭を上げれば、そこにあったのは、彼のやさしい微笑み。
「でも、君が死神であるように、ぼくは泣き屋だから。君が言ってくれたように、ぼくには哀しみも、悼みも、涙も――つまり、君にはないものがある。だから、死神である君が表には出さない感情を、ぼくは引き受けることができるんだ。前にも言ったよね、『君の話を聞いてぼくが流す涙は、君の涙だ』って。その涙は、哀しいという感情がない『死神の君』じゃなくて、それも含めた『元人間の君』の涙だって、ぼくは思っているんだよ」
『創まりの死神』であるわたしには、哀しみも、悼みも、涙もない。ただくり返し人間の魂を回収し、たまに人間の「未練」をもてあそぶだけ。そこに「面白い」という以外の感情はない。
だけど、たまに感じる胸の痛みや、空虚感。それは、もしかしたらわたしが不完全だから、わずかに残った人間のときの心でそう感じているのかもしれない。
けれど、『創まりの死神』である限り、それを表に出すことは不可能だ。だから、わたしは泣き屋にそれを話し、自分の代わりに泣いてもらっているのだろうか。哀しむことのできる「元人間」であり、泣くことのできない『創まりの死神』でもある、わたしの代わりに。
「……あなた、相変わらず自分に都合のいい思考回路をしているのね」
「ぼくは物好きらしいからね」
自分ではわからない、とでも言うように眉を下げて苦笑する泣き屋。彼の考えは、本当に彼にとって都合のいいものでしかない。だけど、それに少し救われたのも事実だ。だから、
「じゃあ、早速だけど、仕事をお願いしてもいいかしら」
「ああ、喜んで」
「でも、その前に――」
泣き屋のほうに身体を向け、とん、と自分の頭を彼の肩のあたりに預ける。
「少しだけ、こうしていてもいいかしら」
「……うん」
わたしと彼は、闇と光。死にゆく者を迎えにゆく死神と、残された生者を癒す泣き屋という、正反対の存在だ。
でも、彼はそれでよかったと言ってくれた。わたしの代わりに泣くことができるから。それが彼の仕事だから。それに、彼は生前の記憶がないわたしに、それでもいいと言ってくれた。自分が憶えているから。また逢えただけで嬉しいから。
――じゃあ、わたしは? わたしは、そんな彼に何かしてあげられただろうか。今ほど自分に生前の記憶がなく、それを思い出せないことがもどかしく、そして恨めしいと思ったことはない。
哀しいという感情なんてないはずなのに、わたしは今、大声で泣き叫びたかった。




