04
「おやおや、こんにちは」
彼女に生か死かを選ぶようにけしかけた翌日。もちろん、これで彼女がどちらかを選ぶとは限らないけれど、様子くらいは見にいこうとすると、昨日と同じ公園のベンチに座って天を仰いでいた彼女と目が合った。冒頭のあいさつは、わたしが口を開く前に彼女が手を振りながら言ったものだった。様子見だけのつもりだったのだけれど、まあいいわ。
「こんにちは」
わたしもあいさつを返して、地面に足をつけると同時に実体化する。そして、イヤホンを片付けていた彼女のトナリに腰を下ろしたのだが、彼女はベンチの端に座り、わたしの場所を空けていてくれたようだ。
あまりにも自然なことで見過ごしてしまうところだったけれど、彼女がさっきまで空を見上げていたのも、わたしを探していたからかもしれない。――ということは、つまり。
「生か死か、決まったのかしら」
何の前置きもなくそう切り出すと、こちらを振り向いた彼女が困ったように眉を下げて笑った。
「いきなりそれですか?」
「ええ、わたしはあなたのそれにしか興味がないの」
「もう少しやさしさってものがあると嬉しいんですけどねえ」
「ごめんなさいね、回りくどいのは嫌いなのよ」
彼女の要望をばっさり切り捨てると、彼女はやれやれ、とでも言いたげに肩をすくめた。どこかあの死神と似通ったところがあるな、と思っていると、彼女はきゅ、と口を真一文字に結び、真剣な表情でこちらを見てきた。
「決まりましたよ」
そう告げた彼女の目には、強い意志が宿っていた。それが「生きる意志」なのか「死ぬ意志」なのかは、これから彼女によって語られるのだろう。
「そう。じゃあ、あなたは生と死、どちらを選ぶの?」
どちらを選んだって、わたしはその反対のことを提示するだけ。そうして絶望する彼女のカオを見て満足し、泣き屋に証明してやるのよ。
彼女の唇が震え、ゆっくりとその口が開かれる。わたしにはそれがスローモーションで映って見えた。さあ、答えは――
「わたしは、どちらも選びません」
「え?」
彼女は今、大真面目なカオをして、何と言った?
「昨日、色々言われて考えたんですけど、やっぱりわたしは自分の『運命』を受け入れるしかないと思ったんです」
「……何故?」
「前も言いましたけど、わたしは生きてるから生きてるだけで、いつ死んだっていいんです。あなたが言ったように生をまっとうするにしたって、あと一週間もないんじゃ何かする気にもなれませんし。だから、わたしはいつもどおりに生きて、死ぬときになったら事故だろうが心臓発作だろうが、そうやって死んでゆく。ただ、それを受け入れるだけです」
自分の主張を言い切って満足したのか、にこり、と晴れやかな笑みを浮かべる彼女。それに対して、わたしは口の中でぎりり、と歯を食いしばった。
「未練」を残さないのはいいことだ。あまりにも強すぎる「未練」は死神を生み、ごくまれに泣き屋のような存在を生み出してしまうから。「未練」なく、安らかにあの世へ行けるのなら、こちらとしてもそれに越したことはない。それに、「未練」がないということは、その人はそれだけ人生をまっとうしたということだ。
だけど、「未練」を少しも残さずに死んでゆくことが、本当に人間に可能なのだろうか。どんなに満足した人生を送ったとしても、わずかに「未練」が残るはずではないだろうか。死神にならなかった人間は、それが少しだったから、あるいは割り切れるものだったから、「おおむね人生に満足した」と考えてあの世へ行けただけ。
でも、「未練」を残すことがそんなに悪いことなのだろうか? 生きている人間は、誰もあの世がどんなところかわからない。だから、この世にとどまることを願うのはごく自然なことではないだろうか? そうではなくても、この世の「生」が幸せだったからこそ「もう少し」、あるいは「もっと」と思うのではないだろうか? それが、突然死んでしまったのなら、なおさらだ。
――くだらない。何故わたしはこんなことに思考をめぐらせているのだろうか。わたしは未練も感情もない『創まりの死神』なのだから、仕事を遂行できればいいはずだ。それなのに、どうして。
いや、考えるのはもうやめだ。わたしが彼女に言いたいことは、ただ一つだけ。
「あなたは、どうしてそこまで『未練』を残そうとしないの?」
真っ直ぐに彼女の目を見据えてそう尋ねると、その目が大きく見開かれた。「未練」を残さないように努力するのは、いいことかもしれない。だけど、それをまったく残さないというのはやはり不可能だ。
いつ死んでもいいように自分のすきなことをして、満足できる生き方を選ぶというのならわかる。だけど、彼女はそうではない。生きているから、生きている。それは、現状に流されているだけだ。
確かに「未練」は残らないだろうけれど、彼女にはそもそも「生きる」という概念がないのと同じだ。生きていなければ、死ぬこともできない。だから、彼女はどっちでもいいなどと言っているのかもしれない。
しばしの沈黙のあと、ゆっくりと頭を上げてこちらを向いた彼女の顔には、哀しげな微笑みが浮かんでいた。これと同じものを、わたしは見たことがある。そう、これは『彼』と同じ笑顔だった。
「だって、『未練』を残すのは、残酷なことですから」
「……どういう意味?」
「あなたは言いましたよね。死ぬときに『未練』を残した人間が死神になる、と」
「ええ。まあ、正確に言えば『より強い未練を残して死んだ者』なのだけれど」
「それはつまり、死神が迎えにいく人間――つまり、『死ぬ人間』だけの未練しか考えてない、ということでしょう?」
「それがどうかしたかしら」
当たり前のことを確認されただけなので、素直にそう答えると、彼女は冷たい目でふ、と蔑んだような笑みをよこした。
「『未練』はね、死ぬ人間だけのものではないんですよ。『残された人間』にも、未練は残るんです。――わたしみたいに、ね」




