03
「こんばんは」
「あ」
昨日と同じところで、昨日と同じ人物に声をかける。今日の声は普通の音量だったが、耳ではなく、目でわたしを認識したのだろう。彼女はこちらに歩みを進めながら、イヤホンを外した。
「昨日ぶりですね。今日は何の用ですか?」
「わたしの仕事はあなたの魂を回収することよ。もうすぐと言ってもいつ死ぬかわからないのだから、こうやって様子を見にきたの。これも『大きなお世話』だったかしら?」
「いえ、別に。死神も大変なんですね」
「それが仕事だもの。仕方ないわ」
「それはそれは、お疲れ様です」
ぺこり、と頭を下げて労いの言葉をかけてくれた彼女のカオには明るい笑みが浮かんでいて、どうやら本当に「大きなお世話」だとは思っていないようだ。かといって、その口調が嫌味っぽく聞こえたわけでもなく、彼女はわたしの再びの出現を、ただありのまま、当然のように受けとめているだけらしかった。
今まで関わってきた少女たちは、みんな自分がもうすぐ死ぬということを自覚していたから、わたしが死神だと言っても驚かなかった。けれど、彼女の身体は健康そのものだから、おそらく事故死ということになるのだろう。
それなのに、彼女はわたしが死神だということも、自分がもうすぐ死ぬということも、あっさりと受け入れている。どうしてそんな達観したように、生にも死にも執着がないのだろうか。
「ねえ、ちょっとそこの公園で話をしない?」
「えー? 嫌ですよ、寒いし」
「飲み物くらいおごってあげるわよ」
「よし、乗った。ていうか死神ってお金持ってるんですか?」
「ほとんど使うことはないけれど、一応ね」
「ふぅん」
そうして、わたしと彼女は近くにあった自動販売機で飲み物を買い、公園のベンチに腰を下ろした。秋の夕方はもう暗く、周りには誰もいないようだ。
「あのー」
さて何から尋ねようか、と思っていると、先に口を開いたのは彼女のほうだった。彼女は先ほど買った飲み物をまだ開けずに、手をあたためている。
「何かしら」
「昨日、『未練』を残したまま死ぬと、死神になるって言ってましたよね? あと、生前の記憶も持ってるとか。ということは、あなたもそうなんですか?」
「確かに、普通の死神はそうね。だけど、わたしはもとから死神として存在した『創まりの死神』だから、違うわ」
「創まりの、死神……そう、なんですか」
珍しく歯切れの悪い調子でつぶやき、ゆるゆるとわたしから視線を外す彼女。今の会話の中で、何か引っかかるところがあっただろうか?
しかし、その答えが出るわけもなく、わたしはさっさと頭を切り換えて、今度はこちらから質問をすることにした。
「あなた、年はいくつ?」
「えっと、二十歳ですけど」
「この国の女性の平均寿命は八十歳を超えているから、あなたはその四分の一も生きていないということになるわね」
「確かにそうですね。というか、いきなり何の計算ですか?」
「あなたの人生は、そんな短いもので終わるのよ。哀しいとか悔しいとか、思わないの?」
こちらを向いた彼女の目を、真っ直ぐに見据える。驚いてはいるようだが、やはり動揺はしていなかった。
「ええ、別に哀しくも悔しくもありません。何か夢があるわけでもないですし、それがわたしの『運命』なんですから、仕方ないですよ」
けろりとそう言ってのけた彼女の笑みは、何故か無性にわたしを苛立たせた。あの死神とはまた別の意味で、彼女も人をイラつかせるようだ。
「そうね、確かに『運命』は変わらないし、変えることもできない。とてもよく理解できるわ。――だけど、」
「おわっ!?」
ぐい、と彼女のマフラーを掴み、自分のほうに引き寄せる。そして、今回ばかりは明らかな動揺を見せる彼女の視線を、にらみつけるようにしてもう一度とらえた。
「どうしてその運命に抗おうとしないの?」
「……はい?」
「確かに、あなたがもうすぐ死ぬという運命は決して変えられないわ。だけど、問題はそれにどう立ち向かうかじゃないのかしら。それによって現状は変えられるはずよ」
「現状を変えてどうするんですか? どの道を通ったって行き着く先が同じなら、一番楽な道を選ぶのが普通でしょう?」
「それが、『運命を受け入れる』という道?」
「ええ」
その返答を受けて、マフラーを握っていた手をぱっと離せば、彼女は「あーあ、ぐちゃぐちゃになっちゃったじゃないですか」とつぶやいてマフラーを解き、髪の毛を直し始めた。
それを横目で見て、わたしはすっと立ち上がる。
「あなたは幸福だわ。もうすぐ死ぬという点では不幸かもしれないけれど、死ぬときがわかっているのだから」
「でも、かなり曖昧な死期ですけどね」
「普通の人は、いつか死ぬとわかっていても、それを意識することはしないわ。それどころか、むしろそれを無意識のうちに遠ざけている。理屈ではわかっていても、拒否したいのよ。だから、突然死んだときに『未練』を残す」
「つまり、何が言いたいのでしょうか」
ぷしゅ、と缶を開ける音が聞こえた。もうだいぶぬるくなっているであろう飲み物を口に運ぶ彼女を、もう一度じっと見つめる。
「生きているから生きている。それでも構わないわ。でもつまり、今あなたは『生きている』ってことを自覚しているのよね?」
「そりゃあ、まあ」
「だったら、その生を最後までまっとうしなさい。あなたは運命を受け入れていると言ったけれど、わたしには生からも死からも逃げているようにしか見えないわ」
そう告げて、わたしはその場をあとにした。これで彼女は生か死か、どちらかに傾いてくれるだろうか。
彼女には意志がある。現状を変えられる可能性がある。もちろん、それはわたしが彼女の意志をもてあそぶためなのだけれど。
だけど、わたしにはそれがない。意志を持ちたいとも、現状を変えたいと思っているわけでもないけれど、わたしももとは人間だったらしいのだ。せめてそのときのことを思い出せたら、『彼』にあんなカオをさせなくて済んだかもしれないし、わたし自身もわけのわからない胸の痛みを覚えることもなかったのに。
――ああ、もしかしたら、自分の運命を一番受け入れられていないのは、わたしなのかもしれない。




