01
今日もわたしは命を迎えにゆく。感情なんてない。ただ、その人間の絶望するカオが見られたらいいという少しの期待をこめながら。
「こんばんは」
道の向こうから歩いてきた少女に声をかける。しかし、少女はイヤホンをしていて聞こえなかったのか、あるいはわたしを不審者だと思ったのかはわからないが、こちらに目もくれずに通り過ぎてしまった。
わたしはきびすを返し、後ろからトントン、とその肩を叩くと、彼女はようやくこちらを振り向いてイヤホンを外した。
「え? 何です、か?」
「こんばんは」
「はあ、こんばんは? えっと、何か用ですか?」
わけがわからないというように訝しげなカオをしながらも、あいさつを返す彼女。わたしはその質問ににこ、と笑って答えた。
「わたし、あなたのお迎えにきたの」
「お迎え? えーと、わたしの家はすぐそこなんですけど」
「そうじゃなくて、人生のお迎えにきたのよ」
「はい?」
「わたしは死神なの。あなたはもうすぐ死ぬのよ」
さらりと正体を明かせば、彼女の目が再び大きく見開かれる。さあ、あなたはどんな絶望の表情を見せてくれるのかしら――
「いたっ」
「あっ、ごめんなさい」
期待に胸を躍らせていたわたしに彼女が見せてくれたのは、わたしのほおをつねるという何とも不可解な行動だった。あまりにも予想外で、わたしは反射的に声を出してしまう。
「ちょっと、いきなり何なの?」
「そちらがいきなり死神だなんて言うから、本当かどうか確かめてみようと思いまして。でも、あなたただの人間じゃないですか。普通にさわれましたよ?」
「今は実体化しているからよ。こうしたら、触れられないでしょう?」
「あ、ホントですね」
すっと霊体化したわたしに、彼女はさっと手を伸ばしてきたが、その手はわたしの身体を貫通してしまった。それを見た彼女は「面白いですね!」などとはしゃいでいるが、それはつまり――
「あなた、この状態のわたしが視えているのね?」
「え? あ、はい。ホントにホンモノだったんですね」
「この状態の姿は、死期が近い人間にしか視えないの。つまり、あなたはもうすぐ死ぬってことよ」
残酷な事実を口にすれば、彼女は笑顔のまま固まってしまった。やがて、ゆるゆると頭が垂れていき、こちらからは表情が見えなくなってしまう。これでようやく自分の立場を理解したかしら。
そう思った次の瞬間、うつむいていた彼女が勢いよく顔を上げた。そして、そこに浮かんでいたのは、
「で、わたしはいつ、どうやって死ぬんですか?」
セリフとはまったくの正反対と言っていいような、晴れやかな笑顔だった。またしても予想外のことに、わたしは再び驚いてしまう。
しかし、わたしはそれをすぐに隠し、口を開いた。
「……あなた、死ぬのが嫌じゃないの?」
「嫌ですよ? 死ぬのって苦しそうですし」
「そのわりには、死にたくないという気持ちが伝わってこないのだけれど」
「んー、だって死にたくないわけでもないですから」
「……どういうことかしら」
どっちつかずな意見に若干イラつきながらも、わたしは彼女の本音を探るために会話を続ける。
「えっと、だからですね、死んでも生きてても、どっちでもいいってことです。この世に未練があるわけではないので、別に今死んでも構わないですし、生きてるなら生きてるで、それなりに楽しいこともありますしね」
苦笑しながら肩をすくめ、すらすらと言葉を紡ぐ彼女。それはすべて本音のように聞こえた。そして、
「もうすぐ死ぬんだとしても、それがわたしの『運命』だったというだけの話ですよ」
と自分の弁を締めくくった。ああ、わたしはまた誰かが絶望するカオを見られないのか。
そもそも、どうしてわたしはそれを見たいと思うようになったのだろう。死神は、魂の回収をただひたすらくり返すのが仕事であるはずなのに、どうして死期の近い人間と関わるようになったのだろうか。
(君のほうが『友達ごっこ』を求めているのかな?)
違う。わたしは友達など求めていない。そもそも、わたしには友達を求める動機もないし、その動機となる感情――つまり、「淋しい」という気持ちもない。じゃあ、どうして?
(死は悼むものだよ。たとえそれが赤の他人の死だとしても、最後に自分が関わるんだから、哀しみがあるのは当然のことじゃないかな)
懸命に考えてたどりついた答えは、泣き屋の一言だった。
初めて会ったとき、死は悼むもの、哀しむものだと彼は言った。そして、哀しめないことがどんなに哀しいことか――彼はそう主張して、一歩も引かなかった。
だけど、わたしにはそんな感情なんてなくて、哀しむことができない。そのことを責められているようで嫌だった。だから、わたしは死期が近い人間と関わるようになったのだ。
これで、わたしとその人間は赤の他人ではない。けれど、死ぬ瞬間に決して哀しいなんて思わない。それを泣き屋に証明するために、半ば彼に反発するような気持ちで始めたのがきっかけだったのだ。
だけど、結局最後には哀しむのだ。もちろんわたしではなく、泣き屋が。それが彼の仕事であり、彼という人間(今はもう『人間ならざるもの』だが)なのだ。ならば、わたしは。
きっと顔を上げて、答えを期待している彼女を見つめる。そして、わたしはにこり、と笑ってみせた。
「悪いけれど、わたしはあなたがいつ、どうやって死ぬかは知らないの」
わたしは、わたしの闇を貫くわ。




