06
「わたしには、理解できないわ」
「え？」
ぱっとこちらを振り向いた彼の顔を真っ直ぐに見据え、わたしはもう一度同じ言葉を紡ぐ。
「わたしには理解できない、と言ったの。他人の代わりに泣くことも、泣けないことが哀しいということも。だって、わたしには『哀しい』という感情がないのだから」
彼がやさしい人物だということも、泣き屋という仕事に誇りを持っているということも、そして、わたしの生前の知り合いであるということも十分よくわかった。
だけど、わたしはやっぱり『創まりの死神』であり、生前の記憶も、彼の記憶も、これっぽっちもないのだ。ならば、いっそ彼にもわたしのことを忘れてほしい。感情なんてないわたしは、その「大切な人」とは別人なのだと思ってほしい。
その願いが通じたのか、彼はまた哀しそうなカオをした。
「そう。君はやっぱり『創まりの死神』なんだね」
「ええ、死神に感情なんて必要ないの」
「じゃあ、さっきの彼女を見ても、何とも思わない？」
「もちろんよ。むしろ、大切な人のところへ行けて幸せなんじゃないかしら。あの子には『未練』がなかったみたいだし、わたしが責任を持ってあの世へ送り届けるわ」
「……そう。なら、よかった」
力のない笑みとは裏腹に、ぎゅ、と固く握りしめられた拳。本音なんて隠さずに、怒ればいいのに。あなたには、ちゃんと感情があるのだから。
「ぼく、本当は少し後悔していたんだ。死んだことを」
ずきり、その言葉に何故か少し心が痛んだ。おかしい、わたしには感情なんてないとさっき自分で言ったばかりなのに。
「……どうして？」
「ぼくは、君にあの世で逢うために自殺した。だけど、結果はこれさ。あの世に行くこともできず、あまつさえ哀しむことすらできなかった。だから、もっときちんと君の死を受け入れて、人生を最後までをまっとうしていれば、ちゃんとあの世へ行くことができたかもしれないってね」
「でも、自殺が成功した、っていう言い方が正しいのかはわからないけれど、そうなったんだから、あなたはそこで死ぬ運命だったのよ」
「ああ、君はそう言ってくれた。それに、あのときの女ノコのおかげでぼくは涙を取り戻すこともできた。だから、それでいいんだよ。ぼくは今、すごく幸せなんだ」
今にも泣き出しそうな笑顔を見せる彼。人間は哀しいときだけではなく、嬉しいときにも泣ける。それはもしかしたら贅沢なことなのかもしれない。
だけど、
「あなたは自分のことを泣き屋だって言ったけれど、そんなの偽善だわ。やっぱりわたしには理解できない」
「そうかもしれない。だけど、ぼくが泣くことで、相手に涙を取り戻してもらえればいいんだ。哀しむことができるのは、本当に幸せなことだから」
「じゃあ何かしら、哀しむことができないわたしは可哀想だとでも思っているの？ くだらない。魂を回収するだけの死神に、本来そんなものは必要ないわ。ほかの死神からも感情なんてなくなってしまえばいいのよ」
「死は悼むものだよ。たとえそれが赤の他人の死だとしても、最後に自分が関わるんだから、哀しみがあるのは当然のことじゃないかな」
「知らないわ。わたしはそんなものを感じたことはないし、これからも必要ない」
互いに一歩も譲らず、主張は平行線をたどる。ああ、本当にわたしと彼は、闇と光。わたしにはまぶしすぎて、煩わしい。
「何度も言うようだけれど、わたしはあなたのことを憶えていないの」
「知っているよ」
「わたしとあなたは、死神と泣き屋。これから死にゆく者と残された生者を相手にする、まったく正反対の存在よ」
「うん、わかってる」
「わたしには、あなたが大切だと言う『哀しい』という感情はこれっぽっちもないし、誰かの死を悼んだりもしない。けれど、あなたの『大切な人』はこんな性格じゃなかったはずよ。だから、もう――」
「それでも」
だから、もうわたしのことは忘れて、一切関わらないで。
そう告げるつもりだったのに、それよりも早く紡がれた彼の言葉に遮られてしまった。今までとは違う強い口調に、ついに怒られるのかと思ってびくりと肩を震わせたが、ゆっくりとこちらを向いた彼の顔には、穏やかな笑みが浮かんでいた。
「それでも君は、ぼくが死んででも逢いたかった『大切な人』なんだ。だから、忘れたりしない。死神と泣き屋という相容れない存在でも構わない。だけど、せめて君のことを憶えさせていて。お願いだから、もうぼくの前から消えないで……！」
ぽたり、彼の目から涙がこぼれる。感情がないのはわたしのほうなのに、どうしてこんなにも動揺させられているの？ 彼があまりにも必死だから？ そんなのむなしいだけだから忘れなさいって一蹴してやればいいのに、それができないのは何故？
そして、困惑するわたしの口から躊躇い気味に出てきた言葉は、
「わたしは、いなくなったりしないわ。だって、わたしは『創まりの死神』だもの。わたしがいなくなったら、ほかの死神に影響が出るのよ」
という微妙に論点がずれた、しかも本音か建前かわからないようなものだった。
それを聞いて、涙でほおを濡らしたまま、くすり、と笑みをこぼす彼。
「――ああ、そうだったね」
そして、彼は涙を拭い、もう一度こちらを向いた。
「また、会ってくれるかな」
「ヒマだったらね。あなたもわたしも、自分の仕事があるでしょう？」
「ありがとう」
そう言って笑った彼は、本当に嬉しそうで。何だかわたしの胸も少し軽くなった気がした。
