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死神の執行猶予  作者: 久遠夏目
第四章 死神と泣き屋
25/38

04

 記憶をたどるためにつむっていた目を開け、声のしたほうを見てみれば、青年がさっきの少女といたときと同じように大粒の涙をこぼしていた。ただし、今回はおそらく自分のために。


「どうして泣くの? そんなにわたしに忘れられていたことが哀しいのかしら」

「……それももちろんあるけれど、君が死んだのは、ぼくのせいだから」

「え?」

「ぼくが待ち合わせに遅れなければ、君があの時間、あの場所にいることはなかった。そうすれば、君は死ななかったんだ。だから、ぼくのせいで君は……」


 青年のほおを涙がとめどなく流れてゆく。わたしは、こんなにも自分のことを想ってくれていた人をどうして忘れてしまったのだろうか。本当の『創まりの死神』は、あるいは神様は、どうしてわたしをその後継者に選んだのだろう。

 再び目を閉じれば、ぐるぐると思考がめぐり、胸をしめつけられるような思いに駆られる。しかし、すっと目を開けたときには、それらの感情――と呼ぶのかはわからないけれど――はすべて消えていた。


「もし、あなたの言ったことが事実なら、あなたのことを憶えていなくてごめんなさい。でも、」


 逆接の言葉を発すると、それに反応した青年がゆるり、とこちらに顔を向けた。それに対して、わたしは正面を向いたまま先を続ける。


「わたしが死んだのは、決してあなたのせいではないわ」


 『創まりの死神』だけが視える、すべての人間の死期。それには決して逆らうことができないということを、それが視えるわたしですらも変えることができないということを、わたしは知っている。

 たとえその死因が自分で最期を決めたような自殺であったとしても、それで死ぬことができたのなら、その人間の人生はそこまでだったというだけのこと。逆にもし死期がそこではないのなら、大怪我をしようが植物状態になろうが、命だけは助かる。

 だから、きっとわたしもそう。二年前のクリスマス・イブに彼が時間通りに来ていたとしても、わたしはその時間に何らかの原因で死ぬ予定だったのだ。


「だから、もう泣かないで。自分を責めないで。あなたは何も悪くないんだから」

「でも……」

「それに、わたしが死んだという事実も、今は『創まりの死神』であるという事実も、もう変えられないもの。記憶がないのは申し訳ないと思うけれど、わたしはもう、あなたの知っているわたしじゃないの」


 そう、わたしがもとは人間だったとしても、今は「人間ならざるもの」であり、『創まりの死神』であることに変わりはないし、この事実を否定することも、変えることもできない。人はそれをきっと「運命」と呼ぶのだろう。

 そしてそれは、人間の寿命も同じ。運命は決して変えることなどできない。もちろん、変えたいとも思わないけれど。


「だけどね、わたしのこと、そんなに想っていてくれてありがとう。そして、自殺させてしまってごめんなさい。それこそ、わたしの責任だわ」


 身体をナナメにして彼のほうに向け、頭を下げる。きっとこれが今のわたしにできる精一杯のことだと思う。

 しかし、しばらくの沈黙のあとに聞こえてきたのは、くすり、という笑い声だった。何かの間違いかと思って顔を上げると、まだ涙の跡が残る顔で彼が笑っていた。


「……何かおかしかったかしら」

「ああ、ごめん。君の言ったことが矛盾しているからおかしくて」

「矛盾? どこが」

「だって君、さっき自分で言ったばかりじゃないか。人間の死期は決まっているって」

「それが何か?」


 要領を得ない会話に少し怒ったような口調で返してしまったが、彼はそれすらもおかしかったのか、またぷっと吹き出した。


「だから、ぼくも死ぬ運命だったんだよ」

「え?」


 思わず目を丸くしてしまったわたしに対して、にこり、と晴れやかな笑みを浮かべる青年。そこに先ほどまでの悲嘆は微塵も感じられない。


「確かに、ぼくは君を追って自殺した。だけど、それはぼくが勝手にやったことだから、君が責任を感じることじゃない。それに何より、ぼくがそのとき『死ねた』ってことは、ぼくはその日、その時間に死ぬ運命だったってことだろう?」


 そうだ、たとえ自殺したとしても、そのときが死期でなければ、その後どんな状態になったとしても、命だけは助かるはずだ。

 だけど、彼は死んだ。いや、自分で言ったとおり、彼は「死ねた」のだ。つまり、それが彼の運命だったということになる。


「それに、ぼくはこうやってまた君と逢うことができた」

「わたしは『創まりの死神』よ。あなたの記憶なんてないわ」

「ああ、それでも構わないよ。ぼくには君の記憶がちゃんと残っているから」

「……むなしくないの?」


 嬉々として話す青年に水をさすような言葉をかけるわたしは、どこまで彼を傷つければ気が済むのだろうか。でも、わたしに感情なんてないもの。

 言い訳がましいことを並べながら、おそるおそる青年のほうを見ると、彼は哀しそうに眉を下げたが、すぐにまたにこ、とやわらかな笑みを浮かべた。その笑顔を懐かしいと思ったのは、きっと錯覚だろう。


「君は相変わらず手厳しいね」

「……生前の記憶はないと言っているでしょう」

「うん、それでもいいんだ」

「何故?」

「もちろん、むなしいよ。むなしいというか、やっぱり哀しいかな。だけど、ぼくは君に逢いたくて自殺したんだ。君にはぼくの記憶がなくても、ぼくには君の記憶があるし、こうやって君に逢うことができた。だから、ぼくはもうそれだけで十分なんだよ」


 そうして微笑んだ彼のほおを伝った一すじの雫は、喜びの涙だろうか、それとも、哀しみの涙だろうか。




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