03
その行動に、腕を握られたときよりも驚いて、わたしは硬直してしまった。しかも、抵抗できないのをいいことに、さらに強く抱きしめられる。
だけど、それはどこかすがっているようでもあり、しばらくして頭が冷静になってくると、青年の手がかたかたと震えているのがわかった。しかし、当然ながら寒いわけではない。だって、わたしたちのような「人間ならざるもの」は温度など感じないし、体温すらないのだから。
そう、彼もわたしと同じで「人間ならざるもの」だった。実体化しているからわからなかったけれど、彼には死期が視えなかった。わたしにそれが視えないということは、この青年はすでに死んでいるということだ。ただ、自分で「泣き屋」と名乗っているくらいなのだから、死神ではないということは確かだが――
「いい加減、放してもらえないかしら。苦しいわ」
「ああ、ごめん。でも、嬉しくて、つい」
「それに、そろそろ人が来るかもしれないわ。人に視えない状態にしたほうが賢明ね」
「そうだね」
こちらの提案に二つ返事でうなずき、わたしと同じ状態になる青年。しかし、立ち話もなんなので、先ほどまで少女が座っていたベンチで話すことにした。もちろん、わたしからの話は一つしかないのだけれど。
「それで、あなたは誰なの?」
少女を悼むかのように、ベンチに座る前に悲痛な面持ちで黙祷らしきことをしていた青年がようやく腰を下ろしたところで、先手必勝とばかりに切り出す。それに反応してぱっとこちらを向いた青年の表情は、先ほどよりも驚きに満ちていた。
「君、何言って……ぼくのこと、憶えていないの?」
「憶えているも何も、わたしは『創まりの死神』なんだから、どんな元人間とも知り合いじゃないわ。もしかして、昔わたしが迎えにいった人? だったら、ごめんなさい。わたしは今までに厖大な数の人間の死を見てきたの。そのうちの一人なんて憶えていないわ」
彼はわたしのことを知っているかのような口ぶりだったけれど、わたしは知らない。そもそも、そんなことは有り得ないのだ。
しかし、彼は信じられないというようなカオのまま、口を開いた。
「『創まりの死神』っていうのは、何?」
「その名の通り、最初から死神として存在した死神であり、すべての死神の頂点よ」
「そんなの、ウソだ」
「ウソじゃないわよ。あなた、わたしを誰かと勘違いしているんじゃなくて?」
「勘違いなんかじゃない。見間違えたりもしない」
「どうしてそう言い切れるの?」
頑なな主張に少しイラつきながらそう尋ねると、青年が真っ直ぐな瞳をこちらに向けた。その表情は今にも壊れてしまいそうに弱々しいものだったが、真剣さは伝わってくる。
「だって、君はぼくの大切な人だったんだから。自分の一番大切な人を見間違えたりしないよ」
大切な人。一般的に考えて、それは家族か、友人か、あるいは恋人といったところだろうか。彼にとってわたしがどんな立ち位置だったのかは知らないが、わたしに彼の記憶がないというのもウソではない。
何度も言うようだけれど、わたしは『創まりの死神』なのだ。もとから死神として生まれたわたしに、大切な人などいるはずがない。わたしが人間と触れ合うときは、その人間が死ぬときか、死ぬ一ヶ月ほど前からの死神が視える期間だが、実はわたしが人間と死ぬ前の数日間を過ごすようになったのは、泣き屋と出逢ったあとなのだ。だから、それも有り得ない。
じゃあ、本当に彼はわたしの生前の知り合いだというの? ならば、どうしてわたしには自分が『創まりの死神』だという記憶があるの? ――わからない、わからない。
だけど、わたしには彼の言うことが絶対にウソだ、と断言することもできなかった。何故なら、
「あなた、自殺したの?」
「……ああ」
『創まりの死神』だけの特権がもう一つある。それは、生きている人間には死期が視える一方で、ほかの死神などの「人間ならざるもの」には、死んだ日と死因が視えるということ。青年の場合は今言ったように、自殺だった。それも、飛び降り自殺。
死神は「未練」のより強い人間がなる。もし、わたしがもとは普通の人間だったとすると、ほかの死神と同様に強い「未練」を残して死んだということになる。そして、もし彼がわたしの知り合いだとするならば、彼はわたしのあとを追って自殺を――?
「わたしとあなたはどういう知り合いだったの? もしかしてあなたの自殺の原因は、わたしなの?」
矢継ぎ早に質問すると、彼はその勢いに押されて瞠目したあと、眉を下げてふ、と哀しそうな微笑みを浮かべた。
ずきり、わたしには感情なんてないはずなのに、胸のあたりが痛んだ気がする。
「……本当に、何も憶えていないんだね」
「ええ。わたしは『創まりの死神』だから」
「それは違う。君は確かに数年前まで人間だった。そして、君とぼくは――恋人だったんだ」
それから、青年はぽつぽつと語り始めた。
どうやら彼とわたしは幼なじみで、彼のほうが三つ年上だったらしい。彼が高校を卒業するときにわたしに告白し、そこから付き合い始めたのだとか。高校と大学だったから、色々と違いはあったものの、思えば同じ学校にいたのは小学校の数年間だけで、あとは入れ替わりに進学を続けていたから、特に気にすることではなかったらしい。それに、家も近かったからいつでも会うことができたし、両親も昔からの知り合いであったため、何の支障もなく、順調に付き合っていたそうだ。
ここで彼は「やっぱり、何も思い出さない?」と尋ねてきたが、わたしがゆっくりと首を横に振ると、また哀しそうに笑った。それを見て、わたしの胸もまた痛む。だけど、憶えていないものは仕方ない。
「それで、わたしはいつ、どうやって死んだのかしら」
冷たい質問に、ぴくり、と青年の眉が反応する。憶えていないとはいえ、自分のことを大切に想ってくれていた人にこんなことを聞くのは無神経だっただろうか。けれど、わたしが死んだのは事実なのだ。だから、彼も自殺したのだろう。
やがて、彼はその質問に答えるべく、ゆっくりと口を開いた。
「君が死んだのは、二年前のクリスマス・イブ。その日は君とデートの約束をしていたんだけれど、珍しく大雪が降ってね。交通機関も乱れて、ぼくは待ち合わせの時間に遅れてしまったんだ。そして、君が待っているところにスリップしたトラックが突っ込んだ。即死、だったよ」
「……そう」
二年前のクリスマス・イブ。デートの約束。事故死。やっぱり何も思い出せない。その日はいつもと同じように仕事をしていた気もするけれど、その記憶さえも曖昧だ。
わたしは、本当に人間だったのだろうか。だったら、どうして『創まりの死神』としての記憶が――
「――っく」
「え?」




