02
泣き屋と出逢ったのは、わたしが『創まりの死神』になってから一年後のことだった。といっても、やはりわたしに記憶はないので、すべて泣き屋から聞いた話からの推測でしかないのだけれど。
「ありがとう、泣き屋さん」
目を真っ赤に腫らした少女が、笑顔で誰かにお礼を言った。その視線の先には、穏やかな笑みを浮かべる青年が立っている。
わたしには最初、この二人の関係――というよりは、そのスーツの青年の立ち位置がよくわからなかった。わたしが少し前にここに着いたとき、今は少女だけが座っているベンチに二人は並んで腰を下ろしていたのだが、大粒の涙をこぼしていたのは青年のほうだった。だから、この二人は恋人で、青年のほうがふられでもしたのかと思っていた。スーツと制服、社会人と学生。おそらく、すれ違いが原因とでもいったところだろうか。
それにしたって、男のほうが泣くなんて情けない、と少し呆れていたのだが、そのうち少女の口からは『彼』という単語が出てきた。ということはつまり、原因は少女の浮気なのだろうか。あるいは、もとからあの青年が二番目だったという可能性もある。どちらにせよ、それならばあの青年が泣くのも仕方ないのかもしれない。
考えを改めてさらに観察を続けると、今度は少女のほうまで泣き出してしまったではないか。男女関係って複雑ね、などと他人事のように思っていると、泣き出した少女を見た青年は先ほどとは打って変わって穏やかな表情でこう言った。
「あなたが泣けなかったのは、大切な人が死んだということを受け入れることができていなかったからです」
この言葉で、ようやくわたしは大まかながらもこの状況を理解することができた。この二人は恋人ではないし、少女のほうが浮気をしたわけでもない。少女にはちゃんと恋人がいたのだが、その人が死んでしまい、少女はそれを受け入れらずに泣いていたのだ。思えば、青年だけが泣いているときの彼女は茫然自失といった表情で、無機質に言葉を紡いでいるだけだった。
しかし、ではこの青年は一体何者なのだろうか。何故、最初は彼だけが泣いていたのだろうか。もしかして、亡くなった人の友人なのだろうか。それなら少女とも知り合いだっただろうし、納得がいく。
もしくは――まさかとは思うけれど、この青年は泣けない少女の代わりに泣いていたのだろうか? そういえば、古代にはそんな職業があったと聞いたことがある。確か名前は――そこで聞こえてきたのが、冒頭の少女の言葉。そうだ、「泣き屋」だ。あの青年はもしかしたら泣き屋なのかもしれない。ああ、何て偽善的。
わずかな苛立ちと嘲りをこめて、二人を見下ろす。普通に考えれば、なかなか感動的な話だったが、まだ足りない。だから、今からわたしがもっと素敵な物語の結末に導いてあげるわ。
いつの間にか青年がいなくなった公園で、一人泣き続ける少女。やがて、思う存分泣いたのか、すっくと立ち上がり、公園を出ていった。すると、その先にあるT字路で彼女はおもむろに足を止めた。十分泣いていたように見えたが、泣けたことで涙腺が弱まっていたのだろう。またこぼれた透明な雫を少女が拭った――そのとき。
キキーッ、という甲高い音が鳴り響いたかと思うと、続けてドン! という鈍い音が聞こえた。それは、向こうから猛スピードで走ってきた車のブレーキ音と、その車と少女が衝突した音だった。
すると、先ほど去っていったはずの青年が現れ、血相を変えて少女のほうに駆け寄ってきた。それを見て、少女にぶつかった車が走り去っていく。仕方ない、あとで警察にナンバーを通報しておきましょうか。いくら彼女の死が「予定通り」だったとはいえ、ひき逃げなんて卑怯なことをされては不愉快だわ。わたしはハッピーエンド主義者なのよ。
はあ、と一つため息をつき、再び少女のほうに視線を向けると、彼女はすでに虫の息だった。そんな少女を真っ青な顔で見つめながら、青年は必死に声をかけているが、その目に涙はない。他人のためには泣けても、自分のために泣けないなんて可笑しな人ね。それとも、わたしと同じで、自分の「哀しい」という気持ちがないのかしら?
「どうして……せっかく彼の死を受け入れることができたのに……」
「それが彼女の運命だったからよ」
青年の言葉に応えるように、わたしは言葉を紡ぐ。この日、この時間に彼女の寿命は尽きる定めだった。ただ、それだけのこと。少女が恋人の死を受け入れて泣けたとしても、あるいはそれができなかったとしても関係ない。それが少女の運命だったのだから。
それに、
「むしろ幸せだとは思わない? これからその大すきな人のもとへ行けるのだから」
そんな最高の結末のためにも、わたしはそろそろ自分の仕事をしなくてはならない。
ふわり、彼女を挟むようにして、青年の向かい側に降り立つ。すると、もう死期が眼前に迫っているためわたしが視えるのか、少女の目がゆっくりとわたしを捉えた。
その視線の動きに気付いたのか、青年もぱっと顔を上げたが、彼にはわたしが視えるはずないので、わたしはそちらを一切見ることはせずに少女と目を合わせたまま、にこ、と微笑んでみせた。
「初めまして。あなたのお迎えにきたわ」
「お迎え……じゃあ、あなたは死神……?」
「ええ、そうよ。でも、安心して。あなたを苦しめたりはしないから。ゆっくり目を閉じて。こわくはないわ。向こうで『彼』が待っているのでしょう?」
たたみかけるように言葉を紡ぐと、『彼』という言葉が効果的だったのか、彼女はふ、と穏やかな笑みを浮かべた。
「うん、そうだった。彼が待ってるんだよね」
「ええ、そうよ。きっと会えるから大丈夫。さあ、お眠りなさい。どうかあなたが安らかに天国に行けますように」
そして、――サヨウナラ。
「ありがとう、死神さん……さよなら、なきや、さ……」
ふ、と息がそこで途切れる。その瞬間、少女の身体からふわりと魂が浮かび上がり、わたしの手に収まった。ああ、彼女はこの世に「未練」がないようだ。それを物語るかのような穏やかな死に顔を一瞥し、大切な人のもとへ連れていこうと空に浮かび上がった――そのとき。
ぱしり、と腕をつかまれた。驚いて振り返ると、手を伸ばしていたのはすっかり存在を忘れかけていた青年。その顔には何故かわたし以上の驚きが浮かび、その目は真っ直ぐにわたしを見据えていた。どうして、彼にわたしは視えないはずなのに。それ以前に、どうして普通の人間が、実体化していない状態のわたしに触れられるの?
「あなた――」
何者なの? と口にする前に、ぐいっと腕を引っ張られ、気付けば彼の腕の中にすっぽりと収められていた。
「ちょ、何す……」
「会いたかった……!」




