間奏Ⅲ
「泣き屋、泣き屋」
か細い声で呼んでも、彼はどこにもいなかった。どうして、こういうときに限って――「こういうとき」って、どういうときだろう。バカね、わたしには感情なんてないのに。
泣き屋をさがすことをあきらめて、ベンチに腰を下ろし、わたしは行儀悪くもその上に足を乗せてひざを抱えた。別にいい、どうせ人間にわたしは視えないのだから。
そんな言い訳がましいことを考えながらそこに頭を埋めれば、脳裏をよぎったのは数時間前の出来事。
* * *
「わたしと友達になってください」
はっきりとした口調でそう告げた彼女――今回のターゲットである女子高生――は、初めて会ったときとはまるで別人のようにカオを輝かせていた。何故なら、これでようやく新しい「友達」ができるのだから。
でも、
「ごめんなさい」
「え……」
「わたし、あなたとお友達にはなれないわ」
「……どうして? やっぱり、遅すぎた?」
「いいえ、違うわ。だって、」
ゆっくりと立ち上がったわたしを目で追う彼女に向かって、わたしは無慈悲な宣告を口にした。
「だって、わたしはあなたをお迎えに来た死神なんですもの」
刹那、彼女の目が大きく見開かれ、その希望に満ちたカオが見る見るうちに絶望に染まっていくのがわかる。ああ、わたしはそのカオが見たかったの。
しかし、わたしの期待に反して、彼女はそれ以上絶望の色を見せず、逆に眉を下げて少し哀しそうに微笑むだけだった。そして、
「そっかあ、わたし、やっぱり死ぬんだ」
――やっぱり? 予想外の言葉に、今度はわたしが瞠目してしまった。彼女は自分の余命を知っていたというの?
呆然とするわたしが何かを言う前に彼女が口を開き、穏やかに話し始める。
「あなたと二回目に会ったときかな? わたし、持病の発作って言ったでしょ? 確かに小さいころ、それこそあのコが死んだあとに手術を受けて、普通の人と同じような生活を送れるようになったけど、完治したわけじゃなかったんだ」
自分の胸に手を当てて、冷静に現状を語る彼女。そう、彼女は少し前に病気を再発していたのだ。その時点で余命は一年。両親や主治医はただの後遺症だとごまかしていたようだが、ムダだったらしい。いつかの盲目の少女と同じで、自分の身体のことを一番よく知っているのは、彼女自身なのだ。
でも、
「死ぬのよ? 哀しくないの?」
「哀しくないって言ったらウソになるけど、死んだらあの世であのコに会えるかもしれないし」
死ぬ直前の人間とは思えないほど落ち着き、嬉しそうに笑った彼女を見て、何故かズキリ、と胸が痛む。この感情は、何?
いや、わたしには感情なんてない。それなのに、どうしてこんなに胸が痛むのだろう。彼女があまり絶望しなかったから? それどころか、死んで友達に会えると喜んでいるから? そう、唯一の大切な「友達」に――
「でも、あなたと友達になれないのはすごく残念、かな」
「……わたしは別に残念じゃないわ」
「うわひっど! あれだけずっと一緒にいたいとか友達になりたいとか言って、ストーカーまでしてたくせに」
「失礼ね。わたしはそうやってあなたを懐柔させてから正体を明かすつもりだったのよ。そのほうが、あなたの絶望した面白いカオを見られるもの」
「相変わらず最低だね。でも、面白いと思ってくれたのは、ウソじゃないんだ」
哀しそうなカオをしたかと思えば、すぐににぱ、と嬉しそうに微笑む彼女。その表情は柔らかくて、本当に以前とは別人のようだ。
「……そうよ」
「なら、いいや。わたしが勝手に友達だと思っとくからさ。それに、わたしの『願い』は叶いそうだしね」
「さっきも言っていたけれど、その『お願い』って何なのかしら」
「わたしの『願い』はね、自分の最後を看取ってほしいってこと」
「どういう、意味?」
訝しげに顔をしかめて尋ねれば、彼女はにっといたずらっぽい笑みを浮かべた。どうして、死ぬ間際になってこんなに生き生きしているの?
「言ったでしょ? 死は永遠だって。そうすれば、わたしもあのコみたいに誰かの――あなたの記憶の中に残るでしょ?」
「わたしは途方もない数の命を迎えにいく死神よ。あなたもその一つに過ぎないんだから、忘れるかもしれないわ」
「薄情者。でも、こうやって看取ってくれるだけで十分かな。わたしは最期の最後でずっとほしかった『友達』を手に入れたんだから」
「……さあ、そろそろ時間よ」
低い声でそう告げて、彼女をベッドに寝かせる。すると、素直に横になった彼女はこちらを見て、にこ、と笑った。
「最後に逢えたのが、あなたでよかったよ」
そうして、彼女は永遠の眠りについたのだった。
* * *
わたしには感情なんてない。だから、哀しくなんてなかった。
でも、今は無性に彼に会いたい。会って、話を聞いてほしい。そうでないと、わたしは感情も涙もないという自分を保てなくなってしまう――
「――っく」
刹那、トナリからしゃくり上げるような声が聞こえた。それが誰のものかなんて深く考えずに、わたしは振り向く。
「なき……」
「っく……くくくくっ、あはははははっ」
泣き声だと思っていたものが、不気味な笑い声に変わる。その声を発した人物は、全身真っ黒なスーツに身を包んでいるという点では泣き屋と同じだったけれど、その格好をしてわたしに近づく人物は、もう一人いたのだ。
わたしと同じようにひざを抱え、そこに埋めていた顔がぱっとこちらに向けられた。それは――
「ふふっ、ごめんね。『彼』だと思った?」
にこり、とキレイだがウソくさい笑みを浮かべるあの男、だった。
「……あなたは相変わらずヒマ人ね。何の用?」
彼からの質問には答えずに、今出せるありったけの嫌味を口にすると、彼はその笑顔のまま、
「いつも言ってるでしょ? ボクは『面白いこと』には敏感なんだって」
と言った。また今回のこともどこかで嗅ぎつけてきたということか。相変わらず厄介な死神だ。心の中で悪態をついていると、今度はくすくすという笑い声が聞こえてくる。
「……何がおかしいのかしら」
「いや、君と『彼』は本当に似てるなあと思って。人の苦しむカオを見るのがすきだなんて、ボクには理解できなよ。まあでも?」
にやり、男の口角が上がり、愉快そうに唇が歪む。
「だからこそ『面白い』んだけどね」
何を面白いと思うかに違いはあれど、その気持ちはわたしにもよくわかる。だから、今回の彼女ともああやって――
「でも、ボクは君たちと違って他人にはやさしいからさ、今日は忠告にきたんだ」
「忠告?」
わけのわからないことを言い出した彼をきっとにらみつければ、彼はわざとらしく肩をすくめてみせたが、またすぐに笑みを浮かべた。しかし、それはいつものような作り笑いではなく、わたしの嫌いな、すべてを見透かしたようなあの目で、にやりと嗤ったのだ。
雰囲気ががらりと変わったのを感じ、身体に緊張が走る。そして、男の口から出てきた「忠告」とは、
「もう、くだらない『友達ごっこ』はやめたほうがいいんじゃない?」
「――は、」
「君も気付いてるはずだよ。君が『面白い』ことのためにやっているそれは、相手を絶望させるどころか、むしろ実は希望になってるんだってことにね。そして、結局最後に傷つくのは君なんだ。そんなの、ちっとも『面白くない』だろう? ああ、それとも――」
「……黙りなさい」
「君のほうが『友達ごっこ』を求めているのかな?」
くすり、彼はいつもわたしがやっているような嫌味っぽい笑みをこぼした。他人にやられると、かなり腹が立つ。
それなのに、ねえ、どうしてわたしは反論できないの? この男の言っていることがあまりにもくだらないから? それとも、この男がいつもと違う雰囲気を醸し出しているから? それとも――図星、だから?
そう思ったら、さらに何も言えなくなってしまった。反論したいはずなのに、声が出ない。そんなことあるわけがないのに、口に出す言葉が見つからない。わたしは、どうすればいいの? 誰か助けて。誰か、誰か――
「――……き、や」
「何だい?」
少し高めのあの男の声とは違う、穏やかな声が聞こえた。うなだれていた頭をぱっと上げれば、目の前に泣き屋が立っていた。
「泣き、屋?」
「うん、そうだよ?」
その質問に困惑したような笑みを浮かべ、かくり、と首をかしげた泣き屋。ばっと横を見れば、さっきまでそこにいたはずのあの男は消えていた。多分、泣き屋が来るのが見えて去っていったのだろう。ここは助かったと言うべきだろうか。
そんなことを考えていると、空いたそこに泣き屋が腰を下ろし、こちらを向いた。
「今日は、どんな人だったの?」
「え?」
「話を聞かせて。ぼくが君の代わりに泣くから。君の哀しみと悼みを、ぼくが全部引き受けるよ」
にこ、といつものようにやさしく微笑む泣き屋は、しかし、いつもより強い眼差しでこちらを見つめていた。
でも、
「――わたしは、哀しむことも、悼むこともしないわ」
「うん、知っているよ。これは、ぼくが勝手にそう思っているだけだから」
(わたしが勝手に友達だと思うから)
まだ何も話をしていないのに、彼女の笑顔が泣き屋のそれと重なる。まったく、彼も彼で厄介な人物だ。そんな人物のところに好き好んできているのは、わたしなのだけれど。
そうしてわたしは話し始める。頭の片隅に、あの男の「忠告」を残しながら。




