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死神の執行猶予  作者: 久遠夏目
序章
2/38

あたたかな雫は誰がため

 ひゅうう、と風が吹きぬける。ぐるりと視線をめぐらせれば、この街は上から見るとこんなふうだったのか、と感心した。長いこと住んでいたのに今さらではあるが。

 俺ははあ、と深く息を吐いて、遠くに沈む太陽を見つめた。夕日で真っ赤に染まった空はどこか不吉で、血を想像させる。そして、


「今、お前のところに行くからな」


 ふわり、とフェンスから手を放し、街の外れにある廃ビルの屋上から俺は飛び降り――


「危ないっ!」


 ぱしっ、と手を掴まれ、そのままフェンスの中に引きずりこまれてしまった。その勢いで、ドサリ、と屋上に倒れこむ。


「いたた……」

「あの、大丈夫ですか?」

「大丈夫なわけねぇだろ! せっかく自殺しようとしてたのに、あんたのせいで台なし……」


 床にぶつけたところをさすりながら、怒鳴り気味に言って顔を上げれば、目の前には中性的で整った顔をした青年が穏やかな笑みを浮かべ、手を差しのべていた。

 俺は不服ながらもその手を取って立ち上がり、尻のあたりをぱんぱんと払いながら口を開く。


「あんた、何故こんなところにいる?」

「散歩をしていたら、偶然あなたが屋上に立っているのが見えたんです」

「散歩? こんなところをか?」

「はい」


 にこ、と微笑む青年は、その笑顔や口調こそやさしいものの、怪しいことこの上ない。何より、人の自殺の邪魔をしやがって――


「あなたは、どうして自殺しようとしたのですか?」

「はっ、何故あんたに言う必要がある? ……いや、どうせもうすぐ死ぬんだ、教えてやってもいいか。簡単なことさ、妻に先立たれたからだよ」

「奥様に?」

「そうだ、病気でな。妻は俺のすべてだった。俺の生きる意味だった。それがなくなったんだから、もう俺に生きている理由などない」


 そう、だから俺は死ぬ。淋しがりやのあいつのところへ、早く行かなくては――


「……っく」

「え?」


 しゃくり上げるような声が聞こえたのでそちらを見てみれば、先ほどまで穏やかなカオをしていた青年がぽろぽろと涙を流していた。確かに俺はしめっぽい話をしたが、初対面の赤の他人がそんなに哀しむことだろうか?


「お、おいあんた……」

「……ああ、すみません、申し遅れました。私、泣き屋といいます」

「なきや?」

「はい。大切な人を失ったけれど、何故か泣けない人の代わりに泣く。それが私の仕事なのです」


 まだ目じりに涙を残しながら、青年は笑った。

 話から察するに「なきや」とは「泣き屋」とでも書くのだろうか。しかし、そんな職業は聞いたことがない。葬儀屋の一種なのだろうか?

 ――いや、どちらにせよ、


「くだらない」

「え?」

「どうしてあんたが俺の代わりに泣く? 俺の代わりに泣いてどうなるって言うんだ。その涙は、俺が泣いてこそ意味があるんだよ」

「ええ、あなたの言うとおりです」

「だったら、あんたが泣く必要はないし、同情や演技もいらない。赤の他人のお前に、この世で一番大切な人を、生きる意味を失った俺の気持ちなどわかるはずがない!」


 俺に怒鳴りつけられた青年は一瞬瞠目したかと思うと、困ったように眉を下げて苦笑した。俺には、その表情が何故だかとても人間らしく思えた。


「わかりますよ。私も――ぼくも、この世で一番大切な人を失っていますから」

「……恋人か?」

「はい」

「ふん、それならあんたはまだ若いんだからいいじゃないか。機会はいくらでもあるだろう? だけど、俺は違う。こんな老いぼれに機会なんてもうない。いや、そんなものはいらない。俺には何十年とよりそってきたあいつしか考えられないんだよ。だから、俺はあいつのもとへ行く」


 もう七十代も半ばで、あとは死を待つのみ。それならば、今すぐ妻のもとへ行ったほうがいい。

 すると、青年が静かに口を開いた。


「確かにぼくはあなたよりもずっと若いですし、彼女といた時間だって、あなたと奥様に比べればほんのわずかなものでした。でも、ぼくも彼女以外の人は考えられないのです」

「それならば、あんたは何故生きている? どうして、生きていられる?」


 そう問えば、青年は真っ直ぐな瞳で俺を射抜いた。


「私は、泣き屋だからです」

「は……?」

「私は彼女が死んだとき、一生分の涙を流しました。だから、今度は他者のために、彼女の分まで泣くのです。そして、私の心臓が動き続ける限り、彼女の分まで生きようと決めたのです」

「俺には、理解できない」

「奥様は何の花がお好きでしたか?」

「は? 確か……すみれ、だったかな」


 唐突な質問に間抜けな声を出してしまったが、俺は妻が生前大切に育てていた花の名前を、何故か素直に答えていた。

 それが悔しくて青年をにらみつけると、彼はまたにこ、とやさしく微笑んだ。その笑顔が、誰かに似て――


「では、それを育ててからでも遅くはないはずです」

「え?」

「あちらへ行かれるときに、その花を奥様に持っていかれてはどうでしょうか。きっと喜ばれますよ」

「……妻のことなど何も知らんくせに」

「ええ。でも、奥様はきっと待っていてくれるはずです。あなたにこんなにも愛されていた奥様なのですから、奥様もあなたのことをとても愛されていたのでしょう?」


(あなた、ありがとう。愛してるわ)


 臨終の間際、妻はそう言った。か細い声だったけれど、それは確かに俺に届いたのだ。


「ふん。老い先短い人間をこき使うとは」

「それでも、そのときまで生きてください」

「妻の分まで、か?」

「はい」

「礼は言わんぞ、泣き屋とやら」

「ええ、構いません。では、私はこのへんで失礼します」


 一礼した青年が去ったあとの屋上はすっかり日が暮れて寒いくらいだったが、俺のほおにはあたたかい雫が一すじ流れていたのだった。




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