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死神の執行猶予  作者: 久遠夏目
第二章 死神と盲目の天使
13/38

05

「こんばんは」

「こんばんは! 最近来てくれなかったけど、どうしたの?」


 病室に入ると同時に向けられた明るい笑顔。数日会っていないだけなのに、それがとても懐かしく思えたのは何故だろうか。

 彼女を公園に連れていってから数日の間、わたしは病院に行かなかった。次に会ったときの希望を大きくするため、そして、命日となる今日に合わせるためだ。わたしはそれらの事情を完璧に隠し、殊勝に眉を下げてみせた。


「ごめんなさいね、ちょっと仕事が忙しくって」

「あっ、ううん、いいのよ。あなたにはあなたの生活があるものね。でも、この前まで毎日会っていたから、ちょっと淋しくて……」


 しゅん、と哀しげな表情を浮かべる彼女は本当に子供らしくて、これが本来の十歳の少女の姿なのだとわかる。どこかの誰かさんと違って、こんなになついてくれるなんて――仕事のしがいがあるわね。


「本当にごめんなさい。もう淋しい思いはさせないわ」


 だって、あなたは今日死ぬんだから。もう、「淋しい」なんて思わない。いえ、思うことすらできないのよ。


「ううん、本当に気にしないで。今日は来てくれたんだから、とっても嬉しいわ。そういえば、今度はいつ公園に連れていってくれる? 先生は体調がいいならいつでも大丈夫だって言っていたのだけれど……」

「残念だけど、『今度』はないわ」

「え?」


 彼女の顔から嬉しそうな笑みが消え、少し驚いたような表情がこちらに向けられる。


「えっと……やっぱりお仕事が忙しい?」

「いいえ。わたしはね、今ここに『仕事』をしにきたの」

「どういう、こと?」


 どんどんこわばっていく彼女の顔。この冷たい異様な空気を感じ取ったのだろう。さあ、「友達ごっこ」はもう終わりよ。あとは終焉に向けて、あなたを絶望に突き落とすだけ。


「わたしが初めてここに来た日、何て言ったか覚えている?」

「え、と……」

「『こんばんは。あなたのお迎えにきたわ』――わたしはあとでこれをウソだと言ったけれど、本当はウソじゃない。わたしはね、あなたを迎えにきたの。そう、『死』という名のステージにね」

「し……?」

「そう、こう言ったほうがわかりやすいかしら。わたしはね、あなたの命を迎えにきた死神なのよ。小さなお嬢さん?」


 くすり、と笑みをこぼせば、彼女の見えない目が大きく見開かれ、そのカオが今までにない驚愕の色に染まった。心なしか蒼ざめているようにも見える。


「死、神……? あなたが? ウソよ、だってわたし、何度もあなたにさわったし、あなたも車椅子を押してくれたじゃない」

「それは実体化していたからよ。それに、わたしの手、いつも人形みたいに冷たかったでしょう?」

「あ……で、でも、あなたはわたしとお友達になってくれた。歌手になるっていう夢も叶えてくれた。そんなやさしい人が死神だなんて――」

「わたしは、やさしくなんかないわ」


 彼女と過ごした中では使ったことのない強い口調で吐き捨てると、彼女は小さな肩をびくっと震わせた。それを見て、わたしはふっと嘲笑を浮かべる。


「友達なんてウソよ。野外ライブだって、あなたを喜ばせるための作戦に過ぎないわ。そうやってあなたが生きることに希望を持ったときに死なせるのが、わたしにとっての楽しみなんだから」

「そんな……」


 ぽろぽろと大粒の涙をこぼす彼女は、やはり大声で泣き叫んだりはしなかった。それでも、今が一番のチャンスだろう。もう二度と夢が叶うことはないという絶望に打ちひしがれて、死んでゆきなさい。


「そろそろ準備はいいかしら。わたしはこんな死神だけれど、苦しめて死なせるようなことだけはしない。死は眠るのと一緒、こわくはないわ」


 そう、わたしは別に、彼女の肉体的苦痛に歪むカオが見たいのではない。

 すると、彼女はごしごしと涙を拭いて、わたしの目を真っ直ぐにとらえた。そこにわたしは映っていないはずなのに、その視線は確実にわたしを射抜く。


「あのね、最後にここで歌わせてもらえないかしら」

「え?」

「たくさんの人の前で歌う歌手になれなくてもいい。わたしは、最後に大すきな歌を歌いたいの」


 ああ、やっぱりバカなのはわたしのほうだ。彼女は歌うのがすきで、きっとそれができれば歌手になんてなれなくてもよかったのだ。つまり、これが彼女の本当の「希望」。わたしは彼女を本当に絶望させたいのなら、彼女から「歌」を取り上げなくてはならなかったのに。

 今、彼女の要望を無視して「歌」を取り上げれば、彼女は今以上に絶望し、わたしの大すきなカオが見られるだろう。だけど、彼女の本当の「希望」を見抜けなかったわたしに、それを奪う権利なんて、ない。


「――いいわ。ただし、一曲だけよ」

「うんっ」


 ぱあっと満面の笑みを咲かせた彼女が深呼吸してから歌い出したのは、いつかここで歌ってくれた歌だった。五分にも満たないその歌は、何故かそれ以上の時間に感じられた。

 そして、すべてを歌い終えると、彼女はこちらを向いて、


「これでお仕事頑張れるでしょ?」


 と言って笑った。ああ、バカなコね。最後くらい、自分のために、自分のすきな曲を歌えばいいのに――いや、彼女は誰かのために歌っているときが一番楽しそうだった。じゃあ、わたしもあなたのために頑張らなくちゃね。


「そうね。じゃあ、目を閉じて。こわくはないわ」

「またいつか会えたら、歌を聞いてくれる?」

「ええ、もちろんよ」

「ふふ、嬉しい――……」

「さあ、お眠りなさい。どうかあなたが安らかに天国に行けますように。そして、――サヨウナラ」


 そうして、天使のような微笑みを浮かべて息を引き取った彼女のほおには、一すじの涙が流れていた。




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