55.尻尾にはご用心
中庭を走り抜けながら、私は考えた。
ダンの素晴らしさは、人知れぬその努力と成果。
じいやの弟子として立派な精霊術師になり、宮廷でも一目置かれる存在になったことはもちろん。
本来、獣人は精霊の申し子として数少なく、そして術師に向いているようなひとはほとんどいないという。
幼い頃は喋るとすぐ強風が吹くため、無口で過ごすことが多かったくらいだが、今や宮廷の警備を任されることもあるのだ。
ダンがどれほど修行を積んだのか、わかるだろうか。
なにより私が言いたいのは、その毛並の素晴らしさ。
砂にまみれ、ごわごわだった幼少期。
それでも構わず抱きついていた私を慮り、彼はローブをこまめに洗濯したり、砂をブラシで払い落としたり、お手入れをするようになった。
あるときから石鹸と薬剤の独自開発に取り組む。ママさんの影響もあるんだけれど。
そしてついに地肌に優しい薬剤を作り上げ、おかげで今ではいつ抱きついてもそのふわふわな毛並を堪能できるのだ。
抱きつく度に思う、ダンの優しさと人知れぬ努力。
ダンのもふもふの素晴らしさを知ってもらうにはどうすれば⁈
やっぱり触ってもらうのが早いかしら?
でも、そうね。
ダンと私の触れ合いタイムが減るのもなんだか困るわ。
「……!…この馬鹿!!」
ぐいっ、と腕を掴まれ、私は急停止した。
考えごとをしていたから、急に止まって前のめりに転けそうになる。
「あわわっ」
「僕の声が聞こえていないの⁈勝手な行動はするな!」
ぼふん、と後ろ向きにダンの胸に倒れこむ。
支えてくれたダンが耳元で大声を出すものだから、キーンと頭痛がした。
「ご、ごめんなさい……」
「今の自分の格好を思い出して」
ダンに叱られ、私は侍女風にこしらえたドレスを見下ろした。
あ、庭を走ったから裾が砂で汚れてしまっている。
慌てて裾を払い始めた私を見て、ダンは深い深いため息をついた。
「説教は後でするよ。部屋に戻る?…修練所は、すぐそこだけど」
「修練所に行かせてください…!」
城内の秘密の冒険なのに、頭に血が上って勝手な行動をしたのは私が悪い。
反省するから、あと少しだけお付き合いくださいっ。
「なら、行くよ。たぶん、カザンがいるだろうから」
ダンは私の二歩ほど前を歩き始める。
修練所といっても、中庭の端、城壁沿いに作られた平地のことだ。
城内とひと口にいっても、城壁に囲まれた敷地は広い。
こんなに歩くとは思っていなかった。
「あ、聞こえてきた」
木の塀の向こうから、兵士達の怒号が聞こえてくる。
こ、こんなに大声で打ちかかるものなの?
「エエエエエエエイッ」
「…………次ィッ」
「ヤアアイアアアアッ」
「はあっ…次ィッ!」
ダンに続いて小さな門をくぐると、中では砂埃を巻き上げながら兵士達が実剣で訓練していた。
ん?いや、訓練というより、居ずまいを正して順番待ちをしているようだ。
皆、右手に剣を、左手に白い紙を持っている。
両手に持ったそれらを、ただ一人の相手に突き出していく。
(カザン……?!)
「うーん、思ったとおりだね」
ダンが呟くと、カザンもこちらに気づいたようだった。
ただ、声をかけてくることはなく、目の前の相手と剣を合わす。
それも次から次に。
「カザン殿!私とも一本勝負…!!」
若い兵士が左手の紙束を投げつける。受け取ったカザンはざっと目を通すと、すぐに剣を構えた。
相変わらず、自然な構え。
さらりと立っているように見えるが、右手右足をわずかに前に出し、すぐ次の一歩が出せるよう構えているのだ。
「来なよ」
「てええええええっ」
兵士が剣を打ち付ける、が、カザンは受けたその太刀をいなし、左足で相手の腹を蹴りつける。体勢の崩れた兵士に、返す剣で切りつければ勝負は終いだ。
「……私の勝ちだね」
「…カザン殿!今まで、今まで……ありがとうございましたー!!」
泣き崩れる若い兵士に微笑みかけるカザン。すぐさま厳しい顔に戻ると、次の兵士に向き合う。
「次ィッ」
…………これは、一体どうしたのかしら。
修練所の入口で呆然と立っていた私は、目の前の様子を理解できずにいた。
カザンの前に並ぶ兵士達は、いち、にい…少なくとも両の手では足りない。
「カザンがこの国を去るとわかって、兵士達が稽古を頼んだんだ」
ダンが小声で私に教えてくれる。
稽古といわれ、自分ごとき未熟者…と引き下がろうとしたカザンを、ある兵士が決闘を持ちかけたらしい。
それほどまで、カザンと一本勝負をしたいと。
勝負を持ちかけられては断れない。
戦士としての誇りがあるカザンはその申し込みを受けた。
途端に、若い兵士達が決闘状をもって並び始めたという。
連日、カザンは申し込まれた決闘を受けているそうだ。
「カザン……まさか……」
「フィリア殿下のところになかなか姿を出せない一因は、これだね」
目の前で次々と倒されていく兵士達。
決闘だから実剣を使っているようだが、斬りつけて大怪我を負わせることはしていないようだ。
「…あ、倒した相手を踏んだ」
なかなか終わらない勝負にカザンも苛立ちを覚えているのか、たまに二度蹴りしたりしている。
ダンのかげに隠れながら、私はその勝負を見守った。
さすがカザン。
若い兵士達では手がでないようだ。
むしろ踏まれて笑う人もいて、若干怖い。
「次ィッ!最後!」
「デエエエエエエエエイッ」
最後の兵士はカザンとやり慣れているようだ。
二、三太刀打ち合うも、剣を叩き落とされた。
ど、どれだけの力で叩き落としたのか、考えたくもない。
「……これで、終いかな」
カザンは、額の汗を拭うと私達に向き直った。
驚いたように耳をぴんと立てるが、表情は変わらず柔和な微笑みを浮かべている。
(あら……もしかして、気づかれた?)
ダンの後ろで顔を伏せてお辞儀していたのだが、さっきまで呆然と顔をあげていたのだから見られていたかもしれない。
「カザン、一通り終わったの?」
「ああ、ダン。今日で、挑まれた勝負は全て終わらせたよ。…もちろん勝ったさ、負けては故郷に帰りにくい」
ダンは、私を修練所の隅、剣や道具の置かれた場所に連れていくと、適当な箱に座らせた。
ここで、大人しく見ててくれる?と囁かれる。
え?と顔を上げた私の前で、ダンは変わらぬ調子で言葉を続けた。
「それじゃあ、カザン。正真正銘の最後だ。僕と一本勝負をしよう」
「……ダン?」
「精霊術師と手合わせしたいと前から言っていたじゃないか。僕が、相手を務めよう」
え、え!
ダンってば何を言ってるの!カザンとダンの勝負だなんて……
ふ、二人とも!
お願いだから毛並と尻尾には気をつけて……!!
若い兵士達にとっては、カザンは、セベリアの戦士というより、リーヴェル国王の信頼厚い有能な騎士で、憧れの存在。
日頃の振る舞いからか、「カザン殿に見下され隊」と謎のファンクラブもあったそうです。
ちなみに、アランはまだそのファンクラブの存在を知りません。




