36.お茶でも飲みましょう
本日2話目の投稿になります。
ご注意ください。
部屋に入ると、香ばしい焼き菓子の匂いがしました。
「お母さま!作ってくれたの?」
テーブルの上にはママさん手作りのクッキーやケーキ、それにお茶の用意。
「うふふ、久しぶりにキッチンを見ると、張り切っちゃったわ。午後のお茶ではないけれど、せっかくだからいただきましょう?」
「嬉しい!お母さまの手作り、久しぶりだわ」
船旅では保存の効く食品を加工したものばかり。野菜は少なく、肉や魚、飲み物だってアルコールを飲むひとがほとんどだった。
オアシスの家でも、ヴァーレの丘でも、ママさんはよく手料理を振る舞ってくれたのだし、久しぶりの陸が嬉しいのはママさんもいっしなのかな。
「おはよう、フィリア。昨晩はよく眠れたかい?」
「おはようございます、お父さま。……怪我は大丈夫?」
テーブルを囲む椅子は6つ。
1つ空席を作って皆で囲む。私はパパさんとママさんの間に座ることにした。
朝の挨拶を交わすパパさんの顔には、拳の跡がくっきりと残っている。
ああ、赤紫色になって痛そう……
「あの馬鹿王が、あいつ加減もせず顔を殴ってきたぞ。よりにもよって私の顔を!」
「あら、あなただって思い切り急所を狙っていたじゃない。おあいこ様よ?」
憤るパパさんを、ママさんがあっさり宥める。
前から思っていたのだけれど、パパさんは文官ではないのだろうか……。
昨日の様子を見る限り、大変争いに手慣れていらっしゃるようだったけれど。
「あの、お父さまは陛下に怪我させてしまって大丈夫なの?」
恐る恐る、尋ねる私に、パパさんはああと軽く笑って教えてくれた。
「安心しなさい、フィリア。私達は昔から顔を合わせる度に殴り合ってきたから。今更誰も気にしないよ」
え!
「そ、それはどういう関係で……?」
自分のことどころか、パパさんも謎でいっぱいだよ!
「フィリア、私の名前はオーヴェ=ユーメルというのだけれど」
うんうん、知っていますよ。
「ユーメルというのはリーヴェル国王族の名字で、私は前国王の弟の息子、つまり現国王のいとこにあたるのさ」
「え、えええええ……?!」
や、やっぱり!殿下っていうから、覚悟はしていたけれど!
「ちなみに現国王には兄弟がいなくて、父方のいとこは私ひとり。母方のいとこには女性ばかりと家系図が大変心配な状況で」
パパさんはお茶を一口飲んだ。私も飲んだ。
ああ、甘くしたお茶が心を落ち着かせてくれます……
「まあ、私が王位継承順位第一位にあたっていたのさ。王太子殿下がお生まれになるまでは」
お ち つ く か !
私はお茶の入ったカップをだん!とテーブルに置いた。
ま、待ってダン。そんな可哀想な子を見る目で見ないで。
「え、え、お父さま?どうしてそんなお父さまが、オアシスにいたの?」
オアシスがあった領地は他国だったはず。王位継承順位第一位の人物を国外に出すなんて、一体なにが!
「うーん、それを話し始めると、まずリディアと私の出会いから話さないといけないのだが……」
「ふぉっほっほ、旦那様、それでは日が暮れてしまいますぞ」
「先生もそう思いますか?フィリア、残念だけれどこの話は改めてじっくり…」
じいやに止められて、パパさんは愛のエピソードは控えることにしたようだ。
「じいや……?じいや、そんなに昔からお父さまのことを知っているの?」
リーヴェル国では有名な精霊の申し子の家庭教師、そう聞いていたじいやが、王族のパパさんの過去を知っているだなんて。
「フィリア様、儂もご縁がありましてのう」
「先生、まだ言ってなかったんですか?フィリア、先生はリーヴェル国宮廷筆頭術師だった方だよ。今は引退されているけれど」
「引退させたのは旦那様ではありませぬか。手のかかる教え子を持つといけませぬなあ」
はっはっは
ふぉっほっほ
楽しげに笑う二人を見て、私は頭を抱えた。
「フィリア、君が精霊の申し子だとわかったから、旦那様は当時陛下のご意見番まで務められていたお師様を引退させて、オアシスまで呼んだんだよ」
ダン!
お前もか!
まさかダンまで知っていたとは、とダンを見つめると、まさか知らなかったとは、という顔で見返された。
相変わらず白い毛並と黒い毛並でもふもふしていて、愛らしくて表情読み取りにくいけれど、私にはわかるんだから!
後でほっぺた揉んでやる!実はよく伸びるほっぺた揉んでやる!
「儂は旦那様が幼い頃から宮廷に仕えていたこともあって、どうも旦那様のお願いには弱いんじゃ」
「またそんな風に言って。私の我儘を聞いてくれて、先生には感謝しています。…まあ、そんな間柄なのもあって、私と陛下は小さい頃から一緒に遊んでいて、度々喧嘩して、殴り合って、競い合っていたのだから、今更殴り合っても誰も気にしないよ?むしろ、侍医が私達の謁見が終わるのを待っていたぐらいだから」
い い の か そ れ で !
お決まりだから、と言わんばかりに言いのけたパパさんに、私は脱力した。
万が一のことがあるだろう、誰か止めなよ!
「じゃあ、王太子殿下との婚約も、仕方ないの?どうして、召還してまで私なのかなあ」
パパさんは婚約発言を思い出し、表情をムッと険しくさせた。
陛下は精霊の申し子ということを気にされていたように思うけれど、婚約とどんな関係があるのかしら。
私は、部屋から持ってきた絵本を膝の上に広げる。
絵しかない、この本は、リーヴェル国の精霊の申し子についての伝承を描いていると教えてもらった。
船旅の間も、アランから借りている、この絵本を何度も何度も読んだ。
アラン……
王太子殿下と婚約なんてしちゃったら、もう会えないのかなあ。
コンコン、と扉をノックする音が聞こえた。
控えていた侍女が、私達にお客さまがいらっしゃったことを教えてくれた。
「もう、そんな時間か。いらっしゃい、よく来てくれたね」
パパさんが立ち上がって出迎えようとするので、私も慌てて絵本を抱えて椅子から降りた。
「その絵本、もしかして、アランのかな?」
優しい声が、私に問いかける。
少し低い、落ち着いた声。甘く囁かれたら、腰砕け間違いなしのこの声、まさか……!!
顔をあげると、黒い軍服姿の獣人が立っていた。
ふさふさとした尻尾が、ゆらりゆらりと横に揺れている。
狼を思わせる精悍な顔つきの、犬の獣人。
青年らしい、鍛えられたしなかやな体躯が、灰色と白の毛並が、黒の軍服で引き締まって格好良い。
ま、まさかまさかまさか!
「はじめまして、ハサンの長子、カザン=セベリアです。フィリア嬢には、アランが大変お世話になったと聞いています」
びしっと胸の前で腕を構え、敬礼するその姿。
か、
かっこいいよカザン兄様ーーーーーー!!!!!!!!
もう新しい獣人は出ないだろうと思っていた方。
新しいもふもふさんです……!!




