30.SideSお花畑でこんにちは
「フィリアーーー!!!」
ダンは叫んだ。
大波を立て、海に沈んでいくフィリアを掴もうと腕を伸ばしたが、僅かに届かなかった。
目の前で沈んでいく、ドレスの色味が、海の黒色にかき消されていく。
もしかしたら海面に上がってくるかもしれないと、しばらく上空に留まってフィリアを探した。
風の精霊の申し子である自分は、空中なら意のままに動けるが、海に飲み込まれればあっという間に海の藻屑となるだろう。それでも少し海面に顔をつけて、フィリアの手がかりを必死に探した。
「フィリアの…馬鹿!絶対見つけてやるんだから!」
ダンはフィリアを飲み込んだ海に向かって叫ぶと、船へ取って返した。
船にはお師様だけでなく、リーヴェル国のお抱え術師、水の精霊の申し子がいる。
とにかく、フィリアを見つけないと。
ずぶ濡れの姿で船に帰ると、海賊達は全員取り押さえられていた。
旦那様が剣を抜いている。
あの人に武器を持たせては、その辺の海賊10人ががりでも敵わないだろう。
側に立っている奥様は、ダンが一人で戻ってきたのを見て、今にも倒れそうだ。
「ダン!フィリアは!」
「…海に落ちました!船の術師に探させてください!」
旦那様は焦っているのか、ダンが戻るなり問いかけた。
「わかった、探させよう。海賊の襲撃は予想できたろうに、こんな様では彼らも申し開きが立たないだろうから」
旦那様にとって予想外だったのは、船酔いで弱っていたフィリアが自力で部屋を抜け出たことだろう。ダン自身、まさか自分の腕を振り払うために精霊の力を使われるとは思っていなかった。
「あなた、ダン。フィリアを早く見つけてください。私が、囮なんてするから、あの子がこんなことに…」
「奥様、フィリアは無事です。僕には、あの子を守る風の精霊達を感じるから」
フィリアは、船室で休息中だった。靴でなく、ダンが先日プレゼントした室内履きをたまたま履いていた。
裸足が嫌だとかまだ大きくて普段は使わないからとか言いながら、気に入ってくれたのか船室で履いてくれていたのだ。
石飾りに籠めた精霊達の力が、使われていることをダンは感じている。フィリアを守る風を張ってくれているなら、海中でも無事にいるのだろう。
奥様が、ほっと息を吐いたのを見て、ダンは言葉を続けた。
「お師様は?どこにいるんですか?」
「先生は、船室で治療を受けている。…咄嗟に私達を庇って、海賊達の剣を受けてしまったのだ」
船上では、地の精霊の申し子は不利だと考えなかったはずはない。手持ちの土で壁をつくったものの、厚さが足らず切先が当たったという。
「幸い、浅い傷だ。治療が終わればフィリア捜索の知恵をお借りしよう。……クルト、マーレンにフィリアを探させろ。お前は私と海賊達の尋問だ」
クルトと呼ばれた赤髪の使者は、一礼すると船室へ走っていった。船を操舵する術師に指示を出しに行くのだろう。
旦那様は剣を鞘にゆっくりと戻した。縄を巻かれて転がる海賊達を足蹴にする。
いつも穏やかな旦那様の眼差しが、みるみる鋭く釣り上がる。
「誰の指示でこんなことをしたんだろうなあ?私を敵にして、楽に死ねると思うなよ?」
側に立つ奥様が、いつも通り可愛らしく、ふふ、と笑った。
「あなた、昔みたいにやんちゃしないようにね?」
「ああ、リディア、大丈夫。君がいるのに船を汚すようなことはしないよ。方法は…ダンがいるから、黙っておこうか」
「まあ、あなたったら」
抜き身の刃のように怒りを迸らせる旦那様の横で、まるでお花畑に佇む少女のように笑う奥様。
フィリアを愛する両親として穏やか人物像を描いていたダンは、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
(僕は、とんでもない一家に仕えてしまったんじゃあ……)
妹分ひとりでも手に負えないのに、どうしよう。
「お、お師様のところへ行ってきます…!」
触らぬ神に祟りなし。
一刻も早くフィリアを見つけるため、ダンは行動することにした。
長くなりそうなので、いったん区切ります。
次回フィリアサイドに戻ります。




