21.ヴァーレの丘
「ここが、ヴァーレの丘なの?」
私は、パパさんに抱っこされたまま、ヴァーレにたどり着いた。
シャンク族の集落は、ヴァーレの入口からかなり離れたところにあったらしい。
それだけ川を流れてきたんだろうけど、よく溺れなかったなあ。そもそも砂嵐にも巻き込まれて生きていたけれど、無事だったし。
「お父さま、私を捕まえていたボネロ族のひとは無事なの?」
一緒に砂嵐に巻き込まれたはずだけれど。
「うん、彼も無事だよ。傷は負っているけどね。フィリア、君はあの子も守ったんだよ」
どういう意味だろう?詳しく聞こうとした私を止めて、パパさんは言った。
「先に、お母さんのところに行こう。先生もダンも心配しているから」
ヴァーレの丘は、ヴァーレの入口で見た、深い地割れの底にあった。
谷底というのか、そこは思ったより広い空間で、川が流れ、木や草花も生え、ゴツゴツとした岩が表情を作っている。
底まで降りて見上げるその景色は、確かにヴァーレの"丘"。見たことのない幻想的な気色が広がっていたのだ。
ただ、その深い深い谷を人間に降りることはできない。切り立った壁は立つ場所もなく、這って降りるとしても長い間体を支えられる道具がない。
そして、この谷底を住処とするボネロ族に見つかれば、排除されてしまう、らしい。
ここを住処とできるのは、翼を持つボネロ族だけ。
彼らは外界を絶って生きているのだ、というのがこの辺りに住む人々の認識らしい。
「とても綺麗な景色だろう?驚かせたくて、どんなところか内緒にしてたけど、私の考え不足だったね」
ヴァーレを移動しながら、パパさんは私に教えてくれた。
なんと今、私達はボネロ族が広げた大きな布の上にいる。布はボネロ族数人が鉤爪でしっかりつかみ、私達を乗せたまま空を飛んでいるのだ。
この方法で、お母さまやじいややダンも、既にヴァーレの長の家に行ったそうだ。
「……お父さま、どうして私達はヴァーレに入れるの?」
余所者を排除するという話と違うじゃありませんか!!
「うん、昔、私はここの長と知り合ってね……ふふ、こういうときのために、貸しを作っていたんだ」
あ、あれ⁈爽やかなパパさんが黒くみえるよ!
「ほら、見えてきた。あれがここの長の家だよ」
パパさんが指差した先にあったのは、一際高い岩の上に立てられた木造の家。翼を持つ獣人の家らしく、平たいテラスがあり、発着場なんだな、とわかった。
私達はそのテラスにそっと布ごと降ろされた。パパさんは、さっと立ち上がると、連れてきてくれたボネロ族に礼を言い、家のなかに入っていく。
パパさんって…案外、遠慮がないのかな?
シャンク族の洞窟でも気にせずずかずかと入ってきてたもんなあ。
「フィリア!」
「お母さま!」
居間と思わしき部屋の入口でお母さまが立っていた。ああ!泣かないで!
「本当にこの子は……心配させるんだからっ!」
ママさんはパパさんの腕ごと私を抱きしめた。
ママさんを泣かせたのはこれで3回目だ。今回は色んな事情が加わったけど、ママさんのためにも早く精霊達のコントロールができるようになって、心配かけさせないようにしないと。
「フィリア!」
ごう、と突風が顔に吹きかかった。
「ダン!」
部屋の奥でじいやとダンが椅子に座っていたらしかった。今は立ち上がってこちらを見ている。
「……勝手にどっか行くな!」
ダンは、一瞬逡巡したあと、それだけ言ってもう一度座り直した。
もふっ、とソファに沈むそのボディ、つんと顔をそらすけれど黒白の毛並のせいで愛らしさが先立つその表情、ああ!元気そうでよかった!
「ほっほっほ、フィリア様が砂嵐に巻き込まれたあと、必死に風を追ったのはダンなんじゃよ」
「お師様!」
黙って!と言わんばかりに突風がじいやを責める。ああ、じいやの細い体は吹っ飛んでいきそうだよ…!
シャンク族の集落で薬を塗ってもらったけれど、まだ体中痛いので、私はパパさんの腕のなかから皆を見渡す。
そして、部屋の一番奥に、黙って私達のやり取りを見ていた人がいるのに気づく。
あ、ああ…!!
「オーヴェ、それが貴様の娘か」
鷹の鋭い目つきはそのままに、嘴を小さく開くと美声が飛び出た。
前肢は翼に、後肢は鉤爪のついた脚に。
服は飛びやすいようにか、上衣に袖はなく、ズボンはゆったりとしている。マントのように羽織ったコートには、色鮮やかな刺繍が施されていた。
ボネロ族の翼は皆茶色いが、この人は翼のなかに黒も混じっている。
た、たまらんよーーーー!!!
「ああ、可愛いだろう?フィリアという名だ。…フィリア?」
「あ、は、初めまして!フィリアともうします!」
い、いけないいけない!極楽に旅立つところだった!!
「…ふん、貴様の娘にしては、素直そうだ」
「でしょうー?もう本当、可愛くて心配で」
ん?今褒められた?貶された?
どっちでもいいと言わんばかりのパパさんの態度もすごい。
「この度は、倅を守ってくれて、感謝している。ボネロ族は、恩には厚い。身柄はここで保護する。心配せず過ごすとよい」
「あ、このおじさんの子どもが、フィリアを捕まえてた鷹の子だよー。礼儀知らずでびっくりしたよね!」
え? え? え?
聞きなれない言葉に私は戸惑った。
あ、あのヴァーレの入口で、私が魂の叫びをしたヒナさんはこの人の子どもだったのか!
一緒に砂嵐に巻き込まれたけど、無事だったらしいから…あれ、パパさんも言ってたけど、私が助けたってどういうこと?
あと、その、保護って、どういう…?
目をぱちくりさせる私を見て、パパさんはにこやかに言い放った。
「フィリア!あのね、これからしばらくヴァーレに住むから!怪我が治ったら、外に出ていっぱいお友達と遊ぼうね!」
ええ!
聞いてないよパパさん!
ヴァーレに住むってどういうこと!
お友達とか……鷹の獣人とお友達とか……
パパさんグッジョブーーーーーー!!!!!
パパさんは、使えるカードは遠慮なく使うタイプです。
そんなパパさんも、ママさんを口説き落とすのは一筋縄ではいかなかったとかなんとか……




