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愛が灯しとなる暁日(ぎょうじつ)  作者: 浮世雲のジュン


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第四話 少しだけ、嫉妬を知る日

第四話 少しだけ、嫉妬を知る日

その日は、朝から少しだけ空気が落ち着かなかった。

教室の中がそうだったのか、僕のほうがそうだったの

か、最初はよく分からなかった。

窓の外は晴れていて、風はやわらかい。 黒板には今日

の日付がいつも通り書かれ、誰かの笑い声が教室のあち

こちで小さく弾んでいる。 何も変わらない、よくある一

日だった。

なのに僕の胸の奥だけが、まだ居場所を決めかねてい

るようだった。

昨日の昼休み。

中庭のベンチ。

「見てるだけ」という湊の言葉。

たったそれだけのことなのに、思い出すたびに胸のあ

たりが少し落ち着かなくなる。

言葉にできないものを抱えたまま学校に来ると、机や

椅子や窓から入る光まで、少しだけ違って見えるのが不

思議だった。

「湊くん、それ昨日の課題もう終わったの? 早いね」

声のしたほうを見ると、クラスの女子が二人、湊の机

のそばに立っていた。


湊は椅子を少し後ろに引きながら、いつもの、無愛想

にも見えるし、本気で突き放しているわけでもない顔で

答えていた。

「終わったけど」

「見せてって言ったら怒る?」

「中身は自分でやれ」

「なにそれ、ずるい」

「ずるくはないだろ」

そのやり取りに、周りの何人かがくすっと笑った。

ごく普通の風景だった。

教室ではよくある会話だ。

誰も特別じゃない。何もおかしくない。

それなのに、僕はなぜかその場面から目をそらせなか

った。

胸の奥で、ちく、と小さなものが刺さった。

僕は自分の中にそれを見つけて、少し驚いた。

別におかしなことではない。

湊が誰と話そうと自由だ。

そんなことは分かっている。

分かっているのに、見ていると少し落ち着かない。


嫉妬、というほど大げさじゃない。けれど、それに近

いものだった。

でも、その「ほんの少し」が、どうにも無視できなか

った。

海の近くの学校は、こういうとき少し助かる。

胸の中がざわついたときでも、風が通るだけで、考え

すぎていた気持ちが少しほどける気がする。

「雫」

後ろから声をかけられて振り向くと、真帆が立ってい

た。

やわらかい雰囲気の子で、僕とも必要なときには自然

に話す相手だ。

「どうした」

「それ、こっちの台詞。なんか顔、ぼんやりしてる」

「そうか」

「そうだよ。熱あるとかじゃないよな?」

「ないない。大丈夫」

「春って変だよね」と真帆が言った。

「変?」

「なんかさ、落ち着かない。眠いし、ぼんやりするし。

でも胸のどっかだけ妙に起きてる感じ」


僕は少し笑いそうになった。

「なんだそれ」

「分かんない? たとえば、どうでもいいことが気に

なったり」

「…… どうでもいいこと?」

「うん。誰が誰と話してるとか、そういうの」

その言葉に、僕の肩が一瞬だけ揺れた。

真帆は何気ない顔のままだった。 気づいて言ったのか、

本当にただの世間話なのか分からない。

でもそのひと言は、思った以上にはっきり胸に落ちて

きた。

「雫って、顔に出にくいけど、意外と分かりやすいと

きあるよ」

「そうか?」

「いまちょっとびっくりした顔した」

「してないと思う」

「したした」

僕は小さく息をついて、窓の外へ視線を逃がした。

春の空は高く、青くて、逃げ場がないくらい明るい。

「…… 別に、なんでもない」


ようやくそう言うと、真帆はうなずいた。

「そっか。ならいい」

それから少し間を置いて、やわらかく付け足した。

「でも、“なんでもない”って言いながら、ちょっと

気になってることって、たぶんちゃんと大事なんだと思

う」

僕はその言葉に、すぐには返事ができなかった。

ちゃんと大事。

それは、胸の中にあるざわつきを責める言葉じゃなか

った。

むしろ、そんな感情が生まれてしまった自分を少しだ

け許してくれるような言い方だった。

たったそれだけのこと。

教室の風景は、もう何事もなかったみたいに元の形へ

戻っていた。

でも、僕の中ではまだ何かが静かに揺れていた。

昼休み、宙くんが文子さんと一緒に学校へ顔を出した。

今日も地域交流の関係で来ていたらしい。 僕を見つけ

るなり、宙くんはうれしそうに駆け寄ってくる。

「しずくちゃん!」

「走るな、転ぶぞ」


「だいじょうぶ。ぼく、風だから」

「風でも転ぶときは転ぶ」

そう言うと、宙くんは口をとがらせた。

その様子がおかしくて、僕は少しだけ心がほどけた。

でも宙くんは僕の手を取ると、すぐに何かに気づいた

顔をした。

「しずくちゃん、きょう、ちょっとだけくもってる」

「え?」

「ここ」

そう言って、自分の胸のあたりを小さな手で指さす。

僕は苦笑した。

この子はほんとうに、ときどき大人より鋭い。

「…… そうかもな」

「だいじょうぶ。 くもりの日のほうが、ひかるもの見

つけやすいとき

「どうして」

「まぶしすぎないから」

あまりに自然に言うものだから、僕は思わず目を見開

いた。

文子さんが後ろで笑う。


「この子、ときどき変なこと言うでしょう」

「変というか…… ずるいな」

「でもね、変に励まされるより効くことあるのよ」

僕は宙くんの頭をそっと撫でた。

やわらかい髪が手のひらに触れる。

胸の奥のざわつきはまだ消えていなかったけれど、そ

れを無理に消さなくていいような気もしてきた。

くもりの日のほうが、ひかるものが見つけやすい。

もしかしたら、今のこの小さな痛みも、自分の心を知

るためのものなのかもしれなかった。

放課後、僕は昇降口で靴を履き替えていた。

背後から、低い声がした。

「帰るのか」

振り向くと、湊が立っていた。

朝の教室の光景が、一瞬だけ頭をよぎる。

「帰るけど」

「途中まで一緒でいいか」

「別に、だめって言う理由はない」

「あるなら聞く」

「ないよ」


少しだけ言葉が硬かったかもしれない。

自分でもそう思った。

湊もその硬さには気づいたらしかったが、何も言わな

かった。

二人で学校を出る。

坂道には夕方の光が落ちていて、影が少し長くなって

いた。 風は昼より静かで、海の匂いだけが遠くから薄く

届いていた。

しばらく、どちらも何も言わなかった。

やわらかい沈黙ではなかった。

うまく置き場所の決まらない沈黙だった。

「なんかあったか」

「別に」

「その“別に”は、たぶん別にじゃない」

前にも似たやり取りをした気がした。

でも今日は、同じ調子では返せなかった。

「…… なんでもないって言ってる」

少しだけ語尾が固くなる。

自分でも分かるくらい不自然だった。

湊は少し黙って、それから言った。

「そっか」


それだけだった。

それ以上は聞いてこなかった。

でも、その引き方が逆に胸に残った。

聞いてほしいのか、放っておいてほしいのか、自分で

も分からない。

そんな面倒な気持ちを抱えたまま、僕たちは坂道を下

りた。

海の見える曲がり角まで来たところで、湊が立ち止ま

った。

「じゃあ、ここで」

「うん」

湊は何か言いかけて、でも結局言わなかった。

僕も同じだった。

すれ違いというほど大きなものじゃない。

でも、同じ歩幅で歩いていたはずなのに、少しだけ足

元が合わなくなる瞬間はある。

そのことを、僕はその日の帰り道で初めて知った。

湊の背中が遠ざかっていくのを見ながら、僕は思った。

嫉妬なんて、自分にはまだ遠い言葉だと思っていた。

もっと激しくて、もっと分かりやすいものだと思って

いた。


でも実際は、こんなふうに静かで、みっともなくて、

うまく扱えないものなのかもしれない。

風が吹いた。

海の匂いが、少しだけ濃くなる。

僕は胸の奥にある小さな棘をそのまま抱えたまま、家

へ向かって歩き出した。

くもりの日のほうが、ひかるものが見つけやすい。

それが本当かどうか、まだこのときの僕には分からな

かった

嫉妬という言葉は、思っているよりずっと静かにやっ

てくる。

もっと大きくて分かりやすい感情だと思っていたのに、

実際には小さな棘みたいに胸の奥に引っかかるだけだっ

たりする。

でも、そういう感情を知ることは、たぶん悪いことじ

ゃない。

自分が何を大事に思いはじめているのかを、少し遅れ

て教えてくれるからだ

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