浮気は本能と言い訳できたとしても、そもそも人として終わってるので。
「話があると言ったわよね。それはあなたの浮気のことについてなの」
アーデルハイトはそう話を切り出した。婚約者のノルベルトは嫌そうな顔をして眉をピクリと動かした。
「以前から言っているとおり、あなたの浮気は度を超していて、多くの火種を生んでいる、多くの人に気を持たせるようなことを言って心を弄ぶことも多い」
「……」
「その結果をあなたはきちんと受け止める必要があるはずで、他人ごとではないのノルベルト」
「はぁ、そうか。浮気をやめろって言うんだろ」
「どうしてそう結論を――」
「そうは言うが、アーデルハイト。そもそも浮気は男の甲斐性なんだよ」
アーデルハイトは、ノルベルトにそう言われ怪訝な表情をしていた。
ノルベルトは説教をしているみたいに上から目線の言葉を続ける。
「俺のような身分の高い男は、一人二人、三人や四人女を囲むのが当たり前なんだ。周りだって皆そうしてる、そうだろ?」
「そうね、そうね」
ノルベルトは隣に座ってニコニコしている女性に問いかけた。すると彼女は二度、同じ言葉で肯定する。
その無条件な肯定がさらにノルベルトを増長させていた。
ちなみにその彼女についてアーデルハイトは名前すら知らない。
ノルベルトのいう数多いる浮気相手のうちの一人で、紹介もされることなく同席しているよくわからない女性である。
「そうしてやっと一人前なんだ。それにこうも言う、男の浮気は本能。一人の男を愛して子供を育てる女と違って、男ってのは多くの種を残すことがなにより優先されるべきことなんだ。だからたくさんの女性にアプローチをかける」
「うん、うん」
「そして一人しか愛さない女に選ばれるということは、むしろ私が男として魅力的だからともいえるだろう?」
「うん、うん」
「多くの女性が魅力的に思うから、誰もが私に好意を持つ、そんな男を婿に迎えて一生、妻の座を独占できるんだ。嬉しいはずだ、アーデルハイト」
ノルベルトは次から次に浮気を正当化する理由を述べて、男は男はと何度も繰り返す。
アーデルハイトはその言葉を苦々しい表情で受け止めて、それからやっと自分のターンが来たかと口を開いた。
「あなたの言いたいことは、わか――」
「まぁ、待て。まだ話は終わっていない」
「そうだわ、そうだわ」
「更に言うと、男の浮気は病気に近い。それも治らない病気だ。不治の病だ。そういう言葉もあるんだ、つまりそれがどういうことかというと」
「うん、うん」
「多くの今までの女性がそれを受け入れて、男というものを正しく理解し、そして愛して、うまくやってきたということだ」
ノルベルトは『男の浮気やなんとやら』と言う言葉の種類の多さやその肯定的な言葉を自分のいいように解釈する。
そうして、アーデルハイトの言葉も聞かずに彼は一人主張を続ける。
あいづちを意味も分からずうつ女性はそういう首を振る種類の人形みたいだった。
「それが夫婦円満の秘訣、女の器量の見せ所、私はそう思うよ。だからそんなに私を責めないでほしい。幻滅してしまいそうだアーデルハイト」
ノルベルトはアンニュイな表情を浮かべアーデルハイトへとゆっくりと視線を向けて、眉尻を下げた。
彼は婿に貰われる身としてはあらぬ上から目線でものを言うが、それには理由があった。
それは単純で、アーデルハイトはノルデン伯爵家出身でありその地位を継ぐ立場であるがノルベルトは、侯爵家の子息であり魔力量が多く、簡単には替えが見つからない。
上位の貴族を婚約者にしているのには、きちんとした理由があり、彼がアーデルハイトにとってもノルデン伯爵家にとっても替えの聞かない重要人物ということに変わりはない。
だからこそノルベルトはこれほどまでに上から目線でものを言い、女性を侍らせ、自分の浮気を当然の権利であるかのように主張するのだ。
「ただ私は魅力的な男として当たり前の振る舞いをしているだけだ。権利にも近い。それをたかが独占欲でしばりつけて、男を駄目にしてはお茶会でご婦人方にも叱られるのでは?」
「そうね、そうね」
「どの夫婦を見たって、男は自由に、女はつつましく生きている方が円満な家庭を築けている、いい加減口出しすることはやめてくれないかな」
ノルベルトはニコリと笑って、まるで慈悲を与えるみたいに「責めているんじゃないよ」と丁寧にそえた。
隣にいる女性は、やはりあまり考えずに言葉を発しているのか「そうよ、そうよ」と言ったのだった。
そのあいづちにアーデルハイトは自身の手をぐっと握って爪を食い込ませた。
その目が覚める様な皮膚の突っ張る痛みは、頭をスッキリとさせてくれる。
深いため息が漏れそうだったが、ふっと短く吐いて、それから思った。
(やっぱり、なにも私の言いたいことがわかっていないし、わかろうと模していないのね)
それが嫌になるほど実感できた。ノルベルトはなにもわかっていないしそれらしいことを言って、論破した気になっているのだろうが話し合いを拒否された上で譲る気などない。
だって彼が浮気は権利だと主張するのなら、それを成立させるための責任を負っていないのだから、当然のことである。
「だとしても、ノルベルト。私はあなたの浮気を許容しないわ。あなたの言葉は誰が聞いても間違っている。でももう理解させようとは思わないし、無駄だからやらないわ」
アーデルハイトがやっと意見を言うと、ノルベルトはあからさまにため息をついて困った子供でも見るみたいに、苛立たしげな視線を向けた。
「今すぐ浮気をやめて謝罪するか、私に婚約中の不貞行為を訴えられて争うかのどちらかよ」
「……気の強い女はこれだから」
「……」
「本当に考え直すつもりはないんだな?」
「ええ」
ノルベルトはアーデルハイトへの最終確認をした。
それはまるで、最後のチャンスを与えてやっているような勝ち誇った表情と言葉だったが、間髪入れずに首肯して答える。
「わかったよ。私は君なんか惜しくないほど女性に当てがあるんでな、嫉妬深い女なんてごめんだ」
「……」
「婚約は破棄だ」
「……慰謝料はもらいますよ」
「好きにしたらいいさ。君はきっと後悔する」
そう言ってノルベルトは立ち上がる。隣に座っていた彼女と腕を組みながら応接室を後にした。
ノルベルトたちがいなくなりきちんと扉が閉められると、アーデルハイトは「あー……」気の抜けた声をだしながらソファーの背もたれに体を預けて深く沈み込んだ。
モスゥと、沈み込んで天井を見上げるアーデルハイトの視界に、ひょっこりと反対側からのぞき込んでいる騎士の姿が映った。
「お疲れ様です。アーデルハイト様」
「……ルーカス」
「はい。ルーカスです」
「……嫌な時間だったわ」
「はい、自分もです」
彼は、アーデルハイトの馴染みの騎士であり、領地や領主一族を守るための騎士団の若い男性だ。
これでも腕はたつ方で、騎士ではあるが魔法も扱える優れた人だ。これまで何度もアーデルハイトの苦境を助けてくれた戦友的な存在である。
「ですが、これでやっと区切りがつきましたね。アーデルハイド様」
「ええ、本当に……ほんっとうに!」
「あはは」
「笑いごとじゃないのよ。ルーカス」
「ええ、はい、存じています」
ルーカスは目を細めて、アーデルハイトの顔を変わらずのぞき込んでいる。
アーデルハイトからするとさかさまに彼の顔があるので、目が合わせにくくて、ぱっと起き上がって、振り返った。
しかし振り返った先にルーカスはおらずに、自分の正面にぱっと視線をもどせば彼がいた。
彼はアーデルハイトが振り返った方向とは逆から移動してソファーの前に回りこんできたらしかった。
膝をついてルーカスが見上げてくると、やっときちんと目が合って、アーデルハイトは眉間にしわを寄せて気難しい顔をした。
「あの人って、自分が言っている言葉のすべてを正しいと思って口にしていたのかしら」
そうして、首をかしげて問いかけた。
それはノルベルトと対峙していた時よりもずっと早口で独り言みたいな声だったが、ルーカスは聞き返すことなく返答する。
「そうだと思います。それに、あんなに堂々と浮気は権利、浮気は病気、浮気は甲斐性と連呼している人は初めて見ましたけど、稀に聞く言葉ではありますから」
「……」
「そういう言い訳がある以上、やってもいいと思っているのだろうと自分は思いました」
「……」
「言い訳ができることと、やってもいいことかどうかは別問題だと思いますけどね」
ルーカスは思案しながらも適当な答えをだす。
それは確実にそのとおりであり、許される可能性があるからといってもやるかどうかは自分の判断であるというのがまず一つ。
そしてもう一つ、アーデルハイトはノルベルトがきちんと理解すべきだと考えている問題がある。
「そうね。それに、その言い訳だって、あの人に適応されるとは私は到底思えないわ」
「その通りです。一般的には通るかもしれない言い訳ですが、ノルベルト様に限ってはそうとも言えませんよね、ハハッ」
ルーカスは適当に言って、少し笑った。こうしてルーカスは大体いつも上機嫌で、あまり真剣に物事を考えているようには見えない男だ。
しかし、いいわけを見つけて他人が嫌がることをして、人の意見を受けいれないノルベルトよりもルーカスはよっぽど人格者だ。
それに真剣みには欠けるが、ルーカスがとてもまじめな男だとアーデルハイトは知っている。
「なんせあの方、女性をとっかえひっかえしては、すべてアーデルハイト様のせいにして、自分では責任を負わないんですから」
「ええ、そこよ。問題はそれよ」
「いやぁ、今まで大変でしたね。ノルベルト様が飽きた女性が半年に一回はあらぬ方法でアーデルハイト様の元を訪れ、泣き崩れ、怒り散らし……事件には一度もなっていませんが」
「危ないことは何度もあったわ。そのたびにやってきた浮気相手の女性に、誠実に対応して話を聞けば、ノルベルトは私が別れろと言ったから別れることになったなんて説明しているんだもの」
思い出すだけでも腹が立ってアーデルハイトは、またぐっと祈るように手を組んで自分の手の甲に爪を立てようとした。
それは半分無意識の行いだったが、ルーカスはそっとアーデルハイトの腿の上に置かれた手を捕まえた。
(!)
その体温に驚いて、ハッとして自分の手元を見ると、ぎりぎりと爪が手の甲に食い込んでいる真っ最中だ。
手をほどいて「ありがとう」と短く言ってから続きを話す。
「つ、つまり、私には男の本能を言い訳にしながら、浮気相手には私を言い訳にしていた。……いいのよ。別にね、浮気をするぐらいは」
「はい」
「理由をつけて、同じように遊びたいと思っている女性と遊ぶだけなら、私が跡取りだもの。私が産んだ子供以外は、火種にならない」
「その通りです」
「でもね、行動に伴う責任を負わないのがダメなのよ」
アーデルハイトは、手の甲を摩りながら、ルーカスに言った。
問題はそこにあるのだ。
浮気をしているとか、気持ちに誠実さがないとか、独占欲とか、アーデルハイトはそういう表面的で一時的なことを責めているわけではない。
問題視しているのは、ノルベルトのその生き方だ。
「浮気を彼が自分に与えられた権利だと思うのなら、その権利に伴う責任を負う義務がある。それはどんなものでも同じでしょう? 領地を担う者は、自由にできる資産を得る代わりに、富を与えてくれる民を守る義務がある」
たとえを一つ口にした。
それは跡取りとしてまず一番最初に教えられたことだ。
なにかを手にするということは、同時になにかの義務を背負うということになる。
それを踏み倒して生きることは、できないことはないのかもしれないけれど、いつかは支払う時が来る。
だから、自分が責任を負える程度を見極めて、手に入れるものを選ぶのだ。
少なくともアーデルハイトはそうやって生きている。
けれどもノルベルトは違った。手に入れられるだけ手に入れて、遊んで楽しんで後はポイ。
その後のことなど考えずに、自分のつけをアーデルハイトに支払わせようとした。
「女性関係だってそう、期待させて良い思いをしたのなら、支払いが待っている。それをすっぽかして、私にその支払いをさせておいてよくもまぁあんな主張をしたものね」
「あはは……アーデルハイド様が何を言っているのか全然わかっていませんでしたね……ノルベルト様」
「まったくだわ。私がいつ独占欲で浮気をやめろと言ったの??」
「一度も、仰っていませんでしたよ」
「そうよね」
問いかけるとルーカスは欲しい言葉を返してくれる。
そしてやはり自分の判断は間違っていなかったと確信が持てて、アーデルハイトは少し笑みを浮かべる。
「まぁ、良いわ。あなたが同じ考えでいてくれるんだもの、もう吹っ切れた。あの人はきちんと後悔するし、させる。それだけね」
「はい、その通りです」
アーデルハイトは、用意していたノルベルトの浮気の証拠をきちんと提出して慰謝料を受け取って婚約破棄をした。
それから半年ほどノルベルトの件に対応し、落ち着いてきた頃。
ルーカスとの婚約の話が上がった。
ルーカスは子爵令息で、ノルベルトに比べると地位が低く、ルーカス自身もそのことを気にしているようだった。
アーデルハイトはそんなルーカスに言いたいことがあった。
しかしどんなふうに言うかどう伝えたら齟齬が生まれないかと考えている時、ノルベルトが訪問してきたのだった。
すでに婚約は破棄され、まったく関係がなくなったにもかかわらずの訪問だったが、心当たりはある。
彼の心境がどのように変化しなにを言いに来たのか知るためにアーデルハイトはノルベルトと会うことにしたのだった。
「わかったんだ、私は」
ノルベルトは、とても静かな声でそう言った。
ノルベルトの隣には以前は誰とも知れない令嬢が常にいたのに、今日の彼はひとりきりで俯いて自分のつま先を見つめながら言葉を紡ぐ。
彼は最後に会ったときよりも肌つやが衰えていて、目元には紫色のクマができていた。
「でもよかった、こうして君をあまり待たせずに真実を思い知ることができた」
「……真実?」
アーデルハイトは、小さく首を傾けて問いかけた。
ノルベルトは、ゆっくりと視線をあげてふっとはかなげに見える笑みを浮かべた。
「女はみな自分のことしか考えていない、わがままな悪魔だということだ」
そうしてノルベルトは軽蔑するように吐き捨てて、ハッと小さく笑った。
「あんなに私にすり寄ってきたのに、付き合っていた女たちは婚約破棄したから今まで通りにお小遣いをやったりプレゼントはできないというと途端に怒りだした」
「……」
「さっさと新しい相手を見つけようと君と同格の令嬢と見合いをしようとしたが会う前に断られた」
「……」
「きっとモテすぎる私を受け入れるのが怖かったんだろう。仕方なく格を落とそうとしても父や母が許さないんだ」
ノルベルトは傷ついたみたいな顔をしていて、どうやら自分を酷い目に遭った被害者だと思っている様子だった。
「……悔しかったさ。でも気長に探せば、新しい相手も見つかるはずだ焦ることはない……そう思ったんだ……でも」
「でも?」
「付き合っていた女たちが今度は牙をむきていた。自分たちだって楽しんでいたくせに、私を罵って詐欺だと訴えたり時には強硬手段に出たり」
強硬手段とノルベルトは言葉を濁したけれど、きっとアーデルハイトが遇ったようなめに彼も遇ったのだろう。
「悪魔のようにしてもいない契約の内容を取り立てようと私に群がってきた……それでやっと私はわかったんだ」
「なにをかしら」
「君が最後に与えてくれたチャンスに、気が付いたんだ」
眉間に皺を寄せて、悲痛な表情を浮かべるノルベルトは複雑な思いを抱えたまま笑みを見せた。
それを見てカチンときて、アーデルハイトはまた手を握ろうとして、ルーカスの顔を思い出して掌で甲を擦って気持ちを落ち着けた。
なんせあまりにも腹の立つ顔をしていたから仕方ない。
「君は最後、私にいった。浮気をやめるか婚約を破棄するか。それは君が私にくれたチャンスだった」
「……」
「私に価値を感じてくれていたからそうしたのだろう? 現に君の新しい婚約者はまだ決まっていない。君もご両親も、高位の貴族、それも高スペックの男を求めているからだ」
「……」
「だから私にチャンスをくれた。そして私は思い知った。わかったよ、女というのはまったく恐ろしい、たくさんの女性を愛でるのは男の本能だが、君が望むならもう浮気はしない」
「……」
「君の望むようにしよう。女にはもうこりごりだしね」
ノルベルトはそうして最終的に、アーデルハイトに優しい笑みを向けた。
その様子にアーデルハイトはふつふつと湧き上がる怒りを感じながらも、ノルベルトはなにも変わっていない、苦労はしたようだけれど根本ではなにも理解していないことがわかった。
そしてやっとそれを理解させるだけの状況がそろった。後は突きつけるだけである。
「何の用事かと思えば……そう。ふふっ、不治の病と自分で言って置いて、治すつもりでいるのが滑稽ね」
そしてアーデルハイトも、ゆっくりと息を吐きだして少し笑みを浮かべる。
「?」
ノルベルトはアーデルハイトの穏やかな様子と言葉のギャップに混乱したのか小さく首をかしげた。
アーデルハイトの言葉の意味がよくわかっていないらしい。
そんな彼に、アーデルハイトは続ける。
「ねぇ、ノルベルト。……あなたの男の本能はどこへ言ったのよ、あなたは何を言っているの」
「……」
「本能っていうのは抗えないものでしょう? 不治の病ぐらい抗えないものでしょう? なにを懲りたなんて言っているの? 懲りることができるなんてそれって本能とは言えないわよねぇ」
ノルベルトは、笑みを張り付けたまま少し目を見開いて、無言になった。
「今更やめることができるなんて、都合のいい本能なのね。甲斐性は? 甲斐性はどこへ行ったの??」
「……」
「あなたは甲斐性がない男になったということ? あなたの言い分って女の子をたくさん囲っているから甲斐性がある。という物だったわよね。じゃあ、女の子が誰もいないあなたは甲斐性がない男になったと言って差し支えないわね」
アーデルハイトはノルベルトのペースに合わせて話してやる必要性を感じなかったので、独り言のように早口でまくし立てた。
「ともかく、それで浮気をやめるの? 私のために? あなたって本当に自分に都合のいい解釈が好きなのね」
「…………アーデルハイト?」
「私が婚約破棄のときに言ったのは、浮気をやめればすべてをチャラにして許して今まで通りなんて言葉ではなくて、反省するか争うか二択をだしただけ。浮気をやめればやり直すなんて言っていないわ。ああ、頭の中で改変したのね、自分に都合がいいように」
「は? ……え、いや、そんなこと、無いが」
「じゃあ、なに?」
「……」
「なにをしに来たの?」
口をはさんで否定したノルベルトにアーデルハイトは鋭く問いかけた。
ノルベルトは、「あ、いや」とたじろいだあと、なんだこいつというように眉間に皺を寄せて怪訝そうにした。
それからそのままの表情でアーデルハイトに言った。
「え、……ほら君だって私を失って困っているだろうと思って」
「……」
「戻ってきたんだ、あんな目に合って反省もした。意地を張らないでくれアーデルハ――」
「私が戻ってきてほしいと思っている前提でそもそも話をしないでノルベルト」
「っ……いや、だってそれは」
彼の言葉にアーデルハイトはテンポを無視して食い気味に返答した。
ノルベルトは言葉に詰まって、それでも何とか続けた。
「浮気はやめる、謝罪もした、私は愛していた女たちに裏切られて君の大切さを思い知ったんだ! アーデルハイト、だからもう良いだろう? なぁ? 違うのか?」
「全然まったく」
「……」
ノルベルトは、わかってくれと言わんばかりに前のめりになって拳を握って問いかけた。
それにアーデルハイトは、肘掛けにほお杖を突いて、もう一度強く「見当違い甚だしい」と口にした。
「あなたはずっと何もかも自分に都合のいいことばかりを見続けてまったくもってお話にならない」
「……そんなことは無いだろ」
「無いとどうしてあなたが断言できるのよ。私があると言っているのに」
「いや、無いだろ」
「良いわ。水掛け論をするつもりはないのよ。証拠がある、あなたどうして突然あなたの人生が立ち行かなくなって、別れたはずの女性から訴えられたり命を狙われているかわかる?」
問いかけるとノルベルトは、苦々しい顔をしながらも答えた。
「それは……突然の別れに逆上して……」
「今までも、突然の別れを相手に強いてきたでしょう、それは理由にならないわ」
「……」
「わからない?」
「……」
「私と別れて、怒りの矛先があなたに向いたから。今までは私に怒りが向けられて責任を私が取っていたから」
「……それ、は」
ノルベルトは途端にばつが悪そうな表情になって、言い訳も出てこないようだった。
「それ以外に理由があるなら言ってみて? 今までと変わって何故あなたが追い詰められているのか」
「……そ、そうだったとして、だ、だから何だよ」
ノルベルトはアーデルハイトに気圧されて自分が痛い目を見た理由を認めた。
実のところことはもう少し複雑だった。
婚約破棄したその後も、アーデルハイトは別れてなおノルベルトに言い訳に使われていたので、アーデルハイトは彼女たちには知恵を与えた。
ノルベルトの言い分を利用して詐欺として訴える方法やほかの令嬢もそういう目に遭っているということ。
そしてそんな女性たちがとった取った強硬手段、それらの中から好きな物を選べるように教えてやったのだ。
それからやってきた彼女たちにアーデルハイトは共感して、ともに後悔させてやろうと同盟を組んだのだ。
彼女たちは今までの令嬢たちのことを知って更に怒りの炎を強めてノルベルトの元へと戻っていった。
だからノルベルトがこうしてやってくるのに至ったのは、そういう理由もあったのだがそこはあえて言わずに、やっとアーデルハイトは言った。
「だから、あなたは、今困っている。そしてその理由すら正しく認識していない。あなたはずっとそうだった。さっきみたいに自分に都合のいい解釈ばかりをして、それを主張するばかり。そのせいで話の本筋をいつも見失ってる」
「え、偉そうに……」
「私は独占欲で浮気を反対しているたんじゃない、あなたの浮気の後始末を私がやることはおかしいから指摘した」
「はぁ??」
「それなのにあなたは独占欲だと決めつけて、浮気をしていい理由を見当違いにペラペラペラと話すばかり。自分のやったことに対して自分で始末もつけないのに、そんなあなただから切り捨てた」
アーデルハイトは、とても冷たい瞳でノルベルトのことを睨みつけた。
「それも知らずに、私の言葉の端を勝手に解釈してヘラヘラしながら思い知ったんだなんて言ってやってきて、自分が恥ずかしくないの?」
ノルベルトに配慮することなく次から次へと鋭い指摘を続けた。
「それに浮気をやめるだなんて言ってそれは、あなたのした言い訳を破綻させている、不治の病でも本能でもなかった。あなたはただ、欲望を抑えられなかっただけ、抑えられるのに都合のいい言い訳を見つけて自分勝手をやっただけ」
「そんなふうに……言わなくてもいいだろ」
「それが事実でしょう? 浮気なんて欲望丸出しの行為をして置いて謝るでもなく、隠しきるでもなく、性差につけこんで、見え見えの言い訳をする人間なんて私は独占したいと思うほど好きにならない」
眉間にしわを寄せたままアーデルハイトは少し笑って続ける。
「それにそもそも男とか、女以前に……間違いを犯していると知りながら人の嫌がることをやり続ける人間って、そもそも人として終わってるわ」
「…………」
「女の怖さを思い知って戻ってきたって浮気をしなくたって、私の中であなたは人として終わってる人ただ、それだけ。可能性なんてほんの少しもない」
「…………」
アーデルハイトが最後まで言葉を紡ぐとノルベルトはぽかんとしてしばらく黙り込んだ。
それから、長い沈黙が部屋の中に流れて、彼はアーデルハイトを見ずに最初のように視線を床に落として、呟くようにいった。
「……こ、心の狭い女だな」
「あら、これまたどうしようもない言葉が出たわね。今までどおり都合のいい解釈をつけて好き勝手できなくなったら今度は逆ギレ。どこまで人として終わってるのかしら」
「っ…………」
「いいのよ。もっとあなたの程度を教えてくれる? 私この話を、跡取り令嬢の友人たちにしなければならないから、もっと教えて?」
「…………」
「人気なのよ。男の病気を患った、本能で動く甲斐性がありすぎる私の元婚約者の話」
アーデルハイトがそう言うと、ノルベルトは頭の中で合点が言ったらしくぱっとアーデルハイトを見た。
ノルベルトが新しい婚約者を見つけるためにお見合いをしても誰とも会えなかったというのは偶然ではない。
単に女性跡取りが集まる社交の場でアーデルハイトが、ノルベルトがどんな人かと話をしているだけである。
もちろん、令嬢たちも知りたがっているので、良い関係を築けているがそのせいでノルベルトは次の婚約が決まらないのだ。
アーデルハイトは、彼のものすごい事実に気が付いてしまったみたいな顔を見て、うふうふと肩を揺らして笑ったのだった。
父からの正式な打診を受けて、ルーカスはやっぱり不安そうにしていた。
アーデルハイトはルーカスが喋らないのでなんとなく気まずいようなそんな気持ちで自分の指先を握ったり離したりしていた。
考え込んでいるルーカスの横顔は、いつもの調子とは違って深刻だ。
まるでこの婚約話が、ノルベルトの浮気相手が襲来してきた件よりも、ノルベルトがよりを戻そうと訪問してきたときもまずい事態であるかのようだった。
実際、ルーカスからすればそれだけ一大事なのかもしれないが、ノルデン伯爵家としてはそうでもないのだ。
それを父の代わりにフォローをしようと思ったが、体の前で自身の手を握っていたアーデルハイトの手をルーカスはぱっと捕まえて、チラリとアーデルハイトを見た。
「……ぎゅっとはしてないわ」
「あ、はい。そうですね。申し訳ありません」
「いいえ」
突然のことにアーデルハイトは一瞬、ルーカスが手をつなごうとしているのかと思ったが、すぐに彼の行動理由に察しがついて、ぱっと手を離してルーカスに向けて見せた。
ルーカスは少しホッとした様子だったけれど、またすぐに憂いを帯びたような表情をしてアーデルハイトに問いかけた。
「……アーデルハイト様、自分はもちろん、ノルベルト様のような方があなた様にふさわしかったとは思いません」
「そうね」
「でも、身分はあなたにふさわしかったと自分は考えています。そういう意図があって、侯爵家の方をわざわざ望んでいたのでは? ノルデン伯爵も、アーデルハイト様も」
「……」
「ノルデン伯爵のお言葉を聞いても、納得はできませんでした。自分のことを買ってくださっているとは思いますが、それだけではどうしようもないものもあります」
ルーカスはやっと自身の感情を吐き出して、アーデルハイトはやはりそれかと思った。
通りで、父がルーカスの人格をほめて、ルーカスがいいと思っていると伝えても納得しないわけである。
そして確かに、変えようがないこともある。
ノルベルトの浮気性のようなどうしようもない部分は努力や理性で何とかなる部分だった。けれども世の中にはどう頑張っても変えられない部分というものがある。
特に身分なんかはその限りで、侯爵家――というか伯爵家よりも上の身分の人間を婿にすることにこだわっていたノルデン伯爵家には、ノルベルト以外の選択肢はなかった。
ほかにもそういうもののせいで結婚できない人も、嫌な思いをして結婚する人もたくさんいるだろう。
嫌な思いをしたくないからと妥協すれば立ち行かなくなる場合もあるし、今のルーカスのように、負担に思わせてしまう場合もあるだろう。
しかし、だからと言って思考を止めて、他人のいいようにさせてはいけない。
これはアーデルハイトの結婚で、アーデルハイトの人生なのだから。
「ねぇ、ルーカス」
「……はい」
「そもそもね、何故、身分が高い人を求めるか、そのなぜが重要なのよ」
アーデルハイトが少し前を歩いて、振り返って言うとルーカスは「なぜ、ですか」と問いかける。
「それはね、代々この領地は魔物が多くて、使う魔法具がたくさんあるから、領主一族は魔力が高いに越したことがないから、そうなっているのよ」
「なるほど。存じ上げませんでした」
「だから、必要なのは魔力であって、身分じゃない。ノルデン伯爵家は古い血筋だもの。下手に高い身分なんていらないのよ」
「…………」
いつも笑ってくれるルーカスが今日は、しょぼくれている様子なのでアーデルハイトが笑って、自分から彼の手を取った。
「あなたは、昔から騎士として仕事をして、魔法も覚えて鍛錬をしているから魔力が多い、それこそノルベルトと同じぐらい。だから私は自分の将来の幸せのために父を説得したのよ」
「……」
「身分みたいに変えられない部分があることはわかっている。でもそれ以上に人は生き方が大切じゃないかしら。……私は大切にしたい、だから今までの慣習通りに動くだけじゃなくてあなたを選ぶ」
ルーカスの手は大体いつも温かくて、アーデルハイトは冷え性なので彼に触れるとほっとするのだ。
「ずっと、私のそばでなんの言い訳もせずに誠実に仕えてくれていた、手伝ってくれていた。あなただから選んだの……あなたが好きなのよ」
「……良いんですか、自分で」
「あなたがいいのよ。ルーカス」
「……っはは、すみません。なんか顔が熱くて」
言いながら、ルーカスは片手で顔を隠して顔が赤くなっているのを見られないように努力した。
しかし耳まで真っ赤だったのでバレバレだったが、アーデルハイトは彼の隣に戻ってみないふりをしてやった。
「ありがとう、ございます」
「いいえ」
短くそう言葉を交わしてどちらともなく歩き出したのだった。
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