美星 カナ
美星カナは、暖房の効いた部屋でサイトにアップするべく動画の編集をしていた。
不意に携帯が鳴った。
画面を見て、「……誰?」となる。
着信者の名前が文字化けして、誰なのか分からない。訝しみながら通話に出ると、泣きそうな女の声が響いてきた。
「……ねえ、聞こえる? わたし……あザザッ……さザザザ、ザザザ……」
カナは眉をひそめる。
どこか聞き覚えがあるような、ないような声だったが肝心の名前のところで雑音が酷くて聞き取れない。
「神社に行ったの……『縁切神社』っていう、誰も知らない場所……」
携帯からの声は震えていた。
「祠があって……開かなかったんだけど……おまじないを唱えたら……」
カナは黙って聞いていた。
喋り方や声にザラザラと記憶が引っかかるのだがどうしても声の人物を特定できないでいた。
なんとなく知っているような、それともまるで他人のような、単に手の込んだいたずらなのかもしれない、とも思った。
なんにしても、その声はあまりに焦りと絶望に満ちていた。
「……ねくさらせ えたえ なきえされ……それを言ったら……扉が開いて……中が……闇だった……」
ねくさらせ えたえ なきえされ
カナは何故かその意味不明な言の葉をくちずさんでいた。
一方、携帯からの声は切々と窮状を訴えていた。
「逃げようとしたけど……足が動かなくて……声が聞こえて……『縁切った〜』って……それで……まわりが真っ暗になって……入ってきたはずのところもなくなって……いくら歩いてもどこにもつかなくて……こんな、こんな広いたころじゃなかったのよ……」
電話の向こうからすすり泣きが聞こえてきた。
「お願い……助けて……きっとわたし、縁切られちゃったんだ
誰かに思い出してもらわないと……わたし、きっと消えちゃう……
みんなに電話したの……でも、誰も知らないって……もう、もう電池が切れる
これがきっと最後……もうカナしかいないの」
カナは戸惑う。
この必死さは普通じゃない。
気味の悪さとなんとか思い出してあげたいと思う気持ちがせめぎ合っていた。
けれど、思い出そうとすればするほど記憶が抜け落ちていくような奇妙な違和感も感じていた。
せめて名前が分かれば……
「名前、もう一回言って」
カナは携帯の人物に声をかける。
「……ゆザザッあザッり……ザッさあかザー……」
ノイズが混じり、言葉が途切れる。それでも携帯の向こうから必死に名前を繰り返す声が聞こえてきた。
「……ゆさ……ザッザザザ……ザザザかり」
「ゆさ、あかり……っていうの?」
「そう! そうなの! 憶えてる? わたしのこと……わたし、憶えてる?」
ようやく掴んだ希望に声が少し明るくなった気がした。
しかし、カナの中で何かがぐるりと反転するような感覚があった。目の前で扉が閉められた、そんな感覚。
カナは、少し間を置いて、冷たく答えた。
「知らない」
カナ自身も凍えそうな冷たい声だった。
「ああ……」
携帯から悲しそうなため息が漏れた。その瞬間、携帯がぶつりと切れた。
なにかすごい罪悪感だけが残った。
カナは気になって、携帯のアドレス帳を開く。
「知り合いなら、メモリに名前があるかも……」
その時、キッチンの方から『かたん』と何かが落ちる音がした。
驚いてキッチンを伺ってみたが何もなかった。首をかしげながら、再び手に持つ携帯に目をやった。
あれ……何をしようとしてたんだっけ……
「ま、いっか」
いくら考えても思い出せないため諦める。携帯を机に放り出し、動画編集に戻った。
携帯の画面にはアドレス帳が開かれていた。
『あかり』の名前が表示されている。だが、『あかり』の文字は徐々に薄れ、やがて消えてしまった。
動画編集に夢中なカナはそんな出来事にまるで気づく様子はなかった。
鼻歌混じりに編集作業に没頭する。
「ねくさらせ えたえ なきえされ」
無意識に、そんな言の葉を口ずさみながら……
2025/11/12 初稿




