93 白い小さな毛玉のてがら
研究室のドアを閉める音が、重く響いた。カルラたち三人は思わず溜め息をついた。
アーシアは、胸を手で押さえた。やはり…部屋に入った後にはいたはずの、マドカの重みがない。
やさしいマドカの温もりに癒されたかったアーシアは、少し残念に思っていた。
(きっと、兄弟たちのところよね…)
「さて、フリムカルド君は、これから例の打ち合わせでしょ。
もう行かなくていいの?」
「はい、行ってきます。
そうだ、アーシアさん。ステファンさんとも言っていたのですが、
アーシアさんなら、いつでも執務部詰め所に来てくれていいんですよ。
遠慮しないでください」
「あ、ありがとうございます」
フリムカルドは少し笑って、さっと身を返して颯爽と去って行った。
「私は、ナオちゃんのところに寄っていくわ。聞きたいこともあるしね。
……それにしても、彼の状況では拘束も出来ないわね…」
「はい、そうですね、後ろ盾のフリンを警戒させてしまいそうなので、出来たら今は動かないでいただきたいです。…ではまた」
カルラとも別れて、一人寮の自室に戻ろうと薬学部の研究棟から東の裏門を通って帰っていった。
薬学部から寮までは、錬金学部棟より、かなり時間が掛かる。
寮の中は、皆、お祭りに行っているのか、とても静かだった。共同のエントランスや食堂には、収穫祭の野菜などをモチーフにした可愛らしい飾り付けがされている。
部屋に戻って扉を開けると、大きな白い毛玉ボールが、アーシアの顔を目掛けて飛んできた。
『ご~主人~!』
「マドカ?!教会に行っていたんじゃないの?」
飛び込んできたマドカをぎゅっと抱きしめると、マドカは頭を擦りつけた。
『ん~?おいら、ご主人のために調査してきたんだぞう!』
「え?ええ?!なにそれ?」
マドカは、アーシアから身体を離して、ふわりとベッドわきのテーブルへと飛んで行った。
アーシアは急いで後を追う。
『あれ?だって、アイツの部屋の奥の扉、気になったんだろう』
「ど、どういうこと?」
確かに、アーシアは、イヴァン・イアヴェドウズの研究室を怪しんでチェックしていた。
(ああ、あの時!マドカに、心の声が念話で聞こえていたんだわ!)
「危なかったでしょうに!」
『うん~、あそこちょっと開いていてさ、おいらが通れるくらい。
だから、アイツが騒いでいる時、こっそり見てやろうと思ってさ』
二人で、ベッドのわきに腰かける。
『でね、アイツよっぽど癇癪持ちなのか、部屋のドアみんな壊れてるんだ。
だから空いてる部屋みんな見れたよ。それから、アーシアが気にしていた錬金釜って言うんだっけ?
あれみたいのならあったよ。隣の部屋に。そこはなんだか紙がいっぱいぐちゃぐちゃに散らばってて、変な器具とかもあった。
ベッドも一つあって…それくらいかな。
そんで、隣の部屋はなんにもないだだっ広い部屋だったよ』
成る程やはり、錬金術を使っていたのかと、アーシアが納得していると、マドカが考え込みながら、
『その、だだっ広い部屋だけど…あの変なにおいがしたんだよ。けっこう強く残っていたんだ』
「ええ?!」
『あれは…別のにおいで隠してあるけど、確かにあのトムとかいう男に残ってたにおいと一緒だ!』
「やっぱり、あの女性秘書が怪しいわね…」
アーシアは呟くように言った。
『そうだ!!おいら、ご主人にお土産があるんだぞう!』
そう言うと、マドカはサイドテーブルの上に飛んで行った。
「なになに?」
そのテーブルの上にあったのは、皺の寄った紙に乱雑な字がいっぱい書かれている束だった。
「こ、これは………」
アーシアは、真剣にその紙を一枚一枚確かめた。紙は全部で15枚くらいあって、何かのレシピの考察や、材料らしいリストが殴り書きのように書いてあった。
『おいら、全部は持ってこれなかったけど、役に立ちそうか?』
「マドカ~~!危なかったでしょうに!もう、今度は黙ったままこんなことしないでよ」
『おいら、やっちゃダメだったかあ?』
しゅん、と悲しげな声を出したので、アーシアは、直ぐに抱きしめた。
「違うわ。とっても、助かったわ。凄いお手柄だよ、マドカ。
でも、今度はこんなに危ないこと一人でしないでね…」
実際マドカが持ってきた、レポートは普通の人には分からないだろうが、アーシアなら分かりそうなものだった。
材料の名前のほとんどは、知っているものだったし、レシピも解読すればなにが作りたいかくらいは分かるだろう。
材料は、ほとんどが鉱物、特に火薬になるものが多い。しかし一方で、様々な珍しい薬草や、魔石の記述もある。寧ろそちらの方を熱心に調べているようだった。
(回復薬でも、研究していたのかな?…サプリメント?)
しかし、兎に角、字が悪筆で、解読には時間が掛かりそうだった。
『おいら、ちょっと疲れたぞう』
「あ、お腹空いた?」
マドカはかなり頑張ったのだ、魔力もかなり使っただろう。アーシアは一先ず、マドカと食事をとるために準備を始めた。
(本当に、すごいお手柄ね、マドカ)
翌日は、闇オークションの摘発の日だった。
昨日のイヴァンの研究室からマドカが持ってきた書類は、茶封筒に入れて、いつでもカルラたちに見せられるように用意していた。
アーシアは、カルラと共に皆が出払った執行部詰め所に寄せてもらっていた。
現場のお手伝いはいいのかと、カルラに聞くと、
「荒事はあいつらに任せておけばいいのよ」
と、軽やかに言って、優雅に書類を眺めていた。
アーシアは、場所を借りてお茶の準備をしていた。
時々、カルラが空中に向かって何か言っているのは、従魔の瑞樹に、イヴァン・イアヴェドウズを見張ってもらっているためだ。
イヴァンの方は、動きがなく、ずっと部屋に閉じこもっているとのことだった。
「やはり、あのダフネ秘書は、見当たらないんですか?」
「ええ、本当に。イアヴェドウズの研究室にも一切現れないから、本当に居なくなったのかもしれないわね。
困ったことだわ…」
ばたばたと、ステファンたちが詰め所に帰ってきた。かなり疲れた表情だ。
「なあに?もう、終わったの?」
「ああ、今回は早かったですよ。
というか、開催前にがさ入れして、全部書類を持ってきたんです」
「あいつら、真っ黒黒」
久しぶりのヴィクトルは、欠伸を大きくしながら窓際に置かれた長椅子に寝転がった。
フリムカルドが、山のような書類を抱えて中に入って来た。
「あら、随分あるわね。今度は負けなかったのね」
「当然ですよ、骨を折ったのは私たちの方が多いのに、証拠を根こそぎ持っていこうなんて」
アーシアは帰って来た人が増えたので、お茶を新しく入れながら何の話だろうと、考えていたが、ああ、警察とか、と合点がいった。
「今回は、あの容疑者のトム・ロックを逃したので、彼らも強く出れなかったのでしょう」
フリムカルドが、忙しそうに書類の山を次々に積み上げていくと、いつも何もない楕円形のテーブルは一杯になっていった。
「ところで、フリン家との接点の証拠は見つけられた?」
「多分、この中にありますよ。今回は気が付かれる前に踏み込めたので、証拠は全部残ってるはずです。
…本人は当然いませんでした」
カルラは深く溜め息をついて、頬杖をついた。しかし瞬間、顔は青ざめ立ちあがった。
「大変よ!!」
その時、遠くでドカンと大きな爆発音が上がった。
「なにごとだ!!」
この詰め所まで激しい揺れを感じたので、かなりの大きさに違いない。
被害状況はどうだろうか。学生たちは無事か。
すぐさま、エージェントたちは、爆音の聞こえた場所へと向かった。
「ああ、大丈夫かしら。あいつ、ふらふら出て行ったから…」
小さく悔し気に、カルラが呟きながら走った。
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