88 ラッチ・リー
カルラの放つ太く頑丈な蔦は、きつくフードの男に巻き付いて四肢の動きを止めている。男はもがいても外れない蔦に完全に冷静さを失って足掻いている。
時間にして、あっという間の出来事だ。蔦の力は強く、もがけばもがくほど強く絡みついていく。
そのうち、バサリとフードが外れ、砂色の髪の毛が露わになった。
「ちょっと、ごめんなさいね」
そう言うと、カルラが石仮面に手を伸ばして、剥ぎ取った。
そこからは、思った通りの幼さが残るまだ青年の顔が現れた。
「ラッチ・リーこと、トム・ロック、現行犯で逮捕するわ」
必死の形相のトムが、手に持っていた球のようなものを投げつけようとした。カルラとアーシアは、はっとなって慌てたが、その手に向かって白い雲のようなマドカが、急降下して飛びかかって攻撃した。
球は、犯人の手から弾かれ空中に放り上げられる。直ぐに大きな羽音が羽ばたいて、どこからともなく現れた瑞樹がその球をキャッチしたのだった。
「瑞樹さん、ちょっとそれを見せてもらえますか?」
アーシアは慌てて、そう叫んだ。瑞樹は素直にアーシアの下に舞い降りて、その球をアーシアの手に丁寧にそっと落とした。
ばたばたと、制服姿の警官が現れて、縛られた犯人を逃げられないように拘束して、そのまま連行して行った。
「カルラさん、トム・ロックのベルトに付けているチャームを、必ず取り上げてください」
「わかったわ」短く答えると、カルラは警官たちと話を始めていた。
震える手を必死に押さえ込みながら、アーシアは球の蓋を開けて覗き込んだ。
(大丈夫だ、まだ、起動していない…)
安心して、ドッと汗が出る。
(ああ…こんな、刺激の強い生活、わたしには、無理だわ…)
心の中で、そっと愚痴をこぼし続けていた。
その後、アーシアも直ぐに中心街の最も大きい警察署に、連れて行かれることとなった。表向きは証人としてだったが、非公式なエージェント協力者としての意味合いもあった。
カルラは少し申し訳なさそうにしていたが、大丈夫、とアーシアは笑った。
警察署には、当然カルラも同行してくれるので、安心だった。それに今回調査に協力したのには、アーシアなりの想いもあった。
勿論、同じ学校の後輩にあたるトムのこともあったが、事件によって、爆弾という錬金術師の主たる製造品を汚されたような、気がしたからだ。
魔獣の二人乗り用小型馬車は港町の入り口近くの預り所に止めてあり、二人は一旦そこへ戻ってから警察署に向かった。
証人として意気込んでいたアーシアは緊張していたが、エージェントの協力者の扱いの方が勝るのか、警察では捜査官の一人のように扱われて、面食らってしまった。
警察署の騒がしい場所を抜けて、重々しい廊下を行くと、頑丈そうな扉の前に案内された。
分厚い扉の向こうには、机が二つと椅子と小さい窓には黒い格子が付いていた。
(うわ、刑事ドラマみたい……)
真ん中の椅子には、みすぼらしく砂色頭の男が、紐で括りつけられて、うなだれて座っている。
「やあ、こんにちは。今日は、どうも」
短い言葉の声が聞こえたので、横を向くと男の向かい側の男性たちの中に、がっしりした銀髪の男性がアーシアを見つめていた。
「あ、こ、こんにちは。フ、フリム…カルドさん」
「今日は、大変だったね。お手柄だ。協力ありがとう」
目だけでアーシアに笑いかけた後、フリムカルドは厳しい顔に戻って前の男の方に向き直った。
ラッチ・リーことトム・ロックは、前を向くこともなく頑なな雰囲気を崩さなかった。
顔はよくは見えないが、明らかに土気色になって、脂汗に濡れている。
厳しい調子で、尋問は続いている。一人の調書を読み上げている男と中年の男が中心となっているようだ。
この二人は警察官だそうだ。ほかに隅のデスクには書記をする制服の警察官もいる。
男二人の言葉に一向に耳を貸さない相手に、中年の刑事が、後ろの方を振り返って、フリムカルドと目を合わせて頷いた。
フリムカルドが、前に進み出て何かを、容疑者に呟いた。
砂色の髪の青年は、ガバッと顔を上げて椅子に括りつけられたままもがき、立ち上がろうとした。
そして真っ直ぐ前を向いてはじめて、扉の直ぐ前にいる青い顔をしたアーシアに、気が付いた。
青年は、みるみる驚愕の色が顔に広がり、硬直した。見開いた眼は、アーシアに真っすぐ向かい、口を小さく動かして何か必死に言っているようだった。
汗で貼り付いた砂色の髪の間のこめかみには青筋が浮き出て、たらりと脂汗が垂れた。
周囲の尋問官は、アーシアのほうを釣られて見ると脇にどいた。カルラと目配らせしてトムに近づく。
胸に巻いたスリングの中から、マドカが顔だけ伸ばして鼻をクンクンと鳴らした。
《なにか、可笑しな匂いがするぞぅ…》
念話を使ってマドカが話しかけたので、アーシアが、ポンポンとスリングの裏を撫でた。
《何か気になる?》
するともう一度、マドカは首を伸ばして、トムの方を向いた。
トムからは、煙の匂いと妙に甘い匂いに混ざって今日は特に強く癖のある独特な匂いがしている。……硫黄の匂いだ。
いつも可笑しな匂いだと感じさせたのは、硫黄の匂いが僅かに混ざっていたから。
《ほら、前に死の原戦場跡で温泉でかいだ匂いじゃない?》
とアーシアが聞くと、
《…そうだな、その匂いもするなあ…でも、違うんだぞぅ…》
マドカは、スリングにまた潜って行って考え込んだ。
アーシアがトムの前まで来ると、一層、トムは震駭の表情を浮かべて顔を引き攣らせた。
そして、急に部屋が震えるような大きな声をあげた。
「ああ、やめだやめだ、お終いだ。おれは手を引く」
そう言い切って、プイっと顔を背けたトムに、フリムカルドがゆっくり近づいてアーシアのすぐ横に立った。
「手を引くも何も、お前は立派な犯罪者だ。何を無関係な者のような言い方をする?」
「ふん。おれは、いやいややらされただけだ。
あいつらは、おれの存在が丁度良かっただけさ」
ちらりと上目遣いに一度、フリムカルドを見上げると、また顔を横にそらした。
トムの表情はいよいよ苦し気で、唇は渇いて少し切れて小さく戦慄いている。
《あ!》マドカがスリングの中で、大きく身じろぎした。
《精神魔法のにおいだ!掛けた方掛かった方も、こんな甘い気持ち悪いにおいをするんだよ》
思いがけないマドカの言葉に、アーシアは酷く驚いた。
しかし考えてみると、トム・ロックは、嫌々従わされているようだった。ならば、相手は魔法を使って彼を操っているか…
(喋れないようにしている?!)
「トム、あなた、何か精神系の術を掛けられていない?
もしかして…言いたくても、言えないんじゃないの?」
アーシアは、ぽつりと呟いた。トムは一度ピクリとして、冷たく反抗的な目をちらりと向け何も答えなかった。
反抗的なのに、妙に無機質な瞳。その目を、もう一度アーシアに向けて、唇を震わせた。口からは途切れ途切れに不安定に空気しか出てこない。
「もう一度聞く!お前の主人はだれだ?犯行の動機は?」
フリムカルドが、冷たく平坦ながら有無を言わさぬ響きを帯びた声色で、トムの目の前に立ちはだかり、氷魔法で彼の肩に向かって圧力をかけた。
鋭い冷気に晒されながらも、トムは痛みに貌を歪ませ、脂汗を垂らした。吐く息は白い。
「黄金のキトリニとは、なんだ?」
続くフリムカルドの尋問に、急に、目をギラギラさせて、アーシアを睨みつけると、真っ直ぐに脇目も振らず言い放った。
「お前が相手にしているのは、狂人だ!!何もわかってなんかないんだろう」
激しく叫んだあと、トムは机の上に崩れ落ち気を失った。
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