84 疑惑?
一般学部の長い渡り廊下を足早に、白衣を脱ぐことも忘れてアーシアは急いだ。
秋だというのに、薔薇は満開で、ほかにも金木犀や銀木犀の花々が良い香りを放って咲き誇っていた。
美しく貴族的でもある庭園を抜け、庭師のような出で立ちのセドリック先生に会釈して、慌てて隠されたような裏庭へと向かう。
いつもの扉を、少し乱暴に開けて中に入る。
「あら、アーシアじゃないの。
どうしたの?今日はとっても早いわね!」
カルラがいつものように輝くような微笑みで、アーシアを迎えた。
「カ、カルラせんせい…
あ、あ、あの、お話したいことがあって…」
カルラはアーシアのただならぬ雰囲気に直ぐに気が付いて、いつもとは違う奥の長椅子へと連れて行った。
二人で並んで座ると、アーシアの肩の後ろを、安心させるようにそっと擦ってくれる。
「どうしたの?ゆっくりでいいから、話してみて頂戴」
アーシアは、一度深く息を吐くと、なるべく冷静に努めるよう、話し始めた。
錬金科3年の、トム・ロックという学生のこと、そして、その学生と接触しているダフネ・トラシオンという秘書のことを。
まず、トムに対してどうしてアーシアが不審に思うようになったかを、説明した。
学校に初めて来たときに校門でぶつかって、変な匂いがしたこと。
その後すぐに、ダフネ女史に出合ったこと。
何度かの怪しい出会いを経て、午前中の3年の実習でトム本人を見て、直ぐにカルラに報告しなくてはと思ったことを、順を追って話した。
特に、闇オークション近くの道で怪しいマントの男に会ったことは、カルラ自身も気づいていたようだった。
石仮面のラッチ・リーとの体格の類似点が多すぎること、そして仮面に声を変える仕掛けがあるのではないかという推測も伝えたのだった。
「それに……
まるで爆破現場に居合わせたかのような言い分や、彼のぶら下げていたチャームが、
オークションでラッチ・リーが落札したものにそっくりだったんです」
アーシアは、息を吐ききるように最後の言葉をカルラに向けた。
カルラは、微笑みを絶やさず聞いていたが、アーシアを優しく包むように綺麗な暖かい調子で話し始めた。
「よく話してくれたわね。…まあ、もっと早く話してくれても良かったのよ。
そんなに危ないことを一人でやったなんて。
…いいわ、そこまで分かっているのなら、調べてみましょう!任せておいて!!」
カルラは諜報に長けている。従魔の鳥の視覚を共有することができるのだ。
鳥型の従魔の特徴の一つで、騎獣や戦いで役に立つ従魔とは違い、このような特殊なスキルを有している。
「今日は、お休みにしましょうか?」
アーシアの様子に心配してくれたカルラに、アーシアは、しっかりと首を振った。
「いいえ、気持ちを切り替えるためにも、頑張ります!」
その言葉を聞いたカルラは、にっこりと大きく花開くような微笑みを浮かべた。
「そうね!じゃあ、頑張りましょう!!」
いつもと同じように、棒術のレッスンをこなしていると、アーシアの心は少しづつ穏やかに凪いでいった。
無心に棒を振り、身体を動かすことの、なんとスッキリすることか。
一通りの訓練を終えると、カルラがアーシアに声を掛けた。
「ちょっと、この後時間があるかしら?一緒に行ってもらいたいところがあるの」
アーシアは、今日の予定はなかったので、直ぐにカルラに返事をすると、着替えた後に二人で連れだって出かけた。
カルラがアーシアを連れて行ったのは、いつもの錬金学部のある建物で、以前にも行ったことのあるアレッサンドロ先生の研究室であった。
無機質な研究室のドアを叩くと、中からアレッサンドロ先生の特徴的な声が聞こえて来た。
「ごめんなさいね、今日は貴方に用事があってね、
アーシアにも意見を聞きたいから、一緒に来てもらったの」
カルラはそう言うと、慣れた様子で長いソファに腰かけた。そして、まだ立っているアーシアに向かって、こちらに来るよう促した。
アーシアも隣に座って、小さく手を膝の前で握った。
今日は、助手は2人ともおらず、アレッサンドロ先生だけだった。
「すまんが、我輩は茶など振舞う技量がないんでな、出すことはできんが」
そう言って、いつも通りのスッキリしない格好のまま、ドスンと向かいのソファに座った。
「いいわよ、飲みたかったら自分たちで入れるから。
そうそう、貴方に執行部として、意見を聞きたいの。協力してもらえるかしら?」
そうカルラが言うと、アレッサンドロは鼻に皺を寄せて、嫌そうな態度をとった。
「まだ我輩を、疑っているのかね?」
カルラは、小さく笑い声をあげて言った。
「いいえ、違うわ。
今回の一連の爆破事件で、特殊な爆弾を用いたのではないかって、この間ここに来た時に、
ここにいるアーシアと話していたでしょう、覚えている?」
するとアレッサンドロは、冷静な顔になって、一度視線を下げて考えた後、
「ああ、覚えているとも。特殊な、薬剤が入った爆弾のことだろう」
「ええ、そうよ。実はね、何箇所か巡った隊員によると、通常そこには現れることが稀なモンスターが複数体現れて、交戦したというの。
場所も、なんでここっていうような場所だったでしょう?でも、モンスターに襲わせるのが目的だったら?」
アーシアはシュッと息を吸い込んで身震いした。
「うむ、可能性としてはあるだろう。技術的に難しいかもしれないが、できないことはないだろう」
「やはり、魔石の欠片を用いてですか?」
アーシアが短く訊ねた。
「うむ、だが魔石そのものにそのようにモンスターを誘発させることはできない。何らかの力か魔法か…薬剤かを魔石に移し込むのだ。
それならできないこともないだろう。ただ、量としてはあまり沢山は入れられない。その場所の風の向きによっても、思うようにコントロールするのは至難の業だろうよ。
怖ろしいことだ。
……それにしても…そんな技術をもって、そのような愚かなことに使うとは…」
アレッサンドロには、もう一つ闇オークションで敵が購入した魔石についての調査、考察も頼んだ。
どんな魔石であるかは、直ぐに見当がついたようで、やはり爆薬の材料になるものというのが濃厚な線だという。
詳しくは、もう少し調べてもらうことにして、カルラと共に部屋を出た。
二人で錬金学部の人気のない研究棟を歩いていると、向かいからアレッサンドロの助手の一人であるクレッグ・ホーソンが歩いて来た。
手には分厚い本を持っているので、講義の帰りだろう。
クレッグはこちらに気が付くと、珍しくいそいそと傍に寄って来た。
「こんにちは。ちょっと、アイビーさんに、ご相談があるんですが…」
そう言うと、ちらっと剣のある眼差しをアーシアに向けた。カルラは、じっと値踏みするようにクレッグを見ると、少し冷たい調子で答えた。
「アーシアが一緒なら、いいわよ。それで、なにかしら?」
クレッグは、業とらしくため息をつくと、二人を中庭が見える人気のない廊下の片隅に連れて行った。
クレッグは、ぐっと本を胸にクロスするように抱えると、覚悟を決めたように話し出した。
「アレッサンドロ・ヴィスコンティのことですよ。…爆炎の科学者なんて言われてますが、
あの人は、もう全然お役所関係の研究はしてないんですよ。軍や役場に頼まれた爆弾なんかは今でも決まった分、納品してますけどね。
僕が研究室に入った時から、得体のしれない研究に没頭して、僕ら助手も寄せ付けない。
……僕らは使用人じゃないんですよ!
怪しいと思いませんか?……こんなこと、自分の指導教諭に対して言うのは、なんなんですけどね!
そのせいで、婚約者にも逃げられ、支援も切られたんじゃないんですかね」
クレッグは厳しい表情を浮かべながら、苦虫を潰すように言い放った。その後も鬱憤もあったのだろう、クレッグは、如何にアレッサンドロが疑わしいかをしばらく話し続けた。
そしてその後、何も言わないでおとなしく聞いていた二人の女性に会釈すると、研究室へと帰っていった。
「カルラさんは、どう思われますか?…あの…アレッサンドロ先生のこと…」
アーシアは、クレッグの言ったことには、あまり信憑性を感じなかったがカルラはどうであろうと思い、訊ねてみた。
なにしろ、あの先ほど研究室で話したばかりのアレッサンドロ・ヴィスコンティが、確かに見た目は奇抜な変人であるが、人の道に外れるようなことをあえてするだろうか。
「う~ん、はっきり言うとね、あの人はありえないのよ。
何しろ、執行部実行部隊の、一応メンバーなんだもの。所謂科学的な調査をしてもらってるの。
だから、ありえないとは思うんだけどね…
確かに、火薬なんかの知識は一番あるわ。ここ数年少しおかしいのは気が付いていたけどね」
クレッグの話の時から、様子の変わらないカルラは、少し軽い調子でアーシアの疑問に答えるのだった。
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